第31話 平等の魔術

 午後十一時、ヒロポンに着信。


「おはよう兄さん。体調はどうや?」


 クッキーによる目覚まし。


「ん、ああ。大丈夫」


 オレは布団の上に立ち、軽くストレッチ。潜在能力とやらの反動だったらしい筋肉痛めいたものはもう感じない。回復はしている。


 実際に戦闘で全力の三種の心器を使ってみるまで本当の影響のほどはわからないが、特に不安までは感じていない。結界を破った力の実感がないからだろう。


「そっちはどうだ?」


「マタの調整は終わって、今は充電中。島の監視カメラも問題ない。朝までは準備運動のつもりで頼むわ。ウチは寝とく」


「わかった」


 遅めの昼食を挟みながらの作戦会議を終えて、オレは夕方からクッキーの部屋で寝ていた。部屋の主の方は港の工場区の一角にあるというラボへ移動して戦闘の準備をするとのことだった。


 いつ現れるかわからない五十鈴との戦い。


 つまり二十日の午前零時から作戦開始となる。


「じゃ、おやすみ」


 オレは言う。


 常識的に言って一位の五十鈴が深夜から戦い始めるとは考えにくい。クッキーの監視カメラ網にひっかかるまでは様子見ではあるのだが。


「あ、兄さん。あとな」


「なに?」


「ご飯、頼んどいたで? 上手くやり」


「は?」


「こんばんはー」


 通話が切れるのを見計らったようなタイミングで部屋に入ってきたのが当照さんであることは声だけでわかった。


「こ、ここここんばん……」


 オレは盛大にキョドりながら出迎える。


 パンツ一丁なんですけど。


「お、落ち着いて。クッキーちゃんから聞いたから。わかってるから。うん。そういう病気なら仕方がないから。服を着よう?」


 山盛りのおにぎりが乗った大皿をゆっくりと座卓に置き、当照さんはまるで猛獣と対峙するかのように真剣な目で言う。


「え?」


 病気ってなんの話?


「お味噌汁持ってくるから、着替えててね」


「はい」


 とりあえず制服を着てオレは正座して待つ。


 落ち着いて考えて、よくわからないが九歳の天才は初対面で土下座したオレのフォローまでやってくれたようだと理解できた。まったく子供とは思えない気遣いである。


「病気にされたっぽいが」


 言い訳は雑な感じがしなくもない。


「お待たせー」


 そして当照さんは鍋を抱えて部屋に入ってきた。オレは慌てて立ち上がり、鍋敷き代わりに部屋にあった新聞紙を用意する。


「豚汁だよー、沢山食べるっていうからさ」


 当照さんは慣れた様子でクッキーの部屋からお大きめのどんぶりを出すと、野菜がたっぷりと入った汁物をよそってくれる。


「あ、ありがとうございます」


 目線は会わせられなかった。


「これ全部、全先くんのだからねー。遠慮せずにどんどん食べて食べて、二十日だもんね。力をつけないと一日戦えないよー」


「いただきます。ありがとうございます」


 ともかく食べるしかない。


 オレはおにぎりを掴んで一気に半分ほどを頬張る。喋れない状態にしておけば落ち着けるかと思ったのだが、座卓の向こう側でじっと見つめている当照さんに気付いて喉に詰まりそうになる。


「ん、お。おいしいです」


 梅干しが入っているが緊張で味がわからない。


「うん」


 当照さんは微笑んでくれた。


 病気で可哀想がられているのだろうか。


 よく見てみるとパジャマのような格好をしている。ふわりとした栗色の髪を昼間と違ってまとめているのは風呂上がりだろうか。


「……」


 オレは豚汁を飲み、ごぼうを咀嚼する。


 寝る前に部屋の内風呂を使わせてもらったが、甘根館の住人は旅館時代の大浴場を使っているとかなんとか、当照さんも当然のことながら。


「おかわりは?」


 じっと見ている。


「おねがい、します」


 気付くと一息で飲み干していた。


 いかん。クッキーの部屋とはいえ、二人きりという状態でよこしまな思念しか浮かばない。そんな場合ではない。これから戦うんだ。闘争心がどっかに吹き飛んでしまっては元も子も。名残惜しいが早めに食べ終えて気持ちを切り替えねば。


「食べれば力が出るのよね?」


 当照さんが不意に言う。


「……」


 おにぎりを口に入れたまま頷いた。


「クッキーちゃんを守ってね、絶対に」


「! んぐ、それはもちろん」


 塩味がやけに鮮明に舌の上に残っていた。


「絶対、約束してね」


「はい」


 当照さんの顔をやっと正面から見れた。


 とっさの答えだったが、言われて、天才と言えども九歳なのだから心配されるのは当然だと気付く。言動などオレよりしっかりしてるから忘れてしまいそうになるが。


「本当は戦ってほしくないけど、あの子には夢とそれを実現できる才能があるからわたしには止められない。戦える力はないから手助けもできない。全先くんのことはよくわからないけど、あの子が信用するなら、わたしも信用したい。だから、お願いね」


 当照さんにとっては間違いなく子供なのだ。


「危険はオレが全部引き受けます」


 オレは言った。


 チームを組むと決めたからには責任がある。


「ごちそうさまでした」


 米粒ひとつ残さず平らげる。


 作り手の気持ちのこもった食事ほどおいしいものはない。オレに向けられた気持ちではないが、オレが受け止めるべき気持ちではある。


「頑張ってね。応援してるから」


「ありがとうございます」


 当照さんのその言葉だけで力を漲らせるには十分だ。皿と鍋を持って部屋を去っていく後ろ姿を見送ってオレは身嗜みを整える。


 ヒーローなら、他人の命も背負う。


 仲間の命ぐらい当然だ。


「よし」


 鏡に映る自分に向かって気合いを入れ、午後十一時五十五分。甘根館を出る。建物を覆っている結界から出た途端にピリピリと張りつめた気配を周囲に感じる。


 クッキーの予想通り。


 ほかの参加者は五十鈴あさまの拠点の所在が不明なのでそれと戦うであろう有力な参加者を追跡して漁夫の利を狙うだろうということだ。つまりオレが標的になる。姑息だとは思うが別に構わない。


 それに対するこちらの作戦は。


「腹ごなしさせてもらうぞ」


 横取りしそうな敵を無理せず減らす。


 オレはゆったりと歩く素振りで、一番近い気配の相手との距離を詰める。怯えている気配、逃げ腰になっている。新入り狩りと比べれば、岩倉先輩との戦いの影響は出ているようだ。


 午後零時にセットしていたアラームが鳴った。


「!」


 驚いて飛び出した相手を間髪入れずに踏み込んで殴り飛ばす。出会い頭の一撃で、地面を転がっていく男に、周囲の気配も萎縮した。それほど強いヤツはいないようだ。これもクッキーの予想通りであり、漁夫の利狙いの限界だろう。


「二十日だ」


 オレは言った。


「なあ、一位を奪えなくても、ここでオレを倒せりゃ多少のボーナスはあるんじゃねーの?」


 鳴り続けるアラームを止める。


「かかってこいよ、今ならオレ一人だ」


 挑発が安すぎたのか、多くの気配が遠ざかる。


 そんなもんか。


 オレは夜の穂流戸市へと向かう。


 とりあえず戦闘をはじめておくことで、ノルマに向けて戦いたい五十鈴をこちらに引き寄せるという狙いだ。あとは島を監視するクッキーからの情報を待って移動していけばいい。


 深夜でも穂流戸市の中心街は賑やかだった。


 ポツポツと目立つエグい色彩の看板、工場で働く人々が仕事を終えて飲んでいるのだろう。嫌いな雰囲気じゃない。店の中には多くの人の気配、そしてすれ違う人はこちらを振り返って、中には名前を呼ぶ人もいる。


「この間の、なんとかまさきだろ!」


「イエス! なんとかまさきだ!」


 白い学ラン姿は浮いてるだろう。


「そーか! 二十日か! 頑張れよ兄ちゃん!」「ありがとう! 頑張れよおっさんも!」


 酒臭いおっさんたちに挨拶しながら、オレは尾行してくる気配を探る。十人か十一人、仕掛けてくる様子はない。とりあえず目立つ場所を移動して敵を集めるのも作戦の内だ。


 五十鈴と一対一にならないように。


 判明している攻撃パターンが多人数用なのは明らかであり、こちらの作戦もそれを前提に組み立てられているので、そのお膳立てである。


 なにしろ謎の多い呪術相手に未知の攻撃を受けるのが厄介なのは同意するところだ。対処法というものがあるかどうかすら不明なのだ。数が多ければ最初に狙われる確率は下がる。


 そもそも標的の可能性はある訳だが。


「よう」


 それほど広くない飲み屋街の路地を塞ぐようにくたびれたスーツ姿の男が立っていた。ゆるめたネクタイに赤らんだ顔、そして勝手に揺れている酔ってることはすぐにわかった。


 そして気配が大きい。


「よ」


 オレは横を素通りするつもりで挨拶する。


「ガキが夜遊びは感心しないな」


「遊びじゃないことぐらいわかんだろ」


 すれ違いざまに手を出してきたのは相手だった。オレは反射的にその手を掴んだが、引っ張ろうとする前に逆に投げられた。


 景色が回って、近くの壁に着地する。


 その壁を蹴って、通りの反対の建物の屋根へ。


 高い位置を取るのが定石。


 そう言ったのはクッキーだが、要するにオレの制服に仕込まれてるカメラで相手の映像をしっかり撮るのが目的だろう。


「手の早いおっさんだな」


 見下ろして言う。


 ヒロポンが振動した。


 襲撃が成立、つまり参加者である。


「三十一だ、おっさん言うな」


 男はニヤケて言う。


「老けて見えるな、四十ぐらいかと思った」


 ベテランの風格。


 多くのヒーローが二十代で世に出て、五年以内に引退することを考えるとダラダラとくすぶってるだけかもしれないが、経験豊富というのはそれだけで新人にはプレッシャーである。


 なにを仕掛けてくるか。


「老け顔は生まれつきだ畜生め」


 男はそう言うとゆるんでいたネクタイを勢いよく引き抜いた。ブルーの布地がピンと張ったと思うとそれは古ぼけた木の杖に姿を変えた。


「!」


 能力。


「悪いが酒代稼がせてもらう」


「志が低いから老けて見える、う!?」


 杖をこちらに向けて構えた瞬間、さっき男を掴んだ手がグンと重くなって屋根から落下、地面にはいつくばる格好になる。手の甲が地面に張り付いたように動かせない。


「なんだこれ」


「パワーが強ければ強いほど、効果は絶大」


 老け顔は杖を構えたまま言う。


「これぞ平等の魔術」


「は?」


「今、地球の重力を、その人間が持っている力に対して平等になるようにしている。仮に百人力の力を持つなら百倍。千人力の力を持つなら千倍、万人力なら万倍だ」


 そう言いながら、男は膝を突いた。


「ふぐ、ううううう」


 そしてそのままうつ伏せに地面に潰れてしまう。酔っぱらいが倒れるというのとは明らかに違うだろう。オレと同じ状況に見える。


「え、なんでおっさんまで苦しんでんの?」


 なんなんだ。


「言っただろ、平等の魔術だ。相手に与えた苦しみはこちらにも、かえって、くるううむ」


 老け顔をさらに老けさせながら言う。


「さあ、降参しろ。このままだとこっちが死んで寝覚めが悪いぞぉおおお。あああ、痛い。痛いよ。痛いんだよ。どうしてくれるんだよ」


 男は脅迫してきた。


「……」


 オレは自由に動く方の手でアスファルトをめくって老け顔の頭にぶつけた。よくわからないがさわられた場所にしか効果出てない。


「こ、このクソガキ、年上を敬う気持ちとか……」


「うるせぇ酔っぱらい」


 アスファルト追加。


「ぎゃん」


 気絶。能力が解ける。


「脅迫としても甘すぎる。なんのつもりだ」


 オレは立ち上がる。


 さわられただけで動きを奪われるのは凄いんだろうが、その反動に耐えられないとかもうダメすぎるだろ。周りの気配もどうしようもない展開すぎて乱入してこないぞ。


「時間稼ぎにもならなかったか」


「!」


 そのとき、気配が不意に現れた。


 倒れているおっさんに供えるように一升瓶を道路に立てる闇に紛れる紺色の男、頭には頭巾、背中には刀、見るからにわかる。


「忍者だ」


 ちょっとワクワク。


「わかった? そりゃわかるか」


 妙に気さくに返された。


 中身はそれなりに大柄な男という感じなのだ。現れた気配は決して小さくない。それなりの強さを感じるのだが、どうも軽い。


「なんだか悪ふざけみたいになって悪いな」


「なんなんだよ、お前」


「こっちのチームが集まるまで足止めを頼んだんだが、予想以上に酔ってたな。素面だともうちょっとやる人なんだが、酒に弱くなってる」


「……」


 質問の答えになってない。


「お前は戦わないのか」


 オレは質問を変える。気配を感じさせないことができるなら、それこそ背後から狙うこともできた。なぜそうしなかったのかわからない。


「残念ながら、一人じゃ止められないんでね」


 忍者は言う。


「あのパワーをなんとかするとこっちが死ぬかもしれない。今そこまでする気分じゃない」


「諦めていいのか?」


 気分の問題なのか。


「もちろん許可は取った。おっと、だれの許可とか聞くなよ? 拷問されても答えちゃいけないことになってる。でも痛いのは嫌なんだ」


「ダメ忍者なんだな」


 オレは正直に感想を言った。


 拷問してまで欲する情報を持ってなさそう。


「ダメ忍者なんだ実際」


「「はぁ……」」


 なんだか二人で脱力してため息を吐いた。


「じゃあな」


 こんなヤツを相手にしてると気合が抜ける。オレはさっさとこの場を立ち去ることにする。どうやらこの辺りにはあまり参加者がいないようだ。もうちょっと目立つ場所を探さねば。


「命拾いしたな」


「!」


 捨て台詞のような一言に振り返るともう忍者の姿はなかった。チームが揃えば確実に倒せるとは思っていた訳だ。なんだか腹立たしいが、そのつもりなら次に会うときは戦うのだろう。


 オレは駆け出した。


 クッキーによる予想で五十鈴の拠点がありそうな場所というのが三つほどある。学園を中心にした生活圏内の地点だが、そこを巡って手近なヤツと戦っていくことにしよう。


 そう思ったのだが。


「はーっはっはっはっはっは!」


 速度を出して走るオレを追いかけてくる蹄の音と聞き覚えのある笑い声、振り返ってはいけない。そう思っていると横に並ばれる。


「はーっはっはっは! 待たせた!」


「……」


 オレは無言で横を見る。


「おいおい。そこは待ってねぇよ、だろう?」


「まだ夜だぞ、鹿骨フラッシュ」


 陽光の魔術とやらが日中しかまともに使えないことぐらいはとっくに聞いてる。夏場しか強くなくて冬場に最下位に落ちるのが通例の残念な人物として有名らしく、露骨な弱点のせいで夜に狙われて春先も順位を上げられなかったと。


 それに負けた訳だ、オレは。


「ライバルの激励に昼も夜もあるものか」


「……」


 いつからライバルだよ。


「おいおい、そこは激励するのかよ、だろう?」


「呪われてるんだな?」


 オレは即座に推理した。


「!」


「ラブレターでも書いたか?」


 この目立ちたがりが今日は戦うつもりのないような態度、五十鈴とは戦いたくない理由があるとしか考えられない。


「な、なにをバカな、冗談でもそんな」


「ダーリン?」


 走ってる馬が低く唸った。


「ち、違うんだヴィルヘルミナ。違うんだ、それはキミと出会う前の些細なことで、ラブとか、そんなんじゃなく、学園で孤立する彼女の気持ちを救ってやりたいというヒーロー的なぁああああ! 覚えていろ! 覚えていろよおおお!」


 走っている道路が二つにわかれたところで、馬はオレと別ルートへ向かう。遠ざかっていくフラッシュの声を聞きながら、オレは気合いを入れ直す。遊びじゃないのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る