003 - 森で見つけたもの
神は 示したもうた
我らが上の蒼穹におわします
神は 示したもうた
万物の理を ヒトの運命を
その大いなる意志を
神は 示したもうた
我らの辿る 宿命を
翡翠の森に小鳥たちのさえずりがこだまする穏やかな昼下がり、彼は今日何度目かの溜息をついた。
王都フェンサーリルへ、マハラの町を発ったのはもう10日も前になる。マハラの宿の主人が旅慣れた者なら5日、そうでない者でも一週間(7日)ほどもあれば着けるはずだと言っていたのを思い出した。
「っかしいなぁ……丘からまっっすぐ降りて、まっっすぐ来たからそろそろ着いてもいい頃なのに……」
そう呟き、彼は前方を見据えた。
彼の乗る馬の足元には伸び始めた草花が、そして既に空を覆い隠すほどに生い茂った葉を纏う木々の森は果てなどないように思えた。
「……おかしい……迷ったかな……。いや、そんなはずは……」
いつものように多目に買い込んだ食料もそろそろ底を尽きかけている。
楽観思考の彼も少し焦り始めていた。
「……」
かといって、今来た道無き道を戻るわけにも行かず、彼はひたすら前へ進んだ。
「……もしかしたらこれは……予定日数の倍?……ってもしや初めてじゃないか?……なぁ?」
彼はそう言って同意を求めたがもちろん馬は応えるはずもない。
「そんなに遠いわけでもないし。っかしい……。――ん?」
言葉を止め、手綱を引く。
今、何かが喉を鳴らさなかったか? 何かが低い声で唸らなかったか?
彼は耳を澄まし、気配を探った。
「……」
前方の茂みに敵の存在が認められると彼は静かに馬から降り、落ちつかなげな馬の首を優しく撫でてやった。そして後ろへ下がらせると手は、自然と背の鞘に納められた剣の柄へと伸び、足はしっかりと地面をとらえる。
――来る――!
と、その瞬間、前方の茂みから飛び出した三つの影が奇声を発しながら彼に襲い掛かった。すぐさま彼は、額に三つ目の眼を持つ狼の魔物に向かって地を蹴り、抜き放った長剣を内の一匹の首に突き立て、抜く手で続けて残りの二匹を薙ぎ払った。
魔物はギャッ! という短い悲鳴と共に地に落ち、間もなく絶命した。だが、それを合図とするかのように、潜んでいた十数匹の魔物の群れがゾロゾロと姿を現し、前方を取り囲むようにして臨戦体勢に入ったのだった。
「ヒュウッ!! 団体さんだぁっ!」
正直、少し退屈していた彼は興奮気味に剣を構え直した。
だらしなく開いた口からダラリと垂れた舌に涎を滴らせているもの、低い唸り声を上げているもの、激しく吠え掛かるもの、皆瞳を燃え立たせ牙を剥き、今にも飛び掛って来んとしている。
彼は一つ大きく息を吐くと、キッと、魔物たちを睨んだ。
勢いよく前方に向かって跳躍し、一瞬遅れて地を蹴った魔物の眉間目掛けて剣を振り下ろす。と骨の砕ける嫌な音がした。噴き出した青黒い血を上手く避けながら、続けて襲い掛かってきた二匹の魔物を待ち構え、一匹の心臓目掛けて剣を突き出すと、その剣を持つ手を軸にもう一匹の顎を蹴り上げ、そのまま宙返りして着地する。
彼の着地に合わせ魔物達が続けざまに攻撃を仕掛けるが、それも彼は身軽くかわし次々と薙ぎ払ってゆく。
――残りは――!?
敵の数を再度確認するため後ろへ跳び、距離をとる。もう半分になっていいくらいは倒しているはずだった。
「はっ……!?」
が、魔物の群れは小さくなるどころか、随分と膨らんでいるように見えた。
「増えて……やがる……」
魔物たちの背後左右の茂みからは、次々と仲間が現れ、彼は呆れたように呟いた。
「あれで全部じゃなかったのかよ……」
大群と化した魔物の数はおよそ30~40。かなりの数だ。
「どうする……かな……」
と、その時、
ヒヒィィィーン――!!
背後で突然馬の悲鳴があがった。
「!?」
慌て振り返った彼の眼に映ったのは今にも食い掛かってやらんとばかりに鋭い牙を剥き出した三匹の魔物と、すっかり脅えきってしまった彼の栗毛の馬だった。
「チィッ!!」
舌打ちし、素早く魔物と馬の間に割って入ると、かざした剣を振るい三匹の狼の化け物を一刀の元に切り捨てた。脅えた馬は硬直し、その場から動けなくなっている。逃げ出されなかったことに安堵し彼は手綱を握ると
「よぉ―し、イイコだ。そのままここでおとなしくしてろよ……!」
首の辺りをやさしく叩いてやり、魔物の群れに向き直った。敵は、彼が背後の三匹を倒す間に襲い掛かってこそ来なかったものの、距離を詰め、すぐそこまで迫っている。
「……」
彼は徐に剣を地に突き立て、左手で胸の辺りに印を結び、右手を頭上高く掲げた。 その動きに魔物たちはわずかに怯んだ。彼は不敵な笑みを浮かべ、それから厳かな口調で呪文の詠唱を始めた。
「――炎よ――ここに集え――! 我が声を聞き、我に仕えよ――」
すると彼の右手に生じた小さな光が、瞬時にして紅の風に導かれて渦巻き力強く燃え上がり、あたかも群れ成す生物の様に蠢きながら彼を包んだ。飛び掛ってきた魔物が、その炎に弾かれ、地に落ちる。
「従え――紅蓮の炎よ――猛きその力を、我が前に――示せ――!!」
そう叫び、彼が掲げた手を振り下ろすと、球形となった緋色の炎が轟音と共に一気に魔物の群れを飲み込んだ。
悪臭を放つ間もなく魔物達は燃え尽きてゆく。
少しして炎が消えると跡に残ったのは既に原型を留めていないその屍骸と灰、それから運良く炎を逃れた魔物。彼は地面から剣を抜くと再び構え、鋭い眼で残りの魔物を睨みつけた。すると狼の化け物は震えながら後ずさり、すぐさま尾を巻いて逃げ去っていった。
彼はホッと安堵し、剣の刃に付いた血を拭き取って鞘に納めた。
「おっし。片付いたぞ。……と? あれ?」
後ろを振り返ったが、いるはずの彼の馬がそこにはいない。
「どこ行ったんだよ……ったく……」
呟き、彼が辺りを見渡すと、一頭の栗毛の馬が傍の木の影から姿を現し彼に駆け寄ってきた。
「……確かおれはじっとしてろっていったよな?……何勝手に隠れてんだよ……」
手綱を引き、詰め寄ると、馬は小さく嘶き彼に擦り寄った。
「ま、いいけどさ。――さて、貰うモン貰ってさっさと先進もうぜ」
辺りの魔物たちの屍骸や灰の傍にはいくつかの宝石、貨幣などが落ちている。魔物たちが冒険者を襲い、奪い隠し持っていたものや、飲み込んでいたもの、他、宝石を素に作られた魔物の屍骸が宝石に戻ったものなどが、彼のような冒険者の貴重な収入となるのだ。彼は、それらを拾い終えると腰に下げた皮袋に入れ、馬に跨った。
踏み荒らされた植物や、足跡から進行方向を確認する。
「こっちが……前でいいんだよな……???」
前後左右同じ様な木々の立ち並ぶこの森で"前"を把握できなければ確実に迷う。枝々や葉に遮られ、太陽や星の位置をあまり頼ることができないのは辛かった。
彼がその腹を蹴ると、馬はゆっくりと歩き始めた。
降り注ぐ光は木漏れ日となって所々に陽だまりを作り、淡く綻んだ可愛らしい小さな花々を優しく照らした。時折吹く風がその甘い香を乗せ、木々の間をすり抜け、やがて空へと溶けてゆく。
半刻ほどが経ち、
サワサワサワサワ――心地よい葉擦れの音を聞きながら彼は相変わらず前と思われる方へと馬を進めていた。
サワサワサワサワ――草花を揺らす風の音に混じって、久しぶりに水音が聞こえてくる。それに気付き、彼は馬の足を速めた。
少しして、背丈の低い緑の間を縫うようにして流れる小さな水の帯に辿りついた。
馬から降り小川の縁に跪くと、皮手袋を取ってそっと手を浸す。冷たい水が指の間をくすぐり緩やかに流れ、水面が彼の姿を映し出す。すぐ下手で水を飲む馬の動きが波紋となり揺れるそこに、まだどこか幼さの残る、それでいて凛然とした少年がこちらを覗き込んでいた。乱雑に撥ねた夜の闇にも似た濃紺の髪は光を浴びるとまるで青玉の様に鮮やかな藍を見せ、瞳は磨き上げられた瑠璃の紺。
彼は大きく息を吸い込むと頭を水の中に突っ込んだ。
ブクブクブクブク――ザバァッ!
心地よい清涼感が全身に伝わる。
「ここはどこなんだろーなぁ……」
呟き、彼はそのまま柔らかな草の上に身体を投げ出した。葉々の隙間に見える空は、霞みがかって淡い天色をしていた。
「ハァ……」
それから軽い食事を済ませ、しばらく休んだ後、持てるだけの水を汲んで彼は再び馬に跨った。
道中何度か魔物の襲撃を受けながら、2刻ほどが経った頃。突然、馬が足を止めた。そして頭を右側に向き、立ち並ぶ木々の向こうを見つめ、じっと動かなくなってしまった。
「?……おい、どーしたんだ?」
彼はそう言って馬の見る方に目をやった。どことも同じ樹林がただ広がり、所々に小さな茂みや苔の生えた倒木、岩が転がるばかりで特に変わったものは何もない。
「何もね―じゃねーかよ。ホラ、行くぞ」
腹を蹴るが、馬は動こうとしない。ただどこか一点を見詰めたままである。
「ったく、なんだってんだよ……」
彼は再度その視線の先を追ってみた。
「……なにもないぞ……――ん?……なんだ?」
変わるはずなどない風景に何かが光ったように見えた。
――違う。光じゃない……あれは……。
じっと目を凝らし、木々の彼方に彼が見たものは、白い、生き物だった。彼を乗せたまま、馬はまるでその生き物に誘われる様に歩き始めた。そして次第に歩は速くなり、すぐにしっかりと掴まっていなければ振り落とされそうなくらいに速く、疾走しはじめる。
「何だ、あれは……?」
激しく上下する馬上で、彼は必死に目を凝らした。木々の隙間に見えるその姿が徐々に定かになってゆく。
――馬……だ。……白い……
おそらく向こうもこちらに気付いているのであろう、悠然と彼を見据えたたずむ姿が見える。
――……。
「……? 何だ……? この感じ……うわぁっ!?」
一瞬、頭の中を何かが過ぎった、その時、ちょうど倒木の上を飛び越え振り落とされそうになり、我に返った彼が体勢を立て直すと、もうそれは目前に迫っていた。
ヒヒイィ――ン!!
声高に嘶き、彼の乗る馬は足を止めた。そしてしがみ付く彼もそのままに、ゆっくりと白馬に歩み寄り、確認しあうように挨拶を交わす。彼らを誘ったのは鬣や尾までが輝く様に白い、穏やかな空色の瞳をした、今まで見たこともないほど美しい馬だった。
彼は馬から飛び降りると、
「どうしたんだ、お前。こんなところで……ん?」
歩み寄り、はっとなって言葉を止めた。白馬の立つ側の木の根元辺りに、よく使い込まれてはいるが決して古いものではない鞍と、なにやら荷物が置いてあるのだ。さして雨風に晒された風もなくきちんと置かれてあるところから、明らかに最近何者かが――人間が置いたとしか思えない。
――ひとがいる――!!
彼は思わず嬉しくなって辺りを見渡した。しかしどこにも人影らしいものは見当たらず、その代わりに苔やツタ、倒木に覆われた小山が目に留まった。
「……?」
所々に不自然な岩肌や柱のようなものがのぞくそれに、彼は足早に駆け寄り、ぐるりと回りを調べてまわった。そして元の辺りに戻った時、垂れ下がる木の根やツタが、ひと一人やっと通り抜けられるくらいに取り除かれた入り口らしきものを見つけた。
「洞窟……」
そっとその中を覗いてみると、冷たく湿り気を帯びた空気が頬に触れ、辺りは僅かに差し込む光に淡く照らし出されている。すぐ右手側には平らかに削り上げ、積み上げられた岩壁、左手側は大の大人が五人ほど、横に並んで入れる位の幅があり、随分な大きさの入り口の様だ。少し奥へ視線を向けると彼の立つ所から5、6歩の辺りで二段、床が、天上もそこから急に高くなっている。どこも精密に切り出された岩で作られ、そこから先は日の光が届かない為どうなっているかは窺い知ることができないが、おそらく、地下へ向かっての道があるはずだと彼は思った。
「ここに入ったんだよなぁ……やっぱり……」
彼は呟いた。
よく見ると、僅かにだが人の入った形跡が見られるのだ。
「……」
太陽は、もう随分と傾いてきている。この洞窟に差し込む光も刻一刻と薄れ、深い闇が広がろうとしている。
彼は踵を返してその場を離れた。日が暮れるのも時間の問題だ。洞窟の中で一夜を過ごす気にもなれないので、彼は白馬の繋がれた木の傍で休むことにした。
――それにしてもさっきの、あの感じはなんだったんだろう……?
自分の馬から鞍と荷物を下ろし、手綱を木に結わえる。不意に彼はハッとなった。
――!? そういえば、どうしてこいつは無事なんだ……!?
それは当然の疑問だった。この森の魔物の多さや攻撃的な性質は、彼も十分に味わってきている。闘う術を持たない、しかも繋がれた動物など魔物達の格好の餌食のはずだ。
「……」
地面に結界陣の描かれた様子は無く、彼は辺りを探った。そして案の定、馬の繋がれた木の幹に、人為的な傷を見つけた。
「これか……」
彼はその刻印をまじまじと見詰めた。
――何の印だろう……? 木にかけてあんのかな?――ってことは地の……?
魔法や術法に長けていない彼にはそこに刻まれているものの意味を読み取ることはできなかった。ただそれが、あの白馬の主である何者かによってかけられた魔法、おそらくは結界魔法であることを彼は確信した。
彼はそこで野宿をすることにした。彼自身、結界系魔法の使えない、一人旅の身故、野宿の際はいつも危険に対して神経を尖らせていなければならないがこの場所ならばその心配もなさそうだ。
そしてその夜、火を焚き食事を済ませると、彼はその木に寄り添うようにして眠った。
穏やかな夜が、彼にこの上ない安らぎを与えた。
夢も見ないほどに熟睡した彼が目を覚ましたのは次の日の朝、夜露が乾き、暖かな陽気が若葉に透けて降り注いだ頃だった。
彼は再び瞳を閉じ、まどろみに身を任せた。2頭の馬が少し離れたところで草を食んでいる。小鳥のさえずりと葉擦の音が重なり合いながら耳をくすぐる。
――……これからどうしよう……。
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