月光



「……ルーノ。家の中では、あまりはしゃいではダメよ」


私は、王狼の子をルーノと名付けた。

月の光という意味の名だ。

銀色が夜の闇に浮かぶその姿が印象的で、それで決めた。


ルーノを抱き上げ、私は椅子に座った。

大人しくしていたルーノが、私の頰をペロリと舐める。

くすぐったくて、柔らかくて、温かくて。

つい、私は泣き笑いをしてしまう。


ボナパルト様が亡くなって、早くも一ヶ月が経とうとしていた。

今でこそ少しずつ前を見ているけれども……ボナパルト様が亡くなったことを知ってから暫くの間、子どもたちから笑顔が消えていた。

いつも騒がしかったあの家がシンと静まり返っているのを見るたびに、私の心は千々に裂かれた。

悲しいのは、私だけではない……とその度に自分に言い聞かせる毎日だった。


あれから、王国より発表があった。

イエルガー伯爵家次男が率いる騎士団が、王狼の討伐に成功したと。

そのことに、国中が湧いた。

イエルガー伯爵を、英雄視する声すらあった。

それを聞くたびに、私の憎悪の炎が大きくなる気がした。


そもそもで、討伐した者の名の中にボナパルト様のボの字すらなかったのだ。

彼らの底意地の悪さと、国の在り方を見せつけられるようだった。


「……そういえば、前の時もあったわね……」


ふと、そんなことを思い出す。

かつての時も、この件は大々的に広まっていた。

だからかつては興味のなかった私も、知っている。

勿論その裏にあったボナパルト様の死など、全く知らなかったのだが。


「……ちょっと、待って」


けれども、そこでふと……とあることに気がつく。


そもそもで前の生の時に、ボナパルト様は討伐隊に参加していたのか……と。


実際参加していた今回、彼の名前は抹消されている。

だから前の世でも、彼は討伐隊に参加していたのかもしれない。

今となっては、前の世がどうだったのか知る由もないが。


けれども、私は一つの可能性に気がついてしまった。


……元々、ボナパルト様は彼方此方を旅する方だ。

仮に、だ……もし、ボナパルト様が“私と出会わず”そうしていたのだったら……国はボナパルト様の所在を掴めず、依頼をすることができなかったのではないだろうか。


いいや……そもそもボナパルト様は、この地に住んでいたからこそ、志願したのではないだろうか。


……つまりだ。

ボナパルト様は私と出会わなければ……死ぬことは、なかったのではないだろうか。


その考えに至りついた瞬間、身体も心も凍りついた。


ボナパルト様が死んだのは……私の、せい?


違うかもしれない、けれども、そうなのかもしれない。

もう……その真実は分からないままだ。


いずれにせよ、その言葉が私の心に重くのしかかる。


「うそ……」


絞り出したように出た言葉と共に、両の目からは涙が溢れた。


……一体、私という存在は何なのだろうか。


既に罪に塗れ、一度は断罪されたこの身。

けれども生まれ変わろうが、生をやり直していようが、その罪はなかったことにはならないと……その罰だというのか。


それとも、未来を変えようとする罰なのだろうか。


……いずれにせよ、だとしても、何故私ではなくボナパルト様なのか。


答えのない問いかけに慄き、そして涙が溢れる。


目の前が、真っ暗になったような心地がした。

未来に絶望し、過去を悔やむ。

……もう、子どもたちやテレイアさんに顔向けができない……そう、思った。


涙を流し続ける私を心配したのか、ルーノが私の頰を再び舐める。

けれども、私の涙は止まることがなかった。


「……ルーノ」


ふと、下を向けばルーノが心配げに私を見つめている。

そのような目を向けて貰えるような存在ではないというのに。


因果応報、悪因悪果。

この手は、この身は……罪に、塗れている。


ペタリ、ルーノが片方の前脚を私の頰に叩くように押し付けた。


「……ルーノ……」


驚き、私はルーノを凝視したしまう。


“まず……おまえ、さんの……だれの、せいでも、ない。これは……わし、が、じぶん……の、ちから、を……かしんした、せいだ……だ、から……だれも、うらむ、な”


ふと、ボナパルト様の言葉が蘇った。

ボナパルト様の言葉は……私がこの考えに行き着くことを見越してのことだったのだろうか。


……だとしても、それで自分に関係ないと開き直れるほど、おめでたい性格をしてはいない。



“じぶん、の……ちからを、しんじて、すすめ。おまえ、さん……なら、どんな、こんなんなことが、あろう、とも、だいじょう……ぶだ”


同時に思い出した、ボナパルト様の言葉。


許されるとは思わない。

罪を背負っていることには、変わりがない。



「……もう、進むしか……ない。行き着く先は地獄かしら?それとも、煉獄?」


そう呟いて、クスリと笑った。


……未来を変えるということは、こういうことなのかもしれない。

私という存在があること、悪意ばかりのこの世界で生きることはこういうことなのかもしれない。


「ごめんなさい、ボナパルト様。私は、最初の言葉はお守りすることができません」


私は彼らを恨むし、その原因を作り出した自分も許すことはできない。


「ですが……進みます。行きたく先が、地獄だろうが、煉獄であろうが」


彼らを道連れにしてでも、私は……師匠の望まなかった道を進むことを、決めた。

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