第130話 運命の赤い糸

「術は防いだはずなのに」


「甘いわ。あれは防がせたの」


 あさまのつぶやきにクッキーの身体に入った母が言う。胡乱げな目つきになった少女は身につけていた発明品と服を脱ぎ捨て裸になる。


「ちょ、ウチの身体でなにしてんのっ!?」


 母の身体に入ったクッキーが抗議した。


「ごめんなさいね。本当は娘の身体を奪うつもりだったんだけど、この術は解呪が簡単だから、名簿持ちには使いたくないの。すぐ解かれちゃう」


 母は言う。


「お母さん、やめて! わたしが使いたいなら、クッキーの代わりになるから!」


 あさまは叫んだ。


「要らないわ。当主の身体なんて」


「!」


 言われた瞬間、動けなくなる。


「パズス、おいで」


 母が鬼を身体に降ろす。


 熱い風が吹き荒れ、蔵が弾け飛んだ。注連縄と呪符が舞い、鏡が砕け、押し込まれていた書物が散乱する。母の身体のクッキーは身を伏せていたが、あさまはもろに吹き飛ばされた。


(わたし、まだ期待してた?)


 思わぬ角度のショックだった。


「姉さん? 無事やんな? 姉さん?」


「うん、大丈夫」


 軽く地面に頭を打ったが、意識も飛んでいない。ただ、駆け寄ってきて心配そうな顔をする母の顔をしたクッキーの姿が胸に刺さる。


「ごめん。わたしの母が」


 あさまは視線を逸らして言う。


「それはええけど。姉さん、顔色悪いで?」


「あれは鬼降きこう、鬼を肉体に降ろして、その力を使って戦う術なの。お母さんの使うパズスは強力だからクッキーの身体が傷つくことはまずないと思う。安心して」


 話題も逸らして、立ち上がる。


「クッキーこそ、その身体で平気?」


「平気かどうかはわからんけど、なんや、肩こり? みたいなのは感じるわ。あとなんや、すっごい怠い? 歳なんかな?」


 クッキーは母の顔で苦笑した。


「五十路前の身体だから」


 しかし、どうしたものか。


 あさまは空を見上げる。


「兄さんを狙うんやろうか?」


 母の声で慣れない方言。


「もちろんターゲットだとは思うけど、ね」


 あさまは答える。


 パズスは空も飛べる鬼だが、正生の居場所がわかるというようなものではない。その意味では即座にどうこうはならないはずだ。母の性格から言っても、無策で突っ込みはしないだろう。


「同時に呪った相手を調べるっちゅうことやな」


 天才は先回りした。


「おそらく」


 だが、それが問題だ。


「アカン」


 クッキーが母の身体で頭を抱えて丸くなる。


「ウチの貞操が危ない」


「……」


 あさまはなにも言えなかった。


 同じ結論に至っている。


 鬼降で戦闘能力は高まっているはずだが、パズスも大鬼格、正生に正面から挑んで勝てるというものではないことは明らかだった。だとすれば搦め手を使うのが呪術である。


 クッキーの身体を効果的に使うなら。


「兄さんに連絡したもんやろうか」


 クッキーが言う。


「中身がお母さんだと知ってたら、それはそれでややこしい感じになりそうなのよ、ね」


 あさまも迷っていた。


 甲賀古士とのことが思い出される。


 水口彩乃と浦島千鶴への罪悪感で、無鉄砲に飛び出してしまった経緯を考えると、呪われてやったこととは言え、なんとかしようとしてしまうのは間違いないところだ。


「ウチもそう思う」


 頷いて、地面に座り込む。


「アカン。なんや想像してたら身体が熱なってきた。考えがうまくまとまらへん。これが性欲なん? ちょっと、想像とちゃうわ」


 くて、とそのまま横になってしまう。


「クッキー?」


 考え込んでいる場合ではなかった。


「鎖鬼、おいで」


 あさまは女鬼を呼ぶ。


「お母さんの身体を家の人間に見られない場所まで運んで。わたしは、この蔵の状態を説明してから追いかけるから」


「はい」


 鎖鬼は母の身体を抱えて屋敷の外に出た。


(まずは後始末をしないと)


 この状態が他の呪家からの襲撃だとでも勘違いされたら大変なことになる。ただでさえ家族内でややこしい状態なのに、外のことまで。


「あさま様っ、何事ですか!?」


 家の人間が走ってきたのはその時だった。


(ギリギリ)


「あらー? 五十鈴さーん? テストをお休みするほどのご病気かと思ったらピンピンしてらっしゃるようで、お見舞いに来てガッカリー」


 だが、同時に刺々しい声が飛んできた。


「羽黒さん」


 あさまはうんざりしながら名前を呼ぶ。


「わざわざお見舞い、どうも」


 家人の後から悠々と歩いてくるクラスメイト。


「んふ? 珍しー。五十鈴さんの口から社交辞令が聞けるなんてー。結婚なされて少しは大人になっちゃったんですかー? わー」


「ええ、ちょっとは、ね」


 あさまは苛立ちながら応じる。


「あさま様、あの、急に来られて、学園の連絡事項があるからと強引に入られてしまって」


 家人が耳元でささやいた。


「うん。話があるから、あなたは下がって。蔵の方は親子喧嘩だから、あとでわたしが片づけておく。術が残ってるから触らないようにみんなに伝えて」


 言い訳を考える余裕はなかった。


「親子喧嘩、ですか?」


「そう、夫婦喧嘩に比べれば小規模だけど」


「え、ええ、確かに。伝えます」


 家人は怪しんでいたが、引き下がった。


 羽黒リリのプレッシャーが強いのだろう。


「終わったー?」


「そのキャラやめたら? 似合わない」


 あさまは言う。


「うっせーんだよ。外聞があるだろーが」


「だとしても、キャラを徹底できてないから、羽黒のバカ娘なんて呼ばれるんでしょう?」


 化けの皮がペラペラなのだ。


「それはあさま、あんたが言い出したんだ」


 リリは言う。


「十年以上前に、ね。悪いとはまったく思わないけど? 成長がないから払拭できない」


「ちっ。ま、いーや」


 舌打ちをして、リリは破壊された蔵を見る。


「親子喧嘩? 結婚に反対でもされた?」


「話がないなら帰ってくれていいけど?」


 あさまは挑発を無視する。


 呪いをかけたことは知っている。


 この一連の騒ぎの中で、ほぼ考慮されない左手の指輪の呪い、正生と自分の間にゆさぶりをかけようとでも言うのだろう。考えそうなことだ。


「聞きなって」


 だが、リリはその反応を喜んでいる風だった。


「赤い糸、ってご存じ?」


 スカートのポケットから指輪を取り出す。


「運命の赤い糸? また古くさい」


 そういう呪術はある。


 結ばれたい相手に結びつけるという古典的なもので、呪術の初期に修行するもののひとつだ。ただし、効力は気休め程度。せいぜい、相手が少し注目してくれるようになるぐらい。


 運命があればそれで十分というおまじないだ。


「あんたも知っての通り、これは弱い術なんだけど、あたしはそれを改良した。相手に触る度に、赤い糸を自動的に結ぶ術として」


「だから?」


 それを正生にかけたというのだろうか。


「あれ? ピンと来ない? 本人から聞いてないってこと? そっかー、確かに男からしたら、言いたくないかもねー?」


「羅刹、おいで」


 あさまは女鬼を呼ぶ。


「ちーっす、こいつ殴れって? 殴るー」


 命令される前に命令を受諾。


「ま、待った待った」


 リリが慌てた。


「この指輪にはもうひとつ呪いがかかってる。興味を持った異性に勝手に触るんだ。このコンボ、強力だと思わないか?」


「羅刹」


 あさまは首を振って、言う。


「いーよ」


 牙を出して笑うと神速の足で突進。


「いつまでも格下と思ってっ!」


 だが、その拳をリリは辛うじて避けた。


「およ?」


 羅刹も驚いている。


「あんたと会うのに、無防備な訳ないでしょ? 鬼降よ。鬼降。五十鈴流の」


「なんで」


 あさまはつぶやく。


「波羅夷を受けたのはご先祖だから! 何代も挟めば効力も薄まって修行さえできれば修得できる! 知らなかった?」


「……」


 問題は修行を積むことだ。


 だれかが教えなければ、各呪家の術が漏れることはないのである。少なくとも、波羅夷を受けた後に羽黒が五十鈴流を使った記録はない。


 だれが漏らしたのか。


(次から次へと)


 当主になった途端にややこしいことになる。

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