第10話 血塗れお気に入りパンツ
「血! 血ぃ出てる!」
オレは慌てふためき、周囲を見回す。
特徴のない路地のどこにも人影はなかった。
気配のある家に助けを求めるか? 警察? いや救急? 日本と同じ番号でいいのか? そもそも警察や救急が存在するのかこの島は? 能力持ちが犯罪者になったらだれが対処できるんだ?
ポンポン。
「!」
キョロキョロする肩を叩かれた。
「持病の喀血なので」
女子は小さく言うと食パンを何事もないかのようにもちゃもちゃと食べる。不味いとか上手いとか以前にショッキングな光景だった。
「病気って、それ」
そう言われるとむしろ。
「んく。伝染性の病気でもないので安心して」
一気に食べて飲み込むと薄く笑う。
「そ、そうじゃなく……」
「こう見えてランキング参加者だから」
制服の砂埃を払って女子は小声で言う。
「さっきのあなたの体当たりが軽自動車との衝突並みでも、軽自動車に当たられて死ぬヒーローなんていない。でしょ?」
「それは、当たりどころとか」
「見た目より心配性ね。新入りさんは」
クスクスと笑って白いセーラー服のポケットから淡いピンクのハンカチを取り出すと口元の血を拭う。小さな唇が赤く見えた。
「その、死ななくてもやっぱ病院とか」
オレは目の前の女子が妙に心配だった。
真っ白な制服よりさらに白いのではないかという透明に近いような肌も、目の前にいるのに気配の欠片も感じないような生命力としての存在感の薄さ、会ったことはないが幽霊寸前だった。
「あら」
だが、女子はハンカチを見つめてオレの心配など受け流してしまう。どうにもつかめない感じだった。ふわっとしている。なにかが。
「困ったわ」
そんな風にも見えない顔で言った。
マイペースなのかもしれない。肩ほどまでの黒髪は衝突の衝撃とはまったく関係なさそうな寝癖的なねじれを所々に生じさせている。
「困ったことなら、あのよければ力に」
衝突が問題なくともオレの罪悪感は消えない。
「それは悪いわ」
「いや、出来ることであればなんでも」
「んー。後で身につけようとポケットに入れて」
女子はオレの目の前にハンカチを広げた。
「間違えちゃった」
「? あ!? なんで?」
ハンカチはパンツだった。
下着のパンツ。ピンク色が赤く染まって。
「遅刻しそうで、パン食べて、パンツ持って、あるでしょ? そういうこと。服を着た後に下着をつけてなくて、次のトイレの時に、って」
女子は普通のことのように説明する。
「いや……そんな状況ありえない」
流石に全否定させてもらう。
百歩譲って下着を忘れて服を着たことに気付いたらその場でつける。それ以外の選択肢はない。後でどうにかとか絶対に考えない。
「あるわ。週に一回ぐらい」
女子は頬を膨らませた。
「多いよ! あっても一生に一度レベルだよ!」
別の意味でも心配だよこの人。
「新入りさんは寝るとき下着つける派?」
広げたパンツをこちらに近づけ言う。
「つける派? ですけど?」
後退しながら答えた。
設問の唐突さよりもオレは女子を意識する。
つけない派、なの?
決して健康的でもないが、セーラー服を身にまとった身体は不健康そうに痩せてるということもなく、スラリとしたスタイルをしている風に見える。その彼女が寝るときは下着をつけない。そんなことを初対面の男に言っていいのか。
それ以前に、今、ノーパンか?
「可哀想」
オレの動揺をよそに女子は首を振った。
「え?」
「夜尿症なのね」
「! 違うよ! 寝るときに下着をつけるのは漏らすからじゃないよ! 世の中のつける派をそう思ってたならそれはとんでもない誤解だよ!」
なぜこんなことを必死に主張せねばならないのか。
「えー?」
女子は信じられない様子だった。
「えー、じゃない!」
「もういい」
納得した様子もなく女子は広げたパンツをオレに押しつける。ぺちゃ、と学ランに血で張り付くそれを落とすわけにもいかず受けとる。
「ちょ、これ」
「洗って。洗って返して。お気に入りだから」
女子はそう言って学園に向かって歩き出す。
「オレが?」
なにを言い出すんだ。
「出来ることならなんでも、でしょ?」
「言ったけど、だけど」
無理難題ではないのだろうが予想外。
これはどちらかと言うと出来ない部類では。
「それでぶつかったことはなしにする」
そう言って女子は振り返った。
「いい? 洗って返して」
「わ、わかった」
オレはそう答えるしかない。
拒絶したらなんかパンツを返さない男みたいな感じになってしまう。洗濯したものに血がついたから洗えというだけだ。うん。
それだけだ。
「それじゃ、また学園で」
「あ、名前は?」
オレは確認し忘れたことを聞く。
「
「やの、さん」
「遅刻遅刻」
小走りに走っていく白いセーラー服を見送りながら、オレはその膝丈のスカートの裾から目が離せなくなっていた。短くはないがどうか不慮の事故など起こらぬように頑張ってほしい。
「しかし、これどうしよう」
オレの手元に残る血塗れお気に入りパンツ。
初登校に爆弾を抱えた気分だった。
「初日から遅刻とはいい度胸ね」
学園にたどり着き、事務室を訪ねたところ授業中なので応接室で待つようにと促され、小一時間。チャイムから少しして現れたジャージ姿の女教師は乱暴に戸を開けるなり言った。
「それを言うなら初日から襲撃してくる」
「ヒーローなら、負けた言い訳はしないこと」
オレの言葉を遮って言う。
日焼けした顔に手。ショートカットの赤毛。つり上がった目。どれも威圧的だったが、しかしなにより百八十はある大柄な全身から溢れ出る気配が強大だった。おっぱいもかなりでかい。
猛獣だ、この女。
「む」
本能が相手を恐れている。
こういう体験ははじめてだった。
それで今まで出会ってきた連中が少なくとも生き物としては格下と感じていたのだとわかる。能力の形の違いがあるから強さとはまた別だろうが、目の前の相手は確実に同系統だろう。
「一年C組担任、
握手を求めてくる。
「全先正生です。こちらこそ」
「随分、弱々しい手だけど?」
握り返した手を女教師は握りつぶす勢いで力を込めてくる。ミシミシと骨が悲鳴を上げる。もちろんこちらも手加減などしていないが女教師は涼しい顔だった。
「朝飯抜いてるものでっ」
オレは一瞬で汗だくになる。
「負けた言い訳は」
「まだ負けてないっすよ!」
学園も落ち着ける場所にはならなそうだ。
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