第16話 女の勘

 バタバタしているかに見えたペーパークラフト部はこっそりと逃げ出していた。六人乗りの自転車が吊されたような飛行機が夕日へ向けて滑空するのぼんやりと見つめる。


「本当に……根性なしなんだから」


 深大寺はライフルを構えたがすぐ能力を解除して制服姿に戻る。おでこの広いショートカットをくしゃくしゃにしてため息を吐いた。


「なんか、あさまと喋ったら疲れたわ」


 そして中腰になる。


「だろうな」


 オレは同意した。


 野比のことをいい加減に吹っ切った方がいい、というのはお節介だろうから口にはしないが狙撃手が冷静さを欠きがちというのは大きな弱点だろう。低い順位に甘んじているのも無理はない。


「あいつら、あんたに譲るけど」


「オレもいい」


 逃げられたのはこちらの油断だ。


「そっか、真っ先に倒すんだもんね。えっと、これからどうする? 野比の話だと日用品買いに行くとか? あたしが代わりに案内する?」


「……ありがとう。でも今日は止しとく。制服がこの状態だからな。ちょっと恥ずかしい」


 名前弄りに反応しないようにしてオレは深大寺の申し出を断った。


「ま、そうね。五月にはちょっと寒々しいわ」


 ヘソ出しノースリーブ白学ランを見つめて納得した様子で苦笑いする。赤面して見えるのは夕日のせいか、子供っぽい顔のせいか。オレのセクシーなヘソのせいかもしれない。


「全先、さっきのは方便だけど」


 少しうつむいて、パッとこちらを見上げると深大寺は自分で頷きながら喋る。視線が泳いでいるのが気になる。


「ん?」


「チームのこと、考えてあげてもいいからね。前に出て相手の動きを食い止めてくれれば、あたしも狙撃しやすい訳だし、狙撃できれば攻撃を読んで伝えられる。わ、悪くないでしょ?」


 なぜだか言いにくそうに言う。


「そうかもな」


 一理ある戦略だ。


「そ、それじゃ、あたし帰る。また明日」


「ああ、また明日」


 クラスメイトが去るのをオレは神社の前で見送った。行く方向は同じだが、少し一人で考えておきたいことがある。


 オレは足下の石を拾って握った。


 粉々になる。


 今のオレにとっては普通の状態。


「さっきのは、やっぱり」


 力が出せなかったということだろう。


 五十鈴と向き合ったときに三種の心器が使えず、一位を奪う絶好の機会を逃したショックがじわじわと広がってきていた。戦えば負けないはずだという根拠のない自信が揺らいでいる。


 能力の欠陥か。


「いや、違う」


 オレの欠陥だ。


 そうなるとわかっていたから五十鈴は目の前に姿を現したのだ。まだ呪ってもいないと言いつつ、それでも自分の実力が上回っているという確信を持っていたのでなければ、いくら下位とは言え三者も敵がいる場には出てこない。


 オレには殴られないという自信。


 完全に飲まれていた。


 おそらくは五十鈴の見極められない異様な気配、強いか弱いかさえ判然としないそれにオレの心臓が乱されているのがわかる。まず乱れを解消しないことには戦いに持ち込めない。


「知る必要があるな、五十鈴あさま」


 当然の結論だった。


 ヒーローとなれば突発的な戦闘でも即座に対応して勝つのが理想的だが、今のオレにそこまでできるという自惚れはもちろんない。研究して勝つしかないのである。戦闘経験も能力の発展性も後からついてくるものだ。


 まず確実に一位を倒す道を拓く。


 十年間コツコツと呪いをかけてきた、という言葉が事実なら戦い方について知っている人間は島内に大勢いるはずである。そういう連中に当たって情報を聞き出せばいい。それさえも呪いで封じられている懸念はあるが。


 悩むのはやってみてからだ。


「……」


 考えながら歩いていたので拠点である廃屋にたどり着いたのは日没だった。片づいていない荷物と屋根に空いた穴にうんざりするが、バッグを開けて目に入ってきたピンクの布地にさらに気分が落ち込んだ。


「忘れてた」


 矢野さんのパンツ。


 洗って返さなければいけない。うっかり路上に放置したりしたが、五十鈴はバッグの中を見たりしなかっただろうか。見ていたら黙っていないか。転入初日に下着泥棒とも思わないだろうが血塗れのパンツはどう意味を探ってもややこしい。


「女装趣味の痔主」


 可哀想すぎて黙っているしかないかも。


「いやいや、ない。気付かれてない」


 オレはバレている可能性を頭から振り払う。そんな目で見られていると思ったら本当に気分が萎えて戦えないだろう。三種の心器はまず自分のテンションを上げていかないと力を引き出しきれないのだ。


 パンツを洗おう。


 まず女物なんて洗ったことないが。


「洗濯機はないし、どっちにしろ手洗いか」


 オヤジとの生活では家事ぐらいはやっていた。こういうのは洗剤液に浸して押し洗いして自然乾燥させればいいのだ。深く悩む必要は無い。意識する方が気持ち悪い。大体パンツである。どう足掻こうといずれはくたびれる代物だ。


「くたびれ……」


 オレはつぶやいて硬直する。


 なんだか顔が熱い。


 パンツを握りしめて恥ずかしがっている場合ではない。引っ越しの荷物に家から洗剤のストックぐらいは入れてあったはずだ。使えるものを捨てる性分はないのである。洗濯だ。これはただの洗濯だ。パンツなど布切れだ。


 洗面器で水に洗剤を溶かし、浸す。


 血が落ちているか確認しなければならないので目を逸らしてもいられない。なるべく意識しないように、股の部分に血がついてなくて良かったとか思わないように、どことどこの部分が触れ合うとか考えないように、努めて、丁寧に洗う。


「洗濯して返して、矢野さんが履くのか?」


 想像するな。


「この、オレの手が触れた……」


 あああああああああああああああ。


「こんばんはー」


「!」


「……あー、お邪魔やったかな?」


 昨夜と同じく天井から入ってきたクッキーはオレとオレが見つめるものを交互に見て、即座にそう言った。九歳にしてこの大人の対応、まさに天才である。


「お邪魔ちゃう! お邪魔ちゃうよ!」


 もちろん否定する。


 その時、オレは小物干しにぶら下がった淡いピンクの布切れに血の跡が残っていないのを確認していただけで、なにもない。矢野さんの顔を思い浮かべてはいたがなにもなかったのだ。


「兄さん。その、ウチは気にせえへんから、ええよ? 次からはちゃんとノックして入るし」


「ななななにがや、ジブンなにを言うてんねん。ワイは、ワイは猿やない!」


 ズボンのチャックを上げる。


「落ち着いて、落ち着いて兄さん! 言葉がおかしなことになっとる! マタ! マタおいで! 兄さんを止めて! 出番や!」


「……」


 天井からロボが顔を出した。


 だがその銀色の顔を銀色の手が覆い隠し、指の隙間を開いたり閉じたりしながらこちらの様子を窺っている。室内に入ってこない。照れているのか、ロボなのに意味を理解している。


 凄いテクノロジーだ。


「なんでやねん!」


「ハズカシイ」


 ロボはそれだけ言うと引っ込んだ。


「恥ずかしいのはウチやぁああっ!」


 天才は絶叫する。


「アカン! まったくエラーが取り除けてへん! なんでや、一日がかりでチェックしたのに! 宇宙一可憐な天才であるウチともあろうものが、お恥ずかしい限りやわ。兄さん」


「……」


 いいえ、恥ずかしいのはオレです。


 取り返しがつかない。


 恥の種類がそれぞれにまったく違っていたが、落ち着くのに一定の時間が必要なのは同じだった。森の中で怪しげに鳥が鳴く。獣たちが活動をはじめたようだった。


「用事があるなら、聞くよ。今日は」


 オレはそう言うしかなかった。


 恥ずかしさが薄れると、九歳の天才にトラウマを植え付けたかもしれないという罪悪感がくっきりと浮かび上がった。なんというかヒーローになろうという人間にあるまじき振る舞いだった。下劣と言って過言ではない。


「そやね、そうしてくれると嬉しいわ」


 ちらりと見ると、クッキーは目線を逸らす。


「ちょっと待ってくれ……」


 だろうなぁ。


 オレは敷きっぱなしの布団を畳の隅に寄せ、荷物から卓袱台を引っ張り出し、とりあえず客を迎えるという格好だけ整える。茶や菓子どころか座布団もない有様だがなにもしないよりはマシだ。


「マタ。もう出ておいで。恥ずかしいことないから。それくらいは判断できるやろ?」


「リョウカイ」


 ロボの目がオレに焦点を合わせ、するりと天井の穴から土間にふわりと降りる。あれもやはり浮いているということだろう。ランドセルで相当の重さがあったのだから、ロボはさらに重いはずだ。


「お茶を用意して」


 クッキーはランドセルを空中に放り出して畳の上に乗ると指示を出す。


「ゴチュウモン」


 着物姿のロボはお辞儀をした。


「兄さんはなに飲む? 緑茶、紅茶、コーヒー、あとジュースもある程度はあるよ?」


「あ? え、クッキーと一緒で」


「じゃあ緑茶や。おかわりは遠慮せんでええよ。ウチが勝手に押し掛けてるんやし。家政婦オートマタの本業なんやから」


「……」


 遠慮した訳でもないというか。


「リョクチャ、リョウカイ」


 ロボはそう言うと指先から昨夜見た棒を出して土間に突き刺す、そして昨夜同様に歪んだ模様が現れたところに、しゃがんで機械の手を伸ばした。思わず警戒したが、出てきたのはペットボトルの緑茶二本である。


「拠点の冷蔵庫にも繋がんねん。便利やろ。四次元通路。理論は宇宙技術の転用やけど、ベラ棒まで小型化したんはウチが初やと思うわ」


 卓袱台の対面に座ってクッキーが言う。


「四次元」


 凄いけど遠くの冷蔵庫から出しただけ?


 家政婦としての性能は?


「ドウゾ」


 土間から楚々と正座で畳にあがるとロボはオレたちにボトルをそのまま差し出す。仕草は優雅なんだが変に無機質で反応に困る。


「マサキ、マタ、シタギ、ナイ」


「え?」


「キモノ、シタギ、ナイ、モノタリナイ」


「……」


 このロボなに言ってんの。


「オートマタに下着は必要ないやろ。着物やから履かせてないんとちゃうわ。そして兄さんは機械の下着に興味はない。だれのかは知らんけど、あのピンクのを履いてた人に興味があるんや。わかったら黙っとき、しつこい女は嫌われる」


 だが、クッキーは翻訳しなくてもいいところまで翻訳して丁寧に説教した。まったくすばらしい理解力なのでこちらの気持ちを察してその話題に触れないという形を取ってくれないだろうか。


 もう辛いから。


「リョウカイ、マタ、キラワレナイ」


 ロボはそう言って少し離れて正座。


「っは。ホンマ、原因不明で困るわ。こうなったらもう恋愛をインプットするしかないかもわからん。ウチは経験ないんやけど、兄さんはどう?」


 クッキーはペットボトルの蓋を開け、ごくごくと三分の一ほどを飲んで言った。こっちの気持ちは察してくれないのか、そこは遠慮するつもりはないという意思表示なのか。


 どちらにしてもえげつない態度だ。


「本題は? チームに入れって話?」


 オレもペットボトルの蓋を開ける。回答は拒否だ。ロボ作りの相談に乗るつもりもない。ともかく早く切り上げて今日のことは忘れたかった。


「ウチも嫌われてるな」


 クッキーはそう言うと頭のお団子を触る。


「勧誘。それもある。もちろん。でも初日のインスピレーションでは組めへんかったんやから、まずはお互いを知った方がええと考え直した。これは反省会やね。ウチと兄さんの」


「わからないな」


 オレは率直に言った。


 九歳に言われなくても反省はしますが。


「なんでオレなんだ? 自分を卑下するつもりもないし、自分が弱いとも思ってないが、クッキーに必要とされる理由がわからない。オートマタ? の開発に意見するどころか、改造された自分の身体に使われたテクノロジーもわかってないような人間だ。科学の面では役に立たない」


 改造された肉体そのものが研究対象だというのなら別だとは思っているが、回復力が高すぎて心臓を見る手術は現時点では困難だと言われている。目の前の子供に医者としての技能はないだろうと思うが。


「単純に戦力としてカウントするなら昨日今日やってきたばかりのオレより人間性や能力の計算がしやすい相手もいるだろう? ましてや現在の一位は呪いを使うとかだ。呪いの通じなさそうな機械ならチームを組まない方が有利だろ」


「まずひとつ、五十鈴あさまの呪いは機械にも通用するよ? そない単純なことで有利になるならウチ以外がとっくに一位を奪っとる」


 クッキーは服のポケットから小さく透明な袋を取り出す。中には緑色の細いものが入っていて、なにかの個包装のようである。


「むしろ無機物の方が呪いやすそうな印象はあるんやけど、ぶっちゃけ五十鈴あさまはどうでもええねん。大事なんは、一緒にヒーローをできる人間かどうかや」


 言うと、ビリと包装を破いて緑のものを口に入れる。食べ物なのかそれ。パリパリとかシャキシャキみたいな音をさせて噛んでる。


「オレとならできる?」


 集中を削がれながらオレは会話をつづける。


「そう感じた。女の勘や」


「……」


 科学者らしからぬことなのか、天才らしい意見なのかオレには判断できない。九歳の子供に女の勘もなにもあるかよ、という気持ちはあるが。


 今日の立場では口にできない。


「オレはそう感じてない」


 こう言うのが精一杯のところだ。


「そうやろうな」


 緑色の細いものを口に運びながらクッキーは頷く。そしてオレの視線に気付いたのか、ポケットから新しいパッケージを取り出した。


「茎レタスやけど、食べる?」


「くきれ?」


「梅味」


「そうなんだ」


 味を言われても。


 そう思いながらクッキーがしたように食べてみるが、ふにゃっとして歯ごたえがある漬け物のようなものだった。お菓子なのだろうか。茎、レタス。レタスのような食感と言われれば。


「五年」


「え?」


 オレはすっかり食べる方に夢中だった。


「月暈機関が送り出したヒーローの寿命は平均で五年と言われてる。一年に一チームの狭き門をくぐり抜けても、死ぬにしろ生きるにしろ、五年後にはもうヒーローやなくなってるんや」


 クッキーは言うとお茶の残りをゴクゴクと一気に飲み干し、口をぐっと手の甲で拭ってまっすぐにオレを見る。なんだか男らしい。そういう仕草を身近でよく見てきたということだろう。なんとなくだが、天才の育ちは意外とオレと近いのかもしれないとはじめて親近感を覚える。


「ウチは、そんなん嫌やねん」


 真剣な瞳をしていた。

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