第88話 とんでもなく人間まがい

 白い煙を吐いて、地味に室内に置かれていた黒い箱が開いた。マタが入っていると言われれば、確かにそれは棺桶ぐらいのサイズではある。


「あ、やっと出すんや」


 クッキーが言う。


「まだ見てなかったの?」


 その反応にすみが不思議がる。


「なんや、ウチやと素直に驚いてくれんから、すみが来るのを待つ言うて、駄々こねんねん」


 そう言いながら、白衣のポケットから取り出した茎レタスを噛む。どうでもいいんだが、体操着の上に白衣を羽織るその格好はなんだ。


 ちょっと可愛いじゃないか。


「そうは言うけどね。コーンフィールドクン、技術者や職人の方々が皆、天才の仕事に持てる力を注いでくれているのに、いつも冷めた反応を返すから奥田は取り繕うのが大変なんだよ?」


「せやかて、百パーの完成度ってことないしな」


 タコ教授の言葉にも反応が薄い。


「出た出た! 頭の中が未来過ぎる子供はこれだから困る! 現実は天才の頭の中のようにショートカット満載じゃないんだよ? ひとつひとつの実績を積み上げて……」


 ペタシ。


「出てきたわ、ね」


 五十鈴が言う。


 淑やかな足先が伸びたと思うと、白い煙がまるで温泉の湯気のように見えるような、透き通った肌の女が姿を現した。


「おはようございマス」


「!」


 ろ、ロボットじゃなくなってる。


「バージョンアップ完了致しまシタ」


 煙が晴れ、姿を見せたのは、透けたネグリジェに高級そうな黒いランジェリーを身にまとった肉感的な熟女であった。しっとりとした表情と、少しこちらの視線を恥ずかしがるような仕草には思わず背徳的なドキドキを覚えてしまう。


 人妻。


 オレのファーストキスを奪ったロボという紹介でなければ、どこかの金持ちの奥さんという雰囲気しかないので、自分の妻という実感が持てない別ロボっぷり。無駄技術の結晶すぎる。男の姿で初対面だったら間違いなくよろめく。


「こ、これ、ロボットで」


 オレは衝撃を受けて三人の妻の顔を見たが、全員がどちらかというと苦々しい顔だった。驚いてはいるだろうが、嬉しくはない感じ。


「やってもうたな」


 腕を組んだクッキーが非難がましく言う。


「い、いやいや。コーンフィールドクン? 要望通りの性能さえ発揮すれば外見については奥田に任せると言ったじゃないか」


「だれやねん! このエッロい女は!」


「マタでございマス。クッキー様」


「わかっとるわ! だれイメージや!」


「だれもかれも、改造に携わった全男性スタッフによる理想の熟女プロジェクトが弾き出した高級住宅街に住む有閑マダム・マタだよ!」


「アホか!」


 クッキーが怒鳴った。


 そう言いたくなる気持ちはわかる。この完成度を生み出す労力はもっと有意義な方面に活用すべきだろう。男としてはその無駄な努力に敬意しかないが。


「正生は喜びそうだけど、ね」


 五十鈴は露骨に苦虫を噛み潰していた。


「ありがとうございマス。五十鈴様」


 マタが礼を言う。


「誉めてないから、まったく」


「これはわたしも嫉妬するー、もち肌すっごーい。さきこちゃんも触ってみなよー」


 すみはペチペチと二の腕を触っていた。


「え? ええ? い、いいんですか?」


 オレは戸惑いながらマタに近づく。


「どうぞおさわりくださいマセ」


 かつてのロボロボしかった目とは違う。涙袋の大きな、憂いを帯びたような垂れ目の視線を向けられて、妙な罪悪感を覚える。


 なんでこんな人妻を晒し者にしてんだろう。


「あ、ったかい!?」


 オレは触ってさらに驚く。


 吸いつくようなしっとりとした肌は指を受け止め、やや弛んだようなリアルな肉付きで受け止める。とんでもなく人間まがいだ。


「放熱を人間の体温に自然調整する新素材シリコンを使用していマス。強度と安定性にも優れ、メンテナンスの手間も最小限に抑えられる仕様デス。正生様に抱かれることを前提にした女性機能モジュールでございマス」


「抱かれる、って」


 近づいてボリュームのあるおっぱいを持ち上げていた五十鈴の表情がさらに曇る。男の前ではたぶん見せない不快感の露わな表情だ。


「ハイ。女の悦びをプログラムされまシタ」


「……」


 タコ教授!


「どうだいどうだい! 素晴らしいだろう!」


 足をくねらせ、嬉しそう。


「はえー」


 すみはマタの尻をぐいっと揉んでいた。


 なんかもう怒りの手付きであることは、夫であるオレが言うまでもない。そのまま下着の中に手を突っ込みそうな勢いでハラハラする。


「いけまセン。当照様」


「乳首硬くなってるわ、ね」


 五十鈴もブラの上からなんか触って言ってる。


 そんな機能まで!


「いやらしい女で申し訳ありまセン」


 さっきからこのロボの言語能力のパワーアップぶりはどうなってんだ。元が片言以下だったのに仕上がりすぎだろ。


「はぁ、問題は戦闘能力や」


 深い溜息の後、クッキーはクールに言う。


「出来が悪かったら、容赦なく再改造や」


 タコの趣味に呆れているだけかもしれない。


「かしこまりまシタ」


 マタは深く礼をして、箱の中からなにやら取り出し、ネグリジェを脱ぐ。背中を向けたその感じにロボっぽさは最早ない。脇腹の肉とか、そんな細かいリアリティ、作った人間しか喜ばないぞ。


「姉さん、鬼を出して相手をして」


「クッキーちゃん。戦闘試験の相手はさきこちゃんにお願いしよう? わたしを助けてくれたお礼をしなきゃいけないから」


 クッキーが五十鈴に頼もうとしたところで、すみが割って入った。なぜいきなり戦わなければならないのかちょっと意味がわからない。


「さきこさん? がええならウチはええよ」


 クッキーはオレを疑いの目で見ながら言う。


「ただし、ヒーローに勝つつもりの設計やから、多少の強さではデータすら取れへんと思う。取られても負けへんけどな」


「……」


 ああ、間々崎咲子をライバルとして考えれば一位チームの新戦力をだれよりも早く知れるというメリットがある状況なのか。


 でも別に戦いたくも。


「準備が完了しまシタ」


 振り返って見ると、マタはボディラインを窮屈に押し込めたような黒いスーツを着ていた。ピチピチというかムチムチである。新たに追加された栗色のふわりとした髪の毛を耳にかける仕草が艶やかで色気が全方位に広がっていた。


 なんかもう触りたい。


「や、やらせてください」


 オレは思わず口走っていた。


 ほぼ別の意味で。


「本気かね? こう言ってはなんなんだが、熟女部分以外はコーンフィールドクンの厳しすぎる設計だけれども、大丈夫なのかい?」


 タコ教授は心配そうだった。


 やっぱり趣味部分は趣味部分なのか。


「大丈夫です」


 頷く。


 チーム内序列的にオレが勝てなかったらまずいという話もないではないが、ちょっと寄り道で緊張感を失いかけてたので、気合いを入れ直す意味でも、クッキーの頑張りを肌に感じたい。


 女の体での戦闘にも慣れたいところだしな。


 どうも自分の胸に目がいくとか。


「初実戦ですが、よろしくお願いしマス」


 マタが淑やかに挨拶してきた。


「こ、こちらこそ」


 唇が濡れた感じでエロいんだけど。


「ではでは、試験場に行こう」


「強いん? あの人?」


「強い、と思うよー。わたしの勘では」


「すみさんの勘なの、ね」


 タコ教授の先導で、全員が移動する。研究室から出て、さらに施設の奥へと向かう。正直、迷路みたいな感じだ。ひとりで戻れる気がしない。


「見学者はこちらへ。ままさきクンはこっち」


 途中の部屋に三人の妻が案内され、オレとマタは奥の扉へ向かわされる。二枚三枚と扉を抜けると、やたらと天井の高い真っ白な部屋に出た。


「ほぼ周囲に影響が出ないように設計されているけれども、万が一ということはあるので、毒ガスや病原菌のような能力の使用は避けて欲しい。マダム・マタにはどちらも通用しないので」


「わかりました」


 タコ教授の忠告の方が怖いんだが。


 毒ガスや病原菌のような能力者っているの?


「いい戦いを見せてくれ」


 そう言って部屋には入らず出て行く。


「近接戦闘がお得意デスか? それとも遠距離戦闘がお得意デスか? マタは噛み合うスタイルを選択いたしマス」


「全力で来てよ。そうじゃないと意味がない」


 マタの言葉にそう返す。


「了解しまシタ。殺さない程度に致しマス」


「言うね」


 挑発的プログラムが入ったらしい。

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