草食系男子の俺が異世界では半端ない異分子でした

遊木 渓

第1部 1.見知らぬ白い部屋

 光。

 目を瞑っていても容赦なく両目を射すほどのきつい光。

 目だけじゃなく体全体で光を浴びている。

 眩しいどころか全身が痛いくらいだ。

 少しでも光を堪えようと両手で顔を覆う。

 何十秒……何分耐えればこの光から解放されるんだろう――。




   ◆   ◆   ◆




 意識が戻ったとき太樹たいじゅは夢の中にいるのか現実なのかはっきりしなかった。何故なら完全な静寂の中にいたからだ。自分がいるはずの実験室では必ず何かしらの電気機器の音がしている。モーターの駆動音、冷却ファンの音、機械の状態を知らせる電子音。

 想像できる中で一番最悪の状況が頭をよぎった。先ほどの光は何かの爆発で実験室は崩壊、自分はそんなところにいて無事であるわけがない。今はどこも痛みを感じていないが麻痺しているだけなのかも。

 太樹は恐る恐る目を開いた。最初に見えたのは見慣れた自分の両手。良かった。ちゃんと動くし傷もない。

 床に尻餅をついていたようで、白衣を着た足も胴も見えた。見たところ怪我はないし服も無事だ。

 ほっとしたところで周りを見る――が、安堵が一瞬にして困惑に変わった。

 白い床、壁、天井。八畳間くらいの広さ。窓がなく家具も何もない。ドアのような枠はいくつかある。しかしドアだとしてもノブがないのでどうやって開くのかわからない。床は実験室と同じような光沢のあるビニル床のようだ。病院かと思ったが何も物がない部屋なんてあるだろうか。

 ――どこかに閉じ込められてる?

 そうだとすると怪我はないもののあまり良い状況とは言えない。いったい何がどうなっているのかさっぱり理解できない。

 とりあえず落ち着こうと、太樹は直前の出来事を思い出してみた。




   ◇   ◇   ◇




 大学三年になってから、講義を受けるだけではなくそれぞれ所属する研究室で実験や観察が始まった。

 織田太樹も木曜と金曜の午後は化学研究室の実験である。太樹を含め学生は六名いるが男女半々、教授一名と准教授一名の研究室だった。

 太樹の他に三年生はもう一人いて広矢ひろやという。彼はときどき言動が軽いことを除けば明るくて人付き合いも良い。女子との交流にあまり積極的ではない――いわゆる草食系の太樹を時々合コンに連れ出してくれる。合コンだけでなくサークルにもいくつか所属し、週末は遊んだりスポーツのために遠出したりしているらしい。活発な広矢と太樹は正反対ではあるが不思議と気が合った。


 十月最初の金曜日、そろそろ六時近い。だが実験はまだ終わりそうにはなかった。隣にいた広矢がノートに書き込みをしながら太樹に耳打ちする。

「織田……この後、予定ある?」

「ないけど」

 即答しつつ太樹は嫌な予感がした。この訊き方は自分を何かに誘う類いではない。

「じゃあ、さ。片付け任せちゃっていい?」

 ほら来た、と溜息をつきそうになるのを太樹は我慢する。周りに聞こえると少々厄介だ。代わりにじろっと目だけ動かして睨んでやった。

「その一、理由を説明せよ。その二、見返りは?」

 とことんビジネスライクに言うと広矢は大きな肩をすくめた。欧米人みたいな仕草でも様になるのが憎らしい。

「その一、バイトに遅刻しないように。その二、来週学食で驕らせていただきます」

 一人暮らしの太樹にはなかなか魅力的な提案である。しかしあっさり承諾するのも癪なのでさらに要求する。

「定食か丼。もちろんデザート付きな」

「っ……」

 息を飲む音が聞こえたが、目線で返事を促すと広矢はこくりと頷いた。それくらいの見返りは当然だ。

 片付けを任されるということは、准教授の大崎と二人きりになるということなのだから。




「……学生の身分で学業より優先させることがあるとはね」

「すみません、次から気をつけさせます」

 案の定、先に帰った広矢への愚痴は太樹に向けられた。俺はあいつの兄でも親父でもありません!などと反論できるわけもなく、太樹は何度も謝りながら片付けをする。

 ただ居残って片付けをするだけならさほど面倒ではない。問題は研究室の責任者として必ず最後まで残っている大崎准教授の相手をすることなのだ。


 太樹は二年生になって専門科目の講義を受けたときに大崎に初めて出会ったが、講義が始まって一週間も経たないうちに学生たちの間で彼が特別厳しいという噂は広まった。

 大崎は名前を述べただけで自己紹介を終えすぐに講義を始めた。テキストに入る前にいきなり学生に質問をする。高校レベルとはいえ高度な内容にその学生は何も答えられなかった。すると大崎は「やる気のほどが知れるな」と一言告げ、彼にゴミを見るような目を向けた。その視線があまりにも冷たく、彼だけでなく周囲四、五メートルの範囲にいた学生たちまで震え上がったらしい。

 大崎の数十分の講義にはその倍以上の予習時間が必要だった。課題のレポートも一人で仕上げられる学生は稀で、それぞれグループになって相談して書いた。レポートから誰々が同じグループなのかすぐに大崎は見破り、レポートがあまりにも似通っていると書き直しをさせる。

 冷酷なだけでなく頭が切れる。他人だけでなく自分にも厳しい。もちろん指導者としても研究者としても尊敬できる人物であるが、ほとんどの学生は大崎が苦手だった。

 大崎のいるこの研究室に入るのを躊躇したかと言われればその通りだ。しかし周りに言わせると広矢はマイペースで太樹は飄々としているそうで、他の学生たちほど大崎には悩まされていないらしい。太樹には全然その自覚はないのだが。


 試験管などガラス製の器具を洗い、運ぼうとすると大崎に声を掛けられた。

「織田、それは置いたままでいい」

「はい。……何かに使われるんですか?」

「ああ。自分の実験にな」

 そういえば金曜の夜は大崎が実験で遅くなりここに泊まることもあると聞いたことがある。太樹は大学の勉強も実験も嫌いではないが、さすがに土日は休息が欲しい。大崎は自分に厳しいという噂だがもしかすると単純に研究バカなのかもしれない。

 大崎は慣れた手つきで実験器具の用意を始める。そろそろ自分はお役御免だろうか。

「大崎先生、僕は上がらせていただいて良いですか?」

 白衣の袖をまくりながら大崎がちらりとこちらを見た。やはり感情のない冷たい目だ。

「構わん。が、酒も遊びも程々にしておくことだな」

 ――今日は広矢に誘われなかったし家に帰るだけなんですが。などと太樹が言ったところでこの男は眉一つ動かさないだろう。

 大崎は左腕の時計をはずして白衣のポケットに入れようとした。しかし時計は床へ滑り落ちて太樹の足元までやって来た。

 太樹はそれを拾い上げる。ベルトはシルバーの金属製、文字盤は数字がなくシンプルに線で時刻を示している。余計な装飾はなくセンスが良い。

「傷はないみたいですが、確認してみて下さい」

「ああ、すまない」

 時計を手渡すと大崎は素直に頷いた。時計の表や裏を入念にチェックしている。物に執着しなさそうなので意外だった。

 太樹の視線に気づき、大崎は言い訳するように言った。

「……妻とペアで買った物だ。傷でも作ったらたぶんやかましく言われる」

 ――奥さんとペアの時計!? 大崎先生が!?

 あまりの衝撃に太樹は相槌を打つのも忘れて絶句する。

 大崎は気まずそうに目を逸らした。これはまさか照れ隠しなのだろうか。一生見ることがないと思ってた行動だ。

「……織田、その右の棚の薬品を取ってこい」

 不機嫌が丸わかりの声で命じられ、太樹は反射的に「はい」と答えて言われた通りにする。

 その薬瓶を大崎に手渡し、それから――。




   ◇   ◇   ◇ 





 そこで太樹の記憶は途切れていた。

 研究室を出た覚えはない。ましてやこんな見覚えのない不思議な部屋の中に入った記憶など全然ない。

 何かが起こり一時的な記憶の喪失はあるかもしれない。真夏に暑さで目眩を起こして倒れ頭を打った学生がいたが、彼はその直前に友人と外で昼食を食べたのを覚えていなかったし何故自分が倒れているかもわからなかったらしい。

 ……しかしそれはほんの数十分ほどの記憶であり、場所も校舎から外に出ただけの間だ。自分のように全然見覚えのない場所にいるのとは状況がまるで違う気がする。


 ――これからどうしようか。


 ドアらしきものの一つを開けてみるかノックをしてみようか? でも危険なことが起きるかも。

 そう思って太樹が躊躇っていると、不意に真正面のドアが開いた。それは横開きでも手前に開くのでもなく、何と上部にスライドしていった。

 部屋の向こう側に二本の足が見える。

 太樹の心臓は何かに鷲掴みされたようにどきんと鳴った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る