第35話 黒い化け物
ソレはのそりと立ち上がり、こちらを見据えた。
真っ黒な体躯に金色の光が2つ、それが雷鳴のような声を漏らす。
「…ヒッ…」
慎吾の喉から小さく悲鳴が漏れた。
その瞬間、ソレは動く。
黒い蛇にも似た尾が大きく弧を描き、次の瞬間には慎吾の体が尾によって撥ね飛ばされて近くの樹に叩き付けられた。
「がっ…!!」
肺の中の空気が強制排出され、軋む音が体内から発生した。
飛びかけた意識を何とか繋ぎ止めた慎吾は、倒れそうになるのを踏み耐える。
といっても既に意識は朦朧とし、足も激しく震えている。
いや、足だけではない。
全身が激しく震えている。
怖い。
その言葉が慎吾の頭を支配した。
「……なんだ…おまえ…」
慎吾は激しく混乱していた。
この世界に来て恐怖を感じたことはなかった。
どの勇者よりも強く、元々持っている怪力に神の祝福が加えられた慎吾はそこらにいる人なんか赤子同然で、今まで出会ったどの魔物にも高揚感こそあったが恐怖なんてものは微塵も感じなかった。
それがどうだ。
今、慎吾は恐怖に支配され震えが止まらないでいる。
元の世界でも感じたことのない恐怖で呼吸さえもままならない。
小さく呼吸を繰り返し、心の中で何度も逃げようとした。が、体は何故かピクリとも動かず、その金色の光から目を逸らすことすら出来ない。
その時ソレが動いた。
ソレの足元に倒れたアイツ、ライハに視線を移し、尾を体に巻き付けていく。
尾は大きく膨らみ歪んでみるみるうちにライハを呑み込み、そして尾は元の形へと戻っていく。
そこに、ライハの姿はなかった。
どこへ行った。
そう思ったときには慎吾の中で既に答えが出ていた。
「…………喰われた」
跡形もなく。
再び金色の光が慎吾を捕らえたとき、心の底から沸き上がる恐怖に耐えきれず悲鳴をあげた。
逃げないと僕もアイツと同じように食われてしまう。
切断された手首の事も忘れて慎吾は逃げ出した。
とにかく、できるだけ遠くへ。
持てる限りの力を使って逃げた。
体の痛みなど感じている暇もなく、ただただこの恐怖から逃れたくて無我夢中で足を前へと出す。
早く早く早く早く早く。
狂ったように心臓が脈打ち視界さえ波打っているように感じ始めた時、遠くの方に人影が2つ。
一瞬、スイ指導長とユイかとも思ったが、それにしては人影が小さい。
誰だ。
いや誰だっていい。
あの二人がこちらに来れば、もしかしたら狙いが逸れて助かるかもしれない。
そんな考えが頭を過り、ほんの僅かに気が抜けその瞬間、白い光と共に全身が貫かれた衝撃が襲い視界が暗転した。
◇◇◇
全身に悪寒が走った。
心臓を鷲掴まれるような、心の底からの恐怖。
「…………」
湯井信明が消火後の燻った地面から視線を上げると、スイが目の前で固まっている。
恐らくスイも感じているのだろう、この今までに感じたことのない程の禍々しい魔力を。
スイが不味いと小さく言葉を漏らした。
「…ユイ様、戻りますよ!!」
「はい!!」
大急ぎで来た道を引き返し走る。
巨大な魔力は元来た道よりも少し離れていはいるが、残してきた面子の中にはシンゴがいる。アイツがこの魔力を前にしてじっとしていられるわけがなかった。
恐らく今ごろテンション高くあの魔力へと突撃しているに違いない。
脳裏には既にそのイメージが出来上がっていて、さらに返り討ちになっているのも予感ができた。
その時、前方から緊急の矢が空へと放たれるのを見てますますスピードを上げる。
「?」
その時、木々の間から上空に二本の光の筋が見えて首をかしげる。なんだアレ。
「アヤ様!コノン様!」
スイが二人を見付けて声をあげた。
「スイ指導長!!」
「スイさん!!」
ノノハラとコノンがこちらに気付いて声を掛けてくる。
コノンは地面に手をついて顔を青ざめさせ、ノノハラはとある方向に剣を向けて警戒している。傍らに片手弓が落ちているのを見て、あの矢はノノハラかコノンのどちらかが射ったのだろう。
そして、辺りを見回して気付いた。
シンゴとアマツがいない。
「…二人は?」
「…………ごめんなさい…」
「え?」
突然コノンが目に涙を溜めて謝り始めて困惑した。なんでコノンは謝っているんだ?
「……二人は、あそこだ」
ノノハラが剣先を警戒している方へと向けた。まさか…。
「ごめんなさい!わ、わたしが!わたしが二人に行ってきて下さいって言ったんです!!でもっ、まさかこんなことになるとは思わなくて!!」
「実は、スイ指導長とユイが離れた後、シンゴがアマツに話があると言ってきたんです。なんかアイツ今回やたらソワソワしてて気持ち悪かったし、アマツは嫌がってたけど…ここで喧嘩されるとめんどくさかったから行けって言っちゃったんです」
「わたしは…、ようやく二人が仲良くなるチャンスかと思って…、そうしたらアレが」
溢れる涙を拭いながらコノンが指を指す。そこには探索魔法で映し出された光景が。
黒い化け物。光を一切反射しない、そこだけ切り取ったかのような黒に金の瞳がふたつ輝いている。
そして足元にはアマツが倒れており、シンゴも顔を恐怖で歪め腕から先を血に染めていた。
「これは、今の光景ですか?」
スイの質問にコノンが横に首を振る。
「少し前のです…。なんか魔力の流れがおかしいのに気付いて覗いてみたら…」
「この魔法は写真のようにその瞬間の光景しか写し出せないからな」
再び嗚咽を漏らし始めたコノンに代わり、ノノハラが説明を始めた。
「どうしてこうなったのかは分からない。どうしようかと考えていたら、突然…」
「…突然?」
「空から2つの光が飛んできて魔力の濃いところへと落ちていった…。新手かも知れないと、それで矢を射ったんです」
脳裏に二人に合流する前の空に走った光の筋を思い出す。
「
しばし考えこんだスイは小さく頷くと顔をあげた。
「…確かめましょう」
四人は辺りを警戒しながら魔力の濃い方へと急いだ。
あの化け物がなんなのかは分からないし、スイも知らない魔物だと言っていた。でも確かめないといけない、二人がまだ生きているのなら合流して、あの化け物から逃げ切らなければ。
いつでも抜けるように柄に手を添えて化け物の魔力、そしてシンゴの魔力を探っていると違和感を感じた。
魔力が所々渦を巻き始めている。
「スイさん…、なんだか魔力がおかしいです」
魔力の流れに鋭いコノンも気付いて、スイに話し掛けた。スイの顔色が悪い。
「……クローゥズが発生し始めましたか…」
「クローゥズが!?」
クローゥズとは魔力の渦巻きである。
地形によって魔力の溜まり場や、巨大な魔力が複数衝突したときに発生する魔力災害の1つだ。
大きさは様々であるが、それが発生しているところは景色が円状に歪んで見え、非常に強力なものになると中心が真っ黒に染まり触れたものを呑み込んでいく。
前の遠征で一度だけ見たことがあるが、それが発生した後は悲惨なもので、クローゥズが自然消滅した後にはあちこちに巨大なクレーターのようなものを残していた。
ちなみにここ、クローズの森は“クローゥズ”の自然発生率が桁違いという事で、ついた名前だと聞いた。
「絶対に触れないようにしてください。触れてしまえば吸い込まれて消滅してしまいますよ!」
「はい!!」
スイさんが警告を発し、しばらく進むと中心が真っ黒のクローゥズが複数現れ始めた。クローゥズはゆっくりと回転しながら触れた木々を物凄い力で呑み込んでいく。
そんな光景を横目で見ながら進み、ついにソレは現れた。
まず見えたのは体に青白い火花を散らせながら倒れるシンゴ。そしてその背後にはあの化け物がいた。
ソレを見た瞬間体が硬直し、冷や汗が噴き出す。
怖い。
その単語が頭のなかを支配するが、視界のはしに何かが動いたの気が付いた。
「…?」
見やると、そこには白いローブに身を包んだ二人の女性の姿。双子なのか、顔が良く似ていた。
そこまで思ってからハッとする。
化け物に襲われる、と。
化け物は目の前にいる二人をしっかりと見ており、時折ゆっくりと尻尾を揺らした。
一人の女性が口を開く。
「ごめん、ギリギリ間に合わなかったよ」
もう一人が続けて口を開いた。
「でもまだ完全に呑まれてはいないからね、私達はお前を逃がしに来た」
グルルと化け物が唸り、姿勢を低くした。それは獣型の魔物がよくやる飛びかかる前の体制。
彼女たちが危ない、そう思うのに何故か体は金縛りのように動くことが出来なかった。
二人はそれぞれの片手を合わせ、大きく息をすう。そして静かに、しかしはっきりと言葉を紡ぎ始めた。
「出来るだけ、遠くへ…」
「地の向こうの果てまで…」
「見も知らぬ地へ」
「君の安らぎを信じて」
「力の限り」
「送り届ける」
「君、『アマツ・ライハ』を」
「安寧の地へ飛ばそう!」
二人は空いた方の手を高く上げ、そして勢い良く化け物へと振り下ろした。
途端、化け物以上の魔力が二人から噴き出しその魔力は化け物を包み込む。
異変に気付いた化け物が、その魔力から逃れようと脚に力を入れたとき、地面から巨大なクローゥズが発生した。
「飛ばせ!《クローゥズ》!!」
ズブズブと化け物がクローゥズの中に沈んでいく、化け物は身をよじり暴れるがクローゥズの力の方が強い。
いくら抵抗しても無慈悲に飲み込まれていくその光景は、動物が抵抗虚しく底無し沼に沈んでいくのに似ている。
大量の空気を吸い込むような音を発しながらクローゥズは化け物を全て呑み込み、渦が歪むと煙のように霧散して消えた。
まるで夢を見ているようだ。
いつの間にか周りにあった複数のクローゥズも消えており、クローゥズが発生させていた風によって舞い上がっていた葉っぱがパサリと気絶しているシンゴへと落ちた。
「………、…え?」
思わず漏らした言葉に答えるものはいない。いるとしたらクローゥズを操った彼女たちだったろうが、気づけば彼女たちの姿は消えていたのだった。
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