第175話 クリームまみれ
香ばしい匂いは確かに漂っていた。
けれど、教室に入ったらクレープが飛んでくるとは予想もしない。そんなことを予想できる人間がいるなら、すぐにでも予言者になれ。
「な、ぶぁっ!」
反射的にキャッチはしたが、中のバナナと生クリームが顔面にぶち当たる。しっかりとミルクの風味がある美味しいクリームではあるが。
「まさ、んぐ」
あさまが叫びそうなので手に残った生地を口に突っ込んでおく。間違いなく飛んできたクレープはオレを狙っていたので黙っててもらおう。
「おいし」
「申し訳ない! 手が滑った!」
教室の中央でクレープを焼く男が言った。
甘ったるい匂いが漂って朝っぱらから休日みたいな空気だった。クラスメイトたちはそれぞれクレープを食べながらこちらを無表情に見ている。よくわからないけど、怖いんですが。
「手が滑ったならしょうがない」
オレはそう言いながら顔にへばりついたバナナを食べる。なにやら歓迎のイベントがはじまったらしい。古典的な机に落書きでは不十分だということになったのだろうか。
クレープでいじめとは新しい。
「お代はサービスしてくれるんだろ?」
「もちろん、新しいのを作るさ、なにが食いたい? メニューにあるものならなんでもいいぜ?」
「そうか、じゃ、カスタードクリームのを」
「カスタード一丁!」
威勢のいいかけ声と同時に男は鉄板に生地を垂らし、手際よく広げて、さっと火を通したところでクリームを絞り華麗に折り畳んで包んで、こちらを睨むと飛ばしてきた。
「手が滑った」
オレはそう言って、飛んできたクレープを男の顔面に向けて軌道修正、空中で急旋回させられたクレープはその薄い生地を破れさせ、中のカスタードをぶちまける。
「クレープ・イン・クレープ!」
だが、男は予想していたかのように新たな生地を焼いてそれを受け止めていた。二重になったクレープがオレの手元に戻ってくる。
「手が滑ったんじゃあ仕方ない」
男はニヤリと笑った。
「悪いね。手間かけさせて」
オレはクリームまみれの顔のまま、クレープを食べる。うまいんだけどさ。なんだろうな、この流れ。一から十まで意味がわからん。
「それは挑戦状代わりだ」
男は新たな生地を焼きながら言う。
「高等科一年の一位を取らせてもらった。
「……」
そう言われてもな。
「なぜクレープを焼くかって?」
「聞いてない」
「そうだな、やっぱり笑顔がみたいからだ」
聞いてもいないのにサモンは喋りだした。クラスメイトたちは次々に焼きあがるクレープを食べているのでツッコミすら入らない。
「わたし、この全部のせで」
あさまに至っては注文してるし。
「焼きたてのクレープを前にして、人は怒りも哀しみも忘れ、ただ喜びに浸る。そこに敵も味方もない。客も店員もない。そうだろう?」
「そうだろうか?」
少なくともオレは客だと思うが。
「そうなんだ。だから、おれはクレープを挑戦状代わりにする。これから苦痛を与える前に、人生最後の喜びを与えてやろうという、慈悲であり、サービスだ。サービス精神旺盛だろう?」
「そうなんだ」
ポリシーは勝手にしてくれ。
一気にクレープが不味くなってきて、食べなきゃ良かったなと後悔しつつあるけど、そういう気持ちもサービスなら仕方がない。
「正生、すごい。バナナとイチゴとモモとキウイとリンゴが薄切りで重なってる。はじめての食感と混ざり合う果汁のハーモニー」
あさまは喜んでいるし。
この会話の横で普通に食ってるのがすごいよ!
「幸せそうだな全先」
サモンはクレープを三口で食べきってメニューを見ているあさまに目を細めて言う。なぜか教室内に屋台があって、クラスメイトがみんな朝からクレープを食べている、謎の光景。
「いや、そんなに幸せでもないよ今」
クリームまみれだからね。
「わかってる。わかってるんだ。彼女が全先を選んだことは、おれは祝福する。祝福のクレープを焼いて、二人の新生活を包み込む」
「包み込まなくていいから!」
いい加減に噛み合わない。
「いいんだ! 球磨先生を幸せにする役目は譲る! だから、おれにランキング一位を譲ってくれ! そうすれば、二人の新婚初夜のシーツだろうがなんだろうが焼くさ」
サモンはそう言うと、唇を噛む。
「クレープで!?」
「絹のような寝心地を約束しよう」
「このチョコレートの」
「なんだ、朝から騒がしいぞ?」
伊佐美が教室に入ってきたのはそのときだった。直後に予鈴がなって、クラスメイトたちは席に着く。あさまは注文したものを受け取って着席して食べている。
「D組の枯戸、なにやってるんだ? 教室で」
立っているのはオレとサモンと伊佐美。
「宣伝をかねて出張クレープ店を、球磨先生もひとついかがですか? 幸せの味がしますよ?」
「いや、先生はいい」
伊佐美は普通に断った。
「ホームルームをはじめるから片付けてくれ」
「はい」
サモンは明らかに落ち込みながら、屋台を引っ張って教室の窓に向かう。そして、窓を開けると、屋台の車輪が格納され、そのまま空へと飛び立つ、一瞬にして見えなくなるほどの速度。
意味もなくハイテクすぎだろ。
「全先、顔を洗ってこい」
「はい」
伊佐美に会いたかっただけ?
「マッサキ、ホンットヒサビサッ!」
次の休み時間、野比は特に変わった様子もなくオレに普通に話しかけてくれた。それだけのことがとても嬉しい。
「久々! この間は悪かったよ」
オレたちは意味もなくハイタッチする。
もう敵ばかりなのかと。
「なんのことだ?」
「実はさ……」
男に近づけない呪いにかかってたことを説明した。あさまがテストに来なかったのは、それを解呪するための修行だったことを含めて。
テストを休んだあさまは追試で別室である。
「そんなことになってたのかよ。そりゃ言えないよ。気にするな。こっちは全然気にしてなかったからよ! 意外と小心だなーマッサキは」
野比はバンバンとオレの肩を叩く。
「いや、もう。小心なんだよ。色々バタバタしてて、落ち着いて話もできなくて気になってたんだ。友達が少ないからさ」
この島で友人は貴重だと感じている。
「心配するな、おれだって多くないよ!」
「ふふ、久里太くん、一位になって警戒されてるかと全先くんを心配してたの。応援しようって決めたのが逆に良くなかったとかね?」
わざわざやってきた高柳さんが微笑んでいる。
「言わなくていーよ。静香ちゃん」
「それにしても、あんた、あの子と上手くやってるみたいね。それが意外だったわ」
深大寺が言う。
「なんか昔に戻ったみたいだった」
「昔」
兄が死ぬ前ってことか。
一位を陥落してから、あさまは学園には来ていない。呪いまくって嫌われていたことを含めて、徐々に取り戻していって欲しいと思うし、協力もしたいと思っている。
オレが出しゃばるのも逆に微妙だろうが。
「湿っぽい話はよそう。追試が終わったところで本人と話もしたいしよ。それより、高等科のテスト結果は色々と番狂わせっつー感じだったって話だよ。枯戸が勉強できるなんて聞いたことなかったし、二年は黒血ヶ原先輩、そして三年は」
「
野比の言葉に、高柳さんが合わせる。
「遂に復活したかって感じよね」
「げんじつ? だれ?」
なんか知らない人間ばっかり出てくるな。
「前ランキングから出たヒーローと、最後まで争ってた相手のひとりだ。その戦いで無茶してたみたいで、かなりの傷を負って静養してたんだけど、しっかり勉強して準備を整えてた。昼休みにでも挨拶に行っとこうぜ?」
「挨拶?」
「礼節を重んじる人なのよ」
深大寺が言う。
「ちゃんとしないと、勝とうが負けようが再起不能になるわ。あの人はある意味でヒーローを目指してないから厄介」
「そうなんだよ」
「そうなるのよね」
三人はそれぞれ頷いているが、オレには話がさっぱり見えてこない。単純に強い、というのとは違う話なのだろうか。
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