第32話スーサイドボーイ・インザシット

 熱気の漂う京都支部闘技場、出入り口は一つしかなく、入り込んだアニマから逃げる場所はない。窓などから外へ出ようにも、外の状況もまともに分からない状態ではとてもそんなことはできないだろう。

 戦う力を持たぬ者、アニマに力及ばぬ者たちは、自らの命運をふたりの少年少女に賭けるしかなかった。そんな不安の目をその身に受けながら、浪と雪菜は巨大な双頭のアニマに向かって構えを取る。


 先に仕掛けたのはアニマの方だ。右側の首が口を開き前方に魔法陣を描くと、浪たちの前に赤い光の粒が出現した。雪菜はすぐに危険を察知し、浪とともに一歩下がるとシールドを展開した。

 直後、赤い光は大きな爆発を起こし、闘技場をさらなる熱波が襲う。雪菜は折原との戦いで見せた赤いシールドで完全に爆風を遮ったものの、アニマの放つ高熱に、汗を流し少し息が上がっている。浪の方はまだ、そこまで辛そうというわけでもないのだが。


「大丈夫か雪菜? 随分きつそうだけど……」


「やっぱファクターのせいなのかな? あたし暑いの苦手なんだよね……。 こんな調子で攻められると長くは持たないかも……」


「早めに終わらせないとまずいな……」


 二人がそんな事を言っているとき、突然アニマの左側の首に爆破魔術が放たれ、アニマが唸り声を上げた。浪と雪菜が魔力を感じた方へ視線を向けると、どうやら客席からの援護攻撃だったようだ。


「二人が時間稼ぎしてるうちにこっからボコしたほうが早いだろ、みんな行くぞ!!」


 客席から攻撃を加えたらしい茶髪の青年はそう言ってほかのホルダーたちを扇動するが、浪はその行動の危険性を瞬時に感じた。案の定、アニマは青年の方をギロリと睨みつけると客席へと向かって爆撃のお返しをする。爆音とともに青年とその周りにいた数人が大きく吹き飛ばされ、青年は手すりに体を強く打ち動けなくなってしまったようだ。

 その様子を見て、浪が慌てて電撃を溜めてアニマへと放つ。あまり効果はないようではあるが、アニマは再びこちらに意識を向けてくる。


「てめーの相手はこっちだ!!」


「すみません、アニマの意識が分散すると守りきれないのであたし達に任せてください!!」


 客席まで聞こえるように大きな声で叫ぶと、汗をぬぐいながら雪菜はとりあえずビットを作成していく。そして周囲をぐるぐると回りながら漂うビットを組み上げ丸ノコのようにしたものを二つ、回転を加えながらアニマへと放つ。しかし、アニマは強引に突進する形でそれをはじき飛ばすと、そのまま二人めがけて突っ込んできた。雪菜は若干驚きながらも、残しておいたビットでシールドを組みアニマを受け止める。


「このワンコ思った以上にタフだよ……!! 浪、行ける!?」


「任せとけっ!!」


 シールドに魔力を送り続け雪菜が耐えてくれているうちに、浪はできる限りの魔力を溜める。そして、それを解き放つとアニマの頭上に描かれた魔法陣から特大の雷が落ちる。規模からして並のアニマであれば一撃で勝負が決まるようなものであるが、双頭のアニマは興奮したように吠えながらたてがみの炎を大きく吹き上げると、頭突きをするように強引にシールドを破った。

 浪と雪菜は、それぞれ逆方向にステップするように回避するが、雪菜の方はつまづいて転び、尻餅をついてしまった。アニマはそれを見て大きく息を吸い込むと、彼女に向かって二つの首から高温の炎を吐きかける。

 雪菜は即座にシールドを展開しそれを受け止めるのだが、みるみるうちにそれは熱に蝕まれていく。アニマは息が上がる彼女へめがけて突進すると、再度シールドを突破し爪を振り上げる。


「くそっ、させるかああァァッ!!」


 焦ったように浪が電撃をぶつけるが、アニマは全くひるむこともなく爪を雪菜めがけて振り下ろす。

 雪菜は咄嗟に赤いビットでアニマの爪を受け、そこに通常のビットを追加して獣の頭部のように形を作り直すと、氷の鋭い牙を持つそれが大口を開けてアニマへと襲いかかる。だがやはりアニマはなかなか頑丈であるようだ。氷の獣と双頭の魔犬はお互い一歩も引かずにびくともしない。しかし氷の獣は、徐々に炎に蝕まれ、溶けていってしまっているようだ。

 その攻防を、浪が複雑な表情で見つめる。


「やっぱ、雪菜は俺より一歩先にいるのか……。 攻撃が効かないんじゃ俺にできることは……」


 彼が弱々しくそんな事を呟いた瞬間、最近大人しかった『住人』が、興奮したように声を荒げた。


『まだそんなこと言ってるの!? できることはあるでしょうが!!』


「エル!? でも、そんなこと言ったって……」


『強くなる、それが今の君にできることだよ。 『今』が通用しないなら、それを越えるんだ。 君だって怜士と同じことができるはずなんだから』


「折原支部長と?」


『アマデウスの『翼』は力の証、サキエルのアマデウスも怜士も、アレが魔力を高めているの。 肉体が天使のそれに近づく程の力の解放、私たちはそれを神化アポトーシスと呼んでる』


「神化……? でも、そんないきなり言われても……」


 困惑する浪に、エルはなぜかしばらく黙り込んだあと、覚悟を決めたように言う。


『多分、それができないのは私のせい。 私が多くを語らないせいで、君と本当の意味での信頼関係が築けていないの。 ……、だから私ももう隠し事はしないよ。 落ち着いたら私のこと、乙部くん達のこと、全部話すって約束する。 だから、私を信じて』


「……、俺はお前のこといつだって信用してるよ。 話さないでいることは、お前がそうするのが俺のためだって思うからだろ。 重要なのはそこじゃない」


『じゃあ何が?』


「……、情けなかったんだ。 強くなってるって思っても、それは本当は俺自身の力じゃなくて、所詮俺は一人じゃなんの力もないんだろうって……。 アマデウスなんて特別なこと言っても、素直に受け取れなかったんだ。 お前の力をさ。 ほら、俺って基本卑屈だろ?」


『まあ、怜士たちにも謙遜しまくってたからね。 でもいいんだよ。 誰だって人は一人じゃ生きてけないし。 それに、他人の力を借りる才能は、リーダーとなるべき君に一番求められてるものだよ。 雪菜があんなに頑張ってくれてるのも、君が何とかしてくれるって信じてるからでしょ? 借り物の力だろうと、なんでもやってその期待に応えてみせる、それが君にできることだよ!!』


「期待に……、答える……」


『難しいこと考えることはないよ。 君にとっては彼女を守ることが何より大切、情けないとか、恥ずかしいやら、プライドなんかはそれに比べれば遥かにどうでもいいことだ、そうでしょ!! ここでやらなきゃあの子を守れない、それ以外にやる理由が必要!?』


 エルの激励に、浪は鼓動が強くなるのを感じた。ドクン、と音が響き、胸が熱い。雪菜の方へ目をやる。アニマと組み合う氷の獣は雫が滴り、今にも割れてしまいそうだ。苦しい表情で魔力を送り続ける雪菜は、脂汗を浮かべ歯を食いしばっている。涙目になる彼女の口が動いたように見えた。お願い浪、助けて、と。その瞬間、突如闘技場はまばゆい光に満たされた。

 雪菜も避難民たちも、ついその眩しさに目を細め腕で顔を覆ってしまい、アニマも背後で一気に膨れ上がる魔力に思わず振り返る。


「ははっ……、これは、すごいねえ……」


 観客席の緋砂も、強大な魔力に興奮したように笑みを浮かべた。アナライザーの彼女は、誰よりも正確にその力の大きさを感じていた。

 ほとばしる閃光とともにひときわ大きな轟音が響き渡り、土煙が晴れた時。すべての視線を一身に受ける少年は、背中の左側に紋章のような魔力の翼を携え、神々しい光と威圧感を放っていた。アニマはその姿に、警戒するように少し身を引いた。


『とりあえず、片翼か……。 まあ、あれぐらいのアニマ相手なら十分だね』


「これが……、神化……。 これなら……っ!!」


 初めて覚醒した時といい、今まで浪が調子づいていた時はあまりうまくいかずすぐやられてしまうことが多かったが、今回ばかりはそうでもない。とりあえず剣に電撃を貯めるのだが、いつものように集中して時間をかけることもなく一瞬で、しかも纏う電撃の大きさも一回り大きい。

 アニマは彼に対しボッ、ボッと左右の首からリズミカルに火球を吐き出し仕掛ける。火の玉はひとつ当たり50cm程もある規模の大きいものだが、浪は雷剣による二連撃で弾くように切り裂き相殺すると、一気に走り出した。アニマは顔の前で魔法陣を展開し、応戦する姿勢を見せる。魔法陣の規模から察するに、今までで一番強力な一撃になりそうだ。浪は走りながら額の汗をぬぐい、叫ぶ。


「雪菜っ!! 足場を頼む!!」


「わかった、まか……、せてっ!!」


 アニマの背後に位置する雪菜は、アニマの手前に六角形の足場を二段作り上げた。浪は一気に踏み込むと飛び上がり、彼がタタンッと足場を駆け上がった瞬間に、アニマの放った炎の極太レーザーが足場を蒸発させ客席下部にあたる壁を轟音を立ててえぐった。わらわらとその上部辺りの席に集まっていた避難民たちが散っているその時、浪は剣に更なる力を集めながらくるくると二回回し逆手に持つと、アニマの背中、普通の犬であれば心臓の真上となるあたりめがけて落下していく。


「これで……、落ちやがれええええぇぇぇッ!!」


 落下による重さをそのまま乗せて突き立てられた剣から一気に魔力が解放され、アニマの体を貫いて上下に雷が弾ける。浪が断末魔を上げるアニマの背から飛び降り地面に降り経つと、その背でアニマがどさりと崩れ落ちた。場内がすうっと静まり返り、若干フラフラしながらも浪はギュッと地面を踏みしめガッツポーズを取る。


「……、っしゃああぁぁっ!!」


 勝利の雄叫びの後、一気に歓声が沸き起こる。とりあえず目の前の驚異が無くなったことで、その場にいる全員、今の状況を忘れてしまっているのだろう。そんな中、アナライザーの緋砂だけが、その『気配』を感じ取った。


「浪っ!! そこを離れなッ!!」


 尋常でない緋砂の様子に、浪は困惑しながらも素早くその場を飛び退いた。そのあと一瞬して、彼の立っていた場所の景色がぐにゃりと歪んだあと、弾けるように戻った。浪は一瞬にして、状況を理解したようだ。そこに呑気な声が響いてくる。


「流石だねー、君はいつも僕の予想を超えてくる。 片翼とは言えこんなに早く神化を使えるようになるとはね。 今回の君はとても優秀なようだ」


 場内の視線を受け、憂が軽く拍手しながら入口からゆっくりと現れる。


「憂……!! まさか今回のこの騒ぎはお前のファクターで……」


「このクラスのアニマが五匹、ありえないもんねえ?」


「何が目的……、って、聞くまでもねえか。 復讐なんだろ?」


 浪の言葉に、憂はなぜか少しがっかりした様子で溜息を吐いた。


「わかってないね。 僕が復讐すべき相手なんか、もうみんな死んでるよ。 これはただの嫌がらせだ。 お前らが幸せに生きてるのが気に食わない。 ただ、それだけ」


 歪んだ笑みを浮かべて放たれた言葉に、浪は声が出なくなる。代わりに、浪の横に駆け寄り並んだ雪菜が興奮した様子で叫ぶ。


「どうしてっ!? こんなことして、こんなのあなたを傷つけた人達と何も変わんないよ!!」


 雪菜の言葉を受けて憂は、顔と腹を抑えおかしそうに大きく笑い出した。


「あはははは!! ありがちなセリフだ。 あいつらと同じ、それの何が悪い? 奪われるばかりの屑が奪う側に立てたってことだ、これ以上ないだろ!?」


「そんな……」


 憂に悪びれる素振りは全くない。取り繕う気も正当化する気もなく、完全に開き直っている。


「いいじゃん、お前らもう十分幸せに生きただろ? ……、僕と同じところまで落ちようぜ」


 殺気を放つ憂、その背後から突如黒い衝撃波が襲い来る。憂は空間を固定して盾と成し、難なくそれを弾く。視線を向けるとそこには、凛と十和、さらに折原の姿が。三人ともに息を切らしボロボロで満身創痍の様子だ。


「あれー、折原支部長まで来るとは、もしかしてやられちゃったのかな?」


「分かって言っているだろう。 うまいこと逃げていったよ」


 若干睨みつけるように折原が返事をしたあと、凛がむすっとした様子で問いかける。


「記憶を消すホルダーとやらが一緒なら、罪の記憶と記録を消して普通に生きることもできただろうが」


「そんなことをしても、僕の中の闇は消えない。 僕の記憶をいじってそれを消すなんていうのも論外だ。 もう僕には幸せに、人並みに生きるなんて選択肢はないんだよ」


「自分が世界で一番不幸だとでも思ってんのか」


「まさか。 そんな訳無いじゃん。 でもさ、僕より不幸せな奴ってそれ、生きてる意味あんの?」


「……っ!?」


 憂の極論とも言える一言に、凛も言葉を失う。言い返せないというよりも、驚きから、という部分が大きいだろう。憂は半笑いで続ける。


「死にたくないとかほざくなら、所詮そいつは僕より幸せなのさ。 苦しまないように消してやる、って言ってるんだぜ?」


 陶酔するように笑いながら話す憂に、恐怖すら覚える。全員が黙ってしまった中、浪はぐっと前に出ると彼に向かって話しかける。


「やっぱりお前の目的は時間線を消すことか。 なんでシロを狙う?」


「リセットボタン押してもまた続きからできるじゃん? それじゃ意味ないんだよ。 ハードごとぶっ壊すのが僕の目的。 これ以上は言えないね。 さて、もう帰ろうかな」


「逃がすと思うのか……?」


 指を立てて魔力を練り始める憂に、浪は剣を構えて一歩詰め寄る。対し憂は、戦力差に全く動じることもなくすました顔だ。


「僕はここにいる何十人というホルダー相手じゃ勝ち目はない。 ……、君たちは僕と本気でやり合えば何十人と死人が出る。 ここで戦うのはお互いのためにならないよ?」


 浪たちがその提案に乗らざるを得ないとわかっているからこそ、憂は意地の悪い顔でニヤリと笑みを浮かべる。高い戦闘力を持つ者は誰も彼もが満身創痍、折原もアマデウスとの戦いで限界に近づいている。憂がそのまま魔力を練り続け空間の歪みの中に消えていくのを、浪たち一同は苦い顔で見ていることしかできなかった。

 今回のアニマ襲撃による被害は、支部の建造物破損等による被害が一億数千万、そして受験者を含む死者四名、重傷、軽傷合わせ三十二名と、SEMMにとって信用を大きく失う事態となった。

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