英雄テロリズム

狐島本土

第1話 プロローグ

 授業中、不意に教頭がやってきてオレの名前を呼ぶ。


 理由を問いかけても「校長室までついてきなさい」と答えない。


 ハゲたデコに深い皺が刻まれている。なにか喜ばしい報せが舞い込んだのだと思うのはよほど世の中を楽観視した人間だろう。くたびれたスーツの痩せ細った背中を追いながらオレは心当たりを自分に問いかけた。


 なにもない。


 品行方正だと褒められることはないが、悪事に手を染めるほど世の中を絶望視していない。高校に入学したばかりの四月だ。オレの人生が可能性に満ち溢れているかはともかく、人並みに前向きな心持ちでいる。勉学に励み、真っ当な大人になるのだ。


「地球外患誘致罪で午前十時、日本警察に逮捕されました」


「はい?」


「あなたの父親はテロリストだということです。マッサキ・マサキ」


 だが、校長室に入ったオレを待ち受けていたのは耳を疑うしかない言葉だった。


「テロリスト? オヤジが? あの……なにを言ってるんですか?」


 薄暗い校長室を見回しながら、オレは笑う。


「はは……小さい町工場のオヤジですよ? 人違いでしょう?」


 だれも釣られて笑ってはくれなかった。


 冗談ではないと校長室に入った瞬間にわからないほどバカでもない。


 通常の教室の三分の一程度、縦に細長い部屋に七人の大人が待っていた。入学式で見たばかりの太った校長と教頭が扉の脇に立って背筋を伸ばして緊張した面持ち。そして入ってきたオレは前後に斜め方向から四人のスーツ姿の男たちに取り囲まれている。


 明らかに普通じゃない。


「人違いでしょう!」


 オレは言う。


 なにかを言わなければ空気に流される。


「じゃあ、オレはテロリストに育てられたって言うんですか!?」


 抑えようにも語気が強くなった。


 それでも取り囲む男たちの視線に変化はない。それぞれがいかつい顔つきを強張らせ、スーツでは隠し切れない力強い体格をいつでもオレを取り押さえるために使おうとしているのがわかる。なぜか、わかってしまう。


 目の前の女を守るため、と。


「それを確かめるために私があなたに会いに来たのです」


 本来は校長が座る席にいた女がたっぷりと間を取って答えた。


「わざわざ、こんな田舎まで」


 余計な一言を付け加える。


 頬杖をついてオレの顔をずっと見ていた女。


「……こんな田舎までご苦労なことで」


 オレは言った。


 最初から不快な気配がしていた。


 真っ赤なルージュの塗られた唇を不敵に釣り上げ、偉そうな笑みを浮かべているその姿。取り囲む大男たちがきちんとセットした黒髪であるのに対して明るいブラウンの髪をふわりとしたショートボブにして男に媚びている感じがいけ好かない。それほど若くはないのに若く見せようとしていると感じさせる。


「ええ、遠路遥々。だから早く確かめさせて欲しいのです」


 女は嫌味を返してくる。


 お互いカンに障っているのは間違いない。


「確かめるって、だから、オレはなにも知らないですよ」


 そもそも、オヤジがなにで逮捕されたのかもよくわからない。


 地球外、勧誘地?


「知らないことはわたくしたちも知っています」


「……?」


「知っていて黙っていたのならば一緒に逮捕されているでしょう?」


 女は椅子を引いて、机の上にヒールの靴で乗る。


 あまりの光景に校長と教頭の表情に驚愕の色が宿る。


「ただの男子高校生がテロリストだとでも? バカですか?」


 見上げながら思わずオレは言った。


「バカ? わたくしが?」


 女は腰に手を当て顎を突き出すように前傾して見下してくる。


「机の上に乗るなんて学級崩壊レベルだ」


 そう言ってやる。


 自己紹介もされていないので相手が何者かはわからない。


 実際に大人の男たちを恐縮させる権威を持っているのだろう。


 だが、外見的にはバカでなければ痴女だった。


 胸元の大きく開いたブラックのスーツ、開襟のシャツから胸の谷間が見える。


 タイトなスカートは下着のパンツが見えるか見えないかの短さだ。


 膝上までの網タイツも飾りの大きなイヤリングも、どれもこれもチャラい。


全先まっさき! この方は……!」


「黙りなさい」


 背後の教頭がオレに説教しようとするのを制して、女は机に腰掛け、脚を組む。


 穿いてるんだか穿いてないんだかわからない黒い影。


「……」


「宇宙人と共謀して地球への攻撃を企図する父親」


 パッチリと睫の立った目で女はオレを見る。


「そんな父親の胸の内にまったく気付かない息子。地球崩壊レベルね」


 親子揃ってバカにされた。


「宇宙人!? え?」


 だが、憤る前にオレはようやく女の言葉が頭の中で意味を結ぶ。


 身体がカーッと熱くなり全身の毛穴が開いて膝が震えた。そう言えば受験勉強でその字面を見た記憶がある。社会科、歴史、宇宙戦争、そしてヒーローたち。自分には関係ないとテスト後にはすぐに忘れてしまう系の知識だ。


 地球がはじめて宇宙からの宣戦布告を受けて七十余年。


 宇宙人を見かけたら1160番。


「お、オヤジは死刑になるんですか!?」


 そして喉から出てきたのは喉に詰まるような言葉だった。


 オレは自分が綱渡りをしていたのだと気付く。


 小学生でもしっかりと頭に叩き込まれていることを思い出した。


「それを決めるのは日本の司法、でも地球外患誘致罪に他の刑はない。有罪となれば死刑でしょうね。ご愁傷様だけど、あなたのお父さんが悪いのよ」


 やっと理解したか、という風に女は言う。


「オヤジがテロリストな訳がない!」


 オレは叫んでいた。


 身体の中に湧き上がる恐怖を振り払うように。


「毎日、毎日……小さい工場で夜遅くまで働いて、それでやっとオレを育てて、工業高校へ行って仕事を手伝うつもりだったのに、大学に行けって、塾にまで通わせて……テロリストなんかしている余裕なんてなかった! なにかの間違いだ! 冤罪だ!」


 叫ぶしかなかった。


「そう思いたいのね」


 女は腕を組んで哀れむように首を振った。


「実の息子ではない追い目があるから。そうして親思いのフリをする」


「……!」


 オレは拳を握りしめる。


「あなたが親を想うほど、親はあなたを想っていない」


 鼻で笑って女は言う。


「愛すべき妻は他界。家族は血の繋がらない連れ子のみ。他に従業員のいない下請け工場は常に自転車操業で生活はもちろん困窮している。一日に白米四合と、味噌と少しの野菜を食べ、欲はないフリ、決して怒らないフリ、いつも静かに笑っているフリ」


 調べあげていたのだろう、オレの家庭環境を諳んじる。


 オヤジは疲れていても笑顔の男だった。


 そんな姿を心から尊敬していた。オレは、本当に。


「口には出さなかったかもしれないけれど、あなたはきっとお父さんに疎まれている。工場の取引相手が地元に根ざしているから、世間体を気にして捨てたりできず、良い父親を演じなければいけなかっただけでしょう」


 そして断定した。


「たとえ、あなたが泣くほど感謝していたとしてもね」


「……取り消せ」


 オレが一歩前へ足を踏み出すと、取り囲む男たちが身構えた。


「取り消しようがないでしょう? あなたはテロリストがカモフラージュとして演じていた父親にまんまと騙された底抜けのバカ息子なの! 地球崩壊レベルのバァカなの!」


 女は組んでいた脚を伸ばし、両腕を広げ、仰け反るように煽る。


 ケンカを売っているのだ。そう仕向けているのだ。


 そうすることでオレがテロリストになるように、確かめている。


「テメェ……」


 拳で涙を拭ったときにはオレの理性は吹き飛んでいた。


 女が座る机まで五歩もない。


 握りしめた拳を振り上げ殴りかかろうとする。


 思う壺だろう。


 テロリストの息子をいつでも捕まえようと構えている四人の男たちに取り押さえられることなどわかり切っていた。だからと言って黙ってガマンするほど大人じゃない。この怒りを目の前の女にぶつけなければどうしようもなかった。


 お望みどおりに暴れてやる。


「……ぶっ飛ばしてやらァッ!!」


 逮捕されてもいい。


 共犯にされてもいい。


 オレはオヤジを信じている。事実はその後だ。


「取り押さえろ!」


 四人の男たちが動く。


 一人がオレの正面を塞いだ。残る三人が左右と背後から取り押さえに来る。


 その時、意識は取り残されていた。


 静寂に飲まれる校長室の光景が感じ取れる。時間が止まったかのようだったが、飛び出した自分の背中が遠ざかっていくのでそうではないとわかる。四人の男たちはオレを取り逃がしていた。そして全員の視線が女の方を向く。


 一瞬にして女の目の前まで踏み込んでいた。


 足は分厚く頑丈な校長の机に踏み込み、勢いのままにひしゃげさせ圧し折る。


「……あらあら」


 ニヤニヤと笑う女の顔面へ躊躇なく、躊躇する間もなく、拳を叩き込む。


「アアアアアア゛ア゛ッ!」


 オレは叫んでいた。


 拳と足から受ける反動の感触で、意識が身体に戻る。


 校長室の空気が大砲のような音をたてて弾けた。


 踏み抜いた机が真っ二つに割れ、その背後の窓が窓枠ごと吹き飛んでいた。折れたアルミサッシ、ガラスの破片、机の上に乗っていた様々な書類やペン、砕けた建物の壁、壁にかけられた歴代校長の肖像、あらゆるものが宙を舞う。


 オレが女を殴り飛ばした衝撃で。


「……!」


 ハッと正気に戻る。


 なんだこれは?


 どうしてこんな力が?


 前のめりに飛び込んだまま、オレはぶち壊した校長室の窓から中庭に飛び出す。ごろごろと転がって反射的に立ち上がる。校長室の窓から見える向かいの校舎に大きな円形の凹みが出来ていて、女が大の字に突き刺さっていた。


「死んだのか……」


 オレが殺してしまったのか、と思う。


「……そっか、やったのか」


 テロリストの共犯になる前に普通に人殺しだ。


 そう思って頭が冷えたからか、急に周囲の音が迫ってきていた。


 これだけの状況だ。中庭を囲む校舎のあらゆる窓から生徒や教師が顔を覗かせている。ガラガラと背後の校長室の壁が崩れてもいた。日当たりの悪いこの場所はどこか湿気て重たい空気が漂っている。


全先正生まっさきまさき!」


 男たちが飛び出してきてオレを取り押さえた。


「……ンぐ」


 土の地面に顔を押し付けられるが、抵抗する力は出なかった。


 呼吸が荒く、心臓の音がうるさく、全身が重たい。


 だがどうでもいい。逃げも隠れもするつもりはない。


 確かにオレが殴ったのだ。


「なかなかいいパンチです。あなたの能力ヒロイズムを確認しました」


 だが、頭の上から降ってくる声に頭を上げる。


「生きて、た?」


「そう簡単にわたくしを殺せると思わないでください」


 オレの言葉を遮って、女は言った。


「あなたの能力を見るために挑発して、その分を受けてあげただけです」


 あっさりとしたものだった。


 顔面に拳を叩き込んだのは間違いないはずだが、赤くなった様子すらない。それどころか校長室の窓をぶち抜いて、反対の校舎の壁にぶち当たったというのに肌どころか服にすら影響がないように見える。そして黒いレースのパンツまで見えていた。


 なんだかよくわからないが悪趣味だ。


「なんでそんなことを」


「守るためです」


 女はオレを取り押さえる男たちを顎で退かす。


「宇宙人と共謀した父親に、なにも知らず人間兵器として改造された哀れな少年を」


「……オレ、を?」


 人間兵器。


 オレがたった今この女をぶっ飛ばした異常な力がそれだというのか。


「つまり、オヤジは本当に」


 声が震えた。


 立ち上がることすら出来ず、地面に手をついたまま動かしようのない事実に項垂れるしかない。ただの人間だったはずのオレの肉体が兵器と呼べるまでの力を持ってしまっている。殴る前に言われても信じられなかっただろうが、今は実感するしかない。それがなにを意味するかも考えるまでもない。


「あなたの存在があなたの父親がテロリストである証拠になります」


「……」


 女の言葉になにも言い返せなかった。


 オレを人間兵器とやらに改造したのがオヤジと共謀した宇宙人とは限らない。そんな反論に意味はないだろうことは口に出す前にわかる。それくらいのことは調べて警察だって逮捕するはずだ。死刑を適用するような重大犯罪、少なくとも世間向けに公判を維持できるぐらいの証拠は準備されていない訳がない。


 ならばどうする。


 黙ってオヤジが死刑にされるのを見届けるのか。


 それこそ哀れな少年そのものだ。目の前のチャラい女に哀れまれたくなどない。だがキレて食って掛かっても状況は良くならないのも明らかだ。人間兵器とは言ってもその力が通じる相手ではなかったのだ。その意味で、オヤジはまだ地球の脅威とも言えない。


 法に裁かれるただの犯罪者だ。


「お、オレ以外に、被害者は……」


 頭をフル回転させて、オレは言った。


「……人間兵器にされた、被害者がいるんですか?」


「いいえ? 今のところ確認されているのはあなただけですが」


 こちらの質問に意外そうに首を傾げ、女は答える。


「そっか、それは良かった」


 オレは安堵しながら頷く。


 予想通りの答えだった。改造された自覚がなかった時点で理解できた。人間兵器として、この肉体は未完成なのだろう。いつから異常な力を手に入れていたのかわからないが、昨日までは普通に高校生活を送れていた。特にオヤジに反地球的思想を植えつけられていたこともない。だれと戦うつもりもない高校生だった。


 それは頭の中身を弄るつもりだったということかもしれないが。


「オレは、こうなってもオヤジを信じたい」


 立ち上がって、言った。


「真実がなんであれ、オヤジは死刑にされるような男じゃない」


 そう信じられることが、オレをまだこの場に立たせていた。


「……ですから、それを決めるのは日本の司法だと」


「アンタ、オレが改造されたことを確かめたのは証拠がそれしかないからだろ?」


 女の言葉を遮って、オレは指を開いたまま右手に力を込めた。


 見慣れた五本の指、だが今はわかる。


 体内に流れている大きな力の存在がわかる。


 血液を通じて全身に行き渡っている。


 どうしてこうなるまで気付かなかったのか悔やんでいた。


 昨日の夜、せめて今朝、学校に行く前に気付いていればオヤジにそれを問い質すことが出来ただろう。気楽に『なんか力が有り余ってんだけど、どうしよう?』と聞けた。どんな答えが帰ってきたかはわからない。真顔で『人間兵器として地球の敵になれ』と仮に言われたとしても、オヤジに言われたのならば納得できる。


 それならばオレの手で止められたからだ。このバカげた力で。


「なにをするつもり?」


 女がはじめて身構える。


「改造はされたかもしれない」


 オレは左手を自分の胸に当てた。


 心臓の鼓動がある。


「だが、人間兵器になるように育てられたことはない!」


 今、オレがオヤジのためにできることはひとつ。


「……!」


 女が次の行動を察したのがわかった。


「がはっ」


 だが、オレの手に宿った人間兵器の力がブレザーの制服を突き破って肋骨を圧し折り、心臓へと指先を伸ばす方が早い。血を吐きながら、オレはただ右手を胸の奥へと押し込むことだけに集中する。痛みが全身を走って仰け反り、崩れ落ちそうになりながら、やたらと熱い鼓動の源を握り込んだ。


 証拠がこの身体しかないのなら、それを消せばいい。


「……おやご、ともども……めいわぐ、がげてずみまぜ……」


 言葉と一緒に吹き出した真っ赤な飛沫が冗談のように地面に広がって溜まっていく。意識したことがなかったが人間の身体にはずいぶんと沢山の血液が流れているらしい。後始末が大変そうだ。遠のく意識でなぜかそんなことを考えていた。


「このバカッ!」


 飛沫を正面から浴びた女の顔が目の前に現われたのは直後。


 血に濡れた顔面よりも血走った目がオレを射抜いた。


「ガキが死んで責任を取るなんて百年早いッ!」


 その言葉ごと揃った前髪の下から現われたつるんと広い額が頭を打ち抜いていた。


 頭突き。


 百年経ったら普通に死んでるだろ。


 脳を押し潰すような頭蓋骨の悲鳴を聞きながら、オレは切り取られた中庭の空を仰いだ。足の踏ん張りも聞かず、女がオレの腕を胸から引き抜いて地面に押し倒す。噴水のように広がる飛沫が景色を赤く染めた。


「は、……まぁ、残念ながら、あなたはこんなことをしても死ねませんが」


 血みどろの女がその両手で吹き出す血を止めながら言う。


「……」


 さすがに出血多量で死ぬだろ、と言ってやりたかったが声が出ない。


「その能力、三種トリニティ・心器ハート・アクションとわたくしは名付けました」


 なにを言っているのかわからない。


 だが、オレにも違和感はあった。遠のきかけた意識がすっかり戻っている。


「今のあなたには心臓が三種ある」


「……み、っつ?」


 声も出ていた。


「三種」


 女は言う。


「あなたが生まれながらに持っていた人間としての心臓。あなたの肉体に強力な力を与える宇宙の獣の心臓。二つの心臓の拒絶反応を抑え力による反動を癒す機械の心臓。三種の心臓があなたの命を相互に保ち、相乗効果で能力を形作っています。ほら……」


 そして、血を止めていた真っ赤な両手を挙げた。


「もう治りました」


「……え」


 首を起こしてみると、破れた制服の中にある胸は呼吸で静かに上下していた。心臓はおろか、息苦しさも折った肋骨の痛みもない。ただ制服とシャツが破れて血塗れになっているだけだ。傍目には十分に重傷に見えるだろうが、なんともないのがわかる。


 だが、嬉しくはなかった。


「オレは、オヤジになにもしてやれないのか……」


 自分で死を選ぶことさえも。


「呆れました」


 ポツリとつぶやいた言葉に女は溜息を吐く。


 オレの上から立ち上がり、顔の血を取り出したハンカチで拭う。


「仮にあなたが死んで父親が無罪になったとしても、それが無実を意味しないことをわかっていますか? わたくしが言った通り、あなたのことを息子ともなんとも思っていなかったら同じことを繰り返すということにもなりますよ? それがなんの解決になりますか? あなたの信じる父親にしてやれることはそれでいいのですか?」


「……でも、オヤジが求められるのは死刑だけだ」


 地球外患誘致。


 オレは口に残った血を吐いて言った。


 降り注ぐ太陽が眩しい。


 両腕で目を塞ぎ、鉄臭い歯を食いしばる。


「理解できません。自分の命より父親の命が大事だなんて、ファザコンですか?」


「ファ……ッ」


 オレは言葉に詰まる。


 そういうことはこの場で思っても空気を読んで言わないもんだろうが。


「どうなんですか?」


 だが、女は追及してくる。


「ファザコンじゃない……と思う。ただ、オレは、その……」


 いざ口で説明しようとすると恥ずかしい気がした。


 本当にただ感謝しているだけなのだ。


 実の子でもないオレを育ててくれたことを知ったのは中二のときだ。


 だからそれから一年ちょっとの親孝行をしたいと思って行動している。


 苦労させただろう分、オレが支えて楽に生きて欲しいと思っていたというだけだ。金銭的な面じゃまだ力にもなれなかったし、もちろん働く男としてのオヤジのプライドもあるだろうから、新聞配達のバイトで小遣いをまかないつつ、家事をしたりというような些細なことだけしかできていない。


「……まだ、全然、感謝を形にできていない、から」


 オレが気の済むまで感謝したいだけだ。


「死んでも形には残りません」


 女はキッパリと言う。


「……!」


 反論できない。


「今のあなたがここで死んだところで、世間はテロリストによって人間兵器へと改造された哀れな息子が絶望して自殺を図ったとしか思いません。そこに感謝を読み取ることはおそらくあなたの父親をしても不可能でしょう」


「……それ、は」


 読み取ってくれなくても別に構わない、と言いたかった。


「息子に死ぬほど感謝されていると思っている父親が、息子に知らせることもなくその身体を改造すると思いますか? 死刑を免れたとしてもそれは己の幸運だと思うだけのことです。あなたの命の価値など無に等しいのですよ」


 それでも女が突きつける言葉は心臓よりも痛いなにかを抉る。


 伝わるかもしれないと言う淡い期待をも圧し折られていたからだ。


 オレは無力だ。


「それでも」


 女は一呼吸おいて、言う。


「それでも、あなたが己の命を懸けて、日本の警察より父親を信じるというのならば、道はあります。あなたの命の価値を無から有へと変え、あなたに施された犯罪の証拠をクロからシロへと引っ繰り返す、たったひとつの道が」


「それは」


 両目を塞いでいた腕をどかして、オレは起き上がった。


 カンに触る女の垂らす蜘蛛の糸に縋っている。そんなカッコ悪さは感じていたが、打ちひしがれて大地に横たわっていたところで地獄から這い上がれる訳ではないのだ。神も仏も信じちゃいない。だから人が立つには己を信じるしかないとわかっている。


「ヒーローになるのです」


 女はそんなオレの目を真正面から見ていた。


「……ヒーロー」


 想像もしていなかった。


「三種の心器の能力、それが人間兵器として地球を脅かす力などではなく、地球人類を守るための力だと世界に示すのです。そうすれば、あなたの父親はヒーローを生み出したことになり、その罪は無実にもなりうるでしょう」


 中庭に降り注ぐ光の中で、女は微笑んでいた。


 意外と綺麗な女だ。


 血みどろの姿は女神には程遠いのかもしれないが、それだけに現実感がある。


「オレが、ヒーローに」


「ええ、あなたが望むのなら、わたくしが入口まで導いてあげましょう」


 本当だろうか。


 女の言葉を疑っていない訳じゃなかった。信じられる理由もない。だが、オレが、オレに与えられてしまった力を、オヤジに育てられた心と身体を正しく使うことで現状を変えることができるという言葉には希望がある。


 迷ってはいられなかった。


「やらせてください」


 オレは立ち上がって深々と頭を下げる。


「オレを、ヒーローの、その入口まで連れて行ってください」


 考えても仕方がない。


 もう捨てたつもりの命だ。


 騙されたのなら、その時こそ地球の脅威にでもなんでもなればいい。


「素直なことは良いことです。マッサキ・マサキ」


 女は右手を差し出した。


「は、はい」


 オレは血塗れの手をズボンで拭って握手に応じる。


「あなたの能力も覚悟も十分に見せてもらいました。わたくしは巫女田みこたカクリ、月暈つきがさ機関の理事をしています。そう言えば入口まで辿り着いたとわかるでしょう?」


 他人のことは言えないが、耳にピンと来ない名前を女は口にする。


「月暈……」


 思わず空を見上げていた。


 月は見えない。


 だが、地球人類ならばだれでも知っている。


 満ち欠けするあの衛星が七十余年前から地球を守り続けていることを知らない訳がない。宇宙からの侵略者の軍を退け、今は地球上に潜入する侵略者と戦うヒーローを束ねる組織、月暈機関の本拠地がある場所だと。

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