最終話
「起きて、フェル」
グイグイと、胸を押されている。
「ねー、起きなさいって」
より強く、グイグイと押され始めた。
ため息を吐きながら目蓋を開いた。のしかかっているのはローナアルク。横から差し込む朝日に、若干だが目がくらんだ。
「まだ早いだろ、もうちょっと寝かせてくれよ……」
「それはできないわ。ようやく始まった新生活でしょ? なら、一分一秒を無駄にできないじゃない」
「人生はまだ長い。朝くらいもうちょっとだけ寝かせておいてくれ」
「朝ごはんもできてる。早くたべちゃって欲しいのよ。いつまで経っても片付けられないわ」
「起きてから作ってくれよ……」
「むしろ起こすために早く作ったと言っても過言ではないわね」
「そういうのいいから。ったく、なんで俺の家に居候するなんて言い出したんだよ……」
仕方ないと上体を起こす。その動作に合わせるように、ローナアルクがフェルメールから降りた。
「おはようのキスはまだ?」
「したことない」
「おはようのまぐわい?」
「したことがない」
「もう少し洗脳が必要かもしれないわね」
「頼むから、俺にももうちょっとだけスローライフを楽しませてくれるか。せっかくまっとうな人生を手に入れたんだからさ」
「これがまっとうな人生、ね」
「今までに比べればだいぶマシだ」
ベッドから降りてリビングへ。彼女が言っていた通り、テーブルには食事が並べられていた。
イスに座って手を合わせる。フェルメールとローナアルクが「いただきます」と同時に言った。
木造の家、木造のベッド、木造のテーブルに木造のイス。幼少の頃はこれが普通だと思って生きてきた。だが、世の中にはさまざまな物があり、さまざまな材質があることを知った。それでもなお木造が一番だと思った。
「でも、いいの?」
「なにがだ」
「人間界に戻らなくても」
「ああ、それな。正直どっちでもいい。俺には帰るような故郷もないし、思い入れがあるような場所もない。むしろ向こうだといろいろ考えそうだ。それにこっちならフェルが俺を評価してくれるしな」
「仕事には困らない、ね」
「そういうこと。あれからずっと魔徒のまんまだしな。むしろ七人の魔徒がこんな自由でいいのか? 軍事関係の仕事とかした方がいいような気もするけどな」
「いいんじゃないかしら。父上がそういうのなら、私が反対する理由はないしね。なによりも私とアナタの同居を許してくれたし」
「同居ではない。居候だ」
「いずれ婚約するわ」
「どうしてそんなに俺の側にいようとするんだ。俺はいい男とは言い難いし、お前に惚れられるようなことはしていない」
「そう思ってるのはアナタだけよ。アナタは魔界の未来を救ったじゃない。間違いなく英雄と呼ばれてもいいことをやってのけた。っていうか、アナタ自分から惚れていいって言ったじゃない。だから惚れてあげたのに」
「俺のせいみたいに言うなよ。それに英雄なんてカッコイイもんじゃない。俺は俺のエゴを果たしだだけだ。昔好きになった女の子を殺して、憎むべき相手に復讐を果たした。英雄なんて、誰が言うんだよ。共に生きてきた女の子一人も守れなくて、なにが英雄なんだよ」
「アナタがそう思っていても、真実を知る魔王城に住まう人たちはアナタを英雄として見ているわ」
グラスギングを殺したのはフェルメールだった。しかし、フェルメールはそれをシャルフバッハがやったことにした。目立ちたくなかった。誉れを受けて、特別視されるのが嫌だった。
いい意味でも悪い意味でも、特別な環境に身をおくことに疲れてしまったのだ。
普通にしていたい。誰が思うでもない、自分が普通だと思う普通の生活を送りたいと心から願った。
その結果、小さな町で一軒家を与えられた。ここで農作業や狩りをして、時に町を魔獣から守りながら生活をしていた。
生活をし始めてすぐにローナアルクがやってきた。しかし、フェルメールは拒まなかった。魔王城では自分の世話係をしていた少女。その少女がここにいるのだ、きっとシャルフバッハからの命によるものに違いないだろう。拒んだところで意味はないと思った。
それとは別に、誰かに側にいて欲しいという気持ちもあった。
彼はずっと二人で生きてきた。一人でいることの方が少なかった。失って初めて、孤独というものの怖さを知ってしまった。
誰かに側にいて、寂しくなったら手を繋いで、怖くなったら抱きしめて欲しかった。だから、ローナアルクとの同居は望むものでもあった。
スカーレットの遺体は火葬し、遺骨の半分は王族の墓へと入れた。そして、もう半分は母と祖母が眠る墓へと入れた。どちらか一方では、なにかが違う気がした。
「左腕、大丈夫か?」
「問題ないわ。ちゃんと動いてるし、最初の頃よりも馴染んでる」
ローナアルクが左手を握って開いて、握って開いてを繰り返した。
あの日、スカーレットとの戦闘で左腕を失った。左腕が残っているのならば、腕にくっつけておくだけで治ったらしい。しかしその左腕はスカーレットに食われてしまった。
代替品として魔王が用意したのは、魔獣の血肉から生成した新しい腕だった。
血管はないが神経は通っている。一度ローナアルクの肩にくっついてしまえば、血管の構築や神経の繋ぎなどは勝手に行われるのだと言う。これこそが「さまざまな種族を取り込んだ魔王の血族」としての有用性だともシャルフバッハが言っていた。
魔族から作った腕だとしても、それを取り込むための遺伝子があるのだとか。
最初は動かすこともできずに宙ぶらりんのままだった。それが時間の経過とともに身体に馴染んでいった。
数日で血管が作られた。一週間で腕が前後に動かせるようになった。二週間で指先の神経まで繋がった。だが、料理などができるようになるまでは数ヶ月かかった。数ヶ月でできるようになったのは、ひとえに魔族だからとも言えた。
今は長袖だからわからないが、袖をめくると浅黒い腕が見える。左腕以外は白いのだが、どうしても色素だけはもとに戻らないようだった。
「どうしたの、そんなに見つめて。したいの?」
「なにをしたいんだよ。いいから飯食ったら出るぞ」
「出るってどこに?」
ローナアルクが可愛らしく首を傾げた。その姿がスカーレットと重なった。
どうやっても簡単には忘れられないだろう。二人きりで生きてきた、自分が殺してしまった初恋の少女。忘れることなど、できはしない。
「似てる?」
「似てるって、誰に?」
「スカーレットに」
「あー、うん。まあな。ちょっと儚げで無口で無表情なところとか」
「別に無口ではないんだけどね」
「なんというか、雰囲気がそっくりだ」
「そうなのね。私はああなってしまったスカーレットしか知らないけど、そんなに似ているならいいんじゃない?」
「いいってなにがいいんだよ」
「忘れなくてもいいってことよ。その寂しさも辛さも含めてアナタの物よ」
彼女がニコリと微笑んだ。
その笑顔だけはスカーレットとは違って見えた。スカーレットは寂しそうに笑っていた。しかしローナアルクの笑顔には包容力があった。
「お前がそう言うなら、俺は今までのままでいることにするか」
「ええ、そうしなさい。さあ、外に行くんでしょう?」
「そうだな。行くか」
「今日の仕事はなに?」
「ギャレットさんに頼まれたことがある。あとはミラさんとジュークさんからも」
「ホント、魔王城からの援助がなければ生活できないわよ、アナタ」
「一応七人の魔徒なんだし、そこは多目に見て欲しいものだ」
立ち上がり、ドアへと向かう。
普通だけれど、普通と言うには少し違う。そんな生活も悪くない。
いつかスカーレットとの思い出を過去として受け入れられる日が来るだろうか。その時、まだローナアルクは近くにいるだろうか。もしも彼女が側にいたのなら、そして彼女がまだ自分に好意を抱いているのなら。その時はもう少し前向きに考えようと思った。
ドアを開ければ日光が降り注ぐ。手で庇を作って日光を遮った。
魔徒である以上、問題が起きればここから離れなければいけない。魔獣を殺すこと、魔族を殺すこともあるだろう。クタクタになって帰ってくることだって絶対にある。
それでもいい。自分が望む「普通の生活」があるのなら、乗り越えられると思うから
「さっさと行くわよ。早く終わらせて怠惰な日常を過ごすのよ」
背中を軽く叩かれた。
いつか彼女に言える日が来るだろうか。
こんな俺で本当にいいのか、と。
ローナアルクが手を握ってきた。けれどその手を解くことはしなかった。それもまた、フェルメールが描く日常だったから。
こんな普通の日常を、もしかしたら別の誰かと過ごしていたかもしれない。でも、その別の誰かはもういない。
申し訳なくも、穏やかな気持ちだった。
誰かを殺すことでしか生きながらえることができなかったキミへ。キミが望んだ未来を今生きているのだ。
この未来が正しいのか。これから正しい未来を歩けるのか。そんな懸念はどこかに捨ててしまおうと、家の外へと一歩踏み出した。
了
誰かを殺すことでしか生きながらえることができないキミへ 絢野悠 @harukaayano
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