家族のいる者は家族と食事を共にするために、そうでない者はそうした者同士で集まって。男たちはぞろぞろと歩きだした。屍体の脇で食事を摂れるわけもなく、女たちはすこし離れた場所で煮炊きをしていた。

 薄暗い森を歩いてほどなく、食欲をくすぐる匂いがただよってきた。女たちが大釜を囲んで立ちはたらいている。牛の角でできたコップには薄めた葡萄酒ぶどうしゅ。パンが二切れ。さらに木の器にシチューが注がれると、うっすら湯気が立つ。一人分の食事を受け取った者は思い思いの場所に陣取って食事を始めていた。周辺を拓いた時にできた切株や切り倒した木に腰かける者もいるが、多くは直接地面に座り込んでいた。

 エリックは男たちの列には並ばずにニネットを探した。見回したところでは、はたらく女たちの中に彼女の姿はないようだった。

「ニネットはどこに?」

 エリックが尋ねたのはニネットの母だ。目鼻立ちが鋭く、どことなく鳥に見える顔だちの女性。クリストフの血が濃いのか、ニネットと彼女はあまり似ていなかった。

「エリック。あの子なら、先ほど山を下りていきましたよ。子どもたちが心配だからと」

「一人で行かせたのですか」

 エリックの言葉には非難の色が混じった。

「あの子も大人です」

 それですべて説明したと言わんばかりの態度に、エリックは早々に会話を諦めた。連日の山入りはニネットには堪えたのだろう。彼女の身体のことは承知のはずの母親がこれなのだから、自分が気づいてやるべきだった。エリックは義母と適当に雑談を交わしてから、自分も食事を受け取った。村人たちと共に車座になる。

 彼らの話題はもちろん、竜についてだ。飛竜の来歴――いったいどこからやって来たのか、そもそも、どうやってこれまで人の目を避けて来たのか。あるいはその威容について。首を落とされ鱗を剥がれてさえ、ただの獣と呼ぶのがためらわれるその姿。

 もちろん、彼らをいっとう熱心にさせるのは、竜が村にもたらす莫大ばくだいな富についてだ。

 伝説に言う竜は、そのねぐらに黄金をかき抱いたという。しかし叙事詩も遠のいた現代では、財宝に満たされた竜の洞穴などどこにも見つかりはしない。ただ、竜の肉それ自体が山と積まれた黄金に引き換えられうる。

 その黄金はまだ彼らの頭の中にしかないけれど、村人たちの目をくらませ、熱病めいた浮つきを与えるには十分だった。エリックが見たところやはり断頭を経たことが大きいのだろう。昨日とは違い、それが自分たちでも御することができるという自信が、彼らの口を軽くしているのだ。あるいはそう信じたいだけかもしれないが。

「愛想を尽かされてしまいましたか」

「……まあ、そんなところです」

 案の定というべきか、隣にフレデリックが腰を下ろした。

「あなたもたいがい酔狂ですね、昨日から」エリックは肩をすくめて言う。「私になど構わなくとも、他にいくらでも話し相手がいるでしょうに」

 フレデリックはそうですねえ、と手に持ったシチューにパンを落とす。エリックは次の言葉を待ったが、フレデリックはそのまま、音を立ててシチューをすすった。口ひげが白く汚れる。

 仕方なくエリックの方から水を向けることにする。

「昨日、違和感がありませんでしたか。竜――死骸の口を開けた時ですが」

「臭いですか?」

「違います。そうじゃなく、もっと……おかしな感じが」

「おかしな感じ」

 フレデリックは首をひねってすこし考えたあと、

「さて、私はなにも気づきませんでしたが」

「そうですか……」

 単なる話の接ぎ穂のつもりだった。しかし思い返してみれば、やはり何かがおかしいという気持ちが膨らんだ。気づかないうちは無視できていても、一度意識の中に入ってしまえば追い出すことができなくなる。それは視界の隅にちらつく羽虫のような異物感。黙り込んだエリックを横目にフレデリックが立ち上がった。エリックは顔を上げる。

「早いですね」

「時は金なりとね。商人のしみったれた習い性ですよ。恥ずかしいかぎりです」

 存外粗野な手つきで口ひげを拭うと、

「さっきの答えですが、以前から気にしていたんですよ、あなたのことは。一度ちゃんと腰を据えて話してみたかった。今回はよい機会でした」

「物好きなよそ者だと?」

 フレデリックは笑みを浮かべて首を振った。

「物好き、ね……いや、村人たちの中にはそう言う者たちもいますが、私は違いますよ。仕事柄、人を見る癖がついていましてね。あなたはよく見えている人だ。私が思っていた通りに」

「褒め言葉として受け取ればいいですか」

「ええ。そのつもりでしたよ」

 不意にその目が真剣な色を帯びる。その口元にもう笑みはない。

「ただ、だからこそお気をつけください。世の中には、目の開いた者の方が少ないんですから。この村では、とりわけね」

 言葉の意図を尋ねる間もなく、「それでは」とフレデリックは去った。エリックはいまさら、男の上背がずいぶんあることに気づいた。

「目の開いた者……」

 警告めいた一言。おそらく彼はその言葉をかけるために来たのだろうと思った。

 だが、そう評されるにはあの違和感の正体すら掴めていない。エリックは思案にふけりながら食事を再開した。パンで器を拭うようにしてシチューをすくう。豪華にも肉入りだ。噛むと独特の香気と旨みが広がる。精をつけるためとは言うが、単に浮かれているのに違いない。もちろん、これからのことを考えたなら無理はないだろうが。

 もう一口、パンを噛みちぎり嚥下えんげしたところで、不意に鮮烈な理解がやってきた。

 開かれた竜のあぎと。あの歯――いや、違う。歯ではない。並んだ牙それ自体ではない。記憶がせきを切って噴き出してきた。吐き気のするほどの臭い――血と肉と、猫の小便をごた混ぜにしたみたいな……。あの時のエリックは、その猛烈な臭気と、ナイフほどある牙ばかりに気をとられていた。だが、異常はそこにはなかった。

 しらじらと鋭利な歯列の、根元。そこからどろりと流れだし、口腔に溜まりを作っていた。

 

 竜のしかばね。それは文字通り降って湧いた奇貨だった。思えば、目がくらんでいたのはエリックも同じだ。来歴は問うた。そこから得られる富にも思いをめぐらせた。そうして村人たちと同じように、その考えに心を奪われてしまっていた。

 だが、これまでエリックは尋ねなかった。

 

 答えは、問いと同時にやってきたようだった。


「病です。あれは」

「突然、何を言い出した」

 クリストフは村の上席たちと食事を囲んでいた。その中にはダリウスやジャンも含まれる。やってきたエリックに真っ先に反応したのは、その老猟師だった。常どおりの居丈高な口ぶりにも、いまは何のつうようも感じられなかった。

「村おさと話をさせてください」

「後にしろ。話し合いの最中だ」

 記録を残せない、残してはならぬ以上、その会議に書記は不要だ。むしろ新参者のエリックがいては話せない算段もあるのだろう。フレデリックも同様だった。村会議などは建前で、ネージュの政治がそのように動いていることが、そこから疎外されているからこそ、エリックにはよく知れた。

「村おさ!」

「おい」

 だが今回は、簡単に引き下がるわけにいかない。エリックは立ちはだかるジャンを無視して、クリストフの方へ進み出た。

「村おさ……お義父とうさん!」

 その声に、ようやくクリストフがふり返る。

「エリックか」

 ジャンほどではないが、その口調にも不機嫌さがにじんでいた。クリストフは義父と呼ばれることを好まない。その理由もエリックには薄々察しがついていた。だが、いまはなりふり構っていられない。

 ジャンはなおも二人に割って入ろうとしたが、クリストフが手を挙げて制した。

「伝えなければならないことがあります」

「病と言ったな。なんのことだ」

 最初から聞こえていたのか。非難の言葉を飲み込んでエリックは答える。

「あれは病で死んだのです。墜ちて死んだわけではない。最初からおかしいとは思っていました。身体には致命傷となるような傷はありませんでした。しかし、病で衰弱していたなら話は別だ。あれは病んでいた。そのせいで死んだ」

 ジャンが背後で鼻を鳴らすのが聞こえた。ふり返りたい衝動を抑えて続けた。

「証拠もあります。あれの口を開けてもらえばわかる。血が――」

「まあ、待て。それは竜のことを言っているのか」

「はい、もちろん。ですから、」

「待てと言ったろう」

 クリストフは手を払ってエリックを制する。

「お前の言いたいことはわかるが、それははじめから考慮のうちだ。ジャンがしらせてくれたときからな。あれほど屈強な生き物が、なんの理由もなく死ぬことはないだろう」

「……わかっていたのですか」

 エリックの言葉が詰まる。ジャンの嘲笑の意味に思い当たる。

「ああ、そうだな。確信はなかったが――だがな。竜がなぜ死んだのだろうと、我々には関係がないことだ。得られるものの価値を考えれば、むしろ病で死んでくれたのは有り難い。お陰で傷ひとつない竜の骸が手に入ったわけだ」

「主のたまわり物です」

 言葉を差し挟んだのは同席していたエディスである。

「ええ、そうでしょうな」

 クリストフも定型的な同意を返す。しかし、エリックにとって神の意志などは、まるで信じられるものではなかった。いや、神の意志というものがあったとて、その賜物たまものというには、あれはあまりに凄惨ではないか。

 いまだ不服を示すエリックを諭すように、

「エリック。ネージュの状況は君も知っていよう。領主殿を恐れる気持ちはわかるが、村のためにはこれしかないのだ。それに、あのお方は西の戦争でかかりきりだ。知られやせんよ」

 視野の狭く強情なところもあるが、なんといっても娘の夫。義理の息子なのだ。クリストフの穏やかな声音には、そのような同情が滲んで聞こえた。加えてそれは、議事録の偽造を促す念押しでもあった。厚い壁を相手にしているようだ。

「わかっています」

 エリックは歯噛みしながらもなお、食い下がった。

「しかし、それでも、あれは病で死んだのですよ。その肉をうのですか」

 鼻を鳴らす嘲笑。いつの間にかジャンがやって来ていた。

 老猟師の目がエリックを哀れむように見る。

「病んだ馬の肉は、捨てるというのか?」

「それは……」

 今度こそ、エリックは反論の糸口を失った。

 斃死へいしした耕馬が食卓へきょうされるのは日常の風景だ。とりわけ今のネージュのような状況では、家畜の肉は骨髄まで啜るのが当然だろう。いままさに飢えて死のうというときに、目の前の肉の来歴など誰が気にするものか。それは奇しくもフレデリックが昨日、彼の前で口にしたのと同じ指摘だった。

 絶句するエリックに、

「それにもう、今さらの話だ」

 クリストフがなだめるように声をかけた。

「それは……どういう」

 エリックの背が、ざわ、と粟立つ。ジャンが呆れたように言う。

「お前も喰っただろうが。昼飯を」

「まさか……」

「そういうことだ」

 クリストフが肩をすくめてジャンに同意する。

 エリックの口腔に、ゆっくりと、シチューの滋味が広がった。

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