第25話

 シャルフバッハを見れば、なんとか立ち上がったであろうグラスギングに掴み上げられていた。


「いいぞ! いいぞスカーレット! 傷の治癒が終わるまでソイツを食い止めてろ! シャルフバッハの方はもう動けない!」


 傷を回復させるわけにはいかない。あの傷ならばそう簡単には治癒できないだろう。しかし時間稼ぎをされてしまえば別の話だ。


 もう一度スカーレットを見た。


「ふぇる、めーる」


 蛇の鱗のような目を見つめ、どうすればいいのかわからなくなった。


 なんとなく、スカーレットがここまでやってこられた理由はわかっていた。ローナアルクの腕を食ったのだ。グラスギングのことだ、もう一度食人鬼の呪いをかけてもおかしくはない。


「おもい、だして」


 歩きながら、彼女が言う。


「なにを、なにを思い出せっていうんだ!」

「おもい、だして」

「くそっ! 俺は、俺にどうしろっていうんだよ!」


 どうしてだろう。スカーレットへの哀愁よりも、グラスギングへの憎しみの方が、今でもまだ大きい。


 スカーレットをこんなふうにしてしまったグラスギングが憎い。グラスギングがいなければ、自分もスカーレットもこんな人生を送ってはこなかった。自分がスカーレットに恋をすることもなかった。


 目測十メートル、彼女が足を止め、重心を下げた。


 言葉さえも通じなくなった。意思疎通など夢のまた夢。きっと彼女は二度と帰っては来ないだろう。


 ずっと夢を見てきた。呪いが解けたら、十七歳のただの少女が帰ってくるのだと。その少女と共に人間として歩んでいくのだと。結婚し、子を作り、その子供に看取られて死ぬのだと。


 たくさんの思い出がある。子供の頃の思い出も、大きくなってからの思い出も、食人鬼になってしまったあとの思い出も。


 目蓋を閉じなくても、考えなくても思い出される。


 小さな少女は、小さなまま大きくなった。そして成長を止めてしまった。成長を止めたまま、少女としての一生を終えた。


 しかし、彼女が戻ってくることなどない。描いた夢は夢で終わってしまった。


 目の前から強烈な魔力が発せられた。そして、跳躍した。


 ああ、そうか、と。薄汚れ、本来の美しさを失った彼女の顔を見て、自分の中にある真理にたどり着いてしまった。


 白い肌は焦げ付き、大きかった目は人のものでなくなった。愛らしかった笑顔も、大人しくしているときの美麗さもなかった。


 いつから彼女に対しての愛情を失ってしまったのか。それはきっと、彼女が人でなくなった時からだ。


 なぜ彼女とずっと一緒にいたのか。それは彼女には自分しかいなかったからだ。彼女の祖母であるタバサへの義理があったからだ。


 好きだったわけじゃない。ずっと、好きになろうとしてきたのだ。ただの少女でなくなってしまったあの日から、何度も何度も葛藤した。


 なによりも彼女が自分を必要としているように見えたからだ。自分にしか彼女を救えないと思ったからだ。


 じゃあ今はどうだ。もうすでに救うことができない彼女を目の前にして、自分には一体なにができるのだろう。


 細く息を吐いた。


 スカーレットが全力で向かってくる。


 彼女は言った。「思い出して」と。


「ああ、思い出したよ」


 突進してくる彼女を直視し、避けた。


 避けながら剣を振り下ろし、首を撥ねた。剣を切り上げ、腹部を切り裂いた。


 肉片になった彼女が、勢いを殺すことができずに地面を転がった。


「最期に、もう一度ちゃんと話をしたかったよ」


 剣にまとわりついた血液と油を振り払う。


「私を殺して、か。悲しいな」


 事あるごとに彼女が言っていた。「本当に困ったときは私を殺してちょうだい」と。今がその時だと、フェルメールは考えた。だから殺した。彼女を生かしておく理由が、彼の中には何一つとして存在しなくなったからだ。


「今度こそ、本当のさよならだ」


 愛情はない。同情もできない。なによりもグラスギングへの憎しみの方が遥かに大きかった。


 人でなくなった彼女はグラスギングの傀儡でしかない。それならば、目をかける必要などどこにもない。憎むべき対象と言っても過言ではなかった。


「自分でなにしたかわかってんのかよ……!」


 グラスギングが狼狽えた。フェルメールがスカーレットを殺すはずがない。そう思っていたからだ。


「わかってるよ。でももういいだろ。レットを生かしてきたのは俺だ。それなら、楽にさせてやるのも俺の仕事であるべきだ」

「そりゃ、お前のエゴだろ……」

「お前に言われたくはない。さあ、最期の勝負をしよう」


 一歩、また一歩と歩みを進める。それは徐々に早歩きになり、次第に駆け足になっていった。


「ははっ、来いよ! 少しは回復させてもらったしな!」


 腰に携えた小瓶を取り出す。そしてそれをグラスギングに投げつけた。


「こんな小細工!」


 手で振り払い、瓶が割れた。


「小細工かどうかは自分で見極めな」


 フェルメールはその場でブレーキをかけ、停止した。


「あ? なんだてめぇ、舐めてんのか? 今のが最後の一撃だってのか? ははっ、くだら――」


 相手を煽るつもりで開いた口が閉じなかった。口だけではない。腕も脚も動かない。


「俺の勝ちだ。瓶を割った時点でな。その瓶が酸であっても毒であっても関係ないと思って割ったんだろ? 法術で皮膚の上に薄い膜を張っているのかもしれないけど、それは無意味だ気付かないか? 足にも腕にも胸にも、あるものが刺さってるだろ?」


 眼球だけを動かし、グラスギングが自分の身体を注視した。


 腕にも脚にも胸にも、銀色の針が刺さっていた。人の手のひらと同じくらいの長さを持つ細い針だった。


 グラスギングが腕を振るのと同時に針を投げた。宙を舞う血液を針がまとい、身体に刺さった。


「あれは正確には毒じゃない。魔獣の血液だ。俺がいつも持ち歩いてるものでな。少量なら死にもしないから、神経毒代わりに使ってたんだ。賞金首や野党から、また別の賞金首や野党の情報を聞き出すのに重宝していた。なんの毒かわかるか? 致死量の投与でも一瞬では死なず、地獄のような苦しみを味わわせる毒だ。本当はな、どうしようもなくなった時に自分で飲もうと思ってたんだ。これを飲んだ俺の肉をスカーレットが食えば一緒に死ねるからな。こんなところで役に立つとは思わなかったよ」


 フェルメールが首を傾げた。


「そうか、喋れないんだな。正解はヒュドラの毒だよ。コイツは魔族に対しては特に強烈らしいな。パーシヴァルもそれで死んだよ。裏切り者同士、仲良く死にな」


 近づいて、もう一つの小瓶を取り出した。こちらもまたヒュドラの毒が入っている小瓶。それが持っている最後の一つだった。


「もう一つ教えてやる。なんで俺の針にお前が気づかなかったのか、だ。俺に宿る加護の使い方がようやくわかった、とでも言えばいいか。俺が持っている加護は、殺意を向けられないというだけの力じゃないんだ。殺意、敵意、害意を調整するという言い方が正しい。だから俺は自分の殺意を、害意を調整した。お前は俺の走る姿や、手に持っている剣にしか目がいかなかっただろ。そういうふうに仕向けたんだよ。その針に害意はない、だから無視してもいいと、お前の脳が勝手に勘違いした」


 剣の上に瓶の中身をぶちまけた。


 そして剣の切っ先をグラスギングの胸に立てる。


「大丈夫だ。まだ殺さない」


 一気に、深く剣を突き入れた。


 その衝撃で身体が傾き、仰向けの状態で倒れていった。


 ドサリと、巨体が地面に落ちた。砂埃が舞った。


 右足でグラスギングの胸を踏みつけた。剣を首の近くに持っていき、覗き込むようにして見下ろした。


「本当はお前に謝らせてやりたかったよ」


 グイッと、剣を動かしていく。首に剣が食い込んだ。


「本当はお前を泣かせたかった」


 少しずつ、少しずつめり込ませていった。肉の感触が生々しく手に伝わる。


「本当は命乞いとかも聞きたかった」


 首から鮮血が飛び散っていく。蛇口から水が流れるかのような、そんな勢いで血が地面へと流れていった。


 骨に当たるが、関係ないと剣を動かした。ゴリゴリとした感触は悪くなかった。


「でももうどうでもいいよ。疲れたんだ。それに目的は果たした」


 グラスギングは、泣いていた。痛みからか、苦しさからか、悔しさからか。そこまでは読み取れなかった。けれど、間違いなく後悔させた。後悔させたのだと思えた。


 一気に剣を振り抜き、胴体と頭を分断した。


「終わりだ。なにもかも、終わった」


 最後に、頭に剣を突き刺した。地面と頭を縫い付けて、グラスギングに背を向けた。


 終わってしまえばあっけない。今までの苦労はなんだったのかと思ってしまうほどだ。


 気がつけば涙を流していた。スカーレットを失った悲しさか。グラスギングを殺したことへの達成感からか。


 涙が風に流れていく。


 胸に穴が空いた。大きな大きな穴が空いた。


 目的を達したおかげで空いてしまった大穴を、一体何で埋めればいいのだろう。


 そう思いながら目を閉じた。これからのことなどなにも考えていない。不安でもあり、楽しみでもあった。


 ようやく自分のための道を歩いて行かれる。誰かに縛られることもなく、誰かを憎むこともなく、自分本位の、自分だけの未来へと向かって。

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