第122話 ついでに当主
自分を呪うこと。
呪術の修行はそこからはじまる。
既存の術を使う場合は、先祖が行ってきた手順に則って自らの身体に呪いを刻み、滝行で洗い流すことを効果が安定するまで繰り返す。
一日四セットを目安として、ひとつ術を覚えるまで七日というのが平均とされ、覚える速度が速いほど一族の中では才能があるとされる。
それは解呪の術でも同じことだ。
呪いをかけた後に自分で解くという手順が加わり、失敗して影響を受けながら滝行を行う過酷さはあるが結局は修得まで耐えることに変わりはない。要するにやる気の問題だった。
(お兄ちゃんは三日だった)
滝に打たれながらあさまは兄のことを考える。
(わたしは十四日、五倍生きなきゃ追いつけない。とっくに諦めてた。でも、生きてるのはわたしなんだから、やるしかないんだ)
八日目、効果は安定しつつある。
母の呪いは苛烈だった。
正生にかけられた呪いを自分にかけたとき、あさまは絶望感を覚えた。周りに同性がいるだけで生理の重い日の三倍ぐらいは気分が悪くなる。こんなものを修得しようとすること自体の人間性を疑うし、かけられた正生の立場になれば母の印象は最悪だろうとも思った。
解呪を覚えても嫌われるかも知れない。
何度も諦めそうになった。
正生が男に戻れば、少なくとも自分と接する分には呪いは関係なくなる。さっさと戻ってしまいたい。女としての魅力で虜にしてしまえば、一緒に母を説得して解呪に至れば問題はなくなる。楽はできる。いくらでも。
しかし、諦めなかった。
(わたし、強くなってるよ。正生)
弱い気持ちをねじ伏せられたのは、着々と強くなっていく夫の姿を思い出せたからだ。置いて行かれたくない。同じ呪術の舞台に立つ兄に対しては追いつけないという現実があったが、今回はそうでないのだ。
努力しなければ胸を張っては会えない。
他の妻たちがいる。
(負い目を感じたら終わりだから、ね)
ざばざばざばざばと流れ落ちる滝に身をゆだねながら、あさまは澄み渡っていく意識を感じる。気分の悪さが消えていく。呪いが洗い流されていく。もう少しだ。
一日に六セット。
あさまが解呪を覚えるために自分に課した目標だった。家の人間は危険だからと止めたが、何年も修行をサボってきた自分には荒行が必要なのだと押し切った。計算上は十日で修得できるはずである。
「ふー」
滝の中で、深呼吸。
(今日はあと二セット)
「困ります。御館様」
「なんだ、別に構わないだろう?」
「ですが、人を入れるなとのご命令で」
なにやら岸が騒がしい。
「どうしたの?」
滝壺から歩み出ると、そこには珍しい顔があった。あまりにもしばらくぶりで、特に感情が浮かばないぐらいの男、父だった。
会うのは兄の葬儀以来かもしれない。
「礼司」
お父さんとはいつからか呼ばなくなっている。
「おぁ、あさま、大きくなったなぁ」
そう言って、父が目を細める。
「相変わらず、ね」
視線が自分の胸元に向かっている気がして見ると、滝衣が透けていた。兄が死ぬまでは修行も共にしていて恥ずかしくもないが、なんとも感動のない再会である。
「あさま様」
「ありがとう。この人には言っても無駄だから」
家人にそう告げて下がらせる。
「つれないなぁ。久々に家に戻ったと聞いたから顔を出したのに。結婚もするとか? ブラコンのあさまが成長したもんだ」
「お母さんには会ったの?」
父の煽るような発言をスルーしてあさまはタオルで髪を拭く。母はともかく、この男には結婚に賛成も反対もされる筋合いはない。
尋常ならざる浮気者だ。
何度か、父とその浮気相手と一緒に食事をしたことすらある。幼かったので意味がわからなかったが、今となっては酷い男であることに疑いの余地はない。
(それに、わたしを売った)
家に戻って、宇宙人の許嫁として自分を差し出したのはだれかということについては確認を取っている。忠誠心の高い家人も言いにくそうに父であることを示唆していた。
「これから会う、離婚するつもりだ」
「離婚?」
だが、流石にこの発言はスルーできなかった。
「あぁ、子供ができてなぁ」
「……」
絶句するしかない。
「お、そんなに嬉しいか? きょうだい欲しがってたもんなぁ。弟でも妹でもいいとか、いやぁ、オレは約束を守る男だろ?」
「殺されるよ。お母さんに」
辛うじて言えるのはそれだけだ。
夫婦喧嘩の激しい両親だった。それに呪術を使うので、夫婦の術者としての技量が上がって、新しい術も続々生まれたということである。度重なる父の浮気に「修行」という隠語が使われるようになったのも頷けることだ。
「殺されるかねぇ?」
父は微笑む。
「そこまでの愛情はないだろ。二十五年かかったがやっとアイツも冷めたとオレは安堵してるぐらいなんだが」
「愛情?」
「相変わらず才能がないなぁ。オレの娘は」
そう言って、父はあさまの頭をぐりぐりとなで回した。濡れていた髪がぐしゃぐしゃになって非常に不愉快な気分になる。
(どうせ才能なんて)
「結婚祝いにひとつ教えてやろう」
父はニヤニヤと笑いながら目線を合わせる。
「オレはアイツの呪いの数々を受けては解いてきたが、ひとつだけ解いてないものがある。パイプカットの呪いだ」
「ぱ、っ」
娘になにを言っているのだこの父は。
「これがなにを意味するかわかるか?」
「別にどうでもいい」
あさまは視線を逸らそうとする。
「呪いってのは愛情の裏返しだ」
だが、父はその頭を掴んで言う。
「アイツはパイプカットの呪いを生み出したがために、二人しか子供を産むことができなかった。五十鈴家を乗っ取ろうと嫁いできたのに、オレに惚れちまって、自分の呪いを完全に解くことができなかったんだ。あまりにも深くて重たい愛情が生み出した呪いだったからなぁ」
「……」
あさまは頷くことしかできない。
色々と衝撃があって言葉にならなかった。
「たが、それさえも時間の流れの中では薄れゆく、子供なんかできないと安心して浮気をしていたオレに子供ができるぐらいには薄れるんだ」
父はそう言って、頭から手を離す。
「そんな訳で、離婚することにした」
(よくわからない)
あさまは父の指の感触に顔を歪める。
「ついでに、当主の座をあさまに譲ろうと思う」
「うん……ん!?」
もうなんでもいいと思ったが、さらに聞き流せないテーマに話題が移っていた。移り気な父にしても相当に移っている。移りすぎて逆に戻っているぐらいだ。
「当主の座だ」
父は繰り返した。
「え、うん。それは聞こえたけど、離婚のついでなの? 逆でしょう? 当主を譲るついで……」
「いや、離婚のついでだ」
娘の言葉に、父は譲らない。
「わたし、ついでに当主にされるの?」
「ついでに当主だ」
(なんだこの会話)
父の腹立たしいほどに誇らしげな顔を見ながらあさまは混乱を顔に出さないのが精一杯だった。五十鈴流と呼ばれる呪術の奥義が一子相伝という話は聞いたことがあり、兄が死んでしまった以上、自分が受け継ぐ立場であることはなんとなく感じてはいたのだが、その状況がこれほどまで軽いとは予想外である。
「断れないよ、ね?」
あさまはおそるおそる確認する。
「断れないなぁ」
父は深く頷いた。
「オレも断れなかった」
「……」
そういうことである。
いい加減な姿しか見たことがない父でさえ、それを引き受けざるを得なかった当主の座、状況は軽いが、決して軽いものではない。自分が引き受けなければ、少なくとも身内の争いの種にはなる。負ければ母共々家を追い出されるだろう。
「礼司、離婚、思い留まれない?」
あさまは滝を見上げて言った。
「子供ができちゃぁなぁ」
覚悟は決めたという風に父は返す。
「弟なの? 妹なの?」
「生まれるまで調べない派らしい」
「そう、なんだ」
父娘はそろって溜め息を吐いた。
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