第110話 デビュー

 これ以上は藪蛇になる。


「大変なんだ。地球の平和を守るためには、まず家族の平和を守らなければいけない」


 迅七郎が深く息を吐いた。


 呼吸を整えている。


 剣術のことはよくわからないが、ルビアの話では決めにかかるサインであるらしい。世間話をしながらもオレの実力を見切ったのだろう。


 頃合いだ。


「同感ですね」


 オレは切り裂かれた上着を脱いで、完全に下着姿になる。食らった銃弾で著しく力が落ちている気がする。性欲どころか食欲も湧かない。


 切り札を出そう。


「色仕掛けは通じないよ?」


 そう言って、迅七郎は笑う。


「もう未来は見えている」


「ワタシにも見えますよ」


 オレは笑い返した。


「今、ここで、ワタシを殺さなかったことを悔やみつづけるお義兄さんの姿がありありと」


 主に、ルビアの夫として見る未来だけれど。


「?」


 義兄が首を傾げた。


 オレはその一瞬で踏み込む。


「君、なにか、変なことを言ったね?」


 だが、鋭い刃に直進を阻まれ、回り込む。


「変なこと?」


 頬と首筋から血が吹き出す。


 だが、間合いはわかった。


 相手に殺すつもりがない以上、やれる。


「ますます正体が知りたくなった」


 言いながら、立て続けに繰り出される迅七郎の斬撃をすれすれで受けながら引きつける。これは一回こっきりの切り札だ。


「知ったらさらに後悔しますよ」


 オレは挑発する。


「負けた上に、一生、頭が上がらないかも」


「どういう意味だろうね」


 迅七郎の目線が動く。


 七秒直前。


「こういう意味では?」


 オレはブラジャーのフロントホックに手をかける。だれが相手でも、女として戦うからには女の武器を使わせて貰うつもりだった。


 ある種のロマンとして。


「だから、色仕掛けは通じないと」


 迅七郎はまったく動じずに刀を突き出す。


「色仕掛け?」


 まったく違うな。


 オレはその切っ先に当たりに行く。


「!」


 義兄が思わず退いた。


 心臓に当てに行ったからである。殺すつもりはないと宣言されようがされなかろうが、心臓のひとつぐらい潰せるオレには大差ない。


 最初から差し違える覚悟だ。


「プリンス殺し」


 ホックにかけた指を谷間に滑り込ませる。


「なっ!」


 至近距離から向けられた銃口に義兄が反応するのと、オレが引き金を引くのは同時だった。広がる光線をかわせはしない。


 目映い光に景色が白く飛ぶ。


「「ジン!」」


 姉弟の声だけが耳の奥に響いていた。


 視界から光が消えたとき、研究所の壁がぶち抜かれ、その向こうの森に火が点いていた。地面に踏ん張って引きずった迅七郎の足跡が伸びている。


「なんの、これしき」


 二刀をクロスさせ、立っていた。


「ジン!」


「……!」


 だが、オレも突っ込んでいる。


 倒れないのも予想の範囲内だ。迅七郎の正面から全力で殴りかかる。クッキー謹製とは言え、実験武器のひとつで決まるとは思わない。


「そんなもの!」


 義兄が刀を振る。


「!」


 オレは右拳を刃に向けた。


 パキ、ィン。


「後悔したでしょ?」


 本体はともかく、刀の強度ぐらいは。


「まだ、実感が湧かないな」


 へし折れた刀の向こうで、迅七郎が目を閉じた。その顎に左拳が突き刺さる。オレは容赦なくラッシュした。意識は断たねばならない。左右をこめかみにぶち込み、腹から上は乱れ打つ。


「っ、ぐ、が」


 ガードしようとする反応も途中で止まる。


 そこまでパンチは軽くない。


 とどめとばかりに地面へ叩きつけた。これで気絶は免れないだろう。背後の姉弟が救援に走る気配にその身体を放り投げ、オレはその反対へ走り研究所の壁をぶち抜いた。


 施設内の地図は頭に入っている。


 複雑な通路を無視して人の気配を気にしながら分厚い壁を打ち破り、例のショートケーキとイチゴのある部屋へとなだれ込んだ。カプセルのひとつ、マタが記録していた乙姫の姿がそこにある。


「ひ」


 白衣を着た男がオレの姿を見て腰を抜かした。


 だが、視線はしっかり下着姿を眺めている。色仕掛けを意図しなくても、ほぼ男の注意力を散漫にするのだから女というのは恐ろしいものだ。


 敵に回したくない。


「悪いね」


 専用のスーツを着せられた姿はただの子供だと思いながら、オレは教わった手順でカプセルを取り外し、担ぎ上げる。人の手で運べるようにはなっている。怪力はポピュラーな能力だ。


「よい、っしょ」


 確かに重い。


「……」


 ふと隣のカプセルにも女の子が入っているのが目に入る。銀色のショートヘアをした黒い肌の同い年ぐらい、スリムで筋肉質な膝を抱えて丸くなるようにして眠っていた。何者かはもちろんわからない。だが強い気配は感じる。


 宇宙人なのだろうか。


 気になったのはその点だ。


 正直なところ、乙姫に価値がないと言った義兄の言葉には不快感を覚えていた。たぶんオレも、地球人類でないことが知れ、捕まるようなことになればこんな風に調べられるのだろう。


 そして価値を判断される。


 別にどこの人類であろうとも、そんなものだろうとは思うのだ。好意を別にすれば、人間関係なんて互いにとっての価値があるかないか、価値がなければ関わらないというだけのことだ。


 でも、突き放した響きは感じた。


 死んでも構わないというような、オレがセラムに感じていたものが、自分に向けられたのを感じてしまった。地球外の人類は、もしかすると虫と変わらないのかもしれない。


 それが良いのか悪いのかわからない。


 別に博愛主義者になろうとも思わない。


 だが、自分が異物かもしれないというのは、もう少し自覚すべきかもしれないとは感じた。食欲の先には、今とは別の生き物となるオレがあるのはわかっている。


 そのときに、果たしてオレは。


「ま、待て。そんなことをしても機関が」


「乙姫は頂きましたっ!」


 オレは宣言して研究所から飛び出す。


 気にはなるが関わっている余裕はない。そのままの脚で壁を蹴破りながら地熱発電所の方へ向かう。あとは予定のルートを走るだけだ。


 完全に逃げ切るわけではない。


 追っ手は当然かかる。


 その中を気配を感じながらカプセルを持っていることをアピールして目立っていくのだ。途中でダミーとカプセルを入れ替え、本物は伊佐美が比霊根神社まで持っていくことになる。


 そこで例の記事が生きる。


 目撃者が出れば、間々崎咲子として写真が出た記事が思い出され、島内で話題にもなる。パンチラ写真を使うように言ったのはクッキーだそうだ。インパクトを与え、記憶に残りやすくするためだそうである。


 いずれは甲賀古士が読むことになる。


 そして千鶴かくのいちが読めば、メッセージは伝わるだろう。交渉はクッキーに任せてある。オレが出て行って説得すべきだろうが、あのレイプから時間が経っていない。出て行くのが効果的とは限らない。


 一応、オレから力を与えて和解はしているが、感情的には納得できない部分があるだろう。それでも、オレにできることはなんでもするつもりだと伝えてくれと言ってある。どんな条件でも飲むつもりだと。


 なんだってする。


「はぁ」


 早漏共を思い出して気が重いのは確かだ。


 発電所の鉄塔に登って、送電線の上を進む。このために靴は電気を通さないものを用意していた。下着姿の女がカプセルを担いで逃げていく様子は遠くからもよく見えるだろう。


 間々崎咲子のデビューである。


 下から追ってくる気配を感じながら、オレはこの実在しない女に申し訳ない気持ちになる。オレなんかの偽装として生まれなければ、もっと幸せな存在だっただろう。


 もちろん生きちゃいないんだが。


「……」


 しかし消えた後も、乙姫誘拐犯として記録に残り続ける訳で、恨まれても仕方がない。たぶん悪夢には出てくることになるのだろう。不安になる。なんでこんな気が小さい男の中に、あんなケダモノがいるのか不思議である。


 ちゃんと制御しなくては。


 適当なところで電線から飛び降り、森の中を進む。人質を抱えているから極端な攻撃はされないだろうが、戦闘は極力避けるように、それでいてしっかりと目撃されるように動く。


 さて、もう一踏ん張りだ。

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