第18話

 身体にかかる重圧によって、少しずつ意識が戻ってきた。同時に、目蓋に光が当たった。


 あまりいい起き抜けとは言えないが目を開けた。


「コイツのせいか……」


 寝相が悪いのか、ローナアルクが身体にのしかかっていた。


 無理矢理引き剥がしてベッドに寝かせた。隠密要員であると思ったが、予想以上に気持ちよさそうに寝ている。こういう場合はすぐに目覚めるはずだが、と首を傾げた。


 ネグリジェがめくれて白い肌が露わになった。魔王の娘ではあるが、体つきは人間にかなり近い。肌も白いため、頭の角がなければ魔族だとわからないだろう。


 ネグリジェを元に戻してベッドから降りようとした。が、シャツが掴まれて立ち上がれない。


「起きてるならそう言えよ」

「欲情するかと思って」

「朝から誘ってんのかよ。どういう教育を受けてきたんだ、お前は」

「父上があの男ならば伴侶にちょうどいいって言うから」

「俺の気持ちもお前の気持ちもないだろ。親が言うからそれに従うのかよ。それにそこまで信用されるような人間じゃない」

「大丈夫よ。アナタは充分魅力的だし、信頼されても不思議じゃない」

「魅力的って部分はありがたく受け取っておくが、信頼の方は疑問が残るな」

「そう? ここ数日での立ち振舞いを見る限りだと問題なさそうだけど」

「そんな短期間でわかるもんか。人間ってのは、思って以上に面倒な生き物なんだよ。それよりシャルに話を聞きたい。連れてってもらえるか?」

「一人で行けばいいのに」

「一応な。他人同士よりも、肉親が一人でもいた方がこちらも安心して話ができる」

「まあ、いいけど」


 ローナアルクはベッドから降り、部屋の中央でネグリジェを脱ぎだした。これ以上なにも言うまいと、フェルメールはため息をついた。


 確かに、ローナアルクは女としては魅力的だ。しかし自分に対して心を開く理由がない。だからこそ、彼女を信用しきれないでいた。


 着替えが終わり、二人で部屋を出た。目指すのは謁見の間なので、そこまで時間はかからない。


「お前はどうして俺に対して良くしてくれるんだ? お目付け役というだけが理由じゃないだろ?」

「そう見える?」

「バカ言うなよ。ただのお目付け役が、相手の目の前で下着姿になるかよ。それに同衾もしない。なにが目的なんだ?」

「目的は特にない。ないけど、思うところがあったから」

「なんだよ、思うところって」

「言っていいのかどうか」

「今更だろ。言ってくれ、気持ちが悪い」

「それなら言うわ。なんというか、可哀想だったのよ。ずぶ濡れの子ベヒーモスみたいで」

「ベヒーモスって子供でも体長五メートル近くあるだろ。可哀想に見えるか?」

「ベヒーモスの例えは嘘だけど、可哀想だって思ったのは本当。いろんな物を奪われて、強引に魔族の中に入れられて。だから少しでも心が休まるように、少しでも勝手ができるようにってしてあげたかった」

「気持ちはありがたいが、そこまで気を遣ってもらわなくてもいい。俺は俺で好き勝手やらせてもらう」

「そう、それならいいけど」


 廊下を歩き続けて謁見の間へ。玉座にはすでにシャルフバッハの姿があった。


「おお、来たなフェル」

「ずっとここにいるのか? 暇なんじゃないだろうな?」

「今はグラスギングのことでいろんな人間が動き回っている。わかりやすいところにいるのが一番だろ?」

「まあ、確かに」

「で、ここに来たってことは話があるんじゃないのか?」

「その通りだ。グラスギングについて話がある。結局あれから進展はあったのか?」

「いや、まったくと言っていいほどないな。ランスロット、ガウェイン、パーシヴァルの三名の誰からも連絡がない。正確には吉報がない。提示連絡はあるが、それ以上の話はないな。同時に、他の町を襲ったという話もきかん」


 シャルフバッハは顎髭を撫でながらそう言った。


「よくよくヤツがなにを考えてるかがわからなくなってきた、か」

「いろんな町を潰し、さまざまな魔獣を従え、好き勝手やっていたかと思えば今度はまったく動かなくなる。本当に動向が読めないヤツよ」

「動向を読むなんて考えてるからいけないんじゃねーのかよ」


 その時、フェルメールの背後から誰かが叫んだ。聞き覚えがある声、聞き間違えることのない声だった。


 弾かれるように振り向くと、その人物と目が合った。


「グラス、ギング……!」

「よう、父上とフェルメール。俺がなにを考えてるかだって? んなもん、王座を奪い取る以外のことを考えるはずもねーだろうが」

「どうやって入ってきた! 城の警備は何倍にも強化してあったはずだ!」


 勢いよく玉座から立ち上がるシャルフバッハ。同時に、近くにいた兵士が武器を構えた。


「どうやってもなにもないだろ? テキトーに侵入して、テキトーにボコボコにしてやったよ。どれだけの兵士が生きてるかは知らないけどな。人手が少ないところを一直線に駆け抜けてきてやったぜ」

「なぜこちらの情勢を知っている」

「質問ばっかりでウザいぜ、父上。そんなことどうだっていいだろ? アンタは今日ここで死ぬんだからよ。でも死ぬ前に一人紹介したいヤツがいるんだ」


 グラスギングが手を叩いた。なにごとかと見ていると、彼の横に一人の少女が歩いてきた。


 赤いワンピースに身を包んだ少女。背丈は低め、華奢で、髪の毛が長い。けれど手足は不格好な魔獣のものになっていた。無理矢理くっつけられたのか、チグハグで血だらけだった。顔立ちは美しく、なによりも見知った顔に驚きを隠せなかった。


「紹介するぜ父上。俺の娘、スカーレットだ」


 スカーレットが目を開く。蛇の鱗のような目がそこにはあった。


 醜悪よりも憐憫の方が強かった。


 どうしてこんなことになってしまったのか。自分が悪かったのか。そう思うと、そこから一歩も動けなくなる。全身が震えてた。歯がカチカチとうるさかった。


「どうだフェルメール、いいだろ? お前が愛した女だ。今じゃもう俺のもんだけどな。いろいろ弄くらせてもらったぜ。ここ数日でいい感じに仕上がった。もう意識も思考もなんにもない。殺人衝動? 違うな、殺戮衝動だ。それだけを強化した、完璧な俺の人形さ。助け出すなんて不可能だぜ? もう治せないからな」


 知らず知らずの内に涙が出てきた。


「すかー、れっと……」


 彼女がこちらを見た。見たが、なにも言わなかった。なにも感じていないのか、頬をピクリとも動かさなかった。


「無駄だよ無駄。それに目はもう見えてない。その目はな、魔力を感知するだけのセンサーなんだよ」

「どういうことだよ……スカーレットになにをした!」

「目を潰したんだよ。見ろよあの腕。バキバキにへし折って、ぶち抜いて、魔獣の腕をくっつけてやった。脚もだ。いい感じになったじゃねーか」


 愛らしかったスカーレットはそこにはいない。見る影もない。


 こんなところで泣くわけにはいかない。そう思ってはいても身体が勝手に反応してしまう。


 グラスギングが重心を下げた。マズイと思いながらも、そこから一歩も動けなかった。


 が、ローナアルクによって腕を引かれた。


 まるでこちらを見ずに、グラスギングは玉座へと駆けていった。それを迎え撃つのは魔王シャルフバッハ。少し離れた位置で、二人の拳がぶつかりあった。


 見計らったかのようにて、窓から魔獣たちがなだれ込んできた。兵士たちは魔王の手助けなどできはしない。魔獣たちの相手をするだけで精一杯だった。


「なんで、引っ張った」


 間違いなくローナアルクに助けられた。あのままだったら、グラスギングの一撃で死んでいたからだ。


「当たり前でしょう。あのままではグラスギングに轢き殺されてた。あの魔力の塊に対抗する手段がアナタにはない。それに、アナタに戦う気力はない」


 なにも言い返せなかった。グラスギングの一撃で死ぬこともわかっていたし、なによりも自分が戦おうと思っていないことを、フェルメール自身もわかっていた。


 スカーレットの痛々しい姿が、今でも脳裏に焼き付いていた。その姿が目蓋にチラつくだけで、世界の終わりでも迎えたような気持ちにさせられる。


「確かにグラスギングと父上を戦わせるのは避けたいところ。でも父上がそう簡単に死ぬはずがないわ。だからアナタはこっちへ」


 ローナアルクに手を引かれて謁見の間を出た。


 後ろ髪をひかれるような気持ちはある。このまま留まってシャルフバッハと共にグラスギングと戦いたい。けれど、その気持ち以上にローナアルクの力が強かった


 それに自分に宿る加護を、グラスギングもまた欲していたことを思い出した。自分がここで逃げることが正しいのだと、そう言い聞かせるには充分な材料になった。


 今は彼女に従うしかないだろう。そう思い、ローナアルクに任せることにした。


 廊下を走り抜けていく。廊下にも魔獣が侵入し、兵士たちが命をかけて戦っていた。グリフォンに食われる者、ガーゴイルに胸を裂かれる者、ワームに丸呑みのされる者。そんな兵士たちを尻目に、ただひたすらに走り続けた。


 城の外へと出ようとした時、ローナアルクの脚が止まった。


「まあ、そう簡単には逃してはくれないか」


 前方に広がる土煙から、一人の少女が現れた。不格好な手足、鱗のような瞳、無表情で無感情。その昔、スカーレットという少女だったなにか。


「さて、アナタとはここまでね。さっさと行きなさい」

「行きなさいって、どこに?」

「このまま城を出て直進なさい。ヘルヘイムという町があるわ。とりあえずはそこで身を隠すといい。この城はもうダメだわ」

「ダメだわって、お前の家だろ?」

「ダメなものはダメ。とにかく逃げて。彼女を振り切ったら私も行くから」


 初めて、彼女が笑顔を見せた。


「そんなこと、できるわけないだろ」

「アナタの加護はグラスギングを殺すために必要になる。絶対に。だからここで死んでもらっては困るのよ。私や父上のためだと思って」


 ローナアルクの真剣な瞳に、思わず目を反らしてしまった。


 そして、代わりにスカーレットを見た。


 ひたすらにこちらへと歩いてくる。その姿を見て、どうにかすれば昔の彼女を取り戻せるのではないかという淡い期待を抱いてしまう。


 けれど、彼女の身体をまじまじと見れば見るほどに、そんなものは期待でしかないのだと思い知らされる。


 多少の傷ならば人を食らうことで回復できた。けれどその呪いを解いてしまった。無理矢理引き千切られた腕が戻ることは、もうどうやってもないのだ。


「くそっ!」


 ローナアルクの言う通りにするしかない。もう、それしか考えられなかった。


 フェルメールを追おうとするスカーレット、しかしそれをローナアルクが止める。


 後ろを振り向くことなく、フェルメールは全力で駆けていく。崩壊する城、落ちてくる瓦礫を避けて、一直線に走っていった。


 近くの森に入って、そこでようやく振り向いた。


 城から高く登る灰色の煙。あの城の中でなにが起きているのかを想像するだけで頭が痛くなりそうだった。


 首を横に振った。


 助けてもらった命だ。この命を無駄にするわけにはいかないのだ。


 息を整え、再度走り出した。ヘルヘイムへと向かうため。そして、過去と決別するための一歩だった。

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