昨晩の内に予約した新幹線の時間が迫る頃。気持ちばかりのお詫びに会長たちに買った物と同じ銘菓の手土産を用意して、最後にレスクヴァさんの住むアパートを訪れる。

 ノックをすれば最初と同じように獣の唸り声が聞こえたが、まあ些細な事だ。

 言葉通りにマントは既に仕立て直され、ボロボロだったそれはアイリスの髪と同じように艶のある、烏の濡れ羽色に変わっていた。


「流石だ、と言っておこう。お前に頼んで正解だった」

「恐悦至極にございます、っと。言ったように見栄えを良くしただけで魔術的呪術的なあれこれは一切施してないのであしからず」

「構わん。下手に手を加えられたくはない」


 マントはアイリスの翼そのものに等しい。鞘のようにはいかないのだろう。それでも満足気な様子で安心した。

 断って僕が用意した緑茶を啜り、手土産をつまんでいたレスクヴァさんは少しだけ複雑そうな表情を見せた後、溜息を吐いた。


「あー……余計なお世話でしょうけど、言っときます」

「余計だと思うのなら黙っていろ」

「……巻き込まれたあたしには言う権利があると思うので、言います」


 にべもないアイリスの言葉を跳ね除け、レスクヴァさんは僕を指さし言う。

 罵詈雑言なら受け止めようと身構えるが、そうではなかった。


「どうせエリュンヒルテさまは言わないだろうから……神様とかって皆そうなのよね、弱味を見せないっていうか見栄っ張りっていうか……久守詠歌君」

「……おい」

「どうせまたそれで一悶着起きるってのが目に見えてるでしょう。何なんです? 自分の勇士に遠慮でもしてるんです?」


 言おうとしている事を察したのか、アイリスが眼光を鋭く睨むが、レスクヴァさんの一言で忌々しげな表情で口を噤んだ。

 つまりはまた肝心な事は何も言わない、アイリスの見栄が出たという事か。


「今のまま、これから先も対攻神話プレデター・ロアと切った張ったを続けていけばエリュンヒルテさまは無事じゃ済まないよ」

「……どういう意味ですか」


 それは僕の力が及ばないから、なのか。『クトゥグア』を倒す為にアイリスの力を借りるしかなかった僕では勇士の役目は果たせない、そう言っているのか。


「あたしみたいな普通の人間には対攻神話プレデター・ロアがどれだけやばいものか、なんてのは分からない。トール様とかと同じで災害みたいなもので巻き込まれたら終わりには変わりないもの。けど吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリアであるエリュンヒルテさまや聖剣を持つ君なら戦えちゃうでしょう。天上ならいざ知らず、この地上でそれを続けてたらいずれ魔力の限界が来る。勝ち負けの話じゃなくね」


 僕の思考を読んだのか、レスクヴァさんは面倒くさそうに違う違うと首を横に振った。


「……魔力がなくなるとどうなるんですか」


 その話しぶりからただ戦う力を失う、というだけではないのだろう。……迂闊だった。僕はただの戦う為のエネルギーのようなものだとしか思っていなかった。対攻神話プレデター・ロアよりも聞き覚えのある名前であるが故に、漠然とそういうものだと勝手に思っていた。


「魔力ってのはね、ミズガルドの人間にとってはあってもなくても大した違いはないけど、戦乙女ヴァルキュリアや神様ってのはなくてはならないものなの。逆に言えば魔力さえあれば飲まず食わずでも生きていけるし、そう簡単に死んだりもしないんだけど……この地上ではその魔力を回復する手段が乏しすぎる」


 アイリスが戦う際に見せるあの姿、魔力に親しみなどない僕にも分かる程、あれは強大な魔力を使用している。けれどそれを分かっているからこそアイリスも最初の『ウルタールの猫』の影との闘いでは使おうとしなかった。使ったのは多少なりとも魔力が回復したから……。


「天上なら魔力が常に満ちているけど、こっちじゃ穴の空いた風船と同じでどんどんと萎んでいくだけ。エリュンヒルテさまの場合、その穴が大きいから余計に酷いわ」


 それも見栄、だったのか。食事で回復したというのも嘘で、あの時からずっと無理をしていたのか。


「……勘違いするな。回復しているというのは嘘ではない。天上では呼吸するように魔力が回復するが、そうでなくとも私や戦乙女ヴァルキュリア共は元々自ら魔力を生み出す能力を持っている。地上ではその回復が消費に追いつかんというだけだ」

「同じ事じゃないか」

「ただ生きていく分にはそれで十分でしょうけど、昨日もホテルで感じたわ。トール様たちについてた時はしょっちゅうだった魔力の爆発。……あんな力、こっちで何度も使ってたらすぐに存在を保てなくなる。だからこのまま戦い続ければエリュンヒルテさまは消滅する」


 どうしてそんな大事な事を隠していたんだ、とは今の僕には言えない。隠し事を抱えたまま好き勝手していたのは僕も同じだし騙されるのと隠されるのは別だなんて屁理屈も言えるはずもない。

 だからレスクヴァさんが話してくれてよかった。……僕が強くならないと。アイリスの力を借りずに済むくらい、強く。


「はいそこ、ストップ。そういう悶着が起きるって思ったから、今あたしが教えたの。本当、余計な事だって分かってるのになあ……。とりあえずそういう自分が云々はやめて、本当に馬鹿兄貴を思い出して腹立つから話は最後まで聞きなさい」

「……すいません」


 自分の身の程というのは分かっているつもりだった。でもこんな話を聞いてしまえばそれでも僕が、と思ってしまう。レスクヴァさんの言う通り、このまま知らなければきっとまた何かが起きていたのだろう。それを止める為にレスクヴァさんは今、僕たちに話しているんだ。


「それを詠歌に教えた所で何が変わるわけでもない。私は私の望むままに振る舞うだけだ」

「別にエリュンヒルテさまたちがどうなろうとあたしには関係ないですし、言って止まるとは思ってませんけど、一応はあたしの客ですからね。天上絡みならトラブルは覚悟の上でしたし、リピーターになってくれる可能性があるなら多少の気は回します」


 レスクヴァさんはワイシャツの胸ポケットから一枚の紙を取り出し、それをテーブルの上に滑らせる。それを受け取り、広げてみればプリントアウトされた文字が記された簡素な一覧表だった。見覚えのある単語から、羅列されているのは地名のようだ。


「あたしも一年前に地上に来てから色々と歩き回っていたんで、その中で見つけた、というか感じた地上の中では魔力が濃かった場所です。パワースポットとか呼ばれてる場所のいくつかもそうでした。そうそう、その時にインタビューを受けてテレビに映ったりもしたんですよ!」

「その情報はいらん」

「あ、はい」


 ごほんと咳払いを一つ入れて、差し上げますと肩を竦めた。


「それでどれだけの効果があるのかは分からないですけど、普通に寝て食べて起きてを繰り返すよりはマシだと思いますよ」

「お前を探す時、使い魔を飛ばしたがそんな場所は見つからなかったが?」

「どうにも質が違うみたいなんですよね。天上でいう魔力や聖なる存在が持つ聖纏気と違って、あたしも直接行くまで何も感じませんでした。霊力とかオーラ力とかそういう類のものなんじゃないですか?」


 ……説明は随分と適当になっているが、同じ天上、ミズガルドの住人だったレスクヴァさんが言う事ならば確かめてみる価値はある。

 何もしないままでいるよりも何倍もマシだ。やれる事があるというだけで少しは安心できる。


「……礼は言っておく」

「どういたしましてです。今後とも御贔屓にって事で」


 それは素直ではないアイリスの精一杯なのだろう。短い間にそれを理解したのか、レスクヴァさんは気を悪くした様子もない。もうアイリスの扱いに慣れたようにも見える。


「それと一つ訊いておく。一年前に地上に堕ちたと言ったな?」

「ええ、堕とされました」

「これだけの場所を歩き回り、その上でこの地に居を構えたのは何故だ?」


 ……それは僕も尋ねようと思った事だ。阿桜さんは運命という言葉を使ったが、偶然にしては出来過ぎている。僕たちがこの街を訪れたのも仕組まれた必然のように思ってしまう程度には。


「六年前に戦乙女ヴァルキュリアが堕り立ったのがこの地だと知ったのは私も昨日の事、トールの従者と言えどそれを知っていたとも思えん。どうしてこの場所を選んだ?」

「あたしがこの街に来たのはつい一か月くらい前なんですけど…………あれ?」


 暫く考え込んだ後でレスクヴァさんが首を傾げ、やがて神妙な顔つきへと変わる。……酷く、嫌な予感がした。


「……どうしてあたしは、此処に来たんでしょう」


 ……寒気がした。

 動機を作り、理由を生み、偶然を必然へと仕組み変える。それならまだ理解出来た。

 けれど動機もなく、理由もない必然……それはまさに運命を仕組んだのと同じ事だ。それは人の所業ではありえない。

 作為はあっても人為ではない、六年前の災厄と同じ――神為的じんいてきとでも呼べばいいのか、この仕組まれた運命を。


「……くくっ、そうか。お前自身にも分からぬか」


 恐怖に似た感覚に襲われる僕とは裏腹に、アイリスは耐え切れないとばかりに喉を鳴らした。


「いや、でも……あれ、本当にどうしてだろ……」

「よい。それは考えても分からぬ問いだ。それにお前は運命に流される事には慣れているだろう――だがお前はどうだ? 詠歌」


 それは質問というよりは確認だった。アイリスの瞳がそう語っている。そうではないだろう、と。

 ……言われるまでもない。僕は天上の価値観など知らない、この地上の人間だ。


「冗談じゃない。たとえ仕組まれた必然だったとしても、僕が自分で選んだ事だ。それを運命なんて言葉だけで片付けられて堪るか」

「それでこそ、だ。たとえ我らが運命に踊らされる愚者だったとしても、踊り方まで決められては面白くない」


 一瞬感じた寒気は気のせいであったかのように消えていた。運命と呼びたければ好きにすればいい。けれど僕もアイリスもシステムでもなければ機械でもない。意思持つ生命だ。無軌道な僕らにレールを用意するのは骨が折れる事だろう。何ならその苦労を労ってあげたいくらいだ、なんて。


「それなら一緒に踊ろうか、アイリス」

「……その返しは少々予想外だが」


 ……まだ昨夜の諸々に引きずられているのかもしれない。確かに気障すぎた。会長たちには黙っておいてもらうようにアイリスに頼み込み、仕切り直す。


「教団の者たちに下った神託と運命のままこの地に集った者たち、誰に都合が良いかと言えば分かり切っている。奴にとっては私もお前も天上から堕ちた裏切り者というわけだ。あの『クトゥグア』を利用し諸共にという腹積もりだったか」

「……結局、あたしはまた巻き込まれてるってわけですか」

「ロキが関わった時点で察していたはずだ。地上に堕とした程度で満足するはずもない。波乱か破滅、奴が関わった者に齎すのはどちらかだけだ」


 レスクヴァさんは物凄く疲れた顔で大きな溜息を零した。思い当たる節があるのか、絶望というよりは諦めが見て取れた。

 神話に語られている通りのトリックスターなのは間違いないらしい。


「とはいえロキ本人の仕込みならば影からではなく、目の前に現れて腹を抱えている。それがないのであれば――全てはブリュンヒルテの思惑だろう。それに翻弄される私たちを眺めているのか、逆に翻弄されるブリュンヒルテに期待しているのかは知らんがな」


 やはりブリュンヒルテ……予想通りの名前ではある。アイリスが語った彼女は吸血戦姫ヴァンパイア・ヴァルキュリアという存在を毛嫌いしているように聞こえた。レスクヴァさんも含まれているのであればこの地上に許可なく堕りる事を嫌悪し、憎悪している。想像でしかないが彼女自身も一度、父である主神を裏切りシグルズとの恋に堕ちた身だ。それ故に天上に背く者が許せない潔癖者なんじゃないだろうか。もう二度と父を裏切らず、裏切りを許さない。

 ブリュンヒルテが六年前にこの街に災厄を齎した戦乙女ヴァルキュリア本人なのかは分からない、けれど結果として阿桜さんを利用しようとした事に違いはない。しかも敵であるはずの対攻神話プレデター・ロア、教団まで利用してアイリスを滅ぼそうとしている。

 どんな思惑があるのか知らないけど……気に入らない。


「ブリュンヒルテ様……って戦乙女ヴァルキュリアの長じゃないですか。そんなのに狙われるって……」

「お前はついでだろうがな。私をおびき寄せる餌だ。餌は獲物に齧られ、使い捨てられる」

「藪蛇だと思って訊かなかったですけど、その聖剣ってつまりそういう事ですよね……よりによって天上からの盗品……」


 同情できる立場にはないのだけど、呻く姿に同情してしまう。元々は天上の住人、僕よりもブリュンヒルテに狙われる事の危険性が身に染みて分かってしまうのだろう。


「……あんた、これから本当に大変になるから覚悟しておきなよ」

「肝に銘じておきます。でもレスクヴァさんはこれからどうするつもりですか?」


 三柱の神を退け、アイリスは滅びる事無く生きている。これからも狙われ続けるのは間違いない。ブリュンヒルテが関わっていなくとも、教団だっていずれは動く。それは覚悟しているけれど、レスクヴァさんはどうなる?

 アイリスと共に裏切り者として消されるはずだった彼女も『クトゥグア』が滅ぼされた事で生き残った。これから先、アイリスと同様に狙われる事になるはずだ。


「そう心配する事はない。ブリュンヒルテは感情を理由に動くのではなく、感情にそれらしい理屈をつけて動く。単に私を気に入らん癖に吐く言葉は全て主神の為、正義の為だ。私がこの地を離れれば間違いなく私を優先する。一刻も早く聖剣を取り戻す為、ヴァルキュリアの名を汚す私を討つ為、そんな理屈を並べてな」

「つまりは平和に過ごしたいならあなたを応援しろと……はぁ。あたしもあたしで身の振り方を考えるよ。あんたは自分とエリュンヒルテさまの心配だけしてな」


 そう言ってレスクヴァさんは手を叩く。お開きの合図だった。

 先程までの話などなかったようにまた仕事が入ったのだと慌ただしく緑茶を飲み干し、僕らを手で追い払う。


「さああなたたちの仕事は終わったんだから、冷やかしてないで帰った帰った。それともし次の機会があったら前もって連絡する事!」


 無理矢理に名刺を押し付けられると、そのままあれよあれよと立ち上がらされ、背中を押される。厄介払いの意味もあるが、それだけではない気がする。

 しかしそれを確かめる暇もないまま、ついにはアイリス共々玄関にまで押しやられた。


「それじゃ、ありがとうございました!」


 勢いよく扉が閉められる寸前に、咄嗟に背負っていた聖剣を隙間に挟み込む。


「ぎゃあ!? 製作者の前なんだからもっと丁寧に扱いなさいよ!?」

「す、すいません」


 流石と言うべきか鞘には傷一つついていない、がそういう問題でもない。素直に謝り、最後にこれだけはと扉を開く。


「今回の件、本当にすいませんでした。アイリスを窘めておきながら、僕が一番失礼で、最低でした。それと本当にありがとうございました!」

「っ……はい! どういたしまして!」


 今度こそバタン! と音を立てて扉が閉まる。早口で礼儀もなっていない謝罪とお礼だったけれど、少しは伝わっただろうか。

 アイリスを見れば何がおかしいのかくつくつと笑っていた。


「なに、私にも理由は分からんさ。だがまあ、律儀な奴と難儀な奴だなと、そう思っただけさ」


 言葉の意味を考えて、それでも答えは出なかった。

 ただ、これ以上此処に留まっても仕方ない。帰りの便が近づいている。少しだけ後ろ髪を引かれながら、僕らは古い階段を音を鳴らして下りて行った。


「……はぁー、馬鹿兄貴に似てるとか言うからもー! 情が移る所だったし……やめやめ、そんなんで動いてもろくなことにならないって知ってるでしょ、あたし!」


 僕たちが去った後、そんな声が部屋の中で響いているとは知らずに。


「……本当、ホームシックとか寂しいとかそんなんじゃないし。…………おにーちゃんのばーか」


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