2-3. 斬鉄のミフネ

 この茶番劇ともいうべき会議からおおよそ二年前の話になる。


 心眼のミフネ、斬鉄のミフネ、二刀流のミフネ……数々の渾名を持つこの無頼漢は次なる獲物を求めて異邦の西国を旅していた。魔王と邂逅したのもその時である。


 ミフネは今でもあの日の記憶は鮮明に残っており、瞼を閉じるとあの緊張感と共に切迫した光景が脳裏に浮かぶ。


 あれは霧が濃い夏至の出来事だった。濃霧の雰囲気に反して雲一つない晴れ渡る蒼穹は地平線まで続いていた。


 この果てしなく広い現世を彷徨う一人のやくざ者は倦怠感を打破すべくわざわざ異邦の地に足を運んだ。


 そう、ミフネは強くなりすぎたのだ。有象無象の輩は勿論のこと魔の眷属たる魍魎もこの愛刀で屠ってきた。それがいつしか絶対の自信となったかが同時に血が滾る闘いも遠退いた気がしたのだ。


 ある日に声を潜めて語られる噂を聞いた。皇国から西方にあるカネレの南部にヒトの世を渡り歩く酔狂な魔王が居ると。


 多くの魔王の居城はその詳細が一切不明であり女神の恩寵を受けた勇者以外の者は辿り着くことは難しいだろう。


 だが自分と同じく根城を持たない放浪者なら見合う機はまだ在るやも知れぬ。


 ――今度こそ身共を躍らせる敵と逢える


 そんな一抹の期待を胸に忍ばせながらミフネは言葉も通じぬ異国へ旅立った。


 それから一年余りが過ぎようとしていた。ミフネもこの頃になると片言ではあるがカネレの地の話し言葉を会得していた。


 ――そして

 人が辛うじて生きていける不毛の荒地にてわざと音を外したような頓狂な音を奏でる一人の少年とその従者が霧の中を歩んでいた。


「お頼み申す。心眼を使うまでもなく透かして見えるその邪気……風の噂で聞こえた旅の魔王殿とお見受けした。是非とも身共と手合わせ願いたい」


 少年の姿をした邪悪の権化にその付き人と思わしき騎士。

 ミフネの挨拶に対して少年に付き添う強面な風貌の男は無言を以て怪訝な表情で返礼した。


「用があるのは其方ではない……だが主も愉しませてくれそうだ」


 ミフネは破顔しながら愛剣に手を伸ばした。そう、魔王に非ずともこの男は己が斬り捨ててきた誰よりも強い。やはり魔王の側近ともなるとやはり格が違うのだ。


 元来の目的からは外れてしまうがこの男から相手にするのが最適解であると考えた。魔王の従者に及ばないのであれば元より魔王と手合わせする器ではないということだからだ。


 ――ここまで己の限界に挑めるとは!

 ミフネは歓喜した。


「下がっていろ、ユカ。こういった命知らずの手合に人間式の礼を以て迎えるのもまた一興というものだ」


 魔王は人の化けの皮を捨て去り神々しさと禍々しさが相半ばする金剛石の像の姿を表した。

 その変化へんげの軌跡に花弁がひらひらと舞う。魔王が戦闘態勢をとった合図に相違無い。


「……好きにするといい」


 半ば呆れたように従者風の男は剣を収めて後ろに下がった。


「心より感謝……! いざ参る」


 ミフネにとって魔王から礼を以て迎えられる事は嬉しい誤算であった。


 しかし、結果など目に見えていた。


 ミフネはその心眼から人間の反応速度を遥かに超える魔王の猛攻も紙一重の差で避けることができる。


 だが魔族と違って人の体力は有限である。この綱渡り的防禦もそのうちに破断点を迎える。


 ――このまま消耗戦となれば万に一つも勝ち目はあるまい! ならば捨て身の覚悟で活路を開くべし


「弱きヒトの子にしてはよく保った方だ。……だがそれもここまでだ」


 相手が勝利を確信したときの油断、それ故生じる一瞬の綻びをミフネの心眼は逃さなかった。


 鞭のようにしなる鋭利な触手がミフネの喉笛目掛けて飛ぶ。この無頼の剣客はその軌道を見切っていた。中段に構えた剣が触手を迎撃する。


 そして次の攻撃に繋げる。この機に間合いを詰めて金剛石の五体に素ばやく一太刀を浴びせた。


 其の無機質な肉体には他の魔族と同様に青い血が通っていた。


 しかし、敵に報いたと同時に限界を越えて酷使された刀は脆くも崩れさった。


「見事かなヒトの子」


 相手が得物を失くして丸腰になるのを見て勝利を確信したのか、魔王は戦闘態勢を解いて少年の姿に戻っていた。


「お遊びが過ぎる……選定の勇者が近くまで来ている。今混戦になったら不味い」


「わかってるよ、ユカ。ここはこの傷に免じて一度退こう」


 この小さな暴君は食えない態度を取りつつも従者の諫言には耳を貸すようである。


「待たんかい……決着がまだであるぞ」


 ――御機嫌よう……命知らずの御仁……また縁があったら


 ミフネの叫びも虚しく、魔王と其の従者は霧と共にその姿を消した。


「勝ち逃げされたか」


 ミフネイッテツ

 その生涯に於いて二百余りの決闘のうち唯一の黒星。

 しかし、これは決闘と呼んでいいのだろうか……否、良いはずが無い。


 決闘とは真剣によるタマの取り合いであるはずだ。こうして敗者が生きているということは即ち相手は真剣ではなかったとのことだ。


 しかし、雪辱の他ない苦い経験からも得た教訓はある。


 ――そう、魔王とて血は流す ならば……


「血を流すなら殺せる筈だ」


 それからミフネは己の五体と技により一層磨きをかけた。そして魔王の瘴気に触れても朽ちぬ強靭な剣を求めるようになった。


 ………………

 ………………


 この立ち合いで教訓を得たのは何もミフネだけではない。魔王も同様であった。


「ふふ、脆い鉄もヒトが鍛えれば我を傷付けうる刃となるのか。やはりヒトは取るに足りぬがヒトが造りしモノには魔族にとっても多分な価値がある」


「……決心が付いたようだな」


「そうとも! 我はヒトに船を作らせる。魔族のための軍船をな……

 それも一隻や二隻ではない。大海を埋め尽くす程作らせるのだ」


 このアエテルタニスの歴史にて13 もの魔王が居ながら未だに魔王が他の魔王を打ったという記録はない。


 それは小競り合いが続きながらも大規模な魔族同士の衝突が少なかったのは偏に距離という壁があったためである。


 どの軍閥も魔王を除いては翼を待つ者か海に適応できる者のみが敵陣の深くまで切り込むことが出来た。しかし、多くの場合は敵本拠地で多勢に無勢の中返り討ちにされる。


 しかし、もしこの移動という制約を克服した魔王軍が現れたなら……


 この世界の勢力図は一変してしまうだろう。

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