第9話 健康習慣

 ~オブスキュアビートル~

 

 体長 3mm~5mm

 

 分布 迷い人の森


 体色 濃い緑色に黒い斑点が複数ある


 概要


 魔虫に属する迷い人の森のハナムグリ亜科の固有種。メスの方がやや小さい。見た目は他のハナムグリとさほど変わらない。


 生態


 前翅を畳んだ状態で後翅で飛べる。カナブン等と同様にコガネムシ科では飛行が得意。


 産卵期になると番で行動し、オスが無属性魔力によって霧を発生させたらメスは同じく無属性魔力によって自己の存在を不確定になるまで希釈して注1対象に近づき、口の中に入ったら尻だけ具現化して素早く口内に極小の卵を産卵し、また番で身体を不確定にして見つからないよう対象から距離をおいて、その先で力尽きて死ぬ。


 卵はそのまま対象の身体の中に侵入し、卵から孵ると胃や腸にはりついて対象の血を吸いながら成長する。


 半年ほどかけてある程度まで成長したらサナギとなって体外に放出され、外で羽化して成体になると樹液や花の蜜を吸いながら過ごす。


 注1 不確定による自己の希釈とは、いまだ証明されていないが自己の存在を特殊な魔力によって薄くする事によりこの世界における存在を不確定にする無属性魔法の事。


~イースラント王立魔法学院 自然魔法学科教授カルロス・ヴァグ~



 以上が例のコガネムシの生態らしい。


 あのローデリック教授とは違った方向に変人だったヴァグ教授に話を聞きに行った甲斐があったというものだ。


「なるほど、だから酷い寒気が症状として現れるのですな」


 エスト支店長は俺の説明に深くうなずいた。


「そうです。ようは酷い貧血なんですよ。体内から血を抜かれるわけですから。ただ本来ならここまで酷い症状になるような血の吸い方をしないはずなんです。宿主が死んでしまったら寄生している幼虫も死ぬ可能性が高いですから」


「確かに。我々と違い野生の動物や魔獣は動けなくなったら終わりですからな。となると、今回のモノは特別に用意された、と考えた方が良さそうですな」


「おそらく。例えば人種より大型の宿主ばかりに寄生させたりなどして品種改良を長年行ったならば、血を吸う量が野生種よりずっと多いと思われます。その証拠に今回のコガネムシは野生種と比べてかなり大型で、だからこそミルチルさんは地元でみたコガネムシに似ているとは思っても同種だとは思わなかったのでしょう」


「そのミルチルですが、彼女だけは症状が出ませんでした。何故なのでしょうか?」


「それにはちゃんと理由があります。ではミルチルさん本人に説明していただきましょう」


 入ってくださいとドアの外に声をかけると、ミルチルさんがティーセットをお盆に乗せて入室してきた。


 そのまま慣れた手つきでお茶を淹れて、こちらに差し出してきた。


「さ、どうぞ」


「いただきましょう」


 俺とエスト支店長はミルチルさんが淹れた薄緑のお茶をいただく。


 薄緑のお茶は紅茶と違った渋みがあるが、不快と思うようなものではなく、スッと喉の奥に入っていく。


「ふむ。見た目ほど苦味やえぐみのない、上品な渋みのお茶ですな」


 これが答えなのですな?と目線を向けてくるエスト支店長に俺は笑いながらうなずいて、ミルチルさんに説明してもらう。


「このお茶は私の生まれ故郷では普段からごくごく普通に飲まれているお茶です。健康に良いと昔から評判で色んな効能があるんですが、その中の一つが虫下しなんです」


 そう、このお茶こそが迷い人の森の里のエルフ達がこの寄生コガネムシの症状が出ない理由だった。


 日常的に飲んでいるからたとえ寄生されても虫下しの成分によって症状が出る前に体内から駆逐されるのだ。


「ミルチルさんは朝晩このお茶を飲んでいたがために無事だったんです。他の従業員の方の出身地をお尋ねしたのも迷い人の森やその周辺の出身か否かを知るためでした」


「なるほど……。症状の出なかったミルチルにウルフさんは犯人ではないと言いきられましたので、ならば実は隠された実力を持った本店からの監視員なのでは?と思ったりもしたのですが」


 違ったようですな、とエスト支店長はミルチルに笑いかけた。


「いや~皆があんな事になってるのに一人だけピンピンしている私を怪しまれるのは当たり前です。何せ支店長の目の前でやられましたから…」


 ははは、と苦笑いをするミルチルさん。


 今朝、症状が出なかったミルチルさんは自分が疑われないかヒヤヒヤしていたからなぁ。




〈午前中〉



「それじゃ、行ってきます」


「カァ~」


 今日もお仕事で早出なの~と不満そうなねーちゃんを送り出した後、俺と闇妖精は自宅を後にした。


 闇妖精は昼間はその能力を十全に発揮する事は難しいが、連絡のやり取りくらいなら問題ない。


「それじゃ他の子達に異常がなかったか聞いてもらえる?」


「カァッ!…………カアカア!」


「やっぱり来たか」


 犯人一味が監視網にひっかかったらしい。


「早朝の薄暗い内に来るだろうとは思っていたけど、当たったな。引き続きアパートメントを監視するよう伝えてくれ」


「カァ」


 俺はそのまま歩きながらスミューさんに連絡をした。


『もしもし、ウルフ君?』


「おはようございますスミューさん。ミルチルさんはどうですか?」


『君の言った通り、何の症状も出ていないよ』


「では今からそちらに伺います」


『どれくらいで着きそうかな?』


「二、三十分ですかね」


『分かった。二十分後にはアパートメントの前に立ってるよ』


「よろしくお願いします」


 まだ朝の騒がしさが残る街中を、闇妖精と喋りながら歩いていく。


「こんなに人が沢山歩いているのを見るのは初めて?」


「カァ~」


「森の中から出た事ないんだ?」


「カァカァ」


「それどころか召喚されたのも初めて、と。もしかしてかなり若い子なの、君」


「カァ!」


「そうか、最年少だったか。だからねーちゃんにビビってたのか」


「カ、カァー!」


「いやビビってたじゃん。まあでももう怖くないでしょ?」


「カァ~」


「そうだろうそうだろう。ねーちゃんは親しみやすい女王様を目指してるからな」


「カァ~?」


「そうか、君は知らないのか。前の女王様ってちょっと怖いタイプだったんだ。周りの妖精も喋りかけるのも躊躇するくらいに。そのせいですっごい職場の空気が悪かったってねーちゃんは愚痴ってたよ。だから自分はあんな風にはならないってね」  


「カァカァ」 


「そうだね。その辺はコルヴスと似てるかな。性格的にね」


「カァッ!」


「ん?お、いたいた。スミューさん、おはようございます」


 昨日来ていたローブではなく、ラフなシャツとロングスカートのスミューさんがこちらに向かってヒラヒラと手を振っていた。


 ローブよりはっきり身体のラインが出る服装でわかった。


 思った以上にスミューさんスタイル良いっすね。


 朝から眼福ですなぁ。


「やあ、おはようウルフ君。そっちはまさか…?」


「この子はコルヴスではなくて昨日召喚された眷族の闇妖精です」


「カァ~」


 おはようございますと頭を下げる闇妖精に、スミューさんもおはようと挨拶を返す。


「それで、ミルチルが何故症状が出ないと分かったんだい?」


「確信はありませんでしたよ。それを確かめるために今日はお邪魔したわけでして。説明は中で」


「そうかい。あの子の部屋は二階にある。ついてきてくれ」


 スミューさんに従って階段を登っていくと、ドアが三つ並んでいた。一番奥がミルチルさんで、その手前は症状が出て寝込んでいる同僚の部屋らしい。


「ただいまミルチル」


「お邪魔しまーす」 


「カァー」


「いらっしゃいませ、ウルフさん。それとコルヴス様のご眷族様も」


 ミルチルさんは昨日は職場の制服だったが、今日は薄いピンクのワンピースと可愛らしい格好をしていた。


 カワイイ系エルフのミルチルさんにはよく似合っているなぁ。


 エルフ特有のほっそりとしたスタイルが儚さを出していて、童顔も相まって何か背徳感があるね。


 リビングに案内され、ミルチルさんがお茶をいれてくれた。


「ん?このお茶……」


「あ、そのお茶は私の地元のお茶です。地元でしか育てていない茶葉で、とても健康に良いんですよ」


「なるほど、薬膳茶ですか」


「それで、あの、ウルフさん。私は症状は出ていませんが決して犯人ではなくてですね」


 必死な表情で無実を訴えるミルチルさんに俺はうなずいて答えた。


「ああ、分かってますよ。ミルチルさんは犯人じゃない事は」


「ほ、本当ですか?!」

 

「はい。犯人グループはちゃんと発見して現在監視中ですから」


「よ、良かったぁ~」


 ヘナヘナ~と身体をしぼませるミルチルさんに、良かったなと肩をポンポンするスミューさん。


「一晩で犯人を発見するとは流石だねウルフ君。でもなぜミルチルは症状が出なかったんだい?」


「それはミルチルさんが迷いの人の森出身のエルフだったからですよ」


「ふぇ?地元が関係あるんですか?」


「ええ。先に結論を言うとですね、今回の一連の騒動は呪術によって引き起こされたわけじゃなかったんですよ」


「何だって!じゃああの怪しい霧は何なんだい?」


 予想外の答えにスミューさんは思わずといった感じで前のめりになった。


 まあ、あれだけ呪術っぽい条件がそろっていたのにまさか無関係だったなんて思いもよらなかっただろうなとスミューさんのリアクションに共感してしまう。


「あれはですね、オブスキュアビートルって言う特殊なコガネムシの習性を利用したものなんです」


 俺はカバンから昨日闇妖精が拾ってきたコガネムシの入った袋を取り出し、中身を二人に見せた。


 ちなみにローデリック教授に解体された方はヴァグ教授が欲しがったので差し上げてきた。


「あ!これ、最近よく店の前で死んでたコガネムシです!」


 ミルチルさんは袋から取り出したコガネムシを見て声をあげる。


「ミルチルさんはこのコガネムシを見て何か感じませんでしたか?」


「えっと、地元にいたコガネムシに似ているなって」


「それってこいつじゃないですか?」


 ヴァグ教授のオフィスからお借りした図鑑を開きオブスキュアビートルのページを開いて見せると、ミルチルさんはこれですとうなずいた。


「サイズやカラーこそ違いますが、こいつはオブスキュアビートルです。こいつの能力については難しいので説明は省きますけど、要はこいつは寄生虫なんですよ。霧で目隠しをして体内に産卵し、幼虫は宿主の血を吸って成長、サナギになったら体外に排出され、成虫になるんです」


「寄生虫、血……なるほど。だから症状が寒気とめまいなのか」


「そうです。ようは貧血です。呪いじゃないから対呪術魔法は意味がないんです。おそらく治癒魔法なら一時的に症状は緩和されますが、そもそも血が足りないのですぐに悪化します」


「で、でもウルフさん。私、地元では霧に包まれたり寝込む程に酷い貧血になったりなんてなったことないですし聞いた事もないんですけど」


「おそらくですけど、迷い人の森のエルフはオブスキュアビートルから襲われないんですよ」


「コルヴス様のお力でしょうか?」


 ミルチルさんは俺の右肩にとまったままの闇妖精を見ながらそう言うと、そっと炒り豆を差し出してきた。


「違います。迷い人の森のエルフが襲われない理由は、自分達で対策をしているので寄生してもすぐに殺されてしまうと学習しているからでしょう」


 闇妖精の前に炒り豆を持っていくと、一つ食べた後に微妙ですって感じでカァ~と鳴いた。


 ミルチルさんにもニュアンス的に伝わったらしく、ちょっと肩を落としてしまった。


「ミルチル達はどんな対策をしているんだい?」


「恐らく、これですよ」


 いれてもらったお茶の入ったコップを手に取り、一口飲む。


「あ!そうか。そうなんだ」


 ミルチルさんは納得ですという表情で大きくうなずいた。


「何がだいミルチル?」


「このお茶、虫下しにもなるっておばあちゃんから聞いた事があります。私の地元では皆飲んでますけど、だから誰も症状が出ないんですね」


「その通りだと思います。実は寄生虫対策ってのをお聞きしたくて今日お伺いしたんですけど、いきなり答えに辿り着いてちょっとびっくりしました」


 迷い人の森のエルフに伝わる秘薬とかかな~とか想像していたんだけど、話を聞くとどうも近隣の村でも販売しているらしいし、けっこうオープンな物だった。


「近隣の村でもオブスキュアビートルの被害があったのかい?」


「私は聞いたことないです」


「おそらくあっても少数でしょう。魔蟲は基本的に魔力の濃い場所をテリトリーにして、その範囲外に出ませんから」


「なら今回の事件で使用されたのは迷い人の森で捕獲された個体なのかな?」


「いえ、人工飼育によるものだと思います。こいつ、自然種と比べてデカ過ぎます。ミルチルさんもこのサイズは見たことないでしょ?」


「ないですねー。地元でここまで大きくなるコガネムシはオウサマカブトムシだけです。他のはこの図鑑に書いてある通りのサイズばかりですね。店の前で死んでいたのも大きさも色合いもけっこう違ったから全然別の種類だと思ってましたし」


「ですよね。それに天然のオブスキュアビートルに寄生されても、健康な人が動けなくなるほど体調が悪化するなんて事はないそうです」


 せいぜい軽いめまいくらいだそうだ。


 血を吸われると言っても微々たるものだから気づかない人の方が多いらしい。


「そうなると今回の犯人はオブスキュアビートルを長年品種改良して犯行に使用した、という事になるね。単独犯ではなく組織で動いている奴らのようだ」


「そうですね。それなりの人数はいるかと思います。今回も実行犯以外に手引きしたと思われる奴も発見、監視しています」


「でも、どうしてオブスキュアビートルを犯行に使おうって思ったんでしょう?」


「単純に犯行がバレづらいってのが一つですね。オブスキュアビートルの存在自体知っている人が限られていますし」


「私の村でも知っている人がいるかどうか。長老ならもしかしたらって感じですね」


「オブスキュアビートルはまだ魔法学会で発表すらされていない非常にマイナーな魔蟲です。犯人達もオブスキュアビートルという名がついている事すら知らないと思いますよ」


「そんなマイナーな魔蟲を犯罪に使えるまでに品種改良した組織、ね」


 気になるな、と顎に手を当てるスミューさんと、お茶のお代わりを淹れてくれたミルチルさんに犯人達の詳細を説明した。


「なんだって!」


「それじゃ、犯人は……」



〈現在〉


「いや良かった、ミルチルがもし監視員だったらそれを見抜けなかった私の人を見る目が節穴だということになりますからな。それで、このお茶を使えば倒れた従業員達の症状も治るのですね?」


「すでに何人かの方はミルチルさんにこのお茶をわけていただいて症状が改善しています。スミューさんが血を作る能力を促進する薬を同時に処方してくれたので、早い人なら明日には回復しているでしょう」


「それは良かった……。ウルフさん、ありがとうございました。噂に違わぬその実力に、わざわざ東支部に依頼した甲斐がありました」


 どうやら俺のことも依頼後に調べたらしい。


 まあ、冒険者ギルドに紹介されたといえ俺みたいな若造にいきなり全幅の信頼はおけないわな。


「あー、俺の噂に関してはギルド職員や他の冒険者の奴らがあれこれ面白がって尾ひれをつけてるだけなんで、本気で受け取らないで下さいよ……」


「はっはっは、ご謙遜を。ウルフさんさえよろしければ、リバーケープで専属の冒険者になりませんか?報酬は弾みますよ?」


「すみませんが遠慮しておきます。指名依頼もお断りです。自分は今学生なので冒険者活動の時間が限られるのもありますが、どこかに所属したりどこかを優遇したりとかはする気がないので」


 どこからもフリーの立場で依頼を受けたいからと誘いを固辞すると、エスト支店長は残念そうな顔をしたが、ならばしょうがありませんねと頷いた。


「しかし、これで瘴気については解決しましたが、誰が妨害行為を仕掛けてきたかは分からないままですね」


「ああ、それでしたら副支店長が怪しいかと」


 俺の発言にエスト支店長は腰を浮かせた。


「まさか?!ウルフさん、何か心当たりがあるのですか?」


「私もきちんと調べたわけではないのですが、副支店長は行商の生まれだったとか」


「そう聞いておりますが……?」


「どこを行商して回っていたのか、その辺を調べていただいたらよろしいかと。後は商業ギルドにご連絡を」


 後はご自分で、という意味を込めて俺は椅子から立ち上がった。


「わ、わかりました。ウルフさん、今回は本当にありがとうございました。お約束の報酬をお受け取り下さい」


 エスト支店長は席に戻ると金貨を小さな皮袋に入れて、最初から机の上に置いてあった大きめの袋と一緒にするとそれをミルチルさんがこちらに持ってきてくれる。


「確認させていただきます」


 大きい袋の中にはジョナムンの制服が、小さい皮袋には金貨二十枚が入っていた。


「金貨の数が多いようですが?」


「瘴気の件をここまで早く解決していただいただけでも私どもとしては十枚では足りないくらいでしたので」 


 さらに犯人の目星までつけていただきましたからね、とエスト支店長はカイゼルひげをさわりながらニヤリと笑った。


「それならありがたく頂戴するとします」


 俺は報酬をカバンに詰めて、ミルチルさんに見送られながらリバーケープを後にした。


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