第86話 間々崎咲子

「傲・顔、不・遜!」


 野太く叫ぶと、オカマはオレの顔面をがっしりと掴んだ。ゴツゴツとした五指から焼けるような熱が全身に広がっていく。


「ちょ、ま」


「お黙り! ゲイ術の邪・魔!」


 妙な発音だったが、それどころではなかった。


セクスチェンジ!」


 顔面を掴んだまま、オカマはオレの身体をサンドバックのように叩きはじめた。最初はゆるやかだったが、途中から床に倒され馬乗りになっての殴打がつづく。


 全身の隅々まで。


 痛いとか痛くないとかではなく、怖い。


「完・了。貴・様、よく頑張ったわ」


「……」


 抵抗する訳にもいかないので、されるがままになること十分。肉体的ダメージは感じなかったが、精神的ダメージはかなり大きかった。殴られながら、裏返されたり、めくられたり、色んなポーズを取らされました。


「……」


 むくりと身体を起こすと、違和感。


 ぷるん。


 オレは視界に入る膨らみをじっと見つめてしまう。触ろうとして、自分の手がほっそりとしていることにも気づく。それ以前に、腕も、肩も、見慣れたオレの裸ではない。


「な、なんだこれ」


 声を出すと、完全に女の声だった。


「どうなって? ええ?」


「拙・者の施したゲイ術的女装がこれよ」


 オカマはオレの前に鏡を置く。


「美少女じゃん!」


 目の前に姿を現した全裸の女、オレは思わず乳首を隠したが、なんかもう手ブラが様になるグラビアアイドルなんだがどういうことなんだ。


 反射的にオレはモノに触ろうとする。


 が、ない。


「!」


 胸を押さえてのぞき込むと股間にオレの相棒はおらず、知らない女が居座っていた。マジマジと見るのも別にはじめてじゃないが、なかなか男心をくすぐる、じゃなくて。


「女装、っていうか、女になってる!」


 状況がやっと飲み込めた。


「ゲイ術は現・実!」


 オカマは力強く頷いた。


「芸術家なのか」


 勢いに負けてオレも頷いた。


 なにを言っているかはわからないが、言いたいことはよくわかった。そういう能力なのだ。しかし、何故だ。何故なんだ。


「……」


 オレは目の前のオカマに疑問の視線を向ける。


「拙・者の能力は他人にしか使えん! 夢魔を粘土のように使・用! 叩いて伸ばして形・成! ゲイ術家、ただ生み出すのみね」


 泣いていた。


「ああ。そうなんだ」


 能力を使う度にそういう気持ちになるのは大変だろう。オレは鏡の前で女になった自分の身体を色んな角度で確かめながら言う。


 尻の形がかなりいい。


 これはルビアに匹敵する抜群。


「確かに、これならだれもオレとは気づかないな。えーと、この状態でもこれまで通りに戦えるってことでいいんだよな?」


 髪の毛はセミロングぐらいまで伸びている。


 黒髪で少し堅物そうだが、脱ぐとエロい。なんというか委員長な感じの女子に仕上がっている。真面目そうで好きだ。オレの女装として人間性をよく表している。考えてみれば、美少年が美少女になるのは必然なのだ。


 クッキーが居たらツッコミが入るな。


「無・論! しかし、一日が限・度!」


「ありがとう。フェアリ、さん」


 ちょっと女を意識して喋ってみると、自分の声なのにゾクゾクする。全裸の美少女がオカマに感謝してる。なんだこれ。とんでもない能力だなこれ。ヤバい。色んなこと口走りたい。


 とりあえずどうしようか。


 オレは鏡を見つめて、いやらしいポーズとセリフを考える。いざこうなると迷うな。絶対に妻にも頼めないようなネタにしたい。こんな美少女に出会えるのは今日一日限りなのだから。


「本・題」


 フェアリがオレの肩を掴んだ。


「え、はい」


 そうだった。


 こんなことしてる場合じゃない。


「拙・者、ゲイ術家であり、ヒーロースーツデザイナーでもある。母・上に頼まれ、すでに貴・様用のものを完・成済み」


「あー」


 逮捕されてもヒーローに任命される予定だったからか、手回しのいいババアだな。そういうところで人心掌握してるんだろう。


「これを」


「?」


 手渡されたのは派手な色合いの顔を覆うマスクだった。見たことのない獣の顔になっている。犬でもなく猫でもない。スーツと言いつつマスクしかないってのはどう思ったらいいのだろう。


「フォーヴ・マスク」


「そういう名前?」


 このカラフルな獣のイメージなんだろうか。


「でも、これ、正体バレバレじゃない?」


 オレは愛らしい声で言った。


「白い獣になったらもうオレ以外の何者でもないと言うか、知ってる人間が見てた時点で女装の意味もなくなるというか」


「心・配、無・用!」


 フェアリはそう言ってオレが持つマスクを顔に当てさせた。それは張り付くようにぴったりと顔に密着して、そのまま全身へ広がる。


「え?」


 白いセーラー服、学園の女子制服だった。


「触れる? ってか顔も美少女?」


 鏡に映った顔は元の委員長顔だった。


 マスクが消えている。


 スカートの裾に触ってみて、めくれることに驚いたが、中にしっかり下着もつけてることにさらに驚く。レースの白、細やかな配慮だ。


「装着者の変化に応じて自然な形に変・化! 貴・様が獣になったとき、マスクはフォーヴとなる。問・題ない!」


「……」


 よくわからなかったが、勢いに頷かされる。


 戦うとなったら正体がバレるバレないは大した問題じゃない状況だろう。少なくとも、今回は戦うと言うより、説得が重点である。女装はあくまで無関係の第三者の邪魔を防ぐためだ。


「それじゃ、ありがたく使わせてもらいます」


「健・闘を!」


 フェアリはオレの背中をグーで押した。


 変な人だが、良い人のようだ。


 あの母親を持って、常識人になろうとするとどこかで無理がでるのかもしれない。イソラは望まぬ淫魔の能力で同性愛に走ったそうだが、男として生まれたということは、ジェネシスを引き継げない訳で、その意味でも複雑だろう。


 母親の役に立つための仕事なのかな。


 オレは、あまり男っぽい歩き方にならないように、歩幅を抑えて気持ち内股気味にホテルを歩く。どう歩いても落ち着かない。多少、不自然に見えても、男とすらバレる要素がないので気にするほどでもないのかもしれないが。


 それより、どう千鶴たちを探したものか。


 機関が所在を掴めない状態だからこそ、オレが割り込む余地があるんだが、見つけられなければ割り込むどころかその時点で終わりである。


 綱渡りだ。


 とりあえず、オレにできることは感覚を研ぎ澄ませ、気配を拾っていくしかなさそうではある。忍者はともかく、首相は気配を消せないはずなのだ。足を使って空港周辺から。


「……」


 エレベーターでホテルのロビーに出る。


 気配を探っていたので、ラウンジにいるすみの姿にすぐ目がいく。伊佐美に同行してきたのだろう。話しかけたくなったが、オレは女装中であり、ここで正体を明かしてだれかに聞かれればすべてが無意味になる。


 忍者がここに潜んでる可能性は高い。


 カクリを筆頭に機関の関係者が宿泊するホテルだ。あちら側とすれば追跡の手がどこまで及ぶか調べる意味でも何人か配置しているだろう。


 そいつを見つけて捕まえられれば。


「うーん」


 忍者から情報を吐かせるとか、出来るか?


 拷問?


 やったことない。趣味でもない。


 女装の制限が一日なのは、一日で解決しないとどうにもならないという意味だろう。時間のかかることはそもそも出来ないのだ。騒ぎになれば、オレの素性が明らかでないことでややこしいことになる。


 オレはホテルを出ようとする。


 背後のすみが立ち上がったのがわかった。


 慌てた様子で会計を済ませ、走ってこちらに向かってくる。オレは周囲の気配を確認したが、別に変わった様子はない。誘拐事件の後だからか、客が少ないような雰囲気はあるが。


「待ってー」


「……」


 だが、すみは一直線にオレの手を掴んでいた。


「だれ、なの? あなた」


「えー?」


 いや、手を掴んでるのそっちですけど。


「名前は?」


「ま、まさき、さきこ」


 とっさに答えて自分でも酷いと思った。


 偽名考えてなかったにしても、もうちょっとなんかあるだろ。ほとんどオレの名前じゃねぇか。頭回ってないにもほどがあるぞ。


「ままさき、さん?」


 すみは首を傾げる。


「ええ」


 どうやらバレなかったらしい。


 流石に外見が違いすぎるのでオレとは結びつかなかったようである。間々崎? 咲子? 漢字を聞かれたらそう答えようと決める。


「どうしてだろー?」


 すみはまじまじとこちらの顔を見る。


「あの、なにが?」


 女同士でも弱点は弱点だ。


「すっごく、似てるの」


「だれに?」


 すみの言葉にオレは驚きを隠すのでやっと。


「わたしの、夫に」


「……」


 当ててきやがったよ?


 確か自分のこと鈍感って言ってたよこの人。


 尋常でないほどに鈍感すぎて自分が敏感であることに気付いていない。半ば意味がわからないが、すみはそんな人間なのかもしれなかった。


「女性だからこそ! 夫に似てたら混乱しません? わかりませんかー、あー、うーん。わかりませんよねー。変なこと言ったなー」


 すみはトーンダウンしはじめた。


 直感的な行動で話しかけたが、常識的にどう考えても女性に対して男に似てると言ったのはよくなかったと反省しているらしい。


 ややこしい。


 実際、それが的中しているからさらに。


「ふ、雰囲気が、ですよね?」


 オレはフォローに回るしかなかった。


「え!? えーえー、そうです。顔は全然。ままさきさんみたいに整ってない夫ですからー」


 すみは割と失礼なことを言った。


 整ってなくて申し訳ない限りですよ!


「なら、ワタシもよく男っぽいって言われるので全然。お姉さんのような素敵な女性の旦那さんならきっと素敵な方なんだと思います」


 我ながら、どの口で言ってるんだろう。


 さりげなく男っぽい女子キャラを作ったり。


「やー、それが全然。素敵の対極を行く無敵というか、わたしが面倒を見なきゃだれが相手をするんだって感じのダメ男でー」


「い、いやいや」


 オレはザックリと傷つきながら笑顔を作る。


 ボロクソですやん。


 自慢話になってしまうから謙遜していると思いたいのだが、残念ながら言ってることはすこぶる正しい。女同士になると聞きたくない本音を聞きすぎるのかもしれなかった。


 これはさっさと切り上げて去ろう。


「それだけ率直に言えるのは、やっぱり信頼関係があってこそだと思います。ワタシもそんな旦那さんが欲しいな、なんて」


「ダメだよ! さきこちゃん!」


 発言の途中で、すみは間々崎咲子の手を両手で掴んで、ぐぐっと顔を近づけて真剣に言った。距離感の詰め方が唐突で強引だ。


「ええ?」


 オレは迫力に圧される。


「そんなこと言ってると、わたしの夫と結婚することになっちゃうよ! それでもいーの?」


「よ、よく知らないので」


 なにその、子供を躾るみたいな言い方。


「ここだけの話、わたしの夫はすーぐ、可愛い女の子には手を出すからー。全先正生、知ってるでしょー? 最近、ちょっと話題のー」


「はぁ」


 泣きそうなんでやめてくださいよ。


 そう思われても仕方ないけど。


「本当にだよー? 油断一秒、子育て一生」


「……」


 あ、愛されてる感じがしない標語!


 ストレス溜まってたんだろうな、すみ。


 そりゃそうなんだよ。


 数々の女と結婚、即、別の女と不倫、それからのムードもへったくれもないガチンコ耐久初体験からの一目惚れ告白、さらなる不倫からの逮捕、そして逃亡、最新では妻を相手にしたとは言え公然猥褻事件。


 うん、愛される要素ないな!


「心配だわー。さきこちゃん。わかった! たぶんガードの甘い感じが似てるんだと思う。言い寄られると拒めないタイプ、でしょー?」


「そ、そうかもしれません」


 イエス、とオレの男の方は絶望した。


 この人、超敏感です。


 身体の方もそうだったけど、とか負け惜しみを言いたくなるぐらいに敏感。根に持ってやる。根に持って後でベッドの中で晴らしてやる。


 そのためにも。


「あ、あの。ワタシ、ちょっと用事があるんで」


 ともかく去ろう。


 ホテルから出るという最初の一歩を前にしてとんだ大ダメージを受けたものである。治癒能力を持ってしても決して癒えぬ深い傷跡を心に刻み込まれたような気がした。


「……」


 動揺は拭えない。


 少しよろけながら自動ドアを通って、首相誘拐の現場を過ぎる。千鶴を見つけてミッションを達成せねば、運命の相手に罵倒されただけで終わるぞ、オレの人生。そんなの嫌すぎる。


「体調悪い?」


「え?」


 しかしすみが隣を歩いていた。


「なんの用事か知らないけど、無理しない方がいいよー? それともセンターの病院に行く?」


「全然、体調は万全。あの、どうして一緒に」


「わたしも外に用事があってー」


 すみは笑顔で言う。


「はぁ」


「ほらー、誘拐事件があったから、外出の自粛要請が出てるでしょー? その中を外に出るさきこちゃんはきっと強いんだろうな、って」


「……」


 送ってくれってことか?


 結構あつかましくないか、その要望?


 いいや、この島で戦える人間はヒーロー志望者なんだから困ってる人は素直に助けるんだろう。オレだって、精神状態が普通なら、それくらいのことはした。したとも。


「ど、どこまで行くんですか?」


 取り繕うようにオレは尋ねる。


「クッキーちゃんが学園に向かったっていうから、そのバス停まで行きたいの」


「センター前ですね。一緒に行きましょう」


「ごめんねー。急いでそうなのに」


 すみは嬉しそうに言った。


 その屈託のない表情に人の善意を利用してやったというような裏を読みとることはオレにはできない。たぶん逆の立場なら困ってる人を助けるからこそ、普通に助けられると思うのだろう。


 ヒーローになりたかった人だ。


「同じ方向ですから」


 オレは言う。


「わたしは当照すみ。すみって呼んでねー」


「すみ、さん。間々崎咲子です」


 やっぱりすみは鈍感かもしれない。


 他人の気持ちに。


「さきこちゃんは、正生くんを倒そうと思ってるんだよね? ヒーローになるために」


「え? ええ。そうですね」


 どういう話題の展開なのか。


 オレのぎこちない女としての歩き方に、すみが合わせてくれていた。センターまではそう距離がある訳でもない。当たり障りのない会話をしなければ。


「弱点とか聞きたくなーい?」


「い、いいんですか? だ、旦那さんの」


 突然、なにを言い出すんだ。


「真のヒーローは弱点を攻められても負けないんだよ! 夫には強くなって貰わないと!」


「あえて苦境に追い込まなくても」


 愛情表現なのかそれ。


「聞きたくないのー?」


「聞きたいですけど、それですみさんの夫婦関係が悪くなったりしたら悪いですから」


 そもそも弱点ってなんだ。


「さきこちゃんは正義感が強いねー、流石」


 すみはなにかに納得したようだ。


「そうですか?」


「だから教えちゃう」


「な」


 思わずオレ自身として答えそうになる。


「おとこ」


「?」


「だから、男同士で戦った方がいーよ。さきこちゃんのチームに男はいる? 女相手だと危ないから。これ大事なことだからねー?」


「あ、ありがとうございます」


 言いながら、内心の疑問符は大きい。


 実感としては女相手だと負けてるような気がする。初戦敗退は馬相手だったがメス、ペーパークラフト部は男で勝利、岩倉先輩も男で勝利、五十鈴は女で勝利だが、その前の伊佐美にはほぼ負けてて、さっきので二連敗? くのいちは勝ったというにはアレ過ぎて、いや、アレか、ケダモノになって襲う相手が増えないように遠回しに忠告してるのか。


 むしろ同じ女として嫉妬されてるのかも。


「……」


 ヤバい。すみが超可愛く見えてきた。


「どうしたの?」


 鈍感とか敏感とかよくわからないが、色々考えてオレを守ろうとしてくれてと思うと、やたらと無性に抱きしめたくなる。


「どう、もしてないです」


 抱きしめるか?


 女同士ならハグってことで許されるような気がする。バス停で、別れ際に親愛の証として、は、やっぱり感情表現としては過剰か。


 間々崎咲子はクールな感じにしたい。


「ふーん、最近の高校生活ってどう?」


「どう? と言いますと」


「わたし、特科だったから、学園生活が普通じゃなくて、ほらー、夫が高校生とか割と話題に困るかもとか。ちょっと年齢差があるから」


「あー」


 そういう些細な悩みもあるよな。


「大丈夫だと思いますよ」


 つーか、オレ、高校生になってすぐ改造されたとか言われて、一ヶ月検査で、この島に来てからもほとんど学園生活送ってないんだが。


「男って自分の話そんなにしたがりませんし」


「それはあるー。なんでなんだろうねー?」


「わかられたくないんじゃ……」


 殺気。


 ゾッとするような気配が背後に迫っていた。ギリギリまで消していたが、殺す段階になって隠せなかったような鋭い現れ方。オレは反射的にすみを突き飛ばして、それに立ち向かっていた。


 血飛沫が飛んだ。


「さきこちゃん!」


 道路脇の植え込みにつっこんだすみが叫ぶ。


「大丈夫です!」


 頭からいかれたが、刃は掴む。


 だが、この攻撃は。


「邪魔をするな!」


 男がオレの手から刀を引き抜こうとする。


 すみを狙っているのか?

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