第2話 若返り薬の提供
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時刻はまだ十時を過ぎたばかり。新聞代などの集金には早いので、恐らくは郵便か宅配便か……私はそんなことを考えながら、鍵が落ちた玄関扉を開いた。
「おはようございます」
そこに立っていたのは、郵便局員や宅配業者などではなかった。この国には少し珍しい、シスターの格好をしたお婆さんが立っていた。
途端に私の表情が険しくなる。この手の訪問理由はたいてい決まっている。
「宗教なら、興味がありませんので」
開口一番、私はキッパリと断りを入れた。
今年は特に暑くなると言われ、外は目眩がしそうなほど太陽が照りつけている。
そんな中、お婆さんが黒ずくめの格好をして訪問してゆくのは酷だろうけど、恐らくは同情所を誘う、
しかし、お婆さんはそれに動じず、茶色のショルダーバッグに手をかけながら、逆に人のよさそうな朗らかな笑みを浮かべた。
「いいえぇ、私はそのような手の者ではありませんよ。
先日、お葉書を送らせて頂いた、日本少子化対策センターの者でしてえ」
「日本少子化対策センター……?」
「えぇ、えぇ。あなた方のような、望んでも得られない方のために手を差し伸べて回っているのですよ」
私は片眉をあげた。
最近の詐欺はここまで手が込んでいるのか。
「結構です」私は少し厳しい声で言った。しかし、お婆さんは動じない。「まぁまぁ、お話でも聞くだけでも損はありませんよ」
「結構ですので」私は不快感を露わにして、扉に手をかけた。
「人生をやり直せるのですよ」
数センチ動いた所で、横開きの扉がピタりと止まった。
頭の中でその言葉を反芻したが、輪廻転生など言った意味には聞こえない。
私が一瞬思案したのを見て、お婆さんはニコりと笑みを向けた。
「タイミングが合わなかったのなら、もう一度やり直せばいいのですよお」
「そんなこと――」
「それが、できるのですよお」
お婆さんは私の言葉を遮ると、肩からぶら下げていた鞄から一つの瓶を取り出した。
「今は“アンチエイジング”と、言われていわれて――」
「ああ、そう言う」
今度は私が言葉を遮った。
突拍子も無い言葉に耳を貸したことが恥ずかしい。
ただの化粧品の押し売りなのだ。
「ほっほっほ、これは化粧品ではありませんよ。
そんな若返ったように見せかけ、旦那さんを誘い、子供をこしらえる……なんて意図のものではありません。この薬はねえ、本当に“若返る”のです」
「もう帰って頂けませんか? 警察呼びますよ」
これ以上、妄言に耳を貸す必要はない。
入り口での押し問答を訝しみ、「どうした」と、主人もやって来た。
「おや。旦那さんも来られたことですし、まずは現物を見せた方がいいですかねえ」
お婆さんはそう言うと瓶の蓋を開き、躊躇せずそれをぐっと飲み干した。
この後どうせ、『ここが綺麗になったでしょう』とか言うのだろう。
私では話を聞かないだろうから、追い払ってもらうよう主人に目配せをした。
……けれど、主人はぽかんと口を開いたまま、お婆さんを見ている。
いったい何を。私もそちらに目を向けると――
「え……?」
私も口を半開きにしたまま、お婆さんを見ていた。
いや……お婆さんなんていない。
お婆さんがいた場所には、年の頃を迎えたうら若き少女が立っていた――。
「これで、信じていただけますかね?」
白髪から艶のある黒髪、みずみずしい肌……少女はニコり、と笑みを向けた。
主人に問う視線を向けた。私はその瞬間を見ていなかったから。
「ほ、本当に若返った……。
俺は……夢を見ているのか……?」
それを聞くと、少女はもう一本の瓶を取り出した。
先ほどのより数センチほど長い。
「夢、と言えばそうでしょうかね。
誰もが一度しか通れない生の道を、もう一度歩み直せるのですから。
若い頃、ああしておけばよかった、こうしておけばよかった――そう後悔する方のために開発された薬なのですが……何かと騒がれている、少子化問題の解決の糸口になるのではないか、と考えましてね」
「その……成果のほどは……?」
主人は喉がカラカラに渇いているような、掠れた声でそう言った。
「まだこれからです。
なにぶん、調査に適したご夫婦がいらっしゃらないものですから」
少女は悪びれもせず、主人に目を向けながら言う。
「ご協力頂けるのであれば、これを無償提供致しましょう。
それに、我々からも支援もさせて頂きます」
「つまり……結果の分からない薬のモニターになれ、と?」
「平たく言えば。ですが、『結果が分からない』と言うのは間違いです。
人の生き方は千差万別。特にこの時代は多様性に溢れている……結果をまとめようがないのです。奥様、これをどうぞ――」
すっと差し出された瓶を、私は反射的に受け取っていた。
ずしり、とした重みを手に感じる。
「服用量はそこにマークしてあります。
けれど、最初の服用は絶対に目盛り付近まで服用してください。
一舐めチビりなんてすると、
そう言われ、私は瓶に目を向けた。
プラスチック製のそれを四等分するように、黒いマジックで横線が引かれ、一番上には“17”、真ん中には“26”、一番下には“35”と傍らに印されている。
数字の意味は何なのか、主人と揃って顔を上げたものの……少女がいた玄関口は今、灰色のコンクリートが広がっているだけであった――。
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