041 - 西<ティグレ>と東<ゲルダ>

 ロルは戸惑いマーサに目を遣った。

頷き促す仕草を示す黒衣の修道女。

「じゃあ、えとー……どうして弟だけをって、ことね。――その"誰か"が見つける前に、俺が捕まったか、逃げ出したか……それとも、『二人も面倒見切れない』って放り出されたか、分からないけど。気付いた時、俺は一人でいたよ。手元にあったのは、玩具みたいな武器と僅かな金。あと、目的――」

「弟さんを探すこと、ね?」

「そう。両親を殺した相手を見つけ出し、敵を討ちたい気もあったけど、そんなことは無理だって分かってたし」

「……」

『敵討ちなんて、ご両親も望まれなかったでしょう』などという言葉は出てこなかった。セフィもマーサも、そんな稚拙で偽善的な言葉を彼に向けたいとは思わなかった。

「それから、ずっと旅を……」

ロルは頷く。

「なかなか有力な……本人に辿り着けるような手掛かりがなくてさ」

――この世にはもういないのではないかと、思ったこともあったが……それでも

大袈裟に両手を挙げ"お手上げ"というように冗談めいた仕草をして見せた。

「流れ流れて~こんなに遠くまで来ちゃったんだよねぇ」

面白可笑しい物語を終えたように碧眼の美青年は笑う。その様子に聖職者達は思わず面食らった。

「ローレライ=ウォルシュ……!」

マーサの目に、神妙になりきれない彼の態度は理解できず不謹慎にすら映った。

先ほどから――自分の話題になってから――この青年の話す態度は一貫して真剣味がなく、まるでふざけているかの様だ。

そこに多少なりとも辛さを紛らわせるため、といった影が見えたならまだしも、そういう風は微塵も無く全く茫洋として掴み所がない。

確かに、その美しいハスキーヴォイスで物悲しい話をされれば、セフィでなくとも心が痛むであろうとは思ったが、逆に真剣味がなければ真面目に話を聞く自分がひどく滑稽に思えてしまうのだ。

どういうつもりかと、訝るマーサに

わざわざご丁寧にフルネームで呼ばないで下さいよー。――あぁ、すみません。でも、こんな話……暗い話を長々と真剣に語るのって、なんか肩凝りません?」

――今更嘆いたところでどうにもならないことなのだから

と言うかのように緊張感のない苦笑をする。

「……可笑しな方ですね」

セフィはつられ思わず表情を緩めた。マーサは批難したが、彼が柔らかな表情と軽い口調で話してくれたことは、少なからずセフィの思考に余裕を与えていた。その奥に深い悲しみがあるのではと思わぬことはなかったが、彼の陽気な表情は無条件に安心感を与える。

それでも、先ほど抗いようがないくらい引きずり込まれそうになったのだ。もし神妙な面持ちで語られていたら、客人の前で自分はとんでもない失態を演じていたかもしれない。

――西方の遺跡で宝珠の守人と出会った時とも違う、欠片ほどの哀愁も漂わせていなかったのに……

その感覚の理由を探ろうとそちらに意識を向けたのが功を奏したのか、セフィは冷静さを取り戻していた。

 マーサは少々呆れたように溜息をついたが、辺りに流れた和やかな雰囲気に口を噤んでいる。

「それで……戦で、と仰いましたよね? 12年前のその時期に勃った戦と言えば……トルシリーノ国ですか? それとも……」

セフィは紅茶を一口飲み、茶菓子のクッキーを摘む青年に問うた。

「トルシリーノ国? いや。違うよ。――俺の故郷はどこかってことよな?」

どこまで訊ねてよいのか分からないセフィだったが青年は断るそぶりを見せない。クッキーをかじりながら首を振るロルに頷いて答える。

「俺の故郷は東<ゲルダ>の、ある小さな街だ」

「ゲルダ……?」

「そ。"分たれた世界"って聞いたことない?」

「"分たれた世界"……!?」

「お? 知ってる?」

「"西<ティグレ>と東<ゲルダ>"ですよね? 以前本で読んだことがあります」

セフィはついと指先で眼鏡を持ち上げた。

 何気なく言った言葉に対する反応のよさに、ロルは「それなら話は早い」とタレ目の碧玉を細めて嬉しそうに頷く。


 かつて世界は一つであった。

 しかしレバ=ガバーラ終結時に起った大規模な地殻変動により世界は二つに分たれた。

 行き交う術はなく、いつしか人々の記憶からも忘れ去られた世界の形。

 西<ティグレ>と東<ゲルダ>。

 我々の住む世界は西<ティグレ>と呼ばれ東の最果てより更に東に別の世界、東<ゲルダ>が存在する。


そう説いた者が居た。

だが、この世界に「最果て」などは存在しない。世界が無限回廊のように東は西と、北は南と繋がっているということは紛れもない事実だ。

古いアルタトゥム教の聖典やレバ=ガバーラ以前の書物には確かに世界が"この形"ではない記述がなされている。しかしその存在を明らかにしたものは無く、それは地殻変動により沈み埋もれた世界の形だったのではというのが現在の通説だ。

 なによりも、一般の者はそこに描かれるかつての世界の形を知らない。

 神の大いなる御力により世界は現在の姿を成した。

実際のところ世界の形がどうであろうと人々にはあまり関心の無いことだろう。"世界"は教会の作る"世界地図"の形をしている。それで十分なのだ。

そんなことを気にするのは一部の、知識に長けた者達のみ。

セフィやマーサがそれを知り得たのは西方の古代遺跡で古い書物を読み解いたからなのである。

「……一体、どういうことですか……?」

「どういうこともこういうこともないけど。ディロン=ファウヌスの説は正しかったってこと」

「彼の説は……」

マーサも、多くの興味深い書物を残した彼の名には馴染みがあった。

夢想家だと嘲られ悲運の最期を遂げた、だが偉大な人物だとマーサは認識している。

「"向こう"でも同じような通説が罷り通ってるけど、実際俺は東<ゲルダ>"から来た。……ちゃんとしたのは宿の荷物ん中なんだけどー……」

言いながらロルは隠しポケットから地図を取り出し机の上に広げる。

「……」

見た事も無い地形。聖職者二人は言葉を失う。

「でもって……これが世界の形」

ロルはもう一枚別の、西<ティグレ>の地図を取り出し並べて見せた。

「どう?」

二人の様子を面白がるようにロルは笑む。

「どう……って……」

どれほど大規模な地殻変動であっても、それほどの変わり様は無いだろうという思いのあった知識深い者にはそれで十分だった。

「ディロン=ファウヌスの説は正しかった……」

「そういうこと」

「……」

納得し得る材料を目の前にした二人は吃驚しつつも受け入れ、感動の思いさえ抱いていた。

「……では、貴方は――世界を渡ってきたことになるのですね……?」

―― 一体どうやって……?

「そうなるね。確かに世界は分たれた。けど、"歪み"が生まれることもあるんだ」

 その歪みに身を投げ彼はこちらへ来たのだと言う。

しかしその歪みは誰にでも見つけ得るものではなく、一定の場所に出現するものでもない。極々稀に人や、物がその歪に捕らえられ流されてしまうことがあるというが、数年に一度あるかないかというほどの確率だとか――勿論これも彼が昔読んだ書物によるのだそうだが。

「俺の場合、幸運にも別の世界を目に出来たんだけどね」

朗らかに話す青年。俄かには信じられないようなことを、それでもなんとか胸に刻み込みながら二人は話を聞いていた。

「まぁ、無理に信じろとは言わないよ。ただ俺の故郷は東<ゲルダ>だってだけで、大した問題では……」

「――信じそうな者にしか話してないのでしょう?」

「そーだけど」

正鵠を射られロルは無邪気にあははと笑う。

「それに、大した問題、ですよ……!」

――本当に存在するのなら"もう一つの世界"とはどういったところなのか?

興味を惹かれないわけが無い。

 これまで読んできた多くの古書物の中で語られた世界の形。それは単なる伝説であり幻想であった。だが今、目の前に広げられた地図は、当時のそれとは多少地形が変わっているであろうものの真実だと思うに足る姿をしている。

知識あるからこそ信じ得、そしてまた更なる探究心が芽生える。

「……にてもホント、この国は物識りが多いなぁ」

そんな二人の様子を見、感心した呟きを漏らしながら、その気持ちを汲もうとするようにロルは話し始めた。

「文化水準的にはこっちより少し進んだ程度かな。と言っても、あっち側はウィッタード文明時代の遺跡埋没深度が浅いから、それらを発掘することによって得た知識に頼る部分が大きい」

「埋没した、遺跡……?」

「そそ。レバ=ガバーラ終結時の地殻変動で海や大地の下に埋もれた古代文明の遺跡さ」

「……」

セフィは古代の文化・文明を匂わせるものの詰まった西方の地下遺跡のことを思い出し頷いた。

「国や町の具合も似たようなものかなぁ……。ただ決定的に違うのは、国土を特に広範囲に持つ二大国シャハラザードとエルズルムが長年の間不和で、度々戦が勃っているってことくらいか……」

「戦……。え……? シャハラザード……!? とは、もしや……!?」

青年が何気なく語るので一瞬聞き流しそうになったが、聖職者には馴染みの名だった。

「あぁ。シェ・エラツァーデとも言うかな。聖書にも出てくる地名だね」

「では、そのシャハラザードという国が、その……? ですが、シェ・エラツァーデは……」

かつて神<サジャ=アダヌス>の訪れた"竜の守護を受けし土地"。

しかし、国は王を失い、もはや王国ではなかったと聖書には記されている。

「多分、そうだろうと思うよ。古い国だからね。確かにあの国は、一度レバ=ガバーラ期に途絶えたと言われるけど、その後同じ血筋と名のもとに再興したんだとさ。因みにエルズルムの方はレバ=ガバーラ後に教会国家として建国された。

シャハラザードは元々竜を全世界の中心であるとする神竜信仰の国だったから、その信仰の違いってやつから軋轢が生まれたらしい。元来どちらも排他的な特性は持ってなかったように思うんだけど……なんでか仲が悪い」

やはり神や信仰というものが絡むとひとは頑なになるのかもしれないな、とロルは苦笑する。

「え、ちょ、ちょっと待って下さい」

「ん?」

「あちらにも教会信仰というものがあるのですか……!?」

神は世界を救い、聖地より天に還った。後にその偉業を称えるべく生まれたのが教会信仰だ。

教会信仰の前身であるアルタトゥム教ならばまだ、レバ=ガバーラ以前からあったため納得はいく。

 天に還る前、大戦の終結時に神が世界を分けたのではないのか?

だから教会の示す世界は、今の形をしているのではないのか?

世界は分かたれたにも関わらず、それぞれの世界に同じように教会信仰が生まれたというのだろうか?

「さすが~! いいところに気が付くなぁ~」

教会を絶対不変のものと盲信している者ならば、おそらくそのような考えには至らないであろう。

西方の古代遺跡で、聖書以前の膨大な量の書物<知識>を目にした二人だからこそだ。

「そう、それは俺的にもケッコー疑問だったんだけどさ。あっちにも教会信仰はある。多くの国はそれを国教としてるし、俺も小さい頃礼拝に行ってたから。こっちと"同じ"教会信仰だったよ。だから教会――神が教えを広めた後、救世の神が昇天した後に世界を分けたって考えるのが妥当かなぁと」

「……そうとしか考えられない、ということね」

青年の分析にマーサも同意する。

隔てられ交流のない、全く別の世界に全く同じ信教が生まれることなどありえない、というのが同意の根拠だ。『神の大いなる御力を称える心は誰にも等しく感銘を与え、教えが生まれた』とするなら話は別だが――やはり論理的ではない。

ロルも同じように考えたのだろう、マーサの答えに頷く。

「何故世界を分けたのか? ってのは俺なんかの知るところじゃないけどさ。それこそ『大いなる神の御意志』ってやつなのかなぁとか」

かつて一つだった世界が何故分けられたのか。

"分たれた世界"を知る者ならば当然疑問に思うだろう。

だがひとはその答えを知る術を持たない。

「そうですね……」

セフィの頷きで話題は打ち切られ、

「――それで、戦況は深刻なの?」

一息ついて茶器を置いたマーサが問うた。

「サァ……どーだろうなぁ……。ここのところは停戦状態だった。つっても数年来帰ってないから現状は分からないんだけど……」

――帰っていない――

 その言葉に思わずセフィはどきりとした。

愛しい者達を探し"世界を渡る"という、言わば稀有な自然災害のようなものに巻き込まれてまでこちら側に来た青年――帰ることは叶うのだろうか?

叶うわけが無いと答えは見えていた。その偶然性は先ほど彼自身が語ったのだから。

それほどまでにして誰かを強く求める心――。

 そしてまた、少し胸が痛んだ。

 静寂があたりに流れた瞬間、唐突に扉が叩かれた。

すぐさまマーサが返事を返す。

「お客様です。あの、セフィさまに……」

扉の向こうから歳若い娘の返事が返ってきた。マーサは時計を見遣り

「少しお待ち頂いて。シスター=リリア、あなたは下がっていて構いませんよ。――セフィ、伝令の方じゃないかしら?」

「あ……!」

マーサの言葉にセフィは何かを思い出したように声を上げる。

「伝令?」

「はい。そうなんです。今日訪ねてこられると……」

「あぁ、先約があったの? じゃ、俺、お暇しようかな。突然来て、長々と話してしまって悪かった」

ちらと時計を見、青年は苦笑した。

「いいえ……! お話し、聞かせて頂けて本当によかったです。興味深かったですし……!」

セフィが首を振って言うと、ロルはそれはよかったと笑み、残りの茶を飲み立ち上がる。

「こちらこそすみません……。こんな、追い立てるように……。それに、何もお力になれなくて……」

「あははーだからいいんだって。話出来たしさ。お茶も美味かったし、ごっそーさん」

申し訳なさそうにするセフィに明るく言い、扉に向かうマーサの後姿を一瞥して、スッと表情を引き締めた。向けられた真っ直ぐな瞳は、どこまでも澄んだ青空を思わせる。その美しさと、タレ目がちだが整った造作の容貌にセフィは改めて瞳を奪われた。

「――"紫の瞳"の噂を聞いて、正直俺は興奮したよ。諦めかけてた。でも、もしかして……って」

「……! すみま……」

「でも、貴方みたいな別嬪さんに会えたんだから、こんな幸運もないと思うな」

かと思うと次の瞬間には心解すような愛嬌のある笑顔。

れと、面と向かっての言葉にセフィは面食らう。

ロルは面白がるように唇の端をついと持ち上げ、扉を開けたマーサに続く。

「それじゃあ、また」

「はい。ありがとうございました」

セフィは微笑み深く頭を下げた。


「――お待たせしました」

「おや、来客中でしたか」

開かれた扉の向こうに、見慣れぬ男を認め伝令は一瞬驚き、だがすぐに聖職者らしい穏やかな表情を浮かべた。地味な聖服に身を包んだ、歳の頃は30代前半といったところか。

「あぁ、俺、もう失礼しますんで」

ロルはにへらとしながら言うと扉を潜り、伝令の男を室内へと促す。

案内のシスターは言われたように下がったらしく既に姿は見えない。

「んじゃ、失礼しまー……」

「あぁ、お待ちなさい、ローレライ=ウォルシュ」

「?」

「そこまでご一緒します。――私も、退室しておいた方がよいのですね?」

茶器を片付けながらマーサは伝令を見遣った。先日彼が「返答の際にはセフィ一人で」と言っていたのだ。

「そうして頂けますか」

伝令は表情を変えないまま頷く。

「お茶は、どうしましょうか?」

「長居はしませんのでどうぞお構いなく」

その返事を待ってマーサは部屋を後にした――。

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