005 - 迷子

 彼は道に迷っていた。

左手には消えかけた松明、右手に壁を辿りながら彼はこの前後左右だけでなく上下にまで入り組んだ凶悪な造りの迷路を延々歩き続けていた。

優しい光の中に目を覚まし、あまりの心地よさに再び眠りに堕ちそうになったのを何とか叩き起こし、意を決してこの洞窟に入ったのがもう随分と前のことに思える。

前日に見た通りそこには暗く冷たい空気が漂っていた。入って少し歩くと床が二段ほど高くなっており、辺りが開け、天井は彼の持つ松明の光が届かないほどの高さだった。炎に照らし出された壁面には見事なまでの絵画が描かれ、まるでどこかの宮殿を思わせるほどであった。入り口からまっすぐに歩いた彼は、部屋のちょうど中央辺りに下へと続く幅の広い階段に突き当たり、そのままそこを下りた。

少し降りた辺りで、突然遠く深く続いている階段が彼の前に現れた。否、むしろそれは元からそこにあり、突如両側の壁に燈った青白く凍えたような光が照らし出したものだった。

その階段を降りきると先への道はなく、正面の壁になにやら幾何学模様が描かれていた。来た道を振り返り、また、辺りを見回しても道らしきものはなく、怪訝に思い彼は首を傾げた。だがすぐに、どう見ても怪しげなその幾何学模様の壁を調べ始めた。そしてそこに何かを探り当てたと思った途端、

――ガタン――!!

という音と共に床が消え、大口を開いた穴が彼を招いた。咄嗟に穴の縁に手を掛け、ぶら下がるようにして落ちるのを免れた彼が自らの肩越しに見たものは、幾本もの鋭い刃が、じっと落ちて来る者を待つ姿、そして無残にもその餌食となってしまった侵入者の死体が数体突き刺さったままになっている様子だった。

首筋が寒くなる思いがして、彼は慌て両腕に力を込め、体を持ち上げた。その時、目の前に何か取っ手のようなものを見つけた彼は上りきった後、慎重にそれに手を伸ばした。

両側の壁が音もなく開き、更に奥へと向かう道が拓けた。取り落としてしまったが幸い炎も消えずそこに落ちていた松明を拾い上げ、壁に向かって左側の道を選び先へと進んだ。

入ってすぐの所に再び階段が設けられていた。大きな螺旋状のもので、炎の燈る仕掛けがないらしく、深い闇が広がっていた。彼は松明を掲げ慎重にそこを降りていった。長く、深く、どれくらい廻ったか分からなくなった頃、やっと階段がとぎれ、降りついた底は彼の持つ小さな光など簡単に飲み込まれてしまいそうなくらいに、更に濃い闇が支配していた。

降り立ったところからそのまま真っ直ぐ進むと上へ向かう螺旋階段に突き当たり、おそらく右の道を選んでも同じ場所に辿り付けたであろうことが伺えた。

部屋は狭く、通路が正方形の中に十字を描くように四箇所に大きな柱がある。その十字路の中央に立ち四方を見やると二方は上へと続く螺旋階段、残りの二方には扉があることが分かった。

 彼は少し考え、その一方の扉を選び、くぐった。


 不思議な空間が広がっていた。月の明るい夜空のようなそこには壁や天井といったものは見当たらず、宙に縦横無尽に細い階段と通路が廻らされ、各々の道は青白い扉で途切れていた。足元は薄っぺらく頼りない一枚の紙切れのような床に支えられ、浮いている様だった。

彼の目の前にも、上へと向かう幅の狭い階段とその先に不自然に明るい扉があった。驚いた彼は慌てそこを出ようとしたが、来た扉は既に消え床と同じ色の壁に塞がれていた。仕方なく階段を上り、先に何もありそうにない扉を開けると、ある筈のない道が現れ次の瞬間、彼はそこに放り込まれていた。

ただそこが先ほどと同じ不思議な空間であることに変わりはなかった。進むしかないと観念して通路を辿り扉をくぐると、また同じ様な現象が起こる。それから一刻ほどそれを繰り返すうちに、何所へかのみならず上に向かっているのか下に向かっているのかさえ分からなくなっていった。嘲笑うかのような道のうねりに頭がおかしくなりそうだった。

 だが、ある時、ある扉をくぐった時、突如変化が訪れた。あの空間が消え、薄暗い大部屋に出た。彼は内心ホッとして辺りを見渡したが、壁の青白い光を湛えたランプの冷たい光が照らし出した巨大な人影に一瞬肝を冷やした。

部屋中に並んだそれらは人ではなく石像だった。一体一体の台座に、不思議な文字のようなものが刻まれた石像は優しい表情の婦人像だったり、騎士の出で立ちをしたもの、少年や裸婦、天使や魔物まであり、どれもまるで生きたもの達をそのまま石に変えたかのようで今にも動き出しそうなくらいに実に精巧にできていた。彼はその石像の群れの間を通り抜け、次の部屋へと足を進めた。

正面に小さな扉、中央に黒石の台座のみの何もない部屋だった。彼は迷わず扉へ向かい、取っ手に手を掛けた。だが、とても頑丈そうには見えないにも関わらず押しても引いても体当たりしてみてもびくともしなかった。


 その扉もまた、仕掛けによって開かれるものだった。中央の黒石の台座に示された三体の石像を所定の位置につけ、それらの視線の交わるところに現れた鍵を黒石の台座に挿し込むと道が拓ける、というものだった。とはいえ、その考えに至るのにも、また、石像を探し出し動かすのにも随分と労力と時間がかかった。石座に刻まれた文字は彼の知るものではなかったからだ。それでも何とか彼は先への道を拓いた。



 そうして彼はこの迷宮に足を踏み入れたのだった。

 どれくらいの時間がたっただろうか蜘蛛の巣の張った白骨死体もそのままの飛び出す槍や落とし穴、落ちてくる天井に火を吹く柱、それから魔物。様々な罠が彼を襲った。時間の観念がなくなるくらい永々彷徨い続けている彼は今、また何所からか飛んできた矢に掠められた傷の手当てをしようとその場に座り込んだ。

薬草は、もう既にない。外套の端を裂き左腕の傷をきつく縛るとホッと溜息をついた。

――回復魔法が使えたらなぁ……

致命傷とまではいかないものの彼の身体は傷だらけだった。それもろくな手当てもできないでいる。その上今は来た道すら分からない洞窟で道に迷っているのだ。この迷路の袋小路や通路の端で白骨化してしまった人々と同じ末路を辿る条件は十分に揃っていた。

――本当にこんな所に入って来た奴なんていんのかなぁ……

――……もぅ出てたりとかしねぇよな……?……

そう思いかけて彼は頭を振った。考えが嫌な方へ向かいそうだった。

 彼は立ち上がり、歩き始めた。足は重く、体のあちこちが痛むがそのせいでか空腹はどこかへ行ってしまっているようだ。

とにかくどこかに辿り着きたかった。

どこか、ひとのいる場所に。

 少しして彼は敵の気配に立ち止まり、片手でスラリと剣を抜き構えた。それと同時に一つ目の巨大コウモリの魔物が二匹、襲い掛かってくる。

一匹を薙ぎ払い、もう一匹の攻撃を避けて横に跳び、着地した時足元で嫌な音がした。彼は間髪入れずそこから跳び退いた。が、そこに床はなかった。

「わぁ!?」

目の端に彼の跳び退いた所の左右の壁から槍が飛び出し、二匹目の巨大コウモリを串刺しにするのが映った。だが、彼の身体もまた既に、真っ黒な落とし穴の中へと引き摺り込まれていた。咄嗟に彼は松明を放り出し両手で剣を壁の側面に突き立てた。

ギギギギギギィィィ……――!!

金属と石の擦れる音が深く響く。

随分と落ちた後、彼の身体は剣にぶら下がった状態で宙に止まった。運がよかったのか悪かったのか、今までにない深さの落とし穴だった。落ちてきた穴が頭上に小さく見え、底は知れない暗闇。登るのは到底無理そうだった。

「……」

彼は少し考え、思い出したように短く詠唱をする。と、炎が眩い光を放ち宙を燃やす。彼は首を廻らせた。

「……――!」

そしてやはり運がよかったのであろう、彼のつま先の少し左下辺りに横穴らしい暗がりが認められた。

「……」

剣を突き立てた辺りの壁は徐々に崩れかけてきており、迷っている暇はなかった。

彼はまず両足の爪先、次に左手を石壁の僅かな隙間を探りあて、そこに挿し込むようにして掴まり、そして右手で慎重に剣を抜き背の鞘に収めると同じ様に指先を壁の隙間に掛けた。

「く……」

両手足の先で何とか体を支える彼の、食いしばった歯の隙間から呻き声が漏れ、額を冷や汗が滑り下りる。燈した炎は弱々しく燃え、今にも消えてしまいそうだった。

彼は呼吸を整えながら心を落ち着かせ、できるだけ早く、横穴を目指した。手足の先の感覚は麻痺し始め、体中が悲鳴をあげている気がした。手袋中が滑るのは決して汗のせいだけではなかった。

どうにかして辿り着いた横穴は、四つん這いになってやっとと通れる位の狭い通路で、前方遥か彼方にほんの僅かな、光とも呼べないような小さな闇の裂け目が見えた。彼はまた、外套の端を裂き両手に巻くと床の感触を確かめながら前へと進んだ。

 気が、遠くなりそうだった。

前へ、少しも進んでいない気がして幾度となく振り返るが、彼の燈した光は消え、来た道は闇に包まれていた。 何度も顔面に蜘蛛の巣をかぶりながら、それでも彼は必死に這って行き、とうとうその穴の終わりまで辿り着いた。

何所からか僅かに射し込む光、今さっき通ってきた横穴とさほど換わらぬ暗さだが、彼は安堵の息を漏らした。そこは天然の洞穴のようだった

「?」

前へ少し歩き、立ち止まったその時、彼は幾対もの赤い光に囲まれていることに気付いた。手をかざし、炎を掲げた。小さな光の中、剥き出しの岩肌と共に、炎に驚き後ずさった不気味なまでにテラテラと光る背と鋭い六本の足を持つ巨大な虫の魔物の群れが浮かび上がった。

「!!」

彼は思わず後ろに跳び退こうとした。が、すぐそこに魔物が迫りそれもできない。ジリジリと距離を詰める魔物達に、痛むその手で剣を抜いた。

 手袋の中はベトつき、痺れたようにうまく力が入らない。彼は手に巻いていた布を一旦取り、しっかり柄を握ると取った布切れで手を剣に固定する。

囲みひしめく魔物の群れ。せめて背に壁が欲しかったが彼の通ってきた穴のある壁はもう既に虫に埋め尽くされている。どうにかしてこの包囲を突破しなければならない、そう思い彼は群れの後方に目をやった。最後尾の向こうに闇が広がっている、彼はそちらに向かって足を踏み出した。

――ギャギャ――!!

ざわめき立ち一斉に攻撃を仕掛けてきた虫の魔物に剣を突き立て、横面に蹴りを入れ薙ぎ倒し、炎を浴びせ掛け、地面を青黒い血で染め上げながら彼は道を切り開いた。

――ギャシャシャシャシャッ……!

「痛ゥッ!!」

けたたましい奇声と羽音と共に振り下ろされた鋭い鎌のような足が右肩を掠め、彼は思わす膝を折った。パックリと肉が裂け、生暖かい鮮血が頬に飛び腕を伝う。

「くそ……!!――!!」

左手で傷口を押さえ、短い詠唱をする。炎が敵目掛けて飛び出し、それと共に彼の全身を激痛が走った。

「……くぅ……」

彼は歯を食いしばり立ち上がると今開けた方へと駆け出した。

まともに炎を喰らい燃え尽きた魔物の屍骸を踏みつけ必死に走るが、すぐに巨大昆虫の化け物は群れとなって追ってくる。鼓動は高鳴りそれに合わせて傷口がズキンズキンと疼く。息が上がり、肩で呼吸をしてもまだ苦しい。

「!!」

突然、目の前が真黒になり彼は慌て立ち止まった。

土の地面がもうない。

鋭く切り立った崖と深い深い闇への入り口、魔物達はすぐそこまで迫ってきている。

――どうする!?

身体を翻し、背の魔物の群れに向かって剣を構えようとした、途端、追ってきた魔物の群れがそのままの勢いで彼を襲う。深紅の眼光、鋭い鎌のような手足、粘液を滴らせた不気味な口。巨大な虫が一斉に彼の頭上目掛けて飛びかかったのだ。

「チィッ!!」

彼は思わずその場を跳び退いた。

ドサドサドサドサ――!!

虫の大群が今まで彼の立っていた所に次々と落ち、積み重なる。

数匹が淵から零れ落ちる。

だが彼の身体はまたしても冷たい宙空へと投げ出されていた。

「うわぁぁぁ――っっ!」

今度はどうしようもなかった。彼は悲鳴をあげながら大穴へと飲み込まれていった。

鋭い槍に貫かれた自分の姿が一瞬頭を過ぎったかと思うと、彼の意識もまた深く闇へと沈んでいった――。

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