「誰が、やったと思いますか」

 隣を歩きながら話しかけられる。十五くらいの背の高い青年。線は細いが、エリックの覚えでは鍛冶屋の息子だったはずだ。同じ組に入れられた彼は、エリックと同様に息をはずませながら山中を歩いていた。

「どうだろう」

「あいつらに、決まってます」

 隣村の奴らだ。と彼は北に目をやった。隣村といっても峰をひとつ越えた先だ。

「本当に、最低の連中だ。春の時だって」

 義憤に駆られる彼にとって犯人はすでに決まったも同然らしい。エリックは若者らしい短慮に呆れつつも、隣村の者たちへの感情には少なからずの共感も覚えていた。なおも青年の罵りは続く。

 彼が言う春の時というのは、春先にあった軍の徴発のことだ。略奪まがいの徴発に困窮したネージュからの援助の願い出を、隣村はにべもなくねつけた。山を挟んで行軍ルートから外れていた彼らには、十分な蓄えがあったにもかかわらずだ。以来ネージュとは険悪な関係にあり、今回のように、折々で村人たちの怒りの矛先となっていた。

 しばらく悪態をついた後で、青年はふたたび尋ねてきた。

「エリックさんは、本当だと思いますか」

「なんのことだい」

「盗まれた肝のことです。どんな病でも、治すことができるとか。そんなもの、あるんでしょうか。お医者様はどう――思われるのかと、思って」

 急ぎ足で息が切れる。青年も同様らしく、尋ねる言葉は途切れがちだ。

「君は誤解している。私は医者ではないよ」

 エリックは断りを入れた。

「それでも、医学を学んだ立場からすれば、そんなものありえない」

 と、言いたいところなんだが。エリックはあえて語尾を濁した。

 青年が物問いたげに彼を見た。

「それは……」

 竜の肝。食らえばあらゆる病がたちどころに癒える霊物れいもつ。大学時代の教授連や同期たちが聞けば、非科学的と一笑に付すに違いない。そんなものは空想の産物にすぎないと。とりわけそれが医聖ヒポクラテス以来のあらゆる医学者の努力を無に帰すものだと謳われるのならば、なおのことだ。かつてのエリックであれば躊躇ためらわず彼らにくみしたこともたしかだ。

 だが、人が真に医学の――つまるところ科学のともがらたろうとするならば、動かしがたい目前の事実から目を背けることもまた、誤りにちがいなかった。

「竜だよ。以前の私だったら、そんなものありえないと答えただろう。竜なんてもの、この世に存在するはずがないと。だが、いまはどうだい?」

 竜の屍はそこにある。その肝がすでに抜き去られていたとしても。

 ああ、と青年は声を上げた。

「そうか、おれも作り話だと思ってた。でも竜は本当にいた。なら、肝のことだって」

「お前ら!」

 前方から怒鳴り声が降ってきた。

「モタモタするな」

 行く手でふり返っているのはフランク。遅れる二人に対して不機嫌さを隠そうともしない、この組の三人目のメンバーだった。

 彼にとってもエリックにとっても、この組み合わせは災難であった。あるいはその間で板挟みとなるこの青年にとっても。なんにせよ、彼らとは体力が一桁違うフランクの背を山中で視界に入れておくだけで相当な困難だった。エリックと青年は、ふたたび背を向けたフランクを、息を乱しながら追いかけた。

 二度目の怒声が響いたのは、それから三十分と経たない時だった。

 その頃には青年とエリックは、フランクに追いつくのは諦め、代わりに彼の通った跡を追っていた。フランクは山刀で枝を払いながら進んでいるため、それらを探せば追うことができた。あるいは二人が追えるように意識的に目印を用意していたのかもしれないが、どちらにせよ、駆けつけるには彼の罵声だけで事足りた。

「なにがあったんだ」

 追いついたエリックの前で、どうやら他の組の者らしい三人の若者が集まっていた。フランクもその輪に加わっている。彼は振り向くと言った。

「こいつがやったんだ。犯人だ」

 場所を空けたフランクの横から覗き込む。殺気立った若者たちに囲まれ、そのうちの一人に押さえつけられているのは、痩せた若い男だった。ネージュでは知らない顔。「やっぱりな」という青年の反応からすれば、隣村の者なのだろう。

「犯人ってのはなんだ。俺が何をしたってんだよ」

 押さえつけられたまま男が叫んだ。

「俺たちを見て逃げようとした」

「そりゃあ、あれだけの剣幕で追いかけられたら誰だって逃げるさ!」

「やましいことがあるからだろう」

「ハッ、なんのことだか」

「お前の盗癖はアラネイじゃ有名だ」

 とぼける男にぴしゃりと言ったのはフランクだ。

「なんだそれ。俺が何を盗んだっていうんだよ――がっ」

「黙ってろ」

 腕をねじり上げられて男が悲鳴を上げた。フランクの指示に従って若者たちが両腕を縛り上げる。そのまま強引に引き立てられ、男は苦しげなうめきを漏らした。

「村まで連れて行くんだ」

「ちょっと待て」

 さすがに黙っていられなくなったエリックが割って入った。フランクたちは胡乱な目でエリックを見返した。彼はその視線に敢然と立ち向かう。

「まだ彼がやったと決まったわけじゃないだろう。なんの証拠だってない」

「猟師でもなんでもないこいつが、わざわざこんな場所にいる。それ自体が証拠だ」

「無茶な。彼がここにいる理由がないというなら、それこそおかしいだろう。彼はあのことを知らないんだぞ。どうやって盗むものがあると知ったんだ」

「そうだ。その御仁の言うとおり」

 味方の登場に勢いづいたのか、男が拘束されたまま声を上げる。

「あんたらが何を盗まれたのかは知らんが、今のネージュに高く売れるようなもんがあるなんて、おれは聞いてねえぜ。な。いくら俺だって、知らんもんは盗めねえよ」

 男は必死に弁明した。はからずも自ら明かしたように、彼に後ろ暗いところがあるのはたしかなようだった。しかしそれだけを理由に彼を犯人と決めつけるのはあまりに乱暴だ。若者たちにも戸惑いが浮かび、エリックの説得は功を奏したように見えた。

「なあ、こいつがやったんじゃ……」

 若者の一人が言いかけたところで、フランクがエリックの前に立ちふさがった。上背も肩幅も彼よりはるかに大きい。間近で対峙すれば恐ろしい迫力だった。

「お気楽でいい。エリック義兄にいさんは」

 薄い唇が皮肉に吊り上がる。

「こいつが犯人だろうと、そうじゃなかろうと関係ない。あのことを知られていてもいなくてもだ。山狩りまでするような隠し事があると知られた時点で、どっちにしろ、こいつを帰すわけにはいかないんだ。違うか?」

 フランクは正しかった。山狩りの事実が村外に漏れた時点で、すでにネージュの「隠し事」は危ういのだ。いかに堅牢な鉄扉てっぴも、それが扉であるかぎりいずれは必ずこじ開けられる。秘密を最上のものとするには、秘密それ自体の存在を誰にも気取られてばならない。

「お前らもわかったら、黙って連れて行け」

 フランクが命じると残りの二人が頷いて男の両腕を掴んだ。

「待てよ。おい、やめろ。冗談だろフランク!」

 なおも暴れるものの、三人がかりの膂力りょりょくには敵わない。

「行け」

 男を完全に無視してフランクは命じた。その厳とした態度に待ち受ける運命を悟ったのか、男の顔が恐怖に染まった。必死で周囲を見回す。その目がエリックとぶつかった。

「ちょっと、あんた。助けてくれんだろ。なあ。何突っ立ってんだよ!」

 背筋が凍るような血走った眼。恐怖と哀願。

 そこに映る強烈な感情からエリックは俯いて視線を外した。目をやらずとも、男の顔に浮かんだ絶望の色が知れた。男はわめきながら引きずられていった。その後に鍛冶屋の青年が小走りで続いた。

 フランクと共に残されたエリックは、あの朝、自分が踏み越えた一線の意味をようやく思い知った。

 罪を見逃すことも罪だ。そしてひとたび罪を負えば、人はけしてそれをそそぎきることはできない。こぼれた水が器に戻らぬように、こぼれた器が元には戻らぬように。どころか、その罅割ひびわれを糊塗ことするように、罪の上に罪を重ねねばならぬのだと。

 せめていた。

「彼はどうなる」

「さあな。親爺が決めるだろう」

 エリックはフランクを見た。連れられていく男を眺める彼の横顔に揺らぎはなく、ただなすべきことをなした後の冷厳な寡黙かもくがあった。あるいはそれこそが次期村おさたる男の器量であるのかもしれなかった。

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