第134話 鬼
あさまは鎖鬼に意識を飛ばした。
使役している鬼の感覚は共有できる。
(居場所が判断できればいいけど)
だが、鎖鬼が見ているのは月光に照らされる巨大な人影だった。当然と言えば当然だが、これでは居場所などわからない。
時折、足下で倒れている母の身体に視線を落とすが、そこに会話はなく、木々と落ち葉、そして巨人と、場所を特定できるような情報はひとつも拾えなかった。巨人が大きすぎるので、距離感から把握することもできない。
「鬼たち、おいで、手分けして探して」
こうなれば人海戦術しかない。
ここで鬼を使い切るのは不安だったが、クッキーの頭脳とは比べられない。巨人がエネルギー切れでいつ止まるかなどわからないのだ。
なにか対策を考えられる人材が必要だ。
「羽黒リリが瀑鬼と契約してるから、戦わないことだけ注意して、人を見かけたら避難するように伝えるのも忘れずに」
だが、あさまは呼び出した女鬼たちがいつももの軽い雰囲気ではないことに気づく。むしろ冷ややかな目で見つめられている。
「どうしたの?」
「あさまがわりーんだよ」
ひとりの女鬼が代表するように口火を切った。
「炎鬼がいなくなって、瀑鬼がどんだけ落ち込んでたか、話ぐらい聞いてやれよ。都合のいーときだけ使うんじゃなくてさー」
「……」
あさまは沈黙した。
だから契約に応じたのだろう。
リリが瀑鬼を鬼降していると察しがついたのは本当のところ、そこが理由だった。人間に降ろされるよりは鬼にとっても自由がある鬼喰の契約を捨てるほどの怒りはあっておかしくない。
落ち度はもちろん自分にもある。
「兄妹そろってお気に入りの鎖鬼が残ってりゃ他の鬼なんかどーでもいーんだろ?」
「マジ、感じ悪いんですけど」
「そーだそーだ、ひーきだ!」
女鬼たちはここぞとばかりに団結してはやし立てた。隠形鬼が背中にぴたりと張り付いて自分は違うとアピールしていたし、羅刹は興味がなさそうだったが、それでも大多数である。
「つまり、命令に従いたくないと?」
あさまは言う。
「そーなら出てきてねーよ」
ひとりが答える。
(でしょう、ね)
あさまにもそれはわかっていた。
「なにが望みなの」
契約変更。
食事によって得られたエネルギーで実体化させる代わりに戦わせる。鬼魂石に閉じこめられていると思えば、まだ動けるだけいいだろう、という契約からさらになにかを取ろうというのである。術者の力量が高ければ、わがままを力でねじ伏せることもできるが、今のあさまにその余裕はない。いつリリと戦うかわからないのだ。
「おとこ」
「おとこだね」
「おとこほしー」
そしてはじまったのは女鬼たちの男コールである。「お・と・こ! お・と・こ!」の大合唱。下品この上ないが残念ながら相手は鬼である。力とは欲の結晶なのだ。
「そんなこと言っても。生贄なんて」
あさまは難色を示した。
現実的ではない。命まで取らないとしても、ここに出しただけでも三十体いる鬼を満足させる男など、何人いれば足りるかとてもわかったものではない。ほとんど事件になる。
「いるだろ、いーのが」
「え?」
「あさまのダンナ」
ひとりが口にすると、全員が牙をむき出しにして笑った。鬼の本性がむき出しだった。欲のままに貪り、食らう。その対象がまさか。
「……」
あさまは言葉もなく首を振った。
「じゃー帰るけど、いーんだな?」
ひとりが言う。
「もー、封印を解こうがだれひとり戦わないと思うぜ? 戦う理由ねーもん。五十鈴の当主は代々鬼に敬意を払ってきたと思うんだけどなー」
「待って」
あさまは声を震わせた。
「わたしだってまだなの。知ってるでしょう? だから、正生の気持ちを無視して勝手には決められない。ちゃんと話をするから、承諾が得られればわたしの方から契約変更する。約束する。わたしの命で約束するから」
「いーや」
女鬼たちは笑った。
「だからこそ、だ」
「最悪」
あさまは言うしかなかった。
弱味を見せるようなものだが、それでもそれ以外の言葉がない。人の嫌がることをするという存在であることを理解していても、自分にふりかからないようにしてきたのだ。
「最悪、ね」
「鬼になにを期待してるんだよ。五十鈴家当主。そっちのピンチはこっちのチャンス。そういうことで代々やってきてんだから」
「そーそー。とりあえずー。あさまがまだの間に契約を変更して、あさまが歯ぎしりして見守る前でダンナとやりたーいっ」
「賛成! 見せつけるのって最高!」
「あと隠形鬼、おまえもやるんだからな!」
「しゅ!?」
背後で震えるのを感じる。
「いい加減にその子供アピールやめてもらわないと、イライラする。さっさと女にしてどんな声で鳴くかじっくり聴かせて貰うから!」
「しゅーっ!?」
(おんちゃん)
鬼だった。
立ち上がった巨人が片足を上げようとしている。相当に緩慢な動きだが、母の話が本当ならばエネルギーとなる人間を取り込めばもっと素早くもなるだろう。時間の余裕はない。
説得できる信頼関係など作ってこなかった。
「仕事してよ、ね」
あさまは小指を噛んで、鬼魂石に血を垂らす。
「今までだってしてきただろ?」
「全先正生の身体を提供し」
ず。
月明かりが急に陰り、ハッとして全員が見ると片足を上げた巨人が頭の重みに引っ張られるようにひっくり返ろうとしていた。木々を埃のようにまき散らしながら、崩れ落ちていく。
(クッキー)
こちらに向かっては倒れていなかったが、あさまは鎖鬼に意識を飛ばす。見ると、母の身体を抱えて、逃げているようだった。
「あ」
転ぶ巨体を支えようとしたのか伸ばした手。
自らの目で見るそれと鎖鬼の目を通じてみるそれが違った角度で重なり、そして二人を飲み込んでいくのを感じた。逃げきれなかった。
暖かく、柔らかな、土の匂い。
(死んだ? まさか?)
飛ばした意識で状況を見続けるかどうかあさまは迷う。魂の入れ替え状態における死は、肉体が死んだ側の死だ。クッキーは元の身体に戻れるが、母は死ぬ。
「いそいだ方がいーんじゃね?」
「ええ」
粛々と契約を変更。
女鬼たちもあまり騒がず命令に従った。
(どうしよう)
あさまはヒロポンを見つめる。
母の身体が死んでいれば、クッキーに連絡できる。だが、確かめるのが怖かった。関係は良くなかったが、母は母なのである。死ぬにしてもあまりにも呆気なさすぎてどう感じればいいのかわからない。
だが、電話はかかってきた。
「もしもし」
「あさま、無事? トシテが倒れたけど」
「お母さん」
死んでなかった。
「無事じゃなかったら喋れてないよ」
(なんで嬉しいんだろう)
クッキーと連絡を取れた方が、よほど現在の状況的には好転しているのに、あの巨人に母の呪力が飲み込まれたというのに。
「あ」
「どうしたの?」
「お母さんの身体、たぶん取り込まれた」
肝心なことはそこだった。
「なんですって?」
たぶん母娘そろって巨人を見ていた。
通話は繋がったままだったが、互いに言葉を失っていることがよく伝わってきた。転んだばかりの巨人が、さきほどとは見違えるほどにスムーズな動きで立ち上がりはじめる。
「エネルギーを取り込んだみたい」
「その、大丈夫なの、本体は」
あさまは言う。少なくとも死んではいないが、だからと言って無事であることにもならないのだ。栄養分にされて半死半生では困る。
「わからないわ」
だが、母の返答は頼りない。
「トシテの口、と呼ばれる遺跡がこの島に持ち込まれてる。そこに罪人を送り込んで力とするしきたりだったらしいわ。この島では完全に廃れていたのだけど、どれだけの蓄積があったのか」
「見てみる」
あさまは再び鎖鬼に意識を飛ばす。
だが、それが大いなる後悔のはじまりだった。
「正生」
目の前に現れたのは、泥まみれで裸の夫。
顔が近づいてきて、意識を引き戻す。
(ど、どういう状況?)
あさまはどぎまぎしていた。
鎖鬼の見ている光景が、迫ってくる正生。
(巨人に飲まれた、はず、なのに?)
「どうしたの? あさま」
「正生が巨人の中にいるみたい」
「それはどうい、ィッ!?」
向こうで、母が変な声を出した。
「どうしたの? お母さん」
「わたしの本体が」
「本体」
鎖鬼と一緒に飲まれたクッキー入りの母の身体、倒れる直前にクッキーが言い残した言葉が不吉な予言のように蘇ってくる。
「性欲」
「なに言ってるの?」
「……」
あさまは理解しつつあった。
巨人の中で、正生が性的に暴れていることを。
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