039 - 日曜礼拝
世々に息づく全てよ
神の息吹を感じよ
その御手のもたらしたもう 溢るる幸福を高らかに歌い上げよ
称えよ 神の御名を
深く慈悲垂れたもうた 神の御名は 天により祝福される
その栄光は天にそびえ 我等
称えよ 神の御名を
称えよ そのおびただしき御業を
我等ひれ伏し 祈り捧げん
日<ユースン>の曜日の朝、人々は礼拝のため教会へと集う。
その多くは街の中央に位置する聖ディシーア大聖堂か、街からは離れたフェンサーリル修道院大聖堂のどちらかへ向かう。
勿論、礼拝は義務付けられているわけではないのだが、フェンサーリルは敬虔な教会信徒が多い国だと聞いたから、この人の多さも納得できた。 そんな人々の波に乗り、彼もまた修道院へと続く白い花咲く果樹園の小道を歩いていた。
昨夜の雨はあらゆるものを濡らし清め明け方には止んだ。
晴れた蒼穹の太陽が、木々や花々に宿った雫を煌かせ所々に出来た水溜りに空を映す手助けをする。
清涼な風が吹き抜けたのに誘われ顔を上げると目に眩しい湿った緑の上に教会の尖塔屋根が見えた。
青空を貫く鋭い剣の様。
しばらく行くと小道は別方向からの道と合流し、間もなく辺りが開けた。
高い石壁に囲まれた巨大な建物は朝日を背にして佇んでいた。
フェンサーリル修道院の歴史は古く、建国と時期を同じくしている。
自らの生涯を神への祈りに捧げるべく集った人々が俗世を離れ、清貧、貞潔、服従、禁欲などの一定の戒律に基づいて質素で慎ましやかな生活を営む閉ざされた空間――それが修道院というものだ。
だが、ここフェンサーリル修道院は少々違うらしく、祈りと労働、それから人々への"積極的な"奉仕活動が聖務として課せられているのだとか。
国からの援助と寄付金、そして修道女達の労働の対価として得られるわずかばかりの金銭により運営される救貧院、孤児院、移民地区、一部医療機関等を含む教会の施設はフェンサーリルの福祉事業において大きな役割を果たしている。だがそれだけの設備と制度を整えるには、国として相当の財と時間、労力が費やされたはずだ。
この国の税率を聞いた時少し高い気もしたが、国はその使途を明示し民はその恩恵をきちんと受けている。不満を持つ者が全くいないというのはありえない話だが、多くの民が納得するに足るだけの政策を執っていると言える。
「ホント……出来た国だよナァ……」
人々を飲み込んでいく開かれた大きな門の前に立ち、空を仰ぐように尖塔を見上げ彼は呟いた。
昨日訪れた聖ディシーア大聖堂より聖堂の規模は小さいがそれでも相当な高さがある。
長い年月を経た石は黒く染まり、辺りの緑に溶け込む。どっしりとした重厚で厳格、それでいて壮麗な印象を受けるのは立面<ファサード>の見事な彫刻や、上部にアーチを描く大きな玄関扉、外からは暗い色にしか見えないが、はめ込まれた薔薇窓の華麗さに因るのだろう。
門を入った前庭には菜園や果樹園。彼はそれらをぐるりと見渡し、石畳を入り口へと向かった。
数段の
こういった聖堂では扉の開閉時に光が射し込むことを避けるため、礼拝途中での入場者の気兼ねを無くすために二重扉になっているのが普通。今は開け放たれすべらかな石の床を照らす光とともに、教会の日曜礼拝に出るのも久々だと一人ごちながら彼はもう一枚の聖堂への扉を潜った。
瞬間、思わず鼓動が高鳴る。
押し寄せてくるものに圧倒されそうになった。
正面と側面から差し込む光は窓の形に切り取られ硬質的に降り注ぎ、シスターらの口ずさむ詠唱は、高い天井と冷たい石という最高の音響効果設備の空間に美しく重なり合いながら響き渡る。
そして、何よりも本能的なものに訴えかけてきたのは甘い、甘い香り。
――
大きく天井を見上げた視線を落とすと林の如く立ち並ぶ柱に添える様に供えられた花が目に入る。
その中心をなすのが咲き誇る
甘い香りと焚き染められた独特の
それは教会の――礼拝の空間のもので、特に気に留めるようなものではないはずだった。
だが、今鮮烈な感覚が胸を打つのは、
――セフィ……?
それが、先日出会った司祭から感じたものだったからだ。
神に捧げる花でありながら息を飲むほどに妖艶に心を惑わせようとする甘美なる香り。
同じ男とは思えない細い身体を抱きしめた瞬間に感じた。
――鐘の音に慌て去り行く姿はまるで昔語りの姫君、か……
男相手に"姫君"はないだろうと内心で自身につっこみを入れたが、咄嗟に浮かんだ感想とは本心に限りなく近いものだと知る彼は、躍起になってそれを否定するような徒労はしない。フッと苦笑し気を取り直して聖堂の中へ歩みを進めた。
入り口付近の暗がりの辺りには多くの蝋燭が灯され、左手側には聖水杯が備えられていた。人々は指先を水に触れ十字を切り席につく。側廊後部の祭壇で既に祈りを捧げる者もいる。
多くの者が集う礼拝のためか、備え付けのベンチの他に側廊にも椅子が並べられ、人々の静かなざわめきの向こうで輝きに溢れたステンドグラスが歌う。
彼は適当な――後ろの方だが説教壇がよく見える辺りでベンチに腰掛けた。
もう定刻も近い。入って来る者たちは皆いそいそと席につき
「今日はどちらの司祭様がお話されるのかしらね」
などと囁きあう声がする。
この教会には2人の司祭――院長様とセフィ様がいるのだと街の者が話してくれた。
少しの後、9時を知らせる鐘の音が響き渡ると入り口の扉が静かに閉ざされて人の波が途絶え、荘厳な音が鳴り終わると辺りに静寂が満ちた。そして、前方主祭壇近くの"司祭の門"と言われる扉から美貌の青年が姿を現した。
礼拝用にしては質素な、だが上質の生地と一目でわかる、足元までを覆う暗い色の祭服を静々と揺らしながら若き司祭は説教壇へと着いた。色素の薄い髪が光を浴びて黄金にも似た輝きを見せ、優しい表情を彩る様は天上的な美しさ。人々の間からホゥ……と溜息が聞こえたのは気のせいではないだろう。
心弱いものでなくとも、そこに神の御使いの姿を見たのではないか。それほどに彼は美しかった。
整った端正な顔立ちと、そして身に纏う気配までが心動かされずにはいられない何かを持っていた。
付き添っていた中年の修道女が下がり、席に着くのを待って司祭は一度ゆっくりと礼拝者皆に目を遣った。
「――おはようございます。みなさん」
凛とした声が高い天井に響き耳へと流れ込む。背を這い上がっていくのは官能的ともいえる快い戦慄。
戸惑いながらもすぐに彼は身を委ねた。
「今日もまた、沢山の方々にお集まり頂き大変嬉しく思います……」
微笑み、そして司祭は語り始めた。
――道に迷い、行く先を見失った時 人は何を頼りに歩くのか……
光は優しい色を纏って降り注ぎ美貌の司祭を抱きしめる。
柔らかな表情で語る司祭の説き口はまるで幼子に昔語りをする母の様に優しく、歌う様でもあった。
穏やかな声はしっとりと胸の奥に染み入り、言いようのない懐かしさと切なさすら与える。
彼はこんなにも祈りたい気持ちになったのは初めてだった。
決して強要されている訳ではないのに、司祭――セフィの純粋なる、平和と人々の安寧を願う思いが祈りの気持ちを呼び覚ます。それはとても優しくて心地いい。
司祭による説教からシスター達の聖歌詠唱へ、それは一繋ぎの流れの中でしめやかに行わる。
人々の中には口ずさむ者もおり、神秘的な歌声は堂内を満たしていた。
耳にしたのはその容姿と慈悲深さ、そして瞳の色。だが思ったほどその瞳を不気味がっている者はいなかった。
何より彼は誰もが目を留めずにおられぬような美貌を持っていた。
光の中に佇む姿は清らにして雅。まさに神聖にして不可侵な存在だと、多くの者がそう彼を認識していた。
――あの方の語られる神の御言葉を聞けば、天にも召された気分になるわ
とまで言う者もいた。
だが、彼に向けられる想いは純粋な思慕だけでなく時に情欲でもあった。
好む、好まざるに関わらず見た者の心を奪う。そしてその心を取り戻そうという気にすらなれないほど、その印象は鮮烈なのだと。特に成人の男であればそれは更に抑えがたい肉欲となったとて不思議は無い。
その清雅な美しい人を手に入れ、自分だけのものにし、汚してやりたいと、たとえ変態的な趣味の者でなくとも思ってしまうのではと言う者もいた。
彼は聖職者であり、国王一家とも懇意の仲、民の中にも信奉者は多い。たとえ愚か者だとて血迷って手出しすれば如何な結果が待っているかは想像に容易い。
それでも、手に入れたい。征服欲を抑えられないのだと、さすがに真昼間からそんな話題は出てこなかったが、中にはかなりの本気の者もいたようで、予感していたとはいえ彼は思わず焦った。
だが幸いなことに彼らの毒牙はセフィ本人には届いていない様だった。
彼自身随分腕も立つようであったし、何かしらの牽制する力が働いているようでもあった。
それに"何か"あったとすれば、あのように拒絶もせずおとなしく抱かれるわけがないだろう。
――美人ってのも大変だよなぁ……
自身も、男女問わず幾度となく言い寄られた経験のある身でありながら、彼は他人事のように呟いた。
そして噂の司祭の方へまた目を向ける。すると、目の眩むような光が視界を奪った。
白く歪み、それは大きな手の形をとった。
「……!?」
質量をもっているかのように司祭を掴む。
一瞬。ほんの一瞬、語る言葉が途切れた。
思わず立ち上がりそうになり、身体が動かないことに気付いた時、手は忽然と姿を消した。
『みなさんとみなさんの愛する方々、全ての人々に神のご加護と祝福を――』
「今日もいいお話だったねぇ」
不意に耳に飛び込んできた言葉に彼はハッとなった。
いつの間にか礼拝は終わり、人々はわらわらと出口へ向かっている。
あまりの心地よさに居眠ってしまっていたのだろうか? 彼は瞬き祭壇に目を遣る。
――……いや、意識はあった。
話は、ちゃんと頭に入っていたし聖歌も聞こえていた。――妙な幻覚さえも夢ではないはずだ。
全てが遠い景色の様で、ただそれを眺めていただけのような心地だ。それなのに心はひどく懐かしさと憧憬の思いを訴えかけてくる。
――祈り……か……。それにしても、あの手……
彼はそのまま暫くそこに留まっていた。
人々は皆一様に穏やかな表情を浮かべ、囁き合いながら静かに聖堂を出て行く。
扉を出た修道院前庭には、お喋りをする礼拝者や見送るシスター達。
まだ数名祈りに耽る者も居るが、人気のなくなった頃を見計らって彼はやっと立ち上がった。聖堂内には先ほどとは別の静けさが満ちている。
一度、神の像を見遣り、それから踵を返して扉を潜った彼は、聖堂を出ると誰か話の出来そうな者を探し辺りに視線を彷徨わせた。
その時ふと一人の歳若いシスターが目に付く。他のシスターらとは少々形(なり)が違うことからシスターの見習であることが伺えた。
褐色の瞳、これといって際立った特長のない顔立ちの ――肌が白いためそばかすが目立ってしまっている――だが人々に向けられる優しい眼差しは魅力的と言えた。
「――こんにちは。お嬢さん《レディ》……シスター? ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
歩みより声を掛けてみる。
若きシスターは慌て声の方を向き、返事の声を発する間もなく声の主である青年に瞳を奪われた。
そのあからさまな動揺を面白がるように彼は笑み、名を問う。
「リリア……シスター=リリア?」
上ずった声で答えた名を繰り返し「そんなに警戒しないで」と苦笑して見せるとシスター=リリアが落ち着くのを待って尋ねた。
「それで、シスター=リリア。……院長様と司祭様に会いたいんだけど、どうしたらいいかなぁ?」
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