087 - 「納得いかない」

「やっぱり、納得いかない」

アレスは寝台の上に胡坐をかいて座り、言葉の通りむっつりとした表情で言った。

「アーシャのこと?」

飲む? と水差しからグラスに水を注ぎ問うロルに頷いて、少年は口を尖らせる。

「南に向かう深い理由がないなら、一緒に来ればいいのに」

「――それは俺も思うけどね」

彼はグラスを1つ、少年に手渡した。

「まだおれ達のこと信用してないのかな?」

「……そういうわけじゃないと思うよ」

水で咽喉を潤し、彼は濡れた長い髪を拭きながら窓を少し開けて傍らの椅子に腰掛けた。

まだそれほど遅い時間ではないため、階下からは楽しげな喧騒、窓からの涼しい夜風が紗のカーテンを緩やかに揺らしている。

部屋の造りは至って簡素。だが、備えられたリネンの類はどれも清潔で掃除もよく行き届いている。

その心地良さに瞳を細めながら、ロルはアレスに目を遣った。

「あの二人の旅人とは仲間になったのに、どうしておれたちはだめなんだ?」

少年の闇色の瞳は憤りに満ちていた。

 それは数日前、少女と出会った時にも見せた表情。彼女の真意が見えなくて、耳から入った言葉が理解できなくて、少年はむくれているのだ。

だが込められた思いは、あの時とはまるで別物。

明らかに不信感しかなかったその場所に今あるのは、恐らく――

「だめ、というか……」

その心の変化と、少年の物言いにロルは頬を緩める。

「アーシャって、必要以上に女の子扱いされるのを嫌うじゃない? 俺も何回か不用意な発言しちゃったと思うけど……」

烈火のごとく怒りを爆発させることは無いが、強烈な不快感を顕にする。敵意と取れるほど、全身から。

「アーシャの故郷、厳しい身分制度と男尊女卑思想が根強かったって言ってたじゃない」

「……でも、それが何か? おれ達別に……」

彼女を卑下する気持ちなど、ない。たかだか数度の発言で、アーシャが同行を拒むとは考えられない。

アレスは瞳を瞬き緩く首を傾げた。

「そうじゃなくて。男たちに守られたいわけじゃない、守られていると思われるのはイヤだって気持ちがあるのかもしれないし」

実際にはそうでなくても、そう見られることは多々あるだろう。

『あんたたちみたいに、あの子を助けて守ってくれる旅人がいてよかった』

そう言ったのは馬屋の主人、ユンカース。悪意など欠片もない。何気ない言葉だったのだろうが、あるいはそれはアーシャの自尊心を傷付けたのかもしれない。

「でも、さ。おれたちが助けたり守ったりするとか、したいって思うのって、女の子だからとか、そういうんじゃないじゃないか」

仲間だからだ。それ以前に、目の前で苦境に立たされている人が居て、それを助けたいと思うのは当然のことだろうとアレスは思う。

共に旅をするなら、守る、守られるという関係は一方通行のものではない。

「自分なんか、ってアーシャ言うけどさ。回復魔法だって使えるのに。ロルが得意じゃないって言うから、回復魔法はセフィに頼りっきりだし。アーシャ居てくれたらおれ達も助かるよな」

一方の手を膝に乗せて前のめりになりながら少年は相変わらず口を尖らせている。

「そうだよねぇ」

ロルはもう一口水を口に含んで飲み下し、グラスを横の卓に置いた。

透明な水に、ランプの光が映って揺らめく。

 ロルもアレスも、長らく一人旅をしていた。その苦労は身に染みて分かっている。

そして、一人旅でしか得られないものがあるということも、理解している。

だが彼らが共に旅路を往くことになったのは、決して一人で居ることが辛かったわけではなくて、寂しくて身を寄せ合っているのでもなくて、ただ単に、一緒に行きたいと思ったからだ。

その思いに、理由など無い。

 アーシャと出会って僅か数日。

だがそれでも、互いに気心が通じると感じているのは事実。

セフィが教会の特殊な任務を帯びているため、同行者を選ぶ際には慎重を要する。

それは、セフィは勿論ロルもアレスも理解しているがその上で、一緒に行っても良いと結論付けているのだ。

その思いの根拠など、問われても恐らく分からないだろう。

なによりそのセフィが、理智的と思わせながら直感を信じる風があり、実際その勘というものが良く当たるのだ。

「まぁ心情の問題だと思うよ。ムリヤリってわけにも行かないじゃない?」

「……」

アレスはまだ納得がいかない様子で口をへの字に曲げている。

 だがロルは、少女の気持ちも少し分かる気がしていた。

彼女は大切なもの犠牲にして今の自分があるのだと言っていた。

だから、自分が少しでも心地良い、快い、楽しいと思うところに居ることが、許せない。

自分自身に対する厳しさを、少女が持っているから。そしてそれは、彼女も自分たちの存在を快く思ってくれている他ならぬ証拠なのではないか。

例えばアレスなら、そんな少女の思いを知ったとしても、それでも迷い無く一緒に行こうと言っただろう。

 彼は一度、セフィに対してのその言葉を飲み込んだことがあった。それを酷く悔いたと語っていた。

後に少年は、司祭と再会を果たし今共にあるのだが、そのような再会などそうそうあるものではない。

少女の秘めた思いと、少年の心根。

その双方が分かるから、ロルは苦笑しながら話題を変えた。

「それにしても、この部屋割って誰が決めたの?」

「……ホントは3、1か2、1、1にしようって言ってたんだけど、アーシャが2、2がいいって。一人部屋は嫌だ、セフィと同じ部屋がいいって」

少し黙った後でアレスが答えると、ロルは予想していたとはいえ思わず笑った。

「押しきられちゃったわけだ」

「野宿ではみんな一緒に寝てたんだからいいだろうって。野宿で眠るのと、宿で同じ部屋に寝るのは訳が違うと、おれは思うんだけど」

「確かに。セフィ、懐かれてるよねぇ」

思う宿が取れなかったり、金銭的な理由からやむを得ず相部屋を選択する場合は勿論あるが、彼らはそれほどにまで逼迫しているわけではない。

この宿も、基本的には相部屋制度は設けていないようであるし、街で宿に泊まる際に旅人が求めているのは単なる眠りだけではなく、安心できる空間でもある。いくら気心が知れていても、夫婦でも恋人同士でもない異性との二人きりでの同室は少なからず緊張を強いられるもの。

アーシャは気にしなくともセフィが気を遣いそうだから、二人が心配なのは寧ろセフィがきちんと安らげているかどうか、だ。

「心変わりさせられるとしたら、そのセフィだと思うんだけど。説得するとは思えないし」

苦笑しながら立ち上がり、青年は少年の肩を軽く叩いて顔を覗きこむ。

「なるようにしかならないって。そう不貞腐れなさんなよ。俺達は精一杯の勧誘をしたんだしさ」

自分自身にも言い聞かせるような言葉。彼も願う思いをハスキーヴォイスで紡ぐ。

聞き分けのいい大人として納得したように振舞ってはいるが、彼もまた少年と同じ気持ちだった。

だからこそ、アレスの少年らしい素直さにこそばゆい様な好ましさを覚えるのだ。

「……むぅ」

「出発までにまだ時間はあるんだし、それまでに心変わりするかもしれない、でしょ?」

少年がしぶしぶ頷くのを待って、彼から離れたロルは僅かに開けていた窓を閉めて、カーテンを引いた。

考えても、話しても仕方が無いことだから、寝てしまうに越したことは無いと暗に示して。

 それを察したのか、それとも考え疲れたのか。

青い髪の少年がドサッと寝台に横になったのを確認して、彼もまた自身の寝床に身を沈めた――。

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