072 - 大樹を望む祭壇(前編)

 少しでも大地に触れていれば、大樹への道を見失うことはない。

木々に空を遮られその姿を捉えることが出来なくても、リーは進むべき方角を感じることが出来ていた。

ミナもまた、声がすると言って同じ方向を指すから、二人はただ自分達の感覚を頼りに歩いていた。

 地脈や水脈を読み、岩石や植物を操る、大地に関連する力。

それは今更何故と問うべくもない、生まれ付いて彼に備わっていた感覚であり能力だった。

物心ついた頃から、意識せず自然と使うことの出来た精霊魔法と呼ばれる力を、教会に教授される以前から使い得たという者を、彼は自分とセフィ以外に知らない。

 ミナの力が何に因るものなのか、リーには分からなかった。

だが、ミナの父カムヤオは学都で薬草学を修めたという――医療、特に薬草学に携わる者の多くは地属性の魔法力を持つ。

大地や植物に関する力を持つ者が薬草学に長け、医療に関わることが多いとも言えるのだが、ミナがその魔法力を受け継いでいてもおかしくは無いだろう。

 そして薬師はかつて呪術師、巫女的な存在だったとも言われるから、その血筋によるものだとも考えられる。

あるいはもっと別の――それこそ、異国の血に因るのかもしれない。閉鎖的に続いてきたこの土地に注がれた新たな流れがこの少女なのではないだろうか。

 リーは振り返り、少し離れて後を付いて来ている少女に目を遣った。

一晩野宿して今朝、肩ほどまで伸びた髪が邪魔だからと後ろで結わえてやったのだが、既に随分乱れてしまっている。

魔物も出現するこの深く険しい森の中、周りの緑よりも濃い色の小さな頭がひょこひょこと付いてくるのは、正直少し可笑しい気がして口の端に笑みが漏れる。


 そもそも、彼は単身で森に入るつもりだった。

だが自分も行くと言う少女に、思い留まるよう言い聞かせてくれと頼った祖母は、少女の希望を聞いてやって欲しいと請うたのだ。

「もしミナに何かあったらどうする?」

そう問うとテワンは、

「危険は承知しています。でも大樹のその御姿を見ることを許されたミナが大樹の元に行きたいと望むなら、そうすべきだと私は思うのです。足手まといだろうことも、大変なことをお願いしていることも分かっています。でも、あなたにならお願いできると……」

「……オレを、そこまで信じていいのか?」

手放しの信頼に戸惑いながらリーは問いを重ねた。するとテワンは真摯な瞳で頷き、

「大切なこの子を信用できない人には託しませんよ。第一犠牲者のこの家に来て、何ら恐れも不安も嫌悪も見せずに居てくれたあなたの誠実を信じます。それに、言ったでしょう? 子供の直感というのは信じるに足るものよ」

自分一人なら、村を出て行ったと言えば済むこと。

だが、ミナが一緒に居なくなったと知れれば、森に入ることを良しとしない連中にテワンはどのように言われるか。

その風当たりの強さを承知で、望んだのだ。彼女は、恐らく。

 村人に何か聞かれたら、適当な言い訳で応えておくわと見送ってくれたテワン。

このまま木々が枯れるままにしていていいはずがない。

ましてそれが、ひとの――カムヤオの行いによるものなら、その責任は誰が負うべきか。

『真実を知らねば悔い改めることも出来ぬ』

それはきっと、そこから木々が枯れるという現象を食い止める術を探りたいという思いと、贖罪の念、そして大樹に対する深い敬慕の情によるのだろう。

――大樹へと通ずる道、か……

遙遠くに見える母なる大樹の元へ行くには、まずその途上にある祭壇へと向かうようにとテワンは言っていた。

ユトの村が守る祭壇は、大樹の御姿を望む聖なる場所とされ、大樹への道はそこから開かれるのだと言う。

それが、大樹を見ることが出来なかったカムヤオの辿った道であり、彼が大樹に近付いたであろう行程だった。

 七人もの村人を死に至らしめた、枯死の奇病に対してリーが恐れを抱かなかったのは、根拠のない確信によるものではない。

――オレも、ミナも大丈夫だ。おそらく、もう”それ”はここにはない。

一連の情報と自らの知識からの予測を原拠とするわけだが、委細はともかく大筋は間違いないだろうという自信がある。

――奇病が発生してから、教会が鎮圧にくるまでの期間が短すぎる。

しかも、誰かが通報した様子でもなかった。

つまり何らかの使命を帯びた教会の関係者が、事前にこの地に来ていた、ということだ。

「あぁ、そうだ。テワン、もう1つ聞いておきたいことがある。その――カムヤオやその友人が何かを持ち帰ったりはしてないか? もしくは、病を鎮めに来た教会の連中が、何かを持ち去ったとか」

テワンは、何も知らない、と答えた。だが

――清めの光以て、浄化せよ……

この地方では、樹木土葬が一般的にも関わらず、枯死した人々の遺体を白き炎で焼いて埋葬したという聖職者。

呪いを祓うためと言われればそれまでなのだろうが――


足元に気をつけながら必死で後を追うミナとの距離を確認し、また前方に目を向けた。

一抱えもありそうな巨木には壁のような板状の根が何枚も伸びている。

最初は物珍しく感じたが、幾多の奇怪な植物は既に見飽きるほど目にしていた。


 テワンは教会に対して、あまり良い印象を持っていない様だった。

リーが教会関係者かと聞かれ、『だったら、どうする?』と答えた時に『疑うことなどしません』と言ったテワン。

――疑う? 何を?

また、"よそ者"に対する風当たりの強さも気になる点だった。

いくら閉鎖的な村とはいえ、プラジュナを受け入れた村人たちが何故、あんなにも自分に対して不信感を顕にしたのか。

――もう少し、情報が欲しかったところだな……

テワンは惜しげなく多くのことを語って聞かせてくれたが、それでも、最も肝心な部分は抜け落ちていた。

――カムヤオが森に入ったのは何故か。

それも、ある日突然――

今は彼の予測でしかない、その答えを、果たして大樹は知っているのだろうか。

 ユトの村を発って2日。色々と思い巡らせるには十分な時間があった。

 枯れた木々が痛ましい森はそれでも豊かで、可食果実をもたらしてくれる植物や、幹を切れば清涼感のある飲料可能な樹液を溢れんばかりに滴らせる樹――ミナは"水の樹"だと言った――もあり、知識さえ確かなら食料に困ることはまずなさそうだった。

 カムヤオは5日間で往復したという。だが、依然大樹は遠く、現時点でどの程度祭壇に近付いているのか分からないもどかしさと僅かの不安を抱えながら彼は歩き続けていた。

雨が降ることはないが温度も湿度も高い気候は、衣服を肌にまとわり付かせて酷く不快だし、歩くだけでも体力を消耗する。

幼いミナのことを考えると、あまり長期間連れ回す訳にもいかないからだ。


 様々な植物が乱れ絡まり原型を失った木々が生い茂る。

空を覆い、どこまでも続くように思われた緑が徐々に薄くなり、風に揺れ踊る幾筋もの白い光が視界を染めた。

「……!」

 緑の天蓋に切れ目を入れたのは石の壁だった。

蔦や苔がその表面を飾り、辺りの樹々と同化しつつある壁は、だが明らかに自然物ではなく著しく風化した様子も見受けられない。

壁の数歩手前から、断ち切られたように背の高い木々は生えておらず、広がった空の向こうに大樹の姿が見えた。

根が露出し、凹凸の激しい地面に足を取られぬようミナに手を貸してやりながら藪を抜け、真っ直ぐに一定の高さを保つ壁を左右に見渡した。

「入り口、あそこかなぁ?」

ミナが興奮気味に指したのは、そこだけが高くなっている一部分。遠目にも、装飾的な何かが施されていることが覗えた。

「あぁ。行ってみよう」

リーは頷き、安堵と好奇心に逸る心を抑えながら壁に沿って入り口へと向かった。


 そこは、確かに門だった。

壁の高さはリーの身長の約倍。門柱は更にその倍はある。

盾を逆さにした様な尖頭等辺形の一枚岩のレリーフを中心から真っ二つに断ち切った形で開かれており、その正面に立って二人は言葉を失った。

 方形の壁に囲まれた内側には丈の低い草が緑の絨毯を成していた。

壁の外側の様に無作為に生える植物は一切なく、まるで日々丹念に手入れを施され整えられた広大な芝生の庭然り。

彼らが立つ割れ門から、正面に四角錘の天辺を切り落とした形の巨大な建造物があり、足元に敷かれた石畳の道が、その頂上へ向かう階段に続いている。

多くの者が通ったであろう、丸く滑らかになった石の道は緑の中にあってつややかな小川の様。

道と階段、その向こうには大樹がぴたりと一直線上にあり、遠近法を利用して階段は大樹の丁度中央辺りに繋がっているようにも見える。

 二人は思わず感嘆し立ち尽くした。

左右対称<シンメトリー>を成す外壁、広大な緑の敷地、そして祭壇。自然と目線は中心の大樹へと辿りつく。

全てが、大樹の存在を威風堂々と見せるためにあるかのよう。

この景色においてあの尊き大樹がない――見えないことなど想像できない。

自然物と、人の手によるものがこんなにも完璧な形で調和するなんて。

「すごいな……」

口をついて言葉が漏れた。

この風景が、大樹を見ることの出来る者の特権だとは思いたくない。それほどに素晴らしい眺めだった。

 ミナは頷き、そしてそっと彼の手に手を伸ばした。

大樹が本来の姿なら、きっともっと美しい眺めだろうが、枯れてしまっている今の姿からはどこか不安な気持ちを感じるというのも確かだった。

小さなその手と手を繋いでやり、リーは足を踏み出した――。

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