第136話 心の強さ

 マタを連れてきたのは正解だった。


 雲に届く巨人を前に逃げまどう人々をそのセンサーで的確に探し、速やかに避難させることに成功したのはヒーローロボットとしての完成された設計思想の為せる技だった。


(教え子の諍いを止めにくれば、なんだ)


 機関に応援を要請、避難の陣頭指揮を執りながら、伊佐美はその肝心の教え子たちが見つからないことに焦っていた。正生は自分でなんとかできる力があるが、あさまやリリはそうではなく、同行しているクッキーに至っては子供である。


 危険だ。


(巨人に巻き込まれていないだろうな?)


 巨大な土の塊。


 山そのものが動き出したというサイズが相手では下手に戦闘をはじめると周囲への影響が計り知れない。周辺に人がいないことを確認してからでなければなにもできないに等しかった。


 動きが緩慢なのが救いである。


「球磨先生、一帯の住人の避難はほぼ完了しました。あと見つかっていないのは五十鈴みひろ、五十鈴あさま、羽黒リリ、クッキー・コーンフィールド、全先正生の六名になります」


 報告に来たウルフ一家の次男、慈狼は言う。


「捜索を続行するなら弟たちを残しますが」


「いや、いい」


 伊佐美は答えた。


「あとはこっちでなんとかする。とりあえず予想被害範囲外への避難を優先してくれ。あれが動き出したらことだからな」


「了解しました」


 慈狼は首肯した。


「しかし、我々もまだまだです。あれと自分たちだけで戦えるという気はしない。ヒーロー解任も仕方がなかったのかもしれません」


「そんなことはないさ」


 伊佐美は罪悪感を覚えながら言う。


「巨大な相手と戦うための空気熊だ。ただの役割分担だよ。ウルフ一家はすぐにも再任される。今日の件でも、人命救助などには圧倒的に長けているのはわかるからな」


「兄が聞いたら喜びますよ」


 慈狼は頭を掻いた。


「先生のファンでしたから」


「逸狼によろしく」


(すまない。ほとんど正生のとばっちりで)


 去っていく背中を見送りながら、伊佐美は恥ずかしさに顔から火が出そうだった。もっともらしいことを言って恥知らずもいいところだ。自分も彼らの解任の一端を担っているのだから。


(正生は捕まえておかなければ)


 そして決意が新たになる。


(自由にさせておくとロクなことにならない)


 帰さない。


 そんな方法を考えなければならなかった。悪意はないだろうが、正生には悪意を引き寄せるなにかがあるような気がする。一夫多妻も考えてみればそのひとつであるかもしれない。


 なぜ、あの男が女を引き寄せていくのか。


(偶然だけではないのかもしれない)


「見つけまシタ。クッキー様の生体反応デス」


 しばらく佇んでいると、広域をセンサーで調べていたマタが戻ってくる。機械でありながら、正生にベタ惚れのこの熟女ロボを解析することでなにかがわかるかもしれない。


「よし、行こう」


(クッキーに調べさせなければ)


「こちらデス」


 マタが案内したのは人目につかないというより、ほぼ隠された地下通路だった。洞窟をそのまま利用したような雰囲気もあるが、確実に人の手は入っている。蝋燭の照明はまだ灯っていた。


(なぜ、こんな場所に?)


「発見しまシタ」


「……」


 伊佐美は言葉を失った。


「う、うう、んは、あ、ああっ。あっ」


 通路の奥、少し広がった祭壇のようなひんやりとした空間の中央で、天才少女がくねくねと身悶えしていた。あのいつでも冷静で明晰な人間がどうしようもなく堕落している。


(正生め! ついに手を出したのか!)


 伊佐美は激怒した。


 思わず狭い空間で空気熊がいきり立ち、天井がピシピシとひび割れる。踏み込んだ足が岩の地面に食い込んで足形を残していく。


「落ち着いてくだサイ?」


「心配ないっ!」


 ぎりぎりで周囲を破壊していない。


 つまり冷静ということだ。


「クッキーっ! どうした!? 正生になにをされた!? 正直に言えば、正生のヤツを半殺しですませてやる! 黙っていれば全殺しだ!」


「く、球磨、は、あ、先生ィ?」


「ん?」


 なにか普段と違う。


「む、すめが、お世話に、ぃひっ。なって」


 涎を垂らしながら、天才少女は取り繕おうとしているが、明らかに感じている。ただ、着衣の乱れはなかった。少なくとも自分を慰めていた訳ではないらしい。


「あの、クッキーでは?」


「も、もうしわ、け、ありませ、っは」


 ビクビクと全身を震わせながら、首を振る。


「い、すず、みひろと、申し、ッく。もう、やめて。わたし、ィが、悪ィ、んで。許してェ、もう、たへはへ。ひぃ、ンンッ」


「あ、あさま、さんのお母様ですか?」


 メチャクチャに乱れる少女だが、口調とその雰囲気が九歳のものではないことは伊佐美にも理解できた。肉体と中身が違っている。現実に直面したことはないが、そういう事例は宇宙人が地球人を乗っ取る事例で知られていた。


「伊佐美様、あのお伝えしたいのデスが」


 マタが耳打ちしてくる。


「なんだ? 製作者の異常にもうちょっと反応をしろ、慌ててるのが一人だけだとこっちが変みたいだろ。なんなんだこれは!?」


 頭がおかしくなりそうだった。


「いえ、あさま様がいらっしゃいまシタ」


「どーも」


 黒い肌の鬼に背負われて、ぐったりとしたあさまがクッキーの身体を借りた母親の隣に転がされる。どういう状況かわからず、伊佐美はただ見守ることしかできない。


「お、かあァ、ッさん」


「あァ、さ、ま」


 吐息を交換でもするように見つめ合う母娘?


(いや、妻同士だから、なんだこれは?)


 混乱しかない。


「あー、説明すっとー」


 黒い鬼がめんどくさそうに喋る。


「あのでっかいのの中で、みんなのダンナが、みひろの本体とー、あさまの鬼を一緒に食っちゃってー、じじつじょー、これって呪詛返しとにたよーなもんなんで」


「ありがとう。申し訳ない。もういい」


 伊佐美の脳は理解を拒んだ。


「そっすかー?」


 ふたりが落ち着くまでしばらくの時間が必要だった。要するに正生とみひろ(本体)はあの巨人の中にいるということなので、マタが残る羽黒リリを探しに出ている間、伊佐美は悶絶する二人を見守るしかなかった。


「ご、めん、ね、ェあ、さま、ッ」


「はァ、わ、たしこ、そォッ」


(母娘がなにか和解しているらしい)


 正生が母親の方をレイプしたという情報を加味すれば、妻である娘と夫に犯された母の間に生じた軋轢が、間接的に同時に交わることでなにやら理解が深まったようだ。


 親子丼だ。


「……」


「やー、落ち込むことないっすよー」


 頭を抱える伊佐美を鬼が励ましてくれた。


「五十鈴家の女なんて昔っからあんなもんっすからー。みひろなんか、嫁いできたときはもうツンツンしてたんすけど、抱かれたらころっと」


「……説明しなくていい」


 聞いていて恥ずかしくなってくる。


 同じだからだ。


「しっかし離婚されちゃーね」


「そうなのか」


「礼司の方は、あれは本当に呪術も家もいやーって男だったから、みひろが尽くしても、心は動かなかったねー。才能はあったけどー」


「……」


 五十鈴礼司の名前は知っていた。


 ランキングに参加しなかったが、ヒーローへの打診をするぐらいには強かったという話を、あさまを受け持つときに老教師から聞いた程度だが、学園の生徒に手を出したと騒動も起こっていた。


「そしてまー、呪家にとっちゃ救世主だったかもしれねーあきらが死んで、残ったのは才能のないあさまってんだから、理不尽なもんだっと」


「才能がないのか?」


 教師としてあさまの取った手段は感心しなかったが、一位まで上り詰めた実力はあるはずだ。それで才能がないなら、ほとんどのヒーロー予備軍が浮かばれない。


「まー、努力は買ってるよ、だから喚ばれりゃ出てもくる。両親、兄、才能のある一族に生まれちゃー、比較はされるって」


「……」


 才能のない人間にはずいぶんと妬まれたことを伊佐美は思い出していた。生まれもって強いとその気持ちはわからない。それが母娘であれ、夫婦であれ、友達であれ、人であれ、鬼であれ、わからないものはわからないのだ。


 ただ、それを認めるには心の強さがいる。


(心の強さの才能が欲しかった)


 目の前で悶えつづける二人の向こうに、正生がいる。そう思うと伊佐美には感情のやり場がない。わかりあえない。同じ男に抱かれていても、決してわかりあえない領域がある。


 その事実は、寂しい。


「「!」」


 二人が同時に絶頂に達した。

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