4/6 腕騒

怜乱れいらん、夜だ」

 狼の声にはっとする。

 どうやらあまりにも動きがないせいで意識が飛んでいたようだ。

「夜? まだ明る──いや、日は暮れてるのか」

 言いかけて訂正する。これは夜が明るいのではない。昼間と光度は変わっていないだけで、枝葉の間から回見える空は闇に沈んでいる。ただ、どこともなく明るく、光源が知れないのだ。

 どこが明るいのだろうと首を巡らせるよりも先に、遠くで風が鳴った。

 狼は反射的に身構え、少年は髪飾り代わりにしていた護身用の短刀でそれを叩き落とす。

 拾い上げると、それが人にきたえられた鉄であることが判る。分厚さから見て、斧かなたかの破片だろう。

「人が鍛えたものだな。どこから飛んできたか見えたか?」

 砕かれた鉄片を見て、狼が短くそれを評する。怜乱は首を振り、軽く辺りの気配を探った。

「飛んできたのは向こう側だったけれど、多分人型じゃないね。でないと、気配がこんな広範囲に拡散する訳がない」

 なんだそりゃ、と狼は眉間に深いしわを寄せた。


             *  *  *


 腹が空いた。どうしようもなく腹が空いた。だからそろそろ『狩り』の時間なんだが、と拘縲こうるいは考えた。

 あの人型にかかっては、気配を消す意味はあまりないらしい。それならば、わざわざ息を潜める必要はないではないか。

 忌々しいあの『封妖画師ふうようえし』か? いや違う、そんな筈はない。あのとき彼奴やつは死んだのだから。あの人型はまた別の誰かだ。

 とにかく、余計なことを考えている暇はない。それでなくともこの身を維持するのは大変なのだ。枯渇こかつしたこの身には莫大ばくだいな精が必要で、大地から吸収するだけでは到底間に合わない。

 今の自分は飢えている。元の力を取り戻すためには、温かい血が、肉が、必要なのだ。

 だが、ここで何かを狩ってしまうと、自分の正体を知らせてしまうことになる。

 ならばあの二人組みを殺して、そのまま養分にしてしまえばいい。

 細っこい人間のちびはともかく、妖の方は相当な年を経たものだ。あわよくば前よりも強大になれるかもしれない。

 気付かれる前に。殺してしまえ。


             *  *  *


 人型と妖は何事かを話し合っている。

 拘縲はそちらへ向かって腕を伸ばした。地面がざわりと波打つ。

「下か!」

 老狼は、何かを考え込んでいる様子の怜乱を小脇に抱え大きく跳躍ちょうやくした。手近にあった枝に取りつくと、地面を見下ろす。


 ──────『腕』が生えていた──────


 無数の、大小さまざまな同形の腕。銀色に輝く作り物じみたそれは、水草か何かに似た動きでふらふらとにじり寄ってくる。

 ──その動きに、怜乱の頭の片隅のが音を立てて繰られた。

「──拘縲こうるい。これか!」

「拘縲?」

 珍しく大きな声を上げた少年を、ぴくりと耳を動かした狼が問う。

「そう、正しくは『拘縲樹こうるいじゅ』、人の血肉を養分として育つ樹木の妖だ。飛龍ぼくが封妖画師になった時、初めて戦った敵なんだよ。封じることは出来なかったから消滅させたんだけど──あの時は山一つ焼き尽くした」

「山、一つだと?」

 老狼は一つ目瞬きをした。

「まさか百年やそこらで復活してくるとは思わなかった……やっぱり命数が尽きかけてると拘束が緩むのかな」

 いったいどういう仕組みなんだと口を開き掛けた狼は、嫌な気配を感じて天を仰ぐ。

「怜乱、見てみろよ。森が明るい訳が分かったぜ」

 狼はだらしない笑みを浮かべて、耳を寝かせた。

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