植物地区 4

 きっかけとなったあの豚の亡骸から遠く離れても、人骨は途絶えることなく沈んでいた。


 まるで底を埋め尽くすように、いや底を人骨で作ってるかのように、夥しい数が、途絶えることなく沈んでいた。


 この有様だと、それが外周ぐるりとなれば数は百じゃ済まないだろう。


 彼らの血肉が腐った残りか、底のヘドロが舞う。綺麗に見えた水も、中に入ればやはり濁っていた。


 戦時中はもっと酷い水にも潜ったが、だからと言ってここの水が心地いいとはならない。


 かぶれなきゃいいが、と思いながら何度目かのサルベージから戻る。


 ……今引き上げたのを加えて、びしょ濡れになった石畳の上には、一組の人骨が横たわっていた。


 その横には錆びた鉄の何かや、鎧の残骸らしき何か、それとまだ組み上げられてない他の骨の山が積まれてあった。量だけなら三人分はあるだろうが、同一人物としてより分ける作業は、後回しの骨だった。


「これで揃ったか?」


「まぁな」


 ダグの応えを聴きながらふんどしを絞り、水気を切ってからダグから着物を受け取る。


 こう言う時、全身に毛のないヘケト族は便利だ。拭かなくてもすぐ乾く。


 で、着物を着直し、刀を挿し直し、荷物を背負い直すと、しゃがんで検死するダグの横に並んだ。


 ……見ても俺にわかるもんじゃない。せいぜい指が欠けてるとか、背丈が俺よりでかそうとか、濡れてるとか、問題外の情報しかわからなかった。


「……こいつは成人男性、骨は太いし歯も揃ってるから若くてがっちりしてただろう。病気の痕は見当たらないが、骨にはいくつもの骨折の跡、ただし治癒してるのもある。加えていくつもの傷が見て取れるが、致命傷とは言えない。死因は十中八九、こいつだ」


 そう言ってダグが指差したのは右の一番下の肋骨だった。


「内側に傷、深い。おそらくだが正面から腹を刺されて、貫通してできたんだろう。角度的には内臓やら肺やらやられて、まぁ助からないダメージだった。傷つけたのは鋭利な、それに硬い刃物だ。少なくとも竹槍じゃあ無理だな」


 野球のカケラもない言葉は、それだけダグも真面目に診てるという証拠だろう。


「死んだのはどれくらい前?」


 周囲を警戒しながらのバニングさんの問いかけに、ダグは首を振る。


「わからん。そこまでは専門外だ。ただ言えるのは、こんな水の中じゃあ酸素が足りずに分解する微生物も増えないだろうし、もしも増えてたとしたら新たな生態系が未だに残ってるはずだ。それがないことを考えても、少なくとも一年や二年じゃ無理だな」


「二十年は?」


「そりゃ、ない話じゃないが、よくわからん。逆に骨は腐らず長く残るからな。以上はわかっても以下は本当にプロ待ちだ」


 言ってダグは骨へ、亡骸へ目を瞑り、短く経を唱えた。


「水葬、はないわね」


「ないだろ」


 無意識のうちに俺は、バニングさんに同意していた。


「今でこそこうだが、死んだばかりを入れた日にはもう、すごいことになる。血や肉はもちろん、腹の中身は本来下の下水道に流すべきものが詰まってんだ。それ一人分でもう、酷いぜ」


 戦場で嫌というほど体験してきた。思い出したくもない思い出だ。


「……ここで死体を始末するなら、人道的にはあっちの草原に埋める。効率的には下水に流して再利用だろう。少なくともここでの生活を考えるならば、間違っても自分も使うであろう水源を汚すようなことはしないだろ」


「……なら、何で、誰がこんな酷いことを」


 冷たく静かな声は、少し離れたとこにいるケイからだった。声が若干上ずって聞こえてたが、それを未熟と呼ぶのは酷というものだろう。


「無難に考えたらあのゴーレムたちにやられたんでしょうね」


 バニングさんが淡々と応える。


「でなきゃ自分で飛び込んだ。ゴーレムはバカだから、水の中で上手く移動できないのよ。水流とか抵抗とか複雑すぎて反応できない。それに見てきたとおりあいつら土くれだから、濡れたら溶ける。危なくなったら飛び込めばそれ以上は追っては来ないわ。それを知ってて手負いから水へと逃げて」


「ないな」


 ダグが否定する。


「この傷この深さなら自力での移動は無理だ。誰かに引きずられて、ならわかるが、それでもこの数だ。陸地で死んだのも投げ込んだと考えた方が自然だろう。ゴーレムが暴投かなんかして投げ込んだ可能性は?」


「無い、とは言い切れないけど、言った通り水は苦手だから原則近寄らないように命令してある。だからわざわざそうなるように命令し直さなきゃ無理、つまりは人為的な行為ってことになる。まぁ、地脈でイかれたのがやったってのは、ありえるけどね」


「まだそのことを蒸し返すんですか?」


 棘のあるケイの言葉……それに返事は無く、沈黙が続く。


 ……別に、軍にいたのならこのご時世、死体には見慣れてしまう。これはそういう仕事だし、入り口での襲撃もあった。そもそもが二十年だ。それだけあれば怪我、病気、事故、事件、あるいは寿命のくるやつはくるだろう。死体が無い方が不自然だ。


 それを踏まえても、この亡骸は、数は、異常だ。


 死者への冒涜、いや、むしろこれは無関心な感じがして、嫌な気分だった。


 そう思うのは、未熟さの表れだろう。


「……上に、戻りましょう」


 沈黙を破ったのはケイだった。


「そうね。考えてたって今は答えの出しようがないしね」


 バニングさんも続く。


「それには賛成だが、問題は道があるかってことだけど」


「あったわ」


 俺の疑問にバニングさんが即答する。


「そこの橋を渡った先にまたトイレがあってね」


「おい、一人で行動するな。豚があの一頭だけとは限らないんだぞ」


 俺の忠告にバニングさんは肩をすくめる。


「ちゃんと安全確認してたわよ。実際安全だったし。それで中に入ったら、上に上がれそうな道があったのよ」


「また変なとこに作ったな」


「それが言う通り、変なのよ」


 ダグの言葉にバニングさんは頭を掻く。


「ここに滑り落ちてきた時の坂があったでしょ? あれとおんなじ構造なんだけど、そこに竹を切ったのを組み立てて階段にしてあるの。それも埃や汚れがないからかつい最近まで使われてたんでしょうね」


「ゴーレムか?」


 俺の問いにバニングさんは首を横に降る。


「そこまでゴーレムは器用じゃない。見ればわかると思うけど、作ったのは間違いなく人間よ」


 言い切られ、漠然と入り口でのことを思い出す。


「あの、仮面のやつとかか?」


「バカ言うな。あれは明らかに二十より歳下だったろうが」


 頭ごなしにダグは否定する。


「ない話じゃないだろ。ここに人がいたんなら、そいつらが子供を産んだ可能性だってあるだろう」


 口にしてハッとなる。


 ……が、ケイは無反応だった。


「言っててもわかんないものはわかんないわよ。わかってるのは上に上がれそうってことだけ。なら、やることは一つでしょうが」


 バニングさんに言われて、それはもっともな意見だった。


「じゃあとにかく今は、そのトイレに向かうということで、案内するわ」


「おい」


 一歩踏み出そうとしたバニングさんをダグが止める。


「何よ」


「何よじゃない。先ずはこちらさんだ。勝手に水揚げしてこのまま野晒しってわけにはいかんだろ。せめてそこに簡易の墓でも作ってやんないとな」


「……そうね」


 そう言ってバニングさんは俺を見る。


 ダグも俺を見る。


 ケイ……は見てるかどうかはわからないが、こっちを向いていた。


「……何だよ」


「あたしのナイフは精密作業用で折れちゃうわ」


「オレは、バットしか持ってない」


「すみません。そもそも手が地面に届きません」


 そう次々に言ってから、揃って骨の山を見る。


「……あぁそうかよ」


 言って刀を引き抜き草原へ突き刺した。


 水泳の次は墓穴掘りだった。

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