第62話 奴隷契約書

 だるい。


「んんあ、ああっ」


 ぐっと身体を伸ばして、身体を起こすと、左右に二人ずつ、四人の妻たちが目を血走らせ、じっとりとこちらを睨んでいた。


 畳敷きの和室、たぶん神社脇の社務所。


「……」


 オレは掛け布団を頭まで被る。


「なにを見なかったことにしようとしてんねん! 兄さん! もう回復したんやろ! 起き! なにがどうなったんかちゃんと説明し!」


 ぼふん、とクッキーが乗ったようだった。


「もうちょい、もうちょい寝かせて」


 起き抜けにはキツすぎる。


「アホか! わかっとるん!? ドロッドロになってた兄さんをウチらが風呂に入れて洗って寝かせたったんや! 長年連れ添った夫婦でもそないな介護せえへん!」


 うっすらと記憶がある。


「どけ、クッキー。この際、急所を握り潰して目を覚まさせてやる。三人を妊娠させたというのなら三回だ。すり潰して、治ったら捻り潰して、さらに治ったら千切り潰す」


 球磨がボキボキと指を鳴らしていた。


「わ、わかりました!」


 オレはガバッと起きたが目の前には紙が広げられていた。五十鈴がにっこりと微笑みながら文章を読むように促している。


「え? なに、奴隷契約書?」


 一、全先正生は妻の奴隷になるものとする。


 一、奴隷に人権も自由もない。


 一、妻が求める限り性奴隷でもある。


 一、求められなくても奉仕すべし。


 一、妻を一日十回は褒め称えよ。


 一、余所の女に目を奪われたら眼球を焼く。


 一、余所の女に声をかけたら舌を切る。


 一、余所の女に触れたら手を落とす。


 一、余所の女に……。


 読み続けると頭がクラクラする文言がズラズラと並んでいた。寝ている間に怒りが増幅されていることは間違いないだろう。


「サインはこの呪われたペンでどうぞ」


 ルビアが見るからに禍々しい形をしたペンと呼ぶにはあまりにも骨という代物を渡そうとする。たぶんこれで署名すると終わりだ。


「落ち着いてと言っても落ち着けないとは思いますが、ま、まずは話を聞いてください。そもそも、滝に落とす前に話を聞いてくれればこんなことにはなってなかった訳で」


 事態の深刻さに思わず丁寧口調にもなる。


「なんや、ウチらに責任転嫁するんか?」


 クッキーのテヤン手がオレの顎を掴んだ。


 頬に機械の指が食い込む。


「ひ、ひはふへ」


「クッキー、とりあえず聞いてあげましょう。聞いてから、その怒りを契約書の文言に追加しましょう。正生にとって、これはヒトとして最後の自由なんだから、それくらいは、ね」


 五十鈴は硬直した笑顔でオレを見る。


「……」


 マジ怖いんですけど。


「姉さん、奴隷の返事はワンにせえへん?」


「それならお腹を見せて服従のポーズとセットにした方がいいかも、ね。ケダモノだもの」


「まてまて。犬は可愛すぎる。あれは雪男の類だ。イエティ! 返事はすべてイエティ!」


「面白いですねそれ」


 すっかり四人が意気投合してる。


「あ、あの、くのいちと当照さんは?」


 話をする前に、オレは確認した。


「それを聞いてどうすんの?」


 クッキーが言う。


「あの、まだやりたりませんか?」


 ルビアがため息を吐いた。


「別室で寝ている。鬼たちが警護しているが」


 球磨が拳を握り込んだ。


「目を焼かれる覚悟があるなら見る?」


 五十鈴の背後に控えていた鎖の鬼がピースした指先に炎をまとわせる。完全に目潰しの上で焼く魂胆だ。元・矢野白羽にはそこまでされる謂われないと思うが、口にはできない。


「いや、無事なら構わないんだけど」


 オレだって必死だった。


 閉じこめられた空間で巫女田イソラの万倍返しに殺されかけたオレは、潜在能力らしきものを発揮した。白い獣となって逆襲したが半日がかりで淫魔を制圧したと思ったら妊娠して強くなったと訳の分からない感謝をされることになる。


 その時点では、白い獣としての性欲が、自分の性欲なのか、淫魔の能力に引っ張られた性欲だったのかの区別がついていなかった。


 そして滝壺に落とされたら、くのいちに襲撃されていて、ほぼ負けかけていた。鎖を解くために危ないと思いながらも再度白い獣になる。


 そこで性欲が完全に自分の性欲だと理解したが時すでに遅く、くのいちを襲って、それだけでは足りず、妻である四人を襲うことにしたのだが、なぜか当照さんを襲うことになった。


「……という訳でして、納得してくれとは言わないんですが、滝に落としたからには、事情ぐらいは汲んでくれてもいいと」


「意識はあったんやろ、我慢できんかったん?」


 クッキーは納得できないようだった。


「あの、言い訳にしかならないとは思うけど、あの状態になると気が大きくなるというか、感覚がいつもより鋭くなって、本能にあらがえなくなって、異性の匂いを嗅ぐだけで」


「子供を作りたくなるのか」


 球磨が言った。


「はい。そうです」


 酷いことだが認めるしかない。


「それで、なんでクッキーが最初だったの?」


 五十鈴はオレを睨む。


「え? この中では襲いやすい獲物だから、かな。あのときは、全員を妊娠させる気だったので、大した意味はないです」


 おそらくクッキーに対する好感度が妻たちの中で一番高かったからだが、オレは言葉を選んだ。一夫多妻に順位を付けるのは危険すぎる。


 これ以上、怒りを増やしたくない。


「ま、そんなとこやろ」


 クッキーはなにかを察したようにオレを見た。


「気が大きくなる、か。あんだけの力があればそうかもしれん。あの姿なんは、兄さんの改造で埋め込まれた宇宙の獣とやらの影響やろうし、獣の生存理由は繁殖やろう。そこにきて人間は年中発情しとる。筋は通る」


「そ、そういうことです」


 解説に感謝します。


「疑問なのはすみさんに負けたことです」


 ルビアが言った。


「肉体的に勝つ要素はひとつもなかった」


「それはそうだな。また正生があの状態になったときにどう止めるかを考える意味でも、なにをされたのか聞かせてもらおう」


 球磨が正座するオレの下半身を見る。


「それは……」


 オレは口ごもるしかない。


 洗脳能力。


 おそらくそれだった。


 行為の真っ最中に当照さんが発した「全部出し尽くして」というような一言の後、肉体の限界まで行ったのだ。治癒能力によって単なるセックスで限界を迎えるはずなどなどないオレが気絶したのだから、快感とは無関係だろう。


 だが、本人に自覚がないらしい能力だ。


 最低最悪レイプ犯のオレを殺さないで話を聞いてくれる四人は信じているが、どこでだれが聞いているかわからない。くのいちもいる。ここで伝えていいものなのかの判断ができない。


 せめて当照さん本人に確認してから。


 意図的ではなかったが、もう巻き込んでしまったし、巻き込まずともその能力が利用されないように守るつもりではあったのだ。オレなんかに守られたいかどうかは別としても。


 いや、別にならないんだけれども。


 どの面さげてこれから向き合うんだよ。


 気が大きくなって、あんなことやこんなことを言ったりやったり、ああもう死にたい。オレひとりの命ならば死ぬべき。それこそオヤジを巻き添えでも死ぬべきかもしれない。


 だが、子供を三人も作ってしまった。


 死ぬのも無責任に過ぎる。


「負けた側に聞くより、あの人に聞けばいいでしょう? 妻になるかどうかは別にしても、本当に妊娠してるなら、正生とわたしたちで責任を取る以外ないんだから」


 黙り込むオレに五十鈴が言う。


「それなんやけど、ホンマに妊娠してんの?」


 クッキーがオレに言う。


「……巫女田イソラが強くなったのは事実だ。オレはその母親の能力を見たことがある訳じゃないけど、妊娠の専門家の娘だから」


 俯いて答える。


「カクリ様の言葉によれば、受精段階で夢魔の反応は出るらしい。強くなるだけなら着床と出産は必ずしも必要ではないそうだ。ただ、若返りには妊娠の過程は必要になるそうだが」


 前から思っていたが球磨はやけに詳しい。


「それは、子供を産ませる能力ですね」


 ルビアが言う。


「巫女田の一族が子供を産みたがるのはあっちの勝手だからいいけど、大事なのは忍者の方でしょう? どうやって許してもらうか、許してもらえなければ正生が刑務所送りになる」


 頭を抱えて、五十鈴が嘆く。


「刑務所、ですか」


 やっぱりあったか。


「そうならないようにせんとな。あっちも襲撃して犯されたなんてヒーローとしては恥もいいところやから大っぴらにはしたないやろうけど、兄さんの強さとして考えたら、手段を選ばず排除したいかもしれん。交渉できればええけど」


 クッキーが喋っている途中で、部屋の襖が開いた。室内のだれもがイヤな予感を抱いたと思う。噂をすれば影、なにより忍者はまさに影。


「あさま、くのいちが!」


 駆け込んできた鬼の抱えた丸太で、全員の血の気が引く。逃げられた。心証を考えればまさか縛っておく訳にもいかなかっただろうが、古典的な忍術ぐらいは警戒してほしい。


 全部、オレの自業自得だけれども。

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