第81話 逆の立場

 正生の逮捕は想定内であった。


 全員が裸エプロンになることはこれから拘留される夫の精神の支えとなるべく企画された言わば餞別である。だからこそ、あさまも恥ずかしいと思いながら参加した。


(けど、失敗した)


 想定外だったのは機関がセラム殺害の捜査をせず、すぐ逮捕に踏み切ったことである。球磨が自主的に事件を報告し、逃亡の意思がないことを示しているのにも関わらず、手順はすっ飛ばされた。


 これはかなりの横暴である。


「仮にも現時点でのヒーロー候補筆頭だぞ? それを問答無用でマスコミの晒し者にするなど、機関はなにを考えてるんだ!」


 球磨は憤り、マスコミを追い払った後、ヒーロー時代の上役に当たる巫女田への直談判を宣言して社務所を出て行く。


「クマちゃん心配だからわたしついてくね?」


 管理人がそれに同行した。


「私は一旦チームに合流しようと思います。場合によってはお父様の力を借りなければいけないかもしれませんから、その方が動きやすいです」


 桜母院も行動を開始している。


「ごちそうさまでした」


 そしてあさまも鬼喰の準備を整えた。


 合宿用に持ち込まれた食材を、昼過ぎから調理して、夕方までに食べ尽くした。どの鬼がいつ必要になるかわからないので一人で。


「目の当たりにしても、信じられへん。兄さんと姉さん、それにウチら、食料は余裕で六人が一ヶ月ぐらい過ごせる量あったんやけど」


 クッキーが言う。


 食事の間中、なにやら熱心に正生が残した機械をいじってなにかを完成させていた。それは四角い箱にキャスターがついて引っ張って転がせるような形になっている。


(ランドセルからキャリーバック?)


 服も残らず食べられてしまったので、今は学園初等科指定の体操着、ハーフパンツとTシャツ姿である。天才らしさは消えて割とただの子供の風体になってしまった。


「食器を片付けて出発、ね」


 あさまは言ってキッチンに向かう。


「それはええんやけど、姉さん。ホンマに実家に顔出さんで良かったん? ウチに付き合わんで、やりたいようにやった方が」


「言いたいことはあるけど」


 心配するクッキーに首を振って笑いかけた。


「今すぐにってことでもないから。王子が死んじゃってる以上、原因となった契約を結んだ家の責任も問われるだろうし、それはわたしにも及ぶかも知れない。それだけのこと」


「せやけど、会って話をせんことには」


「お互いに頭を冷やしてからの方がいいの。どっちにしろ罵りあうだけなんだから。失うものは失ってからの方が、ね」


「姉さん」


 クッキーに心配をかけたくはない。


「愛妻同盟でしょう? まずは正生の一位を守らなきゃ。ランキングが停止されない限り、一人になったクッキーが一番狙われるんだから。わたしが守らなくてどうするの」


 あさまは自分を励ますように言った。


 兄の死から距離を置いている実家。


 才能のない自分にかけられたプレッシャーは家族への愛情では埋め合わせられない憎悪を醸成している。復讐と共に、ヒーローとなって家を見返してやりたい。そんな気持ちがバネだった頃もあった。


 だが、今は違う。


 皿を洗いながら、あさまは冷静な判断をする自分とはまったく別の、すぐにでも正生の元へ行って、この息苦しい島から一緒に逃げたいと思う自分と戦っていた。


 兄を失ってから目を背けてきた弱さ。


 孤独でいることで存在しないことにしてきたものが具体的になってきている。依存心。兄への愛情が家のプレッシャーになったように、それは形を変えて、いつもあさまを苦しめるのだ。


 首相誘拐の報道はバス停で見た。


「……」


 流石のクッキーも言葉を失う。


「なかなかの女難」


 いずもの言葉が思い起こされる。


 占いの才能があったとは知らなかった。


「なんやろ、兄さんが機関の立場を悪くするすべての首謀者みたいになってない? 一方で宇宙との関係を悪化させ、一方で日本との関係を悪化させる、みたいな。て……テロリスト?」


 困惑を隠せないクッキーは苦しそうに言った。


 洒落にならない。


「付け加えるなら、終わったはずの浮気相手を思い出させることで、さらに家庭内環境も悪化させてるわ、ね。まさにトリニティ・ハート・アクションと言うべきかしら」


 変な笑いしか出てこなかった。


「なにが、まさに? 上手いこと言えてへんよ姉さん! どないしょう? これが知れたらもう弁明のしようがないんちゃう?」


「落ち着いて、クッキー」


 あさまは震える天才少女の手を掴む。


「ね、姉さん、手、冷たっ!? 冷や汗!?」


「落ち着きましょう、ね?」


「目、目ぇ怖い。どこ見てんの?」


 しゃがんで視線を合わせようとするとクッキーが青ざめる。鏡がないからわからないが、あさまの方が落ち着かない顔をしているようだ。


(視点が定まらない)


 公園前のバス停、風景がぼやけて、近くと遠くもよくわからなかった。誘拐事件が起きたのは午後三時、すでに一時間が経過している。


 さらに事態が悪化しているかもしれない。


「正生が、白い獣になったりしなければ、バレないから。少なくとも自由に獣になれない現状、力を与えるどころか本人が無力だから」


「そ、そやな。確かに」


「クッキーはまず自分が戦える状態になること。わたしはそれを守る。後は、後は……そうか。あのとき、正生に犯された忍者を消しておけば」


 あさまの混乱は、犯罪者の思考に達した。


 鬼に食わせれば死体も残らないようにすることは実際それほど難しくない。なぜこんな簡単な解決手段を思いつかなかったのか。


「姉さん、それは言ったらアカンて!」


 クッキーが肩を揺さぶった。


 バスがやってくる。


 他の乗客はなかった。


「ごめん。なんかもう頭の中グチャグチャで」


 最後尾に座って、あさまは言う。


「ウチも割とそうや」


 隣に座るクッキーが頷く。


「天才でもそうなるの、ね」


「そらな。兄さん、もう詰んでる気がすんねん」


「そんなこと」


 ないとはあさまにも言えなかった。


「! 誘拐された首相をわたしたちで助けて、ついでに忍者を皆殺しにすれば万事解決!?」


「姉さん、それさっきのより悪いで」


「ごめん。ヒーローらしい解決策がなくて」


「わかるから。とりあえず黙っとこ、な?」


「うん」


 どちらが年上か年下かわからない。


(向かい合って寝てたな、正生とクッキー)


 あさまはふと、今朝見た光景を思い出す。


 軽率が服を脱いで暴れている正生でも、流石に九歳は抱かなかっただろうが、横に座る少女は少し女になったように見える。もともと子供っぽくはなかったが、それとはまた違って。


(なにを語り合ったんだろう)


 甲賀古士の襲来からバタバタしていて、落ち着いて話をする時間もなかった。それ以前に、結婚の話が出てから、まともに寝室を共にしたのはクッキーだけである。


 どういう感じになるのか。


「あのさ」


 あさまは口を開く。


 空気を変える意味で聞いてみようか。


「姉さん。せやから」


「その話じゃなくて、ね」


 しかし年下にこんなことを聞いていいのか。


「どの話や」


「昨日の夜、正生とどうなった?」


 迷いながら、あさまは言ってしまう。


「は!? な、なんなん急に?」


 クッキーが怪訝な顔をする。


「もしかして」


「ちゃう。キスしただけや」


 あさまの発言を遮って、きっぱりと言う。


「どんな風に?」


 気になったらもう止められなかった。


「どんなて、姉さん。そないなことウチの口から言える訳ないやん。いくらなんでも恥ずかしいわ。逆の立場で言えんの?」


「だって、逆の立場に、なれない、かも」


 あさまは口にしながら、不安に飲み込まれる。


 そういうことなのだ。


 この状況に混乱する最大の理由は、正しい形で解決しないことにはもう正生と会うことすらできなくなるからだ。意識しないようにしていたが、もう日常は戻ってこないのではないか。


 楽しくなるはずだった合宿は終わって。


「なれないの? なれない? なれなくない?」


 ポロポロと涙が落ちた。


「いや、いやいや。深刻に考えすぎやって」


 精神的にメチャクチャだった。


 ほとんどクッキーにあやされるような状態でバスは他の乗客を乗せることなく進んでいく。移動の目的は改造中のマタを使える状態にすること。つまりセンターで乗り換えて学園へ向かわなければならない。


「ほ、ほら、姉さん。もうすぐ兄さんのいる警察署や。事件があっても別に普段と変わら……っ!?」


「どうした……の!?」


 バスが通過する警察署前で、よく目立つ男の姿があった。金髪のモヒカン頭の集団がウルフ一家であり、それと対峙する白い制服姿は暮れゆく街並みに浮き上がって見える。


「なにやってんの」


 クッキーが呆れていた。


「逃亡してるよ、ね」


 どこまで事態を最悪に追い込むのか。

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