1/4 甘言
奇妙な二人組が街道を歩いてゆく。
半歩先を行くのは白に近い銀色の髪をした、真っ白な印象ばかりが強い少年だ。
少年について歩くのは半分人型をとった狼の
七尺はある体躯を、炎を意匠した模様の上着で包んでいる。黒銀色の毛皮は真冬の緩やかな光の中でも鋭い
狼が退屈している理由はただ一つ。
二人しかいない旅だというのに、相棒が喋らなさすぎるのだ。少年の無口には慣れていた狼だが、さすがに歩き出してからもう二日も口を開かないというのは尋常ではない。聞けば目的地くらいは返ってくるはずだったが、それを会話と呼ぶのは狼の趣味ではなかった。
所在ない会話でも割合楽しいと思っている狼にとって、現状はそろそろ退屈を通り越してきたところだ。
沈黙にいい加減うんざりして、狼は先を歩く少年に一歩で追いついた。腰をかがめて彼の顔を覗き込みながら問いかける。
「なぁ
怜乱と呼ばれた少年は、覗き込んできた狼の鼻面を迷惑そうに押しやった。
「いつもと一緒だよ。言っただろ、
答える声も素っ気ない。そんな対応はいつものことだ。狼は少年が話に応じてくれそうだという状況だけに気をよくして続けた。
「うむ、それは聞いた。確か、あのあたりで絵師が殺されているとかいう話だったよな」
「そうだよ。去年の暮れから、半年でもう十八人もの絵師が殺されてる。その全てが体中の骨を粉々に砕かれて死んでたって話だから、尋常じゃないよね。しかも、どこにもそれらしい外傷はないらしい」
少年の解説に、狼はちょっと目を丸くした。
「その話は初めて聞いたぞ。しかし、冷血漢のお前でも、一応仲間のことを心配することはあるんだな」
感心したような相棒をちらりと見やって、少年はやれやれと頭を振った。
「明らかに相手が妖だろうから狩りに行くだけだよ。他の地域は知らないけど、僕はこの一帯で最後の封妖画師だったんだ。仲間なんていえる相手なんていないよ。今殺されてるのは職業絵師。描いた絵を売って生計を立てている、いうなれば普通の人だよ。まだ一緒に殺されてる道士連中の方が近い」
つまらなさそうに言って、本当は僕ももう要らないのかも知れないけどね、と続ける。
「いや、それだと絵師を襲った奴は、これからもずっと人を殺すだろう。そういう輩を止めるには、お前のようなものが必要だと思うぞ」
そんな狼の取りなしに、少年は肩をすくめてみせた。あるかないかの仕草だったが、それでこの少年が悪い気はしていないのが判る。
「そう云えば、昔この辺りには
狼はふと思い出して聞いてみた。
彼も最初の頃は少年が里で話を聞いて回るのについて回っていたのだが、途中で飽きてしまって宿屋でごろついていたのだ。
狼の言葉を聞いた怜乱は記憶を辿るように少し口を
「……そんな話は出なかったね。
「いや、俺は面識などないがな。昔、話を聞いたんだ。この辺りを治める主は麗しい雌鹿で、
「その筋って、どうせ妖とかその辺りだろ。僕が話を聞いてるのは人間相手なんだから、そんなこと知らなくて当然じゃない。そもそも、老狼がそれを聞いたのはいつ頃の話なのさ」
問われて、狼は難しい顔で考え込んだ。
長く生きている妖にとって、時間の話題というのは実はかなりの難題である。年を経るごとに時間の感覚は
一度眠り込めばそれこそ何百年もの断絶があることも珍しくないのだが、幸いなことに、狼が長く眠り込んだのはそれよりずっと前のことだった。
「うむ。確か──
「あのね。あのあたりに星が落ちたのって、五百年以上も昔のことじゃない。覚えてる人間なんてそうそういないよ。……それから、彼女はどうなったの」
あきれたように目を
「さぁ。俺が知っているのはそれだけだな。話を聞かないってことは、何事もないか姿を消したってことだ。……ただな、本当に星を落とせるかどうかまでは知らんが、この手の表現をされる妖ってのは、音を操る奴が多いからな。もしそいつがまだこの辺りにいて俺達を敵と
「音……か。確かに、気をつけるよ」
珍しく素直に頷いた少年に、狼が目を丸くする。黒目の多い目をきょとんと見開いて、不思議そうに相棒を眺めた。
そんな狼を見上げて、少年は気を悪くしたようにちょっと眉を上げた。
「何だよその顔は。ところで、その彼女の名前は判らないの」
「おう、聞いたぞ。確か、嶺を駆け星を落とす鹿と云うことで──」
* * *
「
何かにぴくりと反応した女に、男が声を掛ける。
低く胸の奥に響く声に、彼女はこくりと頷いた。
「ええ。また
くつくつと昏い声で女は
彼女の鋭い聴覚は、長い間の暗黒の中で失われた視力を補うように、異常なまでに発達していた。
女──星嶺が腰掛けているのは、巨大な滝を割る岩の上だ。他の音を全て掻き消す轟音の中で、彼女の聴覚は近づいてくる者たちの会話を余さず捉えていた。
彼女の隣、
男は星嶺の手を取り髪を撫でながら、彼女が拾い上げた言葉を繰り返すのを聞いていた。
「……星嶺。今度の獲物はどうやら
「知っているわ、
光を失った星嶺の目に、ぎらりと殺意が燃え上がる。
怒りに
星嶺には傷跡そのものを見ることはできなかったが、触れられたときのあからさまな感触の差は傷跡の醜さを思わせ、胸中の憎悪を一際に
そんな内心を見透かしたように、男は薄く笑っていた。第三者が見れば、それは口調とは全く別の感情を表していることが判っただろう。星嶺も目が見えれば、たとえ姿や声が似ていたとしても、男が彼女の思っているような相手ではないと
しかし、悲しいかな。彼女には男の表情はおろか顔の輪郭すら判別することはできなかった。
当然、彼の冷たい笑みには気付かない。彼女のことを使い捨ての道具程度にしか考えていない、そんな本心が
櫨渦はその笑みとは対照的な、甘い声で囁く。
「そうだ星嶺、共に復讐を果たそう」
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