第17話:斥候と女心と動き出すジョーカー

 夕暮れ時の穏やかな日の光が、ダークブラウンの室内を穏やかに照らした。〈Cafe melt〉では、組合のメンバーが再び集まっている。


「皆さんお揃いのよう……失礼、夕澄氏は不参加でした。私からひとつ宜しいでしょうか?」

 サングラスを掛けた金髪の男は片手を挙げ、そう尋ねた。疎らな拍手が響く。


「実は、我々が探していた“連続ディーク憑依事件”に関係する人物が見つかりまして……」


 語り始める彼の前で、ハルは先日のシュウとの会話を思い出す。


 彼は『三枝さえぐさとおる』と名乗る男だ。組合のトップであるラミアからトオルと呼ばれるこの男は、元トップである志柄木の秘書であるという。

 彼が亡くなったすぐ後に加入したメンバーであるために、須藤刑事は警戒しているのだろうか? ハルは、トオルの表情を伺うように見つめる須藤の姿を確認し、そう推論した。


『それは須藤刑事がGPSで追跡してた奴か……?』

「ええ。あの時は対象に逃げられたと聞きましたが……。やっと尻尾を掴めました。資料をご覧下さい」


 A4数枚の資料には、ある人物の経歴が書き込まれていた。添付された写真には、例の山羊のディークと話す少女が写っている。


『なるほど、〈ラウン・ボルゾー〉……。コイツが首謀者って事か。ここに書いてる住所に、本当に居るのか?』

 疑問を抱くミューズに、テーブルの向こうから刑事の声が響く。

「警察の方でも調査したが、この住所にラウンという少女がいる事は間違いない。……首謀者である事はともかく、な」

『それならいいんだけど』


 トオルは神経質そうにサングラスのつるを弄り、極秘裏の調査だ、と付け足す。相手は未だ気付いていないらしい。今のうちに先手を打つべきだ、と言いたげな表情だった。

 須藤は黙ったまま、古びたコートのポケットへ手を突っ込んでいた。そのまま右手を動かすと、重い口を開く。

 

「そこに攻め入るなら、代表者を立てるべきじゃないか?」


 その言葉に食ってかかったのは、砂海だ。

「8年も戦闘ブランクのある奴は言うことが違うな。話し合いで解決、なんて言うつもりか?」

「万が一、敵に情報が掴まれているとすれば、罠を張られている可能性がある。思わぬ伏兵が潜んでいて、留守にしている拠点に何か仕掛けられるかもしれない。リスクヘッジとして、斥候といざという時の衝突がこなせる役を向かわせるべきじゃないか?」


『つまり、誰と誰を!?』

 ミューズはテーブルに身を乗り出し、興味津々な様子で作戦の詳細を聞く。新しい玩具に目の色を変える子供のようだ、とハルは思った。


「それなら、砂海氏とフィリップ君が賢明かと。ここ一番の突破力と制圧力において、彼らの右に出る者はいませんからね」

 トオルはそう言うと、フィリップと砂海を交互に見据えた。彼らはお互い苦い顔をしながら、渋々頷く。須藤の表情は、相変わらず険しいままだ。


「では、私からは以上です」

「じゃあ、明日の朝に作戦を決行する。フィリップくんとキミヒト以外のメンバーは有事に備えて待機。それでいいわね?」


 ラミアの提案に全員が頷いた。


「ハルとミューズ、ちょっと俺のところに来てくれないか?」


 会議が終わり、皆が思い思いのことをする中、須藤がハル達を呼ぶ。彼が何かを考慮して動いていることを知っている二人は、怪訝に思いながら彼のいる個室へ立ち寄った。


「えっ、なんですか?」

「君たちに、“作戦”を提案したい。2人にしかできないんだ。協力してくれるね?」


    *    *    *


 この季節のアルカトピアは日の出が早い。ミルク色に染まる空をバックにそびえ立つのは、地域住民に『幽霊屋敷』と噂される洋館である。

 高層ビルが立ち並ぶ中央エリアから外れた郊外に建っている屋敷である。その時代錯誤な風格に、フィリップ・ランスローは故郷の風景を思い出さざるを得なかった。


「おいおい、大丈夫かクソガキ。顔が青いぞ? 場数はちゃんと踏んでるか?」

「うるさいな、武者震いだよ……」


 彼の後方に立つ男は、サングラスを外しながら慎重にバイクを停めた。帰りをスムーズにするために、道端の小石を足で払い除ける音が響く。


「アジトにしては随分目立ち過ぎだよな。やっぱり、罠じゃねぇの?」

「罠、だとして?」

『だとしても、突き破るだけです。ラン様なら、やれます!』


 二人と一匹は、敷地内に足を踏み入れた。そこかしこに雑草が茂る野原の中に、几帳面に白線が引かれている。それは駐車スペースめいて、かつて人の往来があったのではないかと推察する材料になった。


 数センチ開いている重い扉をそっと開くと、邸内は既に日が昇っているというのに暗い。彼らは目を凝らし、その内情を明らかにしようとした。

 

『ここです、ラン様……。中央に強いディークノアの気配あり。間違いありません』


 確かに、ぼんやりと人影が認識できる。彼らが決断的に歩を進め、屋敷に入った瞬間、背後で大きな音が響く!


 外界に繋がる音と光が途絶え、二人と一匹は身を固めた。彼らは機械仕掛けのように閉じたドアの重みを確かに感じ、それぞれ武器を構える。


「ようこそ、暗殺者さん!」


 弾んだ声が響き、邸内は光に包まれる。円形のエントランスをぐるりと囲んでいる燭台が一斉に点火され、スポットライトを照らすように標的を映したのである。

 大きな階段を挟んで階上に立つ少女は、来客を見て興奮気味に笑う。


「フィリップ、だよね。ずっと待ってたんだよ。さぁ、早くボクを殺してくれる?」

「…………ッ!?」


 フィリップは驚愕した。出迎えたのは、病的なまでに華奢な少女だ。長いブロンドの髪を揺らし、大きな双眸が真っ直ぐ彼を捕らえている。その表情は、可憐だ。

 意味がわからない。なぜ彼女は初対面である自分の名前を知っている? なぜ敵を迎え、且つ“殺される”事を望んでいる? 罠か、挑発か、それともただの狂人か。フィリップは警戒しながら、剣の鞘に手を掛ける。


「おい、こいつラリってんのか……?」

 砂海が困惑気味に呟く。

「こんなガキが、街にディークをばら蒔いてたのか? 冗談だろ?」

「あっ、意外かな? そうだよ、ここ最近の馬鹿騒ぎの原因は全てボク。ねぇ、殺しに来たんでしょ? 早くってよ! 抵抗はしないからさぁ!」


 ラウンという名の少女は、遠足を待つ子どものようにはしゃぎながら、階段を降りた。フィリップたちは少し身構えると、顕になった黒幕の姿をしっかりと観察する。


 長いブロンドの髪を深紅のキャスケット帽に隠し、どことなく危なっかしい情緒を可憐な笑顔で目立たなくする。生きているかどうかすら怪しいほどに華奢な身体付きに、傷一つ付いていない綺麗な四肢をしていた。


「さぁ、その剣でボクを刺しなよ! この世に存在すら残らないほどにメッタ刺しにしてよ。切り刻んでよ!」


 フィリップの額に、じわりと汗が滲む。

「わからない。君は本当に『悪』なのか……? こんな少女がこの街を狂わせているのか? わからないんだ……」

「おい、考えるより先に動けッ!! コイツはマジにヤバい。今まで対峙してきたディークノアの中でも、一番殺気がない! 不気味なんだッ!」


 砂海はそう言うと、少女に向けて右掌を向けた。


「そんなに逝きたいなら、さっさとあの世に逝かせてやるよッ! 砕砲ビスマルクゥッ!!」


「邪魔しないでくれないかな!? ボクはフィリップに殺されたいんだよ!」


 ラウンが指を鳴らすと、彼女に向かった榴弾は、突如として動きを止めた。時間が止まったようにその場で固定されたのだ。榴弾は、そのままゆっくりと発射された方向へ回転していく!

 閃光が広がった。小規模な爆炎が、砂海に炸裂する!


 長らく陽の光を浴びていないカーペットに、埃が舞い上がる。砂海はその上でなんとかバランスを取り、仁王立ちをする。鈍い色の光沢を放ちながら。


「なんとか、間に合ったか……」

「ざーんねーん♪」


 硬化した砂海の肌が、炎に包まれた。部屋を囲んでいた燭台の炎が、全て砂海の方向へ飛んできているのだ。爆発によって受けた傷を抉るように、脈打つ炎が身を焦がす。


「ふふふっ、まさに火だるまってやつだね!」


 煮えたぎるような熱で硬化は解除され、肉が焦げたような悪臭が広がる。苦悶の声を上げる砂海の姿を見て、フィリップの顔は徐々に曇っていく。


「よし、これで“動機”はできたわけだ! さぁ、ボクは『悪人』だよー! 早くボクを殺して飛んでくる炎を止めないと、お仲間は死んじゃうよ?」


 笑みを浮かべる少女とは対照的に、砂海は息も絶え絶えだ。彼は絞り出すような声で、フィリップに言葉を紡ぐ。


「おい、“フィリップ”……。いいか。俺とお前は、所詮会ってすぐの他人だ……。俺のために傷つかれても迷惑なんだよ……ッ! だから、早く……に……逃げ……ろ……」


 砂海は苦痛に顔を歪めている。フィリップの中で、何かが崩れる音がした。


「僕に指図するな。アンタの作戦には乗らない。コイツは僕が倒す、それだけだッ!! 奏剣ポナパルトッ!!」


 銀の閃光が一つ、二つとその場に出現する。柄に付着した指紋から分裂するように増殖する剣に、ラウンの顔は期待で満ち始めた。


「これだよ。ボクが君に期待してた能力! トキメキが止まらない……。好きだよ、大好きだ!」

「トキメキ? 違う、これは僕の“怒り”だ。喰らえッ!!」


 標的を、増殖した千の剣が渦のように包囲する。切っ先ひとつひとつがあかに染まりながら、彼女の身体のあらゆる場所に裂傷を刻んでいく!

 やがて、剣は彼女の肉体を貫き始めた。フィリップは歯を食い縛り、自分と同じ人間の身体が傷ついていく様子を観察する。

 脳裏に浮かんだのは、サメのディークノアに襲撃された記憶だ。あの時の自分は油断し、負けた。だが、もう迷いはない!

 ディークノアの強さの本質は、我を通す力だ。迷いを捨てた彼は自らの出せる力全てを発揮し、千の剣を展開していた。


 少女が僅かにふらつく。機は熟した。展開する剣の本数を絞り、フィリップは歩き出す。鞘に収まった剣が揺らめき、空間が歪んだ。一筋の閃光の後、彼女の体は斜めに両断される!


「終わりだ……」

「ふーん、これだけ?」


 少女の表情が、瞬時に期待から失望に変わっていく。彼女の裂傷は即座に回復し、両断された身体が魔法のように繋ぎ直される。

 彼女は不服そうに視界に映る剣を払い落とすと、百年の恋が冷めたかのような声で冷たく言い放った。


「もっと骨があると思ったんだけど、残念だなぁ。ここまで期待したボクがバカみたいじゃん。殺せないなら、ここで死んで?」


 空中を旋回する光は、彼の動揺と連動するように、ぽとりぽとりと床に落ちていく。

 彼は、勝てない相手などいないと思っていた。それまで積み上げてきた無垢な強さへの信頼が、音を立てて折れていく。


『ラン様、どうされたんですか? もう一度、戦いましょう。貴方は強い、そうでしょう?』

「うるさい、うるさい……! 戦えないんだよ、もう……!」

『ラン様……?』


 これから狩られるのだ。フィリップの頬を涙が伝う。遊び終わった玩具を捨てるように、あくまでも無感情に。

 少女がゆっくりと近づいてくるのに、フィリップは一歩も動けない。立ち向かうことも、逃げることもできないのだ。彼が自らの終わりを感じた瞬間、彼の背後から強い光が雨のように漏れ出す。


緋銃グリムッ!」


 重いドアが突如として吹き飛び、眩い陽の光を背に黒装束の少女とコウモリが現れた!


『セーフ、でもないか。砂海さん、ヤバい事になってるもんな……』

「フィリップ、代わるよ!」


 あまりに突然の訪問者に、ラウン・ボルゾーは数秒静止した。深呼吸でいつもの調子を取り戻すと、彼女は声の限り叫ぶ。


「コウモリのディークノア……! 邪魔すんなァァァ!!!」


『とりあえずここは俺らが何とかするから、フィリップは砂海さん連れて逃げろ!! 須藤刑事が外でクルマ停めてるから!!』

「でも……」

「いいから! 時間稼ぎくらいにはなるでしょ!!」


 ハルはそう言うと、ショットガンの弾丸をラウンに向けて容赦なく叩き込む。彼女はそれを手を広げて防ぎ、全て掴み取った。

「かかった!」

 掴み取った弾丸が血液に変わり、血液に染まった手が石膏に変わっていく。フィリップの攻撃で撒かれた血液もみるみるうちに同じ物質になり、その身体は徐々に固まっていく。


「へぇ、そんな能力なんだ……?」


 ラウンは、手刀で自らの手首を片方ずつ切り取る。傷口は途端に塞がれ、トカゲの尻尾のように新しい手がすぐに生え変わった。彼女は神経の具合を確かめるように手を開いたり閉じたりした後、何の問題もないように笑う。その瞳は、新たな標的の存在に輝いていた。


『なぁ、アイツ何者だよ……ッ!? 人間じゃねぇ……!』

「死なないという点で言うなら、僕は人間じゃない。肉体いれものだけが綺麗な、ただの空っぽの人形だよ!」


 ラウンはミューズの方を視認し、小さく瞳を輝かせた。

「ところでコウモリくん、その能力が有れば『体内のすべての血液をほかの物質に変える』ことも出来るのかな?」

『出来なくはないが、それが何か……?』

「なるほど、なるほどなるほど。気に入ったよ、コウモリくん!!」

『はぁ!?』

「君の能力があれば、やっとボクは死ねる。そんな冴えない女なんかと契約するのはやめて、ボクのところにおいでよ!!」


 突拍子もないスカウトに、ハルは慌てふためく。対照的に、ミューズは静かに関心を向けた。


『へぇ、もし断ったら……?』

「そうだねぇ。君たちを殺す、かな」


 そう聞いたミューズは、少し笑みを浮かべた。今まで見てこなかった表情に、ハルは一抹の不安を憶える。


『なるほど……。あなたに憑依すれば俺とハルの命は助かる、と。本当に殺さないのか?』

「うん、約束するよ! そっちの元宿主さんも、悪い話じゃないでしょ?」


 確かにそうだ。ミューズが去って契約が不履行になれば、平穏な日常は返ってくる。安易な約束で棒に振ってしまった未来も、何事も無かったかのように取り戻すことができるだろう。ハルはそう結論付け、ふつふつと湧く感情を殺した。


『ごめん、普通に嫌だ』

「……へぇ」

『ハルに憑いてさえいれば、何もしなくても寝る場所があって食べ物に困らない。退屈しのぎも出来る。最高じゃん。ハルの作るトーストは美味いし、生意気だけど面倒見はいい。俺はこの生活をみすみす手放すつもりは無いねッ!』


 清々しいほどの自堕落な宣言に、ハルは思わず肩の力を抜く。そうだ、相棒はこういう奴だ。


「そっかー。交渉決裂かぁ……」

 少女は武器を召喚しようとし、寸前で踏みとどまる。

「でも、せっかく見つけた能力だし勿体ない気もするね。それに、告白って心変わりもするものでしょ?」

『いや、だから結論は……』

「うん、もう一回チャンスをあげよう。一週間後に迎えに来るね!! だから、とりあえず帰って頭冷やしてきて?」


 彼女はミューズにウィンクをすると、欠伸とともに屋敷の奥へ帰っていく。残された二人は、困惑しながら顔を見合わせる。


「……帰っていい、ってこと?」

『何だったんだよ。押しが強すぎるんだけど……』


    *    *    *


「少女のように気まぐれで、獣のように残忍、か。恐ろしいな……。」

『それより恐ろしいのは、物理攻撃が全く効かなかったことだよ! アイツ、躊躇せずに手首切り落としたぞ……? 痛みも感じてなかった!!』


 以前フィリップが処置を受けた病院の一室。ベッドの上で眠る傷だらけの男を前に、組合のメンバーたちは意見交換をしている。


「砂海さんが重度の火傷、フィリップくんは戦意喪失……。うちの単純戦闘力最強格の二人がボロボロって、相当な状況ですね……」

 シュウは砂海の包帯を巻いた顔を見て、深刻そうに言葉を継ぐ。須藤は黙ったまま、何かを考え込んでいた。


「流石にこの状況だと、こちらも切り札ジョーカーを出すしかないな……」

『須藤刑事、ジョーカーって一体……?』

「ハクトだ。夕澄ハクトが、作戦に参加するらしいんだ……」

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