第170話 お墨付き

 気持ちを立て直そう。


「……わかりました」


 マリナの要求をあさまは飲むことにした。


「え? わかっちゃったの?」


 正生が驚く。


「ただし、この件は秘密ですから、わたしに言ってください。こちらで時間を調整する形に合わせて頂けるなら、なんとかします」


「よろしくお願いします」


「ええ、こちらこそ」


 頭を下げるマリナを見つめながら、あさまは自分の中の嫉妬心に変化が出てきたことを感じる。貸すのだ。奪われるのではない。


 コントロールできる。


 自分が主導権を握っている。気持ちも立場も上に立てる。不安を覚える必要はない。女鬼たちに報酬として与えるのと同じことだ。


「今日は、これで、失礼します。あの、私、見ませんから、あとはお二人で楽しんでください。お邪魔しました。本当にすみませんでした」


 マリナはそう言って森の中に消える。


「見ないって言ってもなぁ?」


「帰りましょう」


 正生の言葉に頷いて、あさまは歩き出す。


「怒ってるよな? うん、そのやっぱり黙ってるべきじゃなかったと反省してる。ちゃんとみんなにも伝えて、このことはオレから謝るから」


「言わなくていい」


 そう言って、普通に裸で歩く夫を見る。


「言わなくていいって……」


「言わないで」


 あさまは強めに告げる。


「性欲が見えることは、正生とわたしとマリナだけが知っていればいい。それで十分」


「でもさ」


「考えてみて」


 反論しようとする正生に畳みかける。


「知ってしまったら、みんなの正生への好意に疑問符がつくの、ね? 自然な性欲さえ、だれかの性欲を持ってこられたかもしれないと疑わなければいけなくなる。それは幸せ?」


 それはあさま自身の本心でもある言葉だった。


「……」


 正生は沈黙する。


「正生のことが好き、正生と愛し合いたい。その気持ちと性欲は切っても切れない。わたしだってそう。それは相乗効果」


 好きだから愛し合いたいのか。


(似ているようで、違う)


 愛し合いたいから好きなのか。


「だから、性欲だけ外から持ってこられる能力は、逆に気持ちがウソになりかねない。正生がみんなを好きなら、これは自分の胸にしまっておくべき。そうでしょう?」


「う、うん」


 あさまの言葉に正生は頷く。


「もし、性欲だけを持て余すなら、わたしに使って。仮に気持ちのない性欲だけでも、わたしを抱くなら、それは夫婦としては正しいことだから」


「いや、そんなつもりは」


 正生は首を振る。


「わかってる。もちろん。そんなことはしないとわたしは正生を信じてるから、言うの、ね?」


「あさま」


 正生はそう言って手を繋いできた。


「なんか、余計なものまで背負わせてごめん」


「いいの」


(これで正生は、わたしから離れられない)


 あさまは心の中でほくそ笑む。


 確実に他の妻たちを一歩リードした。


 二人だけの秘密を共有し、ゆるやかな約束を結んだ。性欲だけなら自分に使うように誘導した。性欲の鬼を飲むまでもなく、正生の性欲が強かったのは事実、潜在的にあらゆる女に子供を産ませたいと思っている白い獣が中にいるのも事実、その手綱を握ったのだ。


「ところで、性欲ってどう見えるの?」


「あー、白いもやみたいな」


 あさまの質問に、正生は目線を逸らす。


「なにその反応」


 まだなにか隠してるのかと追求する。


「いや、言っちゃうと、今のあさまから出てる」


「! 出て!?」


 あさまは思わず胸元を押さえようとする。


 慌てて出てきたので、外套の下は裸だ。性欲かどうかを意識していなかったが、怒りにももちろん混じっていたことは疑いようがない。


(なんていやらしい能力)


「うん。ごめん。さっきは途中だったから仕方ないよ。オレだって、いや、そうじゃなくて」


「帰ったらつづき、ね」


 照れ隠しのように、あさまは言った。


「でも」


「マリナとした回数分以上。わたしの性欲を使っていいから、ね? 寝かさないから」


 夕方になろうとしていた。


 空腹感は多少あったが、もうだれにも邪魔させないとあさまは正生と屋敷の離れに閉じこもる。目の前で夫を他の女に抱かれたという悪夢を塗り替えるべく、初体験から間もないと言うのに、積極的に性行為に挑んだ。


 みひろより長く、マリナより激しく。


 二人そろって倒れるまで。


「ん、んんっ」


 目を覚ましたのは深夜だった。


「五十鈴あさまとやら」


 凛とした女の声がする。


「!?」


 思わず起きあがると、枕元に十二単の女、扇子を広げて顔を隠して座っていた。状況が飲み込めない。まさか正生が連れ込んだかと隣を見るが、裸の男とは片方の手を繋いだままだ。


「妾は色姫」


 顔を見せずに女は言う。


「いろひめ?」


「その方らの祖先が性欲の鬼として封印したものじゃ。今は隣の男の身体の中に住もうておる。こうして夢を通じて語りかけておる」


「夢?」


 あさまは思わず自分の頬を抓ったが、確かに痛くはなかった。考えてみれば、身体に疲労も感じない。倒れたときはもうグチャグチャだったはずだが、不快感もなかった。


「妾はその男の目を通じて、見ておった」


「見て……」


 あさまは赤面する。


 よほどマリナに見られていたのが恥ずかしかったらしい。夢の中でまでそんな話になるとは、変な性的嗜好が目覚めてしまったのではないか。


(夢だから)


「ほほ、恥ずかしがらずともよい。妾は見切った。そなたには色狂いの才がある」


「はい? 才?」


「この男とお似合いじゃと言うておる」


「そ、そうでしょうか? わたし、他のみんなに比べたら、個性がないというか、年上の色香も、年下の幼気さもなくて、正生にすぐ飽きられるのではないかと」


 あさまは思わず相談してしまう。


 ちょっと誉められたので嬉しくなっていた。


(夢だけど)


「悩まずともよい。そなたに良いものを授けよう。まじないを使うものならば、役に立つはずじゃ。精進せよ。そなたの色ははじまったばかり。まだまだ強くなれるからの」


「いろひめ」


 ブブブブブブ。


「ん、あ」


(夢だった)


 枕元に置いていたヒロポンのアラームで本当に目を覚ましたあさまは、しかし、身体に奇妙な異変を感じる。お腹の辺りが重い。


「あさまぁ」


 寝言で抱きつく正生をはがして見てみると、へそに向かって奇妙な模様が浮かび上がっていた。見たことのない形だったが、それが呪符などに使われるものに酷似していることはすぐにわかる。迂闊に触れない。


 これは一体なんなのか。


「あさまぁ」


 正生の手がその模様に触れたのは直後だった。


 その掌から流れ込んでくるじんわりとした熱にあさまは思わず飛び上がって、そのまま一気に天井をぶち抜いた。裸のまま。


「な?」


 軽く、跳ねただけなのに?


 屋敷の奥、周囲を林に囲まれた小さな庵なので、だれが見るというものでもないが、あさまは縮こまり。開けた穴から、ドンと再び布団の上に着地すると、その反動で、正生が跳ね起きる。


「なんだ? 襲撃か?」


「正生」


 パラパラと屋根の破片が落ちてくる。


「色姫が出てきたのか」


「知ってるの?」


 夢の話をすると正生はすんなりと理解した。


「性欲の鬼を飲んでから、頭の中にな」


「いるんだ」


「なにを言われたか知らないが、そんな腹に落書きをするなんてオレが許可、しな、あれ?」


「見えなくなってる」


「……」


 正生が無言で頷いた。


「なんか、それでオレの生気を吸うらしいよ」


「よく、わからない」


「腹だから、オレとセックスすればするほど生気を吸って、あさまは活力に満ちるんだそうだ。呪力にも身体能力にも転化できるとかなんとか」


「お墨付きってこと」


「え?」


「正生のお墨付き!」


 あさまは言いながら抱きつく。


 ただそれだけでじんわりとおなかが熱くなり、力が湧いてきていた。意味がわかってきた。これは独占欲を満たす術なのだ。


「ちょ、ま、こっち力抜ける、抜けてるっ」


(その気になれば正生の自由を奪える)


 性的に支配できる。


「……」


 思わず口元が緩んだ。


「なんで、笑ってんの? 怖いんですけど?」


「心配しないで、ね?」


 あさまは言う。


「わたし、強くなるから」


「なに言ってんの!?」


 あさまの気持ちは完全に立ち直っていた。

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