第19話

 ヘルヘイムは穏やかだった。


 農業を主としているためか、周囲にいる魔獣もそこまで強くない。それどころか、魔獣と魔族が完全に同居している状態だった。


 宿を取る金はなかったが、城から逃げてきたことを伝えると、町の人たちは温かく迎え入れてくれた。どうやら、今の魔王城の状態がわかっているようだった。


 部屋を貸してもらい、服を脱いだ。ベッドに腰掛けて頭を抱える。なにがどうなっているのか。どうしたらいいのか。道を示してくれる人もいない、目的はあるが巨大すぎて近寄れない。


 今のフェルメールには、頼る者さえもいなかった。


 持ってきた荷物を確認した。


 魔獣の血液、手のひらほどの針が十本、剣に財布。その程度しかない。魔獣の群れと戦うことも、スカーレットと戦うことも、グラスギングと戦うことだってできはしない。魔力も弱い、力もない、これといった策もない。


 なによりも、考える力がなかった。


 魔王のこともそうだが、スカーレットのことも何度か考えようとはした。けれどその度にグラスギングの顔が浮かんでくる。人を小馬鹿にしたようなあの笑みが忘れられない。


 グラスギングの顔を思い出すだけで「こうして考えることも無駄なのでは」という気持ちが強くなっていく。そうしていつしか考えることをやめてしまう。


 ため息を吐き、部屋から出た。身体を動かしていないと気が狂いそうだった。


 部屋を貸してくれた家主、ギャレットに声をかけた。


「なにか仕事はないか?」


 頭は禿げ上がり、口元には髭を生やしている老人だ。多少太っているが背は低く、人当たりがよさそうな顔をしている。つい先日、妻をグラスギングに殺された。ギャレットの妻、キャサリンは別の町へと出かけていた。そこで、町ごと焼き払われたとフェルメールに語った。


「仕事? お前さんはおとなしくしているといい。疲れただろう?」

「いや、少し身体を動かしたい。手伝えることがあれば言ってくれ」

「なるほどね。ならば薪を割ってもらおうかな。家の裏手にたくさんあるでな、好きなだけ割ってくれ」

「ありがたい」


 そう言ってから家を出た。


 裏手に行くと、腕よりも少し太いくらいの丸太がたくさん詰まれていた。近くにあった斧を手に取り、丸太を台座に置いた。


 それから、一心不乱に薪を割り続けた。


 薪を置く。斧を振り下ろす。薪を置く。斧を振り下ろす。汗を拭い、息を吐く。


 そんなことを何度も繰り返し、日が傾き始めた頃にギャレットがやってきた。


「まだやってたのかい。まあ、あったらあったで困るものでもないからいいけどね。ご飯ができたよ、風呂に入ってきなさい」

「ギャレットさん、ありがとう」


 周囲を見渡すと、割った薪が所狭しと転がっていた。薪を揃えることなく、ただただ割り続けたのだ、それも仕方がなかった。


 割った薪を端に寄せ、家に戻った。風呂に入り、夕餉を食べた。


 外が暗くなり、町から光が消えていった。


 ベッドに入って天井を見上げると、ふいに涙が出てきた。


 本来ならば、あの小さな町で一生を終えるはずだったのだ。


 小さな町で獣を狩り、作物を育て、何事もない人生を送るはずだった。もとより、フェルメールという青年は非日常を好む性格ではなかった。


 タオルケットを抱きかかえて寝返りを打った。こうなるはずではなかった。片田舎で普通に暮らして、普通に死んでいきたかった。そう、スカーレットという少女と共に、子を作り、裕福でなくとも普通の暮らしができればよかったのだ。


 スカーレットの呪いがなければ、彼は凡夫のまま終わっていた。それが自分でもわかっているから、言いようのない辛さが胸を締め付ける。


「泣いているのかい」


 ドアの向こうから、ギャレットの声が聞こえてきた。


「さあ、どうだろうね」

「鼻声だよ? 別に隠すことでもないさ。キミは泣くことを恥ずかしいことだと思っていないかね?」

「大の大人が泣くのは恥ずかしいことだろ?」

「そんなことはないさ。いいんだ、泣いたって。私だって妻を亡くして泣いたよ。でもね、泣いていても意味がないって悟った。だから、精一杯生きようって思ったんだ」

「死者を悼むのは意味があると思うが」

「違うよ。死者を悼んだ涙もあれば、自分を憐れむ涙もあるんだ。だから、妻に対しての涙以外とはお別れをしたのさ。そうしたら涙は出てこなくなった。私いには妻と一緒にいた思い出があるからね。死んでしまった者は戻って来ないから、私は思い出の中の妻と生きることにしたんだ」

「ギャレットさんは、強いんだな」

「強くなんかないさ。ただ、妻が大事だったからこそ乗り越えられるものもあるのさ。今でも悲しくなるし、戻ってきて欲しいとも思う。でも泣いていたら、死んでしまった者もおちおち死んでられないじゃないか。安らかに眠って欲しいんだよ、私は。戻ってこないのならばせめて、あちらで安らかで、健やかであって欲しいのさ」

「せめて、か」

「自分には自分の、他人には他人の在り方があるよ。それを理解した上で、自分の道を進みなさい」


 ギャレットは「よいしょ」と言った。彼がドアから離れていくのがわかると、不思議と心が穏やかになっていった。


 目を閉じて、覆いかぶさるような眠気に身を任せた。


 自分がどうあるべきかを考えながら、少しずつ意識を落としていく。


 今はただ、ローナアルクやシャルフバッハが生きていることだけを信じるしかなかった。

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