第38話 白羽の矢

 空を覆い尽くす黒い雲に、雷光が走るのが見える。遂に来た。わかっていたことだ。だから雷対策はある。クッキー謹製、放り投げて使う避雷針がズボンのポケットに入っているのだ。


 が、両腕が動かない。


 橙と藍の鬼に肘を完全に潰されていて、指先はともかく取り出して投げるとかどう考えても無理。いや、貰ったときに思ったんだよ。投げられないときどうすんだろうこれって。


「……どうにもなんねぇ」


 思わずつぶやいた。


 ヤバい。


 オレは落下しながら絶望する。


 死なない程度の威力だったのはおそらく術の加減によるものだと九歳の天才は分析していたが、それはつまり、殺す気の状態においては殺すつもりの雷が落ちてくるってことだ。


 ゴロゴロゴロゴロ。


 雷鳴が轟く。


 耐えられるか?


 ピシャ!


「勝手に生焼けにすんなヒヨッコ!」


 光った直後に目の前に飛んでいたのは全身を炎に変えた橙の鬼だった。それは女の形をしていたときよりも鬼そのものの形相で、気配が段違いに強烈になっている。


 雷は工場に落ちて炎上。


「表面だけ焦がして中が生とか不味いだろうが! しっかり強火で中まで火を通すんだよド素人が! 肉汁を閉じ込めて」


「……」


 ダメだ。


 食材として状況が悪化した。


「やめてよ。人間は生をそのまま……」


 そしてオレを挟むように藍の鬼がにらみ合う。繰り広げられる食人鬼たちの美食談義から意識をそらし、こちらを見上げている五十鈴を見る。目線は合わなかった。


 鬼たちを見ている。


 オレを殺すつもりにしては集中していない?


 落下点は工場の屋根だった。オレはタイミングを合わせてもう一度頭突きをかます。衝撃で頭がグラグラするが、死ぬよりはまだましだ。


 屋根を突き抜け、よくわからないコードやらなんやらに絡まりながら床まで落ちる。まだ腕も脚も動かないが、鬼たちの気配は屋根の上に留まっていた。どうやら人肉食についての論議が白熱しているようである。


 余裕を見せている。


「逃げられねぇってか」


 それでもオレは手首で床を叩いて転がりながら移動する。腕は軋むが、少しでも脚を回復する時間を稼がなければ動けない。


 どうやって状況を打開するか。


 五十鈴が出していた鬼たちの気配は散らばって大きくこの辺りを取り囲んでいる。その意図は明らかだ。外からの邪魔を防ぎ、内側の食事、もとい殺しを外に知らせない。すべてを鬼の腹に葬り去る算段。


 この配置を感知して本気で殺す気だと理解できた。簡単に言えばエサ場を作ったのだ。獲物を逃がさないことだけを重点に置いている。五十鈴自身が雷まで手を出さなかったのもあの強力な鬼たちに任せているという意味だ。


 そして当の鬼たちは遊びである。


 久々の人間食であるようなことは言っていたのである意味真剣さは感じるが、それは食うオレに対してでも、食わせている五十鈴に対してでもなく、己の食欲に対する真剣さだけだ。


「ン、なことで、命取られてたまるかっ」


 オレは背中や腹を機械に打ち付け、その度に体勢を変えながら工場の中を移動する。どこか隠れられる場所はないかと思ったが、そんなものはなさそうだった。


 転がった場所が濡れている。


 隠れようとするルートが丸見えだ。


「オレのバカ」


 土砂降りの雨が降り注ぐ屋根の音を聞きながら、オレは床に大の字に転がった。この期に及んでの無駄な努力は精神的に堪える。打つ手が思い浮かばない。鬼はどう見ても本気を出していないが、それでも一対一ならやっと互角ぐらいの強さだ。


 それが連携して確実に詰めてくる。


 おそらくクッキーのデータにもない鬼。


 必殺の武器、その類。


 ランキングのルール上、この島の戦闘では使われない武器はある。それはわかっていた。相手が侵略宇宙人となれば使えるような、使った時点で殺してしまうようなものは、殺意そのものなので使われない。その暗黙の了解があって、はじめて襲撃も決闘も成立する。


 死なないし、殺されまではしない。


 だからこそ無茶もできる。


 岩倉先輩相手のときは戦闘のスタイルとして殴り合いでパワーを上げていくから限界を超えれば死ぬとは思ったが、それでもパンチ一発で死ぬものでもないと互いに認識していたことは間違いなく、巨大化させれば限界を超えても死にはすまいと思ってカウンターを狙ったりもした。


「油断だったのか?」


 オレはつぶやいた。


 けれど、その暗黙の了解は五十鈴の兄を死に至らしめている。絶対ではない。それもわかりきったことだ。必殺の武器などなくとも人は死ぬのだ。野比にその事実を聞いていたのに、本人に直接確かめたのは軽率だったかもしれない。


 スイッチを入れてしまった。


「いや、油断じゃないな」


 でもそのことを後悔はしていなかった。


 痛みを堪えて、身体を起こす。


「完全じゃねえ、が動ける」


 オヤジ。悪くない能力だぜ、これ。


 敵なんだ。


 オレは、今、あの女の目的を奪おうとしているのだ。それが無関係な人間を殺してでも自らの手で殺したい相手への復讐だとしても、自分の人生を捨てて遂行したい目的を奪おうとしている。間違いなく敵だ。地球侵略を企図する宇宙人よりよほど現実的に五十鈴の敵なのだ。


 だから、戦ってる。


「殺意なんか、最初からあったに決まってる」


 スイッチなんか関係ない。


 逆も然り。


 オレにも目的がある。


 オヤジがテロリストだったのでオレはヒーローを目指すことにした。月暈機関を信じるかどうか、死刑が回避できるかどうか、そんなことは関係ない。オレのすべきことは、この能力を正しく使うことだけだ。


「オレがヒーローなんだからな」


 屋根の板が溶けて床に落ちてくる。


 炎の鬼が揺らめきながら現れ、土砂降りの雨に紛れるようにして水になった鬼も落ちてきた。工場内が水蒸気で白く満たされる。


「いいんだな、こいつを先に倒した方で」


「倒した方が好きな食べ方で食べる」


 勝手なことを言ってくれる。


 だが、良いことを聞かせて貰った。厄介な連携はもう取らないということだ。我先にと来るなら、実質的には一対一、耳を食わせた代償としては悪くない。美味いオレ万歳だ。


 行くぞ。


「ッ」


 踏み出した一歩目で治っていない骨に激痛が走ったが、構ってはいられなかった。連携を取らなくとも受けに回れば翻弄されるのは間違いない。互角ならこちらが主導権を握ればいい。そもそも鬼の相手なんかどうでもいいのだ。


 オレの狙いは、五十鈴あさま。


 気配を頼りに、工場の壁を突き破って直進する。


 吹き出した水蒸気が土砂降りの雨に溶けた。


「逃げた!」


「逃がす訳ない」


 背後から聞こえた声。


「!」


 しかし気配が前に移動する。


 正確に言えば、それはまとわりつく湿気のように広がっていたものが収束する感じだった。壁の穴を通ったことで具体的に形を感じ取れた。


 床を転がってできた濡れた痕跡のように。


 水蒸気か。


「フラッシュ殺し!」


 迷わず地面をぶっ叩いた。


「空振り」


 現れた藍の鬼はそう言ったが、オレの予想通り距離は離れていた。空気と一緒に水蒸気も吹き飛んだのだ。陥没したアスファルトの下に流れる水音を感じてオレは飛ぶ。


 ひとつわかった。


 命令も聞かず、口を開けばケンカになるような鬼たちを五十鈴が同時に出した理由、雨を降らせ、橙の鬼に水蒸気を生み出させた状態が、藍の鬼にとって最高に戦いやすい状態だからだ。


 ぶち抜いた水道管から水が噴き出す。


 そこから爆発のような水蒸気を発生させ、炎となった橙の鬼がこちらに向かってくる。雨の時点でわかっていたが、水ぐらいでは弱まる様子もない激しい熱と炎だった。


 藍の鬼の気配が水蒸気に広がっていく。


「こんがり焼けちまえ!」


 炎が大きな口と牙を剥き出しに吠えた。


「っく」


 突き出された拳をガードするも、腕をすり抜けた炎が上半身を焼いていく。そして遅れてやってくる拳そのものの衝撃で幾枚もの壁を突き破って吹き飛ばされる。


 簡単に五十鈴を狙わせてはくれないか。


「!」


「焦げる前にいただくよ」


 立ち上がった先にも水蒸気、背後に収束する気配を避けると、振り下ろされた水の刃がまっすぐに建物と地面を両断している。


 腕を切り落とされるところだった。


「連携を取らなくてもこれかよ!」


 オレは地面を蹴って、水蒸気を吹き飛ばしながら高く飛び上がる。それほどの高さのない建物の並ぶ工場区一体が既に水蒸気の白に沈んでいた。藍の鬼の気配は全体に広がっている。


「道理で、気配がデカい訳だ」


 見える本体の気配が強いのでわからなかったが、水蒸気全体が藍の鬼なのだ。正確に言えば水だろうが、瞬時に背後を取られたのではなく、背後にある水に力を集中させて見せるだけで、移動したのと同じ意味がある状態を作り出す。


 翻弄される訳だ。


「なら、狙うは」


 橙の鬼だ。


 水と火、そういう目線で見れば、おそらく橙の鬼も火によって藍の鬼と同じようなことができるのだろうが、まさかオレ一人を相手に町を火の海にして戦うことは召還している五十鈴が許さないだろう。そこまでされてはヒーローを殺すとか殺さないとか以前に不適格扱いされかねない。


 最大効率で戦えない方を潰す。


「あっちか」


 オレは目標を定める。


 動く熱の気配を感知しながら、着地点のの工場の屋根をたたき壊して、水蒸気を吹き飛ばす。橙の鬼さえ倒せれば、その熱で広がっている藍の鬼の力も必然的に弱まるはずだ。


 問題は、あの火力。


「ってぇ」


 焦げた腕の激痛を堪える。


 パンチ一発を受ける間に骨まで焼けたような気がする。倒すためにはこちらから近付かなければならないが、果たしてあの炎に拳から突っ込んで無事でいられるものなのか。


 五十鈴を倒すまでに満身創痍では。


「……」


 中に入った建物は小さく、オヤジの工場を思い出させた。完成品がどこまでハイテクになろうとも、部品を作る金属加工はそこまで変わらないのだろうか。小さい頃は勝手に入って遊んで、よく叱られた。


「! そっか、そうだ」


 オレは立ち止まって周囲を探す。


「あった」


 消火器。


 赤くてよく目立つそれを拾って、オレは再び屋根の上に飛び出す。この規模の工場ではダメだ。もっと建物の大きな。


「みつけた」


 藍の鬼の気配が集まってくる。


「あっちだ」


 オレはそれを無視して設備の整っていそうな工場へ向けて走る。大きく広がった鬼たちの内側であれば、それなりに自由は効くはずだ。


 強い鬼なんだろうが鬼任せ。


 それが油断だぞ、五十鈴。


「ここで、いいか」


 目に付いた消火器を数本さらに拾って、目立つように地面をぶち抜いて音を立てながら、オレは目星をつけた建物の前で待ちかまえる。


 橙の鬼の気配が迫ってくる。


 消火器の安全ピンを抜いて待ちかまえた。


「なんのつもりだ?」


 姿を現した橙の鬼の火力は増している。


 立ち止まるだけでアスファルトが溶けるぐらい熱い。そのおかげで水蒸気はさらに上昇して藍の鬼がこちらを察知できないようだが。


「知らないのか? 消火器だよ」


 オレは言う。


「それであたしの火を消せるとでも?」


「どうかな? 欲求不満の鬼婆の身体の熱なんか自分でなんとかしやがれって感じかな?」


 あえて挑発的に。


「……」


 無言になった鬼の炎がさらに激しくなる。


 ここだ。


 オレは深く息を吸い、集めた消火器を地面に叩きつけ一本は噴射して消火剤をぶちまけながら背後の工場に突っ込む。


「目眩ましのつもりか! バカが!」


 白煙を押しのけ、炎の鬼が入り込んでくる。


「……」


 どこだ。


 オレは天井を見上げながら、ドアを構わずぶち抜いて奥へと駆け抜ける。大きな工場ならあるはずなのだ。なにかしらの。


「逃げられると」


「……」


 逃げねぇよ。


 橙の鬼が通り過ぎた場所から立て続けに火災報知器が鳴り響いていた。そしてロボットが稼働している生産ラインと思しき場所でオレはそれを待ちかまえる。


 息を止め、拳を握りしめ、力を溜めて。


 自動消化設備が作動した。


 おそらくは二酸化炭素だろう。


「!」


 橙の鬼の身体から炎が剥ぎ取られた。


 フラッシュ殺し!


 オレは鬼の顔面めがけて飛び上がり、渾身の拳を叩き込んだ。肉体そのものの熱に手が悲鳴を上げたが、構わず振り切る。


「ぎゃっ、ぎ」


 歪んだ表情のまま、鬼は火達磨となって建物の外まで吹っ飛んだ。手応えあり。気配も著しく弱まっている。すぐには立ち上がれまい。


 町工場の息子、なめんなよ。


 二酸化炭素の中ではオレも危ないのでそのままの勢いで工場から飛び出し、そのまま五十鈴の気配へと向かう。


「炎鬼、やられた?」


 まだ広がっている水蒸気から声がする。


「……」


 水相手なら、それこそ液体窒素もおそらくどこかの工場にはありそうだが、それを探す時間も扱う技能もオレにはない。無視して地面を踏み抜き、気体を弾き飛ばして進む。


 五十鈴さえ倒せばそれで終わる。


 工場の屋根をジャンプしながら駆け抜けると、収縮する水蒸気から五十鈴の姿は露わになっていた。その位置なら、藍の鬼の救援より早く。


「音でバレバレ」


 こちらを見て、弓を構えた。


「その武装こそバレバレだ!」


 拡大加速。


 テンションが上がりきっていた。


 オレは手元から数を増して広がってくる光の矢をすべて避けながら、五十鈴に迫っていく。手こずらせてくれたがこの女自体が強い訳ではない。軽く気絶させてまず鬼たちを消す。


 呪術さえ終わらせれば。


「鎖鬼、おいで」


 五十鈴が胸元に手を突っ込んだのはまさに、オレがその額めがけてデコピンを放とうとしていたそのときだ。クッキーによれば、頭を揺さぶればほぼ能力は無力化する。


 この期に及んで鬼を喚んでも無意味。


 そう思ったのだが。


「!」


 オレは直後、地面に転がっていた。


 両腕両脚がまったく動かず、見ると鎖に縛られている。訳がわからない。いつ縛られたというのだ。まず大体、直前のオレの両腕も両脚も揃った状態ではなかった。どうやって縛る。


 それに力を入れても千切れないこの金属。


「手は打っておくもの、ね」


「! な、お前!?」


 見上げて、オレは五十鈴の横に立つ女に戦慄する。その手からはオレを縛る鎖が伸びていて、見覚えのある寝癖のような頭の下で、眠たそうな目がこちらを見つめている。


「矢野白羽」


 にわかに信じられない。


「そんな名前を名乗ってたの?」


 五十鈴が隣を見て言う。


「可愛いのが良くて」


 矢野ははにかみながら答えた。


「可愛い? 白羽の矢?」


「呪われる側にもヒントをあげて、チャンスを与えて、それでも鎖鬼の魅力に落ちるなら本物でしょう? 本当の敵はこの島の油断した男ではない訳なんだから」


 魔性の目で、オレを見下ろし、矢野は言う。


 ヒント? チャンス?


「つまり、岩倉先輩とオレをぶつけたのは」


 オレは五十鈴を見た。


「わたしってことになるわ、ね」


「……」


 あっさりと認められると言葉が出ない。


 待てよ?


 矢野と出会ったのは登校初日の朝。


 教室で五十鈴と隣の席になるより前だ。


 仕掛けが早すぎるだろ。


「鎖鬼の血に触れると呪われ、身体の自由を奪われる。そのやり方までは指示してないけど、あなたもいい思いをしたなら仕方ないでしょう?」


 五十鈴はうなだれるオレに言う。


「いい思い?」


 パンツを洗ったことが?


 呪われるほどでもないと思うのだが。


「だから、病院にも行ったのに」


 オレの表情を察してか、矢野が言う。


「なんの話?」


「鎖鬼、あんまり彼にいい思いさせてなくて」


「そうなの? スケベそうなのに」


 二人の言葉が矢のようにオレに突き刺さる。

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