第37話 大鬼
あっさりと認めやがった。
ヒーローを殺すためにヒーローになる。
野比の話を聞いても半信半疑だったが、本人が認めるとなれば、強固な覚悟を持ってるということだろう。もはや説得は通じまい。
「……止めるしかないな」
オレは言う。
「事情は聞いたが、世間のヒーローに対する信頼をぶち壊されるのは困るんだよ。オレはそれに乗っかるつもりだからな」
二十数体の鬼の女たちに警戒しながら、クッキーの気配が遠ざかっていくのを確かめる。鬼の何体かで追わせるかと思ったがそこまではしないようだ。
それだけオレを警戒しているのか。
あるいはクッキーをもう警戒するに値しないと評価しているかだだろう。もともと直接の戦闘で五十鈴に勝てる目はないと天才自身が分析していた。そして目の前には雨に濡れ転がっている白い鎧、複製キュイ・ダオ・レーンである。
使わせてしまった。
昨日の作戦会議で説明はされていた。自らにダメージを受けたときはじめて使えるようにすると自分で縛っていた切り札である。強いかもしれないが否定したい力そのもの。そこまで追い込ませてしまったのだ。
そしてそれをも破られている。
降参しかけていた。おそらくは呪いだろう。
「死刑回避? くだらない」
五十鈴は胸元に手を突っ込み例の石を掴む。
まだ鬼を増やすのか。
「あなたがその能力を得てる時点で、あなたの父親は死刑にされるに足る理由があるでしょう? 無罪ではありえない」
「罪がないとは言ってねぇよ」
挑発だ、オレは自制する。
五十鈴は待ちの戦術を得意としている。オレに仕掛けさせるのが目的だ。先走るな。山を越え谷を越えしてきてちょっと息もあがってるので休みたい。それと既にこの工場地帯周辺に参加者が集まりだしている。
下手に倒して横取りされては困る。
作戦通りにマタが動くにせよ動かないにせよ、このままここでKOを狙うのは無謀だ。気絶させれば呪術であれ夢魔由来の力は消えるとのことだが、一分間の間オレは動けなくなる。できるだけ邪魔が入らないようにしたい。そのためにはなんとか戦う場所を移動したいところだが。
「……死なせたくないだけだ」
オレは言う。
こっちが仕掛けるのを待つ五十鈴が移動する可能性は低い。なんとか鬼を突破して五十鈴を抱えてどこかへ運んでしまうべきか。まだ他のチームが近付いていない今の内が最善だろうか。
「
悩んでいる間に五十鈴は鬼を増やした。
現れたのは燃え盛る髪の毛を持つ鬼の女と、暴れ流れる髪の毛を持つ女の鬼、橙と藍、巨乳と貧乳、陽気そうな顔と陰気そうな顔、対照的な二人だったが、どちらも体格は二メートル超、強い気配を放っている。
以前に感知したことがある。
「……」
オレは身構える。
こちらの能力を萎縮させられた。五十鈴の中に混ざっていた気配の一部に間違いないだろう。なんとなく予想はしていたが、宿している鬼の気配を纏っていたのだ。
「あれを倒して」
五十鈴が命令する。
「!」
来るか。
「おーい。おいおいおーい。なんかヒヨッコがあたしらに命令してるよ? 何様? 何様のつもり? うり? うりうりうりうり?」
橙の鬼が五十鈴の頭を掴んで黒髪をくしゃくしゃにしている。完全に子供扱いだ。見た目の年齢にはそれほど差があるように見えないが。
なんだ?
オレを囲んでいる鬼まで呆気に取られている。
「久々に見たら胸が育ってる。ふーん? それで女として勝ったつもりなの。ふーん? だから命令できるほど偉くなったの? ふーん?」
藍の鬼は五十鈴の巫女装束の胸元にじろじろと顔を近づけ、やたらに尖った爪で襟元を摘んでは中をのぞき込んでいる。うらやましい。
でもなんだ?
「……」
やられている五十鈴が無表情なのが怖い。
「命令なんか聞くわけないだろ?」
「命令される謂われがない」
そして口々に戦いを拒否する。
どうなってるんだ。
これはオレのチャンスなのか?
「あさまに大鬼格は荷が重いでしょ?」
「アノ有様チョーウケるんですけど」
「ごはんぐらいじゃ動かない鬼だしねー」
他の鬼は駄弁ってる。
どうも様子を見るに、鬼たちは五十鈴に対して忠誠心があるという雰囲気ではないようだ。そしてオレに対しても特に敵対心は感じない。命令に従うか従わないかという差はありそうだが、仕事は最低限という具合。
割と見た目のギャルっぽさのまんま?
「……」
ならば、ここで行くか。
クッキーはもう気配を感知できない距離。
それに正直なところ、降りしきる雨の中で露出の多い女たちに囲まれて落ち着かないのはこっちである。なんかいい匂いがすんだよ。ヤバいんだよ。戦うテンションじゃなくなるんだよ。
パシャっ。
足下に出来上がっていた水たまりを踏み込んで、オレはまっすぐに突進した。鬼の女たちが気付いて金棒を振り回したが、すり抜ける。
狙いは五十鈴本人のみ。
映像で見た鬼のスピードなら振り切れる。
「あの男を好きにしていい」
五十鈴がオレを指さしたのはそのときだ。
「うり?」
「ふーん?」
橙と藍が即座に振り返る。
「!」
思わず急ブレーキをかけて、オレは思いっきり後退した。気配に飲まれる。それは身に覚えのある萎縮だった。自分の手で心臓を握ったときのような、命を失う感覚に近い。生命の危機という恐怖。
「わかって言ってるんだよな、あさま」
橙の鬼の身体の表面が白い靄に覆われしはじめていた。落ちてきた雨が即座に水蒸気に変わっているのだろう。明らかに熱い。
「ええ。もちろん、ね」
五十鈴がその向こうで笑っている。
「好きに楽しんで」
「言われるまでもない。久々の若い男」
藍の鬼がそう言った次の瞬間にはオレの背後に回り込んでこちらに手を伸ばしていた。気配で反射的に避けたが、完全に挟まれた。
「瀑鬼、いい加減に胸は諦めろよ。男を食っても育たないのはわかってんだろ?」
「炎鬼、もうすぐ千人目だから。そうしたらきっと今までの蓄積が開花するから」
「千? 万の間違いだろ」
「億とか豪語するより謙虚」
オレを挟みながら、どうにも不穏な会話を繰り広げている。バカ話のようでまったく隙が見あたらない。オレは唾を飲み込んだ。
食う?
「性的に?」
いや、そんなこと考えてる場合じゃ。
「こいつ、ちょっと期待してるか?」
「こいつ、さっきから胸ばかり見てる」
「余裕あんじゃん?」
「頭からいかれるのに」
ああ、バリバリムシャムシャの方ね。
「五十鈴、殺す気か?」
引きつり笑いをしながらオレは言った。
色気の欠片もない擬音が頭の中を駆けめぐっている。なんとかペロペロとかコチョコチョとか穏当なレベルに落としてもらえないだろうか。
「あなたが機関に告げ口したら」
五十鈴は両手を挙げた。
「わたし、ヒーローになれなくなるかもしれない。事故よ、事故。未熟さ故に、鬼を暴走させてしまいました。ごめんなさい、ね?」
「よくも」
オレは我慢していた言葉を口にする。
「……兄を事故で失って言えるな」
「失ったからこそ言えるの。わかる?」
「わかってたまるか」
オレの言葉を待ちかまえていたかのように、鬼たちがその牙を剥き出しにして襲いかかってくる。事情に同情していたオレがバカだった。
挟まれての戦いは不利。
「楽しませてくれよ!」
燃え盛る髪をなびかせ、橙の鬼の脚が鋭く伸びてくる。かろうじて避けるが、掠めた制服に火が点いた。ただの素手でも素足でもない。
そして反撃する余裕もない。
「勝手に楽しむんだけど」
またこちらの背後に気配ごと移動した藍の鬼がオレの後頭部に合掌した両手を振り下ろしてくる。重たい衝撃に地面に叩きつけられる。
なにがどうなって。
シャン、シャンシャン。
バウンドしながら、オレは神楽鈴を持ち踊り始める五十鈴の姿が視界に入る。取り囲んでいた鬼たちが周囲に散らばっていくのも感知していた。おそらく言葉通り殺す気で。
完全に狙いをオレに絞り込んだ。
「瀑鬼、パース!」
立て直すまもなく、オレの身体はサッカーボールのように橙の鬼に蹴り上げられる。腹を思いっきりいかれ炎上、建ち並ぶ工場の屋根を見下ろす高さまで一気に浮いた。
「がふっ」
血反吐、相当に重たい蹴りだ。
「炎鬼、ぱーす」
自由落下する間もなく、空中に飛んできた藍の鬼はオレを地面にたたき落とす。そして見えてくるのは落下点で待ち構える橙の鬼、これは完全に、ハマった。
ラリーがはじまる。
乱暴に蹴り上げる橙と、それを確実に戻す藍、打ち上げられ、打ち落とされる一瞬がつづく。制服の上着はすぐに燃え尽きた。それはいい加減なようで、オレの身体の各部を確実に破壊していく。まるで肉をやわらかくするみたいに。
「瀑鬼、こいつ回復するんだろ?」
「
「なら、つまみぐいできんじゃね?」
「つまむ? こう?」
そして流れの中で耳が引き千切られた。
「ぐがっ」
「あたしの発案だ。先に実行するな、よっ!」
反対側の耳も蹴り上げながら千切られる。
「がああああっ」
オレは打ち上げられながら、遅れて降り注ぐ自らの血飛沫を浴びる。ぐるぐると錐揉み回転しながら、鬼たちが耳を口に運ぶ様子を目撃する。それは痛み以上におぞましい光景だった。
きっちり咀嚼され、舌の上で吟味されている。
「うーまっ!?」「おいしっ!?」
同時に言っていた。
「なにこいつ、なに食って生きてんの?」
「食べたことない。こんな味の人間」
ラリーをつづけながら、鬼たちが興奮しているのがわかった。まったく嬉しくない褒め言葉である。オレは小学校の遠足で牧場に行ったことを思い出す。放牧されている肉用牛を見て「うまそうな牛」そう叫んだガキの自分を殴ってやりたい。
ひどい気分だぞ。
「ストップ! ストップ瀑鬼!」
「うん。炎鬼。とめよう」
鬼たちはオレを使ったパス練習を止め、地面に降ろすと、耳の回復を見つめていた。激痛のおかげで意識がハッキリしていたオレは、涎を垂らすその様子を間近で見せられる。
踊り食いとかもう一生しません。
「おーおー、すごい回復力」
「炎鬼、問題は味。元通りになってどうか」
「だな。味も元通りだったらどうする?」
「どっかに繋いで飼育しよう」
「なるほど、生かして収穫する」
「半分こ。絶対に半分こ」
「もちろんだ。あたしらの獲物だからな」
舌なめずりをしながらの会話に戦慄しながら、オレは脱出の方法を考えていた。アシタバじゃないんだ。ちょいちょい摘まれてたまるか。だが、両腕と両足を、脚を広げて二人で踏まれているので身動きが取れない。
軽口たたきながらも踏み締められている。
「っ、く、うううう」
痛みに耐えるのが精一杯だ。
骨が完全に砕け、そこを粉々にされるような感覚。おそらくは回復によって破壊が繰り返されて、この苦しみは終わらない。考えたことがなかったが、オレは死ねるのだろうか。
「治ったな、完全に」
「今度は、直に」
橙と藍はうれしそうに言う。
「そうだな。やっぱり丸かぶりだ。瀑鬼、逃がさないように抑えててくれ」
「炎鬼が抑えてて、もう我慢できない」
「おーい。今度はあたしが先だろ」
「胸があるんだから遠慮して」
「関係あるか? それ?」
「関係ある。恵まれてる側が譲るべき」
醜い争いというのはこういうことだろう。巨体の女たちが頭の角をつき合わせながら食事の順番で揉める。自分がエサにされてるんでなければバカバカしくてやってられない。
だが、これは一筋の光明だった。
「耳は譲りなよ」
オレは橙を見て言った。
激痛はあるが、余裕を見せろ。
「あ? なに喋ってんだ、呻いてろ」
「恵まれてる方が譲るべきってのは、もっともだとだと思ったんだよ。美人だし、おっぱいも大きい。それに強い。だろう?」
キツい反応だが、予想通りだ。
「命乞いか? 食い物に褒められたって」
「耳が一番おいしいとでも?」
オレは言う。
「……ふーん。炎鬼、先、食べていい」
案の定、藍がこっちの仕掛けに食いついた。
こいつらは欲望に忠実なんだ。
「は? 瀑鬼、なにを急に……」
「美貌と強さはこっちが恵まれてる。だから譲ってあげる。お先にどうぞ?」
「おーい? なにを言ってんだ? 食い物の戯れ言に付き合ってもなにもいいこと」
「どこがおいしい?」
藍は橙を無視してオレに尋ねる。
「オレに聞く? ま、自分を食ったことはないけど、耳なんて軟骨だってことはわかる。つまみだよ本当に。あえて挙げるなら腕とか脚、内蔵は改造されてるから人間らしいところはそこかな」
予想外の質問だったがオレは答える。
肉体が美味なのだとすれば、おそらく能力そのもの、身体を強化している心臓が美味に違いない。教えてやる義理もないが。
「おい。瀑鬼」
「耳の味を教えて、それから決める」
「あたしだって、耳よりうまいところから食うよ。半分こっつったくせによ」
「飼育できなかったら、腕は二本だし、脚は二本だし、半分じゃ足りない。半分じゃ足りない。足りないもん」
「おいおいおーい」
先に小突いたのは橙だった。
「! 耳を食べてよ」
藍も小突き返して、にらみつける。
踏みつけられているオレの身体が上で鬼たちが動く度に激しく軋むが、我慢する。声を出すな。この鬼たちに集中させろ。
「耳なんかいるか。全部だ。全部あたしんだ」
ついに耳の価値がなくなった。
「ふーん? どっちが強いか、決める?」
「望むところだな。どうせ、頭とアレは二つに分けられねーし、あたしはどっちの汁も大好物だ。瀑鬼、汁が嫌いだもんな? 胸が小さいのはそれだよ、原因。何百年前の話だって感じだけどな」
「炎鬼のバカ! ヘアボーボー!」
「え?」
思わず声が出た。
「その言い方は誤解されんだろ! おら、見るんじゃねーよ。きっちり処理してんだよ!」
「すいません」
オレは目を瞑る。
「ボーボーだからね! あっちもこっちも!」
「おーい! やめろ! 瀑鬼!」
「ふーん! それでフられた癖に!」
「なに暴露してんだ! どういうつもりで」
「もう食べる! 食べちゃうから!」
混乱した状況の中、藍の鬼が先にオレに手をつけようとしたその瞬間だった。大きく口を開けて腕にかぶりつこうと屈んだ瞬間に少し浮いた踵、その隙で脚の一本が自由になる。
ここだ。
ラムネ討ち!
心の中で叫びながら、オレは踏みつぶされて自由にならない膝の先を捨てるように太股で蹴り上げ、鬼の足の裏に当てる。巨大化した岩倉先輩でも崩せた蹴りだ、多少デカい鬼の女のバランスぐらいは崩せる。
「え、おっと」
「食ってんじゃ、ね?」
藍の口を止めようと屈んだ橙まで崩れたのはラッキーだった。首で跳ね起きたオレは、ぐるりと頭突きして地面を叩いて飛び上がる。
「……見てないとでも、ね」
踊っていた五十鈴がこちらを見た。
「雷よ、落ちろ」
雨は土砂降りになっていた、
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