042 - 人間的であること

「あ、食器、持ちますよ」

院長室の扉を閉めたマーサにロルは手を差し出す。

「え……? いいえ。お客様にそんなことさせる訳にはいきませんわ」

「レディにものを持たせて俺が手ぶらでいるわけにはいきませんよ」

「……」

「……」

マーサは微笑む青年の態度に戸惑ったが、こんなことで意地を張る必要もなかろうと「それではお願いします」とトレーを任せた。

それを満足そうにひょいと持ち上げて青年は歩き出した。

 その隣を歩きながらマーサはふと青年を見上げた。

綺麗に弧を描いた眉、高く通った鼻筋から唇、顎へのラインは男性的な鋭さを持ちながら、理想的な形を描いて美しい。ウェーブがかった金髪の隙間から覗く耳には幾つものピアス。盆を支える大きな手にも華美すぎはしないが指輪がはめられている。異国的な雰囲気はあるが、パッと見ではとても長年にわたり諸国を旅してきたつわものには見えなかった。むしろどこか、貴族の様な――

「どーかしました?」

向けられる視線に堪らずロルが訊ねた。

マーサは思わず見入ってしまったことに自身で呆れ、そのことを頭の中で霧散させるとしっかりとした語調で気がかりだった問いを口にした。

「……貴方は、一体何者なのです……?」

分たれた世界のことを知り得、渡る術を見つけた青年。

初めに話した"天の舞姫"や"竜の花嫁"――淡紫の瞳を持つ者に関しての知識も、そう簡単に得られるものではない。

『只者ではない』と彼らは言った。それは、このことだったのだろうか?

先ほど二人で話していた時の態度に戻ったマーサに、それでもそのままの調子でロルは答える。

「――俺は旅人ですよ」

「そんなことは分かっています。でも、あなたは……普通では知りえないようなことを知っている……」

「ははっ! そっか。でも俺は、ただの旅人ですよ。ひとより少し歌が得意で、知への欲望の強い、ね」

「……!」

青年の言葉にマーサは思わず鼓動が高鳴るのを感じた。


――貴方はひとよりも知識を欲する思いが強いのね。

――えぇ、それは恥じるようなことではありませんよ……


それはかつて自分が息子に掛けた言葉だった。

彼もまた知識を欲し、それを得ることに喜びを感じる人種だった。

「……」

「……俺はね"知は力"だと思ってるんですよ。――無知は、時に誤解を生み、誰かをひどく傷付けることがあるから……俺の無知が、いつか誰かを傷付けないために俺は多くを知ろうとしてきました。

確かに、知に捕われ、奢った者達の辿った愚かな末路も知らないわけじゃない。それでも、俺には必要な"力"なんです」

――無論、自らの知識が誰かを傷付けることも望まない

マーサの沈黙を何と取ったのか、青年は話した。

――だから先ほども"紫の瞳"のことを言わないでおくと言ったのだろうか。

誰かを、傷付けないための力。

「素晴らしい考えね……」

甘い言葉ではないがそれは確実にマーサの心を捉えた。

彼らが惹かれた青年の性根とはこのことかもしれない。

誠実なのだ。と、そう思い至った刹那に、

「ありがとーゴザイマス。いやぁ~シスター=マーサにそんな風に言って貰えるなんて光栄至極……ちょっとカンドーかも」

と、またどこかおどけた態度で言う。

マーサは思わず渋面を作った。

「……真面目に、できるのに、どうしてしないのです……!? 先ほどから……! そんなことでは……!」

それこそ誤解を生むかもしれないではないか。

自分マーサがしたように。

それとも、彼の冗談めかした態度は相手を深入りさせないための配慮なのだろうか?

そこまで考えての話術だったのだろうか?

いくら見つめても真意は見えない。大袈裟に困った振りをしてまた軽い口調で言う。

「いやぁ、だからあんまり真面目くさって話すのは……」

「肩は凝りませんから、どうぞ真面目に答えて下さい」

――お願いだから、本音を見せて。

態度を変えない様子に憤り、だが請うような気持ちでマーサは青年を睨み上げた。

視線を逸らし青年は深く瞬き苦笑する。

「――俺の身の上話は、彼にとっては刃のようなものでしょう? それに、同情して欲しいわけでも、哀れんで欲しいわけでもない。まして、傷付けたいわけじゃないんだ。――貴女の大切な息子さんに心痛を与えたとあっては、俺としても気分のいいもんじゃない」

「……っ」

期待した答えではあった。

やはりと思ったが、そこまで考えていたのかと驚嘆せずにはおれない。

 確かに、彼の言うことも一理ある。

セフィは、親友であるヴァレリーア=イーリス――リーの、陽気な性格と話し口に救われている部分が大いにあったのを思い出した。

マーサは胸が高鳴るのをおさえつつ平静な声で嗜める。

「そうね……。でも、私の前でまでそのような態度を取ることはないでしょうに」

「小難しい話を、難し~い顔して話すのは趣味じゃないんですってば」

「……」

「会話は楽しくなくちゃあね」

金髪タレ目の美青年は楽しそうに片目を瞑って見せる。

 マーサは言葉をもたなかった。もはや彼のそのふざけた態度などどうでもよくなってきていた。

彼がセフィと共にいて害をなすことはないというのは明らかに思えたからだ。

 すると、自分の配慮のなさが露になった気がして、急に恥ずかしくなったマーサは額に手を当てつつ謝意を述べた。

「……。ありがとう、ローレライ=ウォルシュ」

「いやぁ、お礼言われるようなことは何も~……ってか、どうしてそうフルネームで呼ぶんですかぁ?」

「……なんとなく、です。どうぞ御気になさらずに」

不満そうに訴えたロルだが、マーサに笑顔でピシャリと言われ、「まぁ、別にいいですケド……」と肩を竦めた。

彼の性質の快さに触れ、それを好ましいと感じたマーサだが、初めに威嚇のつもりでそう呼んだのを今更馴れ馴れしく呼ぶというのがなんだか照れくさい気がして、というのが本音であったのだが。

 話しているうちに二人は中庭を囲む回廊の終りまで来ていた。そこから聖堂を抜け出口へと向かう。

「前庭まで送ります。……もう少しお話をしたいのだけど、お時間頂けます?」

通りかかったシスターに茶器を頼み、聖堂への扉に手をかけながらマーサは問うた。見送りならばここまでで十分なのだろうが、信頼に足る人物だと友らが評した青年に、頼まねばならないことがある。

「え? あ、あぁ。急ぐあてもありませんし、構いませんけど? 何か?」

「セフィのことです」

「?」

「……あの子は――近いうちにここを離れることになっているんです」

「え……?」

「……」

「ここを離れる? あ、もしかしてあの伝令が何か……?」

聖堂に入り、静かな側廊を歩みながら話す。

林立する立派な木々のような柱。差し込む清らな光、暗がりを照らす燭台の灯火、聖者の彫刻や絵画に供物。

祈る者の姿は見えないがその空間は自然と声をひそめねばならない気にさせる。

修道女は長身の青年を見上げ浅く頷いた。

「数日前にリデンファーとしての任務が伝えられたのです。……内容はわかりません。おそらく今頃、諾と答えたセフィに、その任務内容が明かされていることと思いますが……」

「……彼はリデンファーの資格を持っていると聞きましたけど……司祭、ですよね? しかも内容が分からないって? 一体どゆこと……?」

「分からないのです。本当に、何も……何故かも……。ただ、セフィは司祭とはいえ教区を持っていない……。それに優秀な子です。おそらくリデンファーとしても……だからかもしれません。今回このような極秘任務が与えられ……」

「ちょーっっと待って下さいっ! ご、極秘任務……!? そんな重要事項、俺が聞いていいんですかっ!?」

声こそ荒げてはいないが狼狽した様子で青年は修道女を引きとめた。

「えぇ。私たちの一存で良しとしました」

「はぁ……?」

「あなたにお願いしたいことがありますので」

それまで自分を、言ってみればいいようにあしらっていた青年の動揺が可笑しくてマーサは思わずほくそ笑む。

「……レディの頼みとあらば断る訳にはいきませんけど……。何、ですか……?」

一瞬狼狽えたが、再び歩き出したマーサに従いながらロルは問う。

「『要は旅に出ろということだ』と先日伝令は言いました。そこであなたに……セフィの同行を願いたいのです」

「は? 同行?……一緒に旅をしろってことですか……?」

「そうです。……無理にとは言わない、とは言えません。どうか是非お願いしたいのです」

二人は正面入り口の扉までやってきていた。手を組み、立ち止まるマーサ。

リーの他にはこの青年しかいないと友らは推した。そして今、マーサ自身もそう思っていた。

「……」

ロルは無言で取っ手に手をかけた。

「勝手なお願いだとはわかっています。でも、どうか……」

「……どうして俺なんです? つーか、俺でいいんですか?」

「あなたしかいないのですっ……!」

「俺しか、って……。俺、てっきり貴女には快く思われてないと思ってたんですけど?……正直、セフィさんに会う前に追い返されるのもアリかと……」

それはもう、邪気のないキョトンとした顔で青年は振り返る。

マーサは面食らい、それから笑み崩れた。

「まぁ……。追い返したりなんてしませんよ。でも、勘がよろしいのね。……えぇ、初めいらした時、どうしたものかと思ったのですよ。今まで聞いた貴方の噂があまりなものだったので……」

「あまりなもの……はは……」

否定はせず、苦笑しながらロルは扉を押し開けマーサを促す。

すぐさまもう一枚の扉も潜り、外へと出た。

暗がりに慣れた眼は飛び込んできた鮮やかな光を眩しさと伝える。

「――ですが、私にあなたをとやかく言う資格はないと――本人に会いもせず、噂だけであなたという人となりを判断してしまおうとしていました。愚かなことです」

「……すると俺は噂通りではなかった?」

「……」

またしても不適に笑うマーサ。

「ってことはないよなぁ~ははは~」

「――彼らはあなたを信頼に足る人物だと言いました。そして私もやっとそれに同意できた」

やっと、という言葉が強調されている気がしてロルは苦笑する。

「彼ら……?」

「そう……。誰かにお聞きになりませんでした? 私たち……国王カシアス7世やフィルミーザ王妃、それにウィダ……街の司祭達……。セフィの"親"です」

「あー……そーいや、聞いたような気が……。セフィさんは12年前に、貴女が拾った子供で……って」

「そうです……」

「……」

庭の半分まで来た辺りでロルは立ち止まった。

「……」

「引き止め、ないんですか……?」

いつの間にか数歩後方に留まっていたマーサを振り返る。

「引き止める?」

「――とても、大切にしてると……」

「引き止めることなんて出来ません……私にはそんな資格はないのです。それに……そう、大切……。だからこそ……」

「……」

「セフィは心優しい子……。私たちが泣いて縋ればここに留まるかもしれない……けれど、そんなことをしてもあの子が世界に思い馳せることは止められない。この地に縛り付けても苦しめるだけなのです。

あの子が自らの意志でここを出て行くというなら、それを妨げることは出来ないのです。そう、誓ったから……」

黒衣の修道女は少し切なそうに瞳を伏せた。

「シスター=マーサ……」

大切なものを手放す、その辛さを青年は思った。

「ここにいれば、少なくとも命の危険に晒されることはないと思ってしまうから……いて欲しいと思います。けれど、セフィは決して籠の鳥などではありません。自我を持たない人形ではないということも――でも、優しすぎる……。だからこの任務を受けるかについても深く悩んだのでしょう……。

それを悪いことだとは言わないけれど……私はあの子に、もっと我侭に生きて欲しいと思うのです。

もっと自分本位に、自分の意志を大切に、と……」

マーサは手を祈りの形に組んだままその深い緑の瞳を空へ向け

「失うことで私自身が傷つくことを恐れているというのもあるの……そう、エゴなのです。私の…… ――おかしいでしょう? ここにいて欲しいと願いながら、自由に我侭に生きろ、なんて……こんな矛盾……」

そして自嘲気味に溜息を吐いた。こんな、自分の歳の半分も生きていないような青年に、一体何を求めているのだろうかと心の隅で呆れながら。

「そんな自己中心的で、矛盾した考えを抱えた私が司祭をして多くの人々に神の言葉を語って……そしてまた、私のエゴのために、あなたにこんなお願いをしてる……」

「――別に、いいんじゃないですか?」

天を仰ぎ許しを乞うかのような修道女にロルは澱みない声で言った。

「え……?」

「清らかなだけの言葉は、きっと誰の心にも届かない。憎しみや悲しみ、愛情を知らないひとに他人のそんな気持ち、分からないでしょう。人間的であることは恥ずべきことではないと思いますよ。

貴女はそうして誰かを傷付けたわけではない――寧ろ救おうとしてこられた。そういうのってすごく素敵だと、俺は思うのですが」

マーサと同じように一度空を仰ぎ、それからその美しい碧玉の瞳を細めて笑んだ。

その様は、とても暖かく穏やかで、甘い音を纏った言葉を優しく胸へと打ちつける。

マーサは言葉を失った。感銘を、受けたと言ってもよいほどだった。

「貴女は素敵な方だ。――街で話に聞いていた"司祭様"としての貴女より、今こうやって目の前にいる貴女の方が俺には数段も魅力的に見えますよ」

耳に心地よい落ち着いた、それでいて艶っぽい声。

だが、歯の浮くような甘い台詞に、途端マーサは呆れた表情を浮かべた。

「何を、私のような年寄りに……」

真剣な瞳と言葉――嬉しい言葉だが本気に受け止め心ときめかせるような若い娘ではない。

飾られた言葉でなくても、語られる本音の方がマーサは好きだった。

だが確かに、皆がはしゃぐのも分かる。美しい姿と声と、確かな包容力のある態度。

「……そうやって、女達の心を惑わすのですね」

咎めるというより感心した風にマーサは言った。

「え? あ~あぁ……バレました?」

「バレるもなにもないでしょうに……。可笑しな人ですね……」

くすり、とマーサは笑う。

「あはは……」

「でも、やはりセフィをお願いするのはあなたしかいないようです。どうか……」

「そんな、頭下げたりしないで下さいよー」

「いいえ、どうか……」

「レディの頼みは断れないって、初めに言ったじゃないですか。――お受けしますよ。どちらにしろ俺、今んとこ行く宛てがありませんし」

にへらと緊張感のない、だがそれは晴朗とした暖かな微笑みだった。

マーサはほっと胸を撫で下ろした。込み上げてくるのは言い様の無い安堵感。

「ありがとう、ローレライ=ウォルシュ……!」

それは心からの言葉だった。

「いえいえ。もーそこまで言われたら、セフィさん本人が嫌がってもついて行きますって」

厳しい陰を拭い去ったマーサの表情に、ロルはあははと軽快な笑い声を上げた――。

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