第18話:天気雨とシャッフルと逃避行

「ジッとしててね、気づかれないように!」


 冷たい霧雨の降る摩天楼。切り立ったビルの隙間を縫うように疾走する影法師がひとつ。微かに濡れたフードを目深に被り、鉛色のまま変わらない空を見上げている。毛布に包まれた『何か』を背負って。

 不意に、サングラスを掛けた男が背後に立つ。立たれた方は、なんの問題もないように変わらず歩き続ける。平時なら不審に思う人もいただろう。しかし、この雨の中で外に出るような人は、皆自分の用事で手一杯であるかのように、彼らのことを見向きもしない。

 問題ない、むしろ好都合だ。影法師の正体はフードの中で目を輝かせる。


「やっと追いついた!」


 視線の先に、赤い傘を差した少女が立っていた。彼女は傘を放りながら、愉しそうに近寄ってくる。

 追いついた、ではなく『回り込んだ』の方が正しいのではないか。フードを被った者が情報収集能力の高さに賛辞を送ろうとした時、吹き荒ぶ風にフードが捲り上がった。


「残念でした。僕は、ただの時間稼ぎだ」


 外気に露わになったのは、銀髪の青年――因幡シュウ――の肌である。


    *    *    *


『えっ、俺があの戦闘狂くんと逃げるって!?』

「ミューズ、少し声のトーンを落としてくれ。誰に聞かれてるかわからない……」

『いや、でも、えっ? マジで!?』


 お馴染みの集合場所となったカフェ。二日後に決行する作戦会議を終えた須藤は、ハルとミューズ、シュウとソルグをカフェの奥の部屋に呼び出した。ドアの向こうでは、カウンターに座ったトオルたちが深刻な表情で打ち合わせをしている。


「対象はディークの気配を察知して襲撃に来るはずだ。即ち、ハルとミューズが別々に逃げていれば、翻弄できるかもしれない。まさか宿主とディークが別行動しているとは思わないだろうからね」

 須藤は辺りを見渡し、声のトーンを落とした。

「今回の作戦は、ハルとミューズの身の安全を第一に考えてるんだ」

『それなら俺は構わないけど……。ハルはどう思ってるんだ?』


 突如話題を振られたハルは、視線を中空からミューズたちの方向へ移動させた。


「私も……うん、私もそれがいいと思います!」

『なんでちょっと他人事なの……ショックなんだけど……』

「私が何か言う立場じゃないし……」

『俺、パートナーだぞ!? 何か言う立場だろ!?』


 騒ぐミューズを尻目に、須藤が会議を締める。


「とりあえず、作戦会議は以上だ。皆、これは仲間の危機であり、この街の危機でもある。頑張ってくれ……!」


 ドアの向こうで足音が響き、エンジン音と排煙の香りが窓から入ってくる。須藤はそれを敏感に感じとると、最後に一言付け足した。


「あと、もう一つだけ提案があるんだ……」


    *    *    *


「へー、ただの時間稼ぎ……。それなら、後ろ手に隠してる物は一体なんなの?」

 赤い傘を差した少女――ラウン・ボルゾーは、玩具を楽しみに待つ子供のように無邪気に笑う。


「なるほどなー、意外と目ざといのか……。参ったねー……」

 シュウは、相手を睨みつけながら一歩下がった。それに伴って、ラウンはそっと毛布に近づく。


「その子、こっちに渡してくれないかな?」

「もし拒否したなら?」

「もう分かってるでしょ? 君たちを殺すんだよ」

「そっか……。じゃあ、答えはひとつだ。け、凍鎌エカチェリーナ


 召喚された大鎌の刃が、雨粒に濡れてキラリと光った。


「君を倒させてもらうッ!」


 入り組んだビル街の中心。平時なら人通りが多いであろう大通りで、二人の人間が対峙する。シュウの傍らに立つサングラスの男は、狼狽えながら叫んだ。


「すぐに増援を呼びに行きますッ!」

「ちょっと、三枝さん!?」


 シュウの声など聞く間もないように、トオルはその場を去っていた。濡れた革靴の足音だけが、その場を支配する。


「ねぇ、何でよそ見してんの?」


 シュウの頭上から、不意に声が飛んだ。彼が声のする方へ視線を移動させると、少女は地面から伸びた『止まれ』の標識の上に立っていた。退屈そうに欠伸をしながら。


「意外と動けるんじゃん……!」


 大鎌の斬撃が標識の支柱に飛んだ。折れてしまった支柱はラウンの身体を支えられず、轟音と共に崩れてしまう。

 しかし、その残骸付近に彼女の姿は見えない。代わりに、砕いた支柱が鉄の矢のようにシュウの身体に飛び掛かった。


「お褒めに預かり恐悦の至り♪」


 少女の声だけが路上に響く。鉄の矢は雨に濡れて冷たくなっていた。シュウは冷えた鉄塊を掴んでさらに冷やし、氷塊に変えて打ち落とした。


「危なかったぁ……。でも、残念だね。この天候は僕にとって有利すぎる。砂海さんのようには行かないよっ!」


 動かなくなった氷塊がその場で大きな音を立てて爆散した。

 安心も束の間、次は路上に停められていた二台の軽自動車が、シュウを取り囲むように飛んでくる。給油口から溢れ出すガソリンの異臭に鼻をつまむと、彼が立っているアスファルトが突如として自然発火した。


「あのさ、苛烈なんだよ!! ちょっとは整理させてよ……。こっちは人質背負ってるみたいな物だよ!?」


 爆発による黒煙が青年の輪郭をぼやけさせるが、彼は確かに立っている。熱風の吹くアスファルトは、シュウの生み出した氷によって一瞬で消火されたのだ。


「ただ、一つだけ発見した事がある。『君の能力』が何なのかの予想はついた!」


 彼はフードを被り、目を瞑ることで一切の視覚情報をシャットアウトした。耳を済ませ、僅かな音の変化や風の動きを聴き分ける。


「“音”。さっきから攻撃が来る直前に、崩落音とか爆音とか、何らかの音が響いてるんだ。もし、君の能力が“音”に関係するものだとしたら……。必ずそこに痕跡が生まれるはず!」

 飛んでくるフロントガラスの欠片を風の動きで察知しかわすと、飛んできた順番をよく観察する。

「例えば……。『発生させた音が反響したものを操る』能力の場合なら、飛んできた物が元々あった位置でどこにいるかを割り出せるはず……!」


 彼は片目を開け、道路のタイヤ痕と黒焦げになった軽自動車を見比べる。無理矢理移動させられたためか、アスファルトには所々に摩擦したブレーキ痕が見受けられた。中でも一際濃い跡は、歩道にぴったり従くように駐車されている赤いスポーツカーの前方を指していた。

 最初にラウンが立っていた標識からそのスポーツカーまでは、目視で約二十メートルといったところだろうか。彼女の目的から考えても、そう遠くへは行かないはず。つまり、ここから二十メートル圏内には確実にいる。そして、彼自身は標識があった所からほとんど動いていない。最も決定的なことは、目的の生物をシュウが背負っていることだ。


「つまり、後ろだッ!」


 大鎌の柄を地面に突き立てると、氷の境界が濡れた地面に広がりはじめる。一部分を残してスケートリンクのようになったアスファルトは、『適応できなかった場所』を明確に提示するかの如く、キラキラと輝いていた。


「あーッ!! ダメだったかぁ……」

 シュウの背後数十センチから彼の背中の包みに手を伸ばしかけているラウンは悔しそうにそう言い、凍った地面に手を着く。


「危なかった! あと少しで盗られる所だった……」

「そんなに渡す気がないなら、こっちも実力行使しちゃうよ? 覇斧マルクスッ!」


 少女が召喚した武器は、彼女自身の印象とは程遠い戦斧せんぷだ。屈強な大男ですら持ち上げられないような鈍重な業物を、彼女は両腕で軽々と振り回した。


「兜割りィ!」


 シュウの頭蓋すらも砕き斬りかねない一撃をバックステップで回避すると、斧は路面に突き刺さり、鐘のように重い音が響く。

 その音に動きを支配された斧は、柄を中心にブーメランのように横回転しながらシュウに襲いかかる!


「ちょっ、待って、うわぁぁ!!」


 彼は大鎌の柄でなんとか斧の攻撃を防ぐが、あまりの衝撃で彼の武器が掻き消えてしまう。

 遠心力によって破壊力の増した金色の一撃が、シュウの鳩尾に叩き込まれる!


「うぁぁぁぁ……!」


 シュウの身体はくの字に曲がり、パーカーの肩口から血が吹き出す!

 青ざめた彼の顔から生気が消え、瞳から光が消えかけた。ふらりと身体が揺らいだその瞬間、彼は自らの右腕を噛んで失いかけた意識を繋ぎ止める。


「凄いね、君。ボクの攻撃で死ななかったヤツは早々いないよ!」

「…………。お褒めに預かり恐悦の至り……」

「あれー、どうしたの? アバラ折れちゃった? 苦しそうだねー」

「骨折なんて久しぶりだよ……。OK、再戦しよう。もう大丈夫だ!」

「大人しく渡してくれれば、そんなにボロボロにならなくて済んだのに……」


 シュウはフラフラと立ち上がると、傷口に氷を纏わせて止血し、再び臨戦態勢を取る。

 既に身体はあちこち軋んだ音を立てていた。満身創痍だという事は火を見るより明らかである。所々の骨が折れているというのに、彼は何事もないかのように平然としているのだった。


 白刃が交錯し、いよいよ本降りになった雨が二人の火照った身体をクールダウンさせる。


「あのさ、一つ質問いいかな?」

 シュウは鎌を振り回しながら、目の前の少女に尋ねる。

「なんでミューズくん狙ってんの? 殺されるなら誰でもいいんじゃないの? 例えば、僕でも……」

「そうだねー、君には、ボクを殺す技量も才能も覚悟もあるんだよね! でもね、“トキメかない”。やっぱ最期は気に入った相手に殺されたいかなって……!」

「意外とロマンチストなのか……。そして僕はフラれたって訳ね。なるほど、なんか悔しいな……!! それなら、嫌でもトキメかせてやりますよ!」


 彼は再び召喚した凍鎌エカチェリーナを構えた。前方にリーチを伸ばす構え――『突き』である。


 大鎌の刃が大きな斧を貫いた瞬間、金属同士が擦れ合う音が響いた。さながら悪魔が絶命する瞬間に発するような断末魔だ! 刹那、彼女の業物は左腕と共に凍てつく!


「名付けて! 『絶対零度の慟哭フリーズ・スクリーム』ッ!」

「かっこいい……。ネーミングセンス分けてほしい……」


 少女はそんな願望を洩らすと、いつも通りに左腕を切り取ろうとした。

 しかし、ここで彼女にある問題が生じる。切断した左腕のあった傷口が氷によって塞がり、再生出来なくなっているのだ。本来なら出て然るべきの鮮血が、今は行き場を失ったように傷口の周辺に留まっている。


「血潮も凍る嘆きの冷気……ッ! どう、ビビった? これは惚れたでしょ!」

「へぇ、初めてだよ。ボクに再生できない傷をつけた人は、ね!」

 ラウンは嬉しそうな、それでいてどこか不機嫌な様子でそう叫んだ。


「もう一度、凍てつかせてあげよう! 『絶対零度の慟哭フリーズ・スクリーム』ッ!」


 シュウは大きな構えと共にもう一度刺突を放つ。切っ先が輝き、再びつんざくような断末魔が響いた。ラウンは期待と困惑に満ちた叫びを放つことしかできない。


 凪。その一帯は、ボリュームを極限まで絞ったラジオのような静寂に包まれた。大鎌の慟哭とラウンが状況を打破するために放った叫びが反響してぶつかり合い、音叉おんさめいてお互いを打ち消しあったのだ。


「やっぱダメ!! 君の攻撃で死にたくない!!」

「トドメは刺せなかったか……」


 シュウが悔しそうにそう言った瞬間、彼の脳はさっき起こった現象を整理し終わる。

「あぁ、そういう対処法があるのか」


 一方のラウンは、自らの左腕が再生している事に気付く。氷が溶けているのだ。頬を触ると、普段より体温が上昇していることが見て取れた。

 この呪いはここまで対処するのか。あまりの応用範囲に軽い眩暈めまいを覚えつつ、彼女は再び覇斧マルクスを握りなおす!


「そろそろ、決着を付けるにはいい頃合じゃない?」

「それは、君がコウモリくんを渡してくれるってこと?」


 ラウンが斧を振ると、風を切る音に反応して電柱がぐらりと倒れた。ブチブチと電線が切れ、穴蔵から這い出たヘビを思わせる高圧電流の帯が、シュウを喰らおうとする。


「上は電流の網、下は凍った地面! 避けなきゃ黒焦げのビリビリだよっ!」

「僕が黒焦げになるって事はどういう事かわからないの? 人質の意味考えようよ……。あー、でも今回ばかりはヤバい気がする」


 シュウは地面に手を付き、そのままアスファルトに伏せた。


「それは降伏の証と見ていいのかなッ!?」


 ラウンは勝利を確信し、彼の背中の包みへ手を伸ばす。


「何言ってんの? “君が”ヤバいんだよ!」


 アスファルトの亀裂から打ち上がった水流が、トランポリンのように少女の身体を浮き上がらせた!


「なっ、なんなの……ッ!?」

「地下水道って知ってる? この街に張り巡らされてるライフラインの一つだよ。地面に埋まってるヤツね」

「……ッ!! さっきから地面を冷やしてたのはまさか……!」

「地下の水流を打ち止めるためだね。斧を出した時、アスファルトに傷をつけてくれてありがとう。これで、行き場を失った鉄砲水が飛び出すことが出来た!」

「あぁ……君の攻撃ばかり見て、地下まで注目してなかった……!」


 シュウは無防備に浮き上がったラウンの身体に向けて、もう一度トドメを刺そうとする。

「ありがとう。物凄く久しぶりに心躍る戦闘ができた! じゃあ、バイバイだね!」


 白刃が少女の首に届こうかという時、青年はそのままゆっくりと前に倒れた。

「…………!?」

 唖然とするラウンの眼前で、シュウは青ざめた顔を晒す。

「痛い……無理しすぎた……ッ!」

「もしかして、骨折の痛みをずっと耐えてたの……?」


 ラウンは驚愕しながらも、これがチャンスとばかりに背後の包みを強奪した。

「ちょっと……!」

「君の攻撃も凄かったよ。殺されるのも、悪くなかったかもね」

 期待に気分を高揚させながら、ラウンは包みを開いた。

「よし、やっとコウモリくんと会える! 願いが叶うんだ!!」


『私です。残念ながら……』


 シュウがずっと抱えていたディークの正体は、ソルグだった。ラウンの眼光が冷ややかになり、ひとたび静止する。


「……言ったでしょ? 僕は『時間稼ぎ』だって……」

「待って、話が違うじゃん!!」

「30分か……。意外と稼げたけど。三枝さん、ちゃんと連絡してくれてるかな……?」


 シュウはそう呟きながら、二日前の作戦会議を回想する。


 あの時、須藤刑事が頼んだことは『さっき言った作戦を全て忘れて、会議をやり直す』というものだ。それになんの意味があるのかは分からなかったが、見事に時間稼ぎが出来たという意味では作戦成功なのだろう。現に、ラウンは絶句しながら次の計画を思案中である。


「ハルちゃん、あとは任せたよ……」


 未知の強敵との戦いを精一杯楽しみつつ、青年の意識は微睡まどろみの海に沈んでいった。

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