第12話

 目を開くと、見たことのない天井が見えた。灰色一色の天井に、大きめのランタンが吊るされている。顔を横に向けて壁を見ると、こちらも灰色だった。いくつものレンガが敷き詰められ、無理矢理窓がはめ込まれているような不格好さがあった。


 匂いは悪くない。古臭い城のようだが、思ったほど埃っぽくなく、どこか懐かしさがある匂いだった。


 その中に、柑橘系の匂いが混じっていた。それもまた嫌いではなかった。


「起きたか」


 声がした方に顔を向けると、一人の少女がイスに座って本を読んでいた。こちらを訝んだ瞳で見つめていた。


「アンタ、誰だ? それとここは?」


 頭痛に頭を抑えながら上体を起こした。鎧がない、マントがない、剣がない、バッグがない。が、それらの行方を訊くのはあとでいいと考えた。今は他に訊かねばならないことがあるからだ。


 真っ黒な髪の毛は後頭部から前髪にかけて長さが変わるボブカット。前髪はそこまで長くないが、もみあげの辺りだけは肩まである。


 真っ黒なワンピースは襟やフリルやリボンなどが白い。靴もまた黒く、その真っ黒な姿が彼女の佇まいに似合っていた。


 無表情だがスカーレットとは少し違う。目が若干腫れぼったく、スカーレット以上に表情が読めない。しかしどことなくスカーレットと似たような雰囲気があった。


「私はローナアルク。アナタの監視を任されている。それとここはアーツェット城よ」

「ローナアルクか、どこかで聞いたことがあるような気がするけど、どこだろ」


 しかしすぐに思い当たった。最後の「アーツェット城」という単語がハマったからだ。


「アルクでいい。聞いたことがあっても不思議じゃない。シャルフバッハが第二皇女、ローナアルク=アーツェット」


 しまった、と思いながら少しだけ姿勢を正した。


 魔王の子供だとわからなかったのは、彼女の姿が知識にあるものとは乖離していたからだ。魔王やその血族は、多種多彩な魔族の特色が混ざっている。種族をサタルスといい、見た目は人間に近いが、肌は灰色、頭には角があるはずだからだ。しかし彼女の肌は白く、まるで人間のようだった。二本の角は生えているが、それ以外は人間とそう変わらない。


「ごめんなさい。お姫様でしたか」

「敬語はいらない。普通にして。魔族は長寿だけど、私はアナタよりも年下だから」

「そう言うならこのままでいこう。で、なんでアンタが俺の監視なんだ? 俺たちの監視は魔徒の役目だろ?」


 俺たち、という言葉に引っかかりを感じた。


 右を見ても左を見てもスカーレットはいない。あの時、グラスギングに攫われてしまったのだと、今になってようやく実感した。いや、してしまった。


「今は私の役目というだけ。今となっては三人の魔徒になってしまったから、使える者は全員使おうって腹なんでしょう、父上は」


 彼女は本を閉じて立ち上がった。


「大怪我を負ったわけでもないし、ちょっとお酒が残ってる程度のはず。それなら今すぐ行くわよ」

「行くってどこに?」

「父上のところによ」

「なんで俺が?」

「それはきっと、父上がアナタのことを気にかけているからよ。それにスカーレットのこともある」

「……なるほどな。わかった」

「立てる?」


 地面に足をつけて立ち上がる。その場で二度、三度と飛び上がり、腕を回したりして身体の不調を確かめる。頭痛は取れないが、その他は特に問題はない


「ああ、大丈夫だ」

「じゃあついてきて。そこまで遠くないから。あと逃げようとはしないでね。最悪は殺さなきゃいけなくなるから」

「そんなことしないさ。というより、俺が魔王に言いたいことがある」

「まあ、そうでしょうね。じゃあ行きましょうか」


 音もなく歩き出したローナアルク。「殺さなじゃいけなくなる」という発言からも、ローナアルク自身が戦えることはわかる。それどころかかなりの手練れだろうとも予想できた。


 物音を立てずに歩くことの難しさはフェルメールも知っている。彼女はきっと、ぶつかり合いの戦闘よりも諜報や隠密に長けているのだろう。それでも自分と一対一でここにいるということは、戦闘力は見た目や想像を超える。そう、考えた。


 部屋の外も灰色のレンガでできていた。魔王の城とはここまで簡素で、ここまで禍々しいのかと思った。優雅さからはかけはなれていた。


 彼女の後ろについて歩いて、そこで初めてわかったことがある。部屋にあった柑橘系の匂いが、彼女から香っているということに、だ。


「そういえば俺の荷物は?」

「部屋に運んであるわ。父上との話が終わったら案内するから、それまでは待ってて」


 きっと魔王との話がどういう方向にいっても悪いようにはならない。そんな予感があった。


「肌の色について、聞いてもいいか?」

「ああ、私の肌が白いって? 元々サタルスというのは〈能力を取り込む種族〉なのよ。だから昔はたくさんの異種族を食べ、力を得てきた。それは人間も変わらない。肌の色が白いエルフやシルフなんかも食べた。食べるだけじゃない、交配もした。そうやって魔族の頂点に立った。いわば、王でありながら雑種なの。白いサタルスもいれば赤いサタルス、青いサタルスもいるってこと」

「なんというか、人間とはやっぱりいろいろ違うんだな」

「魔族なんて、大昔は弱肉強食だったんだもの。人間よりも種族が多いし、仕方ないのよ」


 廊下を進み、突き当たりの階段を降りた。


 また廊下を進んでいくと、左側に大きなドアが見えてきた。その前で停止し、ローナアルクがドアを開ける。


 赤い絨毯が敷かれていた。一直線に、王座に向かって。


 正面、目測三十メートルほど先に魔王がいた。肌の色は灰色、目は真っ赤。耳の上に二本の角を生やし、ここからでも重圧が伝わってくる。座っているだけだというのに、こちらを威圧しているのがわかった。


 簡素ではあるが広い部屋。王座の間というのが正しいのか、謁見の間というのが正しいのか、そんなことを考えていた。


 絨毯を進んで魔王の前へ。


「父上、フェルメール=シモンズを連れてきたわ」

「ご苦労だった。しばらくそこにいてもらえるか? 話が終わったら城の中を案内してやって欲しい」

「どうせそんなことだろうと思ったわ。でも、いいわよ。別に用事があるわけでもないし、私も人間という生き物が気になるから」


 ローナアルクが一歩下がり、代わりにフェルメールが前に出た。


「初めまして、魔王シャルフバッハ。自分はフェルメール=シモンズです。自分に話とはなんでしょうか」

「敬語はいらんよ。部下や民衆に対しては甘んじて受け入れるが、お前は私が守るべき民ではない。が、スカーレットの友であり、尊敬する人間の一人だ。それに話がし辛いからな」


 シャルフバッハがニヤリと笑った。この笑顔は非常によく似ていた。スカーレットにではない、グラスギングにだ。


「わかった、じゃあ敬語はやめておく」

「それでいい。呼ぶ時もシャルで構わんからな。それで話なんだが、単刀直入に言おう。うちで戦って欲しいのだ」

「うちでって、魔王の配下になれってことか?」

「俺に下る必要はない。パーシヴァルに聞いたが、お前はグラスギングを殺したいんだよな?」

「ああ、そうだが」

「それならばこちら側にいる方が都合がいいだろう? 七人の魔徒は現在三人しか戦闘できないのだ。お前がいてくれると助かるんだよ」

「加護があるから、か」

「敵愾排斥の加護。おそらくはお前にも魔族の血が流れているんだろう。精霊の血か。今はもうほとんど見ることがない加護だ。だがお前はそれを持っている。戦闘には向かないように思えるが、お前の加護はとてつもない力を秘めている」

「相手に敵意を向けられないからか」

「そういうことだ。簡単に懐に潜り込み敵を壊滅させることもできるだろう。ただし敵意や殺意を向けられないだけであって攻撃されないというわけではない。殺意がなくても人は殺せる。だが気持ちというのは時に身体を超越する。身体が壊れていても、殺意で身体を動かすやつもいる。そういう場合に重宝する」

「まあ正直、シャルの側につくのは別に構わない。約束通りグラスギングを殺させてくれるなら。それともう一つお願いがある」

「言わんでもわかっている。スカーレットのことだろう?」

「ああ。アイツを救いたい。約束したんだ。殺人衝動を抑えるために頑張ると。努力をして衝動を抑えると。その彼女の気持ちを尊重したいし、信じたい。俺と一緒に歩いてくれるという彼女の覚悟を、俺はちゃんと受け止めなきゃいけないんだ。そのために俺にも覚悟が必要だ」

「いい目だな、フェルメール」

「フェルでいい」

「そうか、ならフェルと呼ぼう」

「現在の戦況は?」

「グラスギングは大した戦力を持っていない。問題なのはヤツの魔獣を操る能力だ。今よりも千年以上前に作られた魔獣操作の笛を持つ。そのせいで少々面倒なことになっているのだ。だが七人の魔徒と戦えるような駒はないだろう」

「でも現に魔徒は減ってる」

「ヤツが一人でやってるんだよ。恐ろしいだろ? 一人で軍隊レベルって言われてる魔徒をな、やつは四人も行動不能にしやがった。我が息子ながら哀れで、それでいて凶悪だ」

「それは俺も思ってるよ。同時に、俺一人じゃ戦いにもならない。ヤツは殺意なんて持ってない。わかったんだ。アイツは殺意とか敵意とかはなくて、ただ純粋に魔力が大きいだけなんだって。ヤツは殺しや破壊行動を楽しんでいる」

「だからこちらも止めたい。ハッキリ言って、魔族ってのは人間とそう変わらないと俺は思ってるんだよ。確かに力は強いし魔力も高い。色や形も様々だ。でもな、人間の中にも殺人鬼がいるように、魔族にもそういうヤツがいる。逆にそうでないヤツの方も多い」

「目立った少数のせいで大多数が糾弾される。それは仕方がないことだ」

「そうだ。だからこれも運命だと受け入れるしかない。人間界には、謝っても謝りきれないさ。魔王の子供が町を滅ぼして女を犯したなんてな」

「魔王は魔王で孫娘をあんな扱いだしな」

「それも仕方ないんだ。犯罪を犯した王族は城にいられない。王族からの施しもしてはならない。そしてその妻や子供にも、だ」

「それで俺みたいな死に損ないを拾ってあてがった、か。遠回りで面倒なことだ」

「俺にはそれくらいしかしてやれなかった」

「七人の魔徒を私物化しても「それくらい」って言えるのかよ」

「耳が痛いな。だが直接は関与していない。本当に見守るだけにしておけと言っておいたからな」

「でも最終的にガウェインが接触してきた。アンタの指示か?」

「そうだ、言い訳ができたからな」

「グラスギングの逃走、ね」

「グラスギングの監視はこちらの王族で行っていた。が、息子たちを戦闘不能にして一人で逃げた。めちゃくちゃなヤツだよ、本当に」


 頭を掻く魔王は、魔王というにはあまりにも普通だった。


 言葉遣いも仕草も、そのへんにいる魔族や人間となんら変わらなかった。


「なんだ、その目は? ああ、俺が魔王らしくないって目だ。知ってるよ。みんな言う。かたっ苦しいのは苦手なんだよ。子どもたちにも言われるがね」

「いや、それくらいでちょうどいい。民衆の前では魔王をしてるんだろ? だったらなんの問題もないじゃないか」

「そう言ってもらえるとありがたいよ。それじゃあ、お前は俺たちの仲間になるってことでいいんだな?」

「ああ、それでいい」

「了解した。アルク、コイツを部屋に案内してやってくれ。それとこれからのスケジュールもだ」

「わかったわ。こっちに来て、フェル」


 またローナアルクの後ろについていくことになった。


 ここでようやく「自分の世話係がローナアルクである」ことを理解した。魔王の娘、言ってしまえば姫にこんなことをさせていいものかと考える。しかしあの魔王ならやりかねないと、思わず吹き出してしまった。


「なにを笑ってるの?」

「いや、普通はお姫様にこんなことさせないだろ?」

「お姫様と言われればお姫様だけど、うちの城はそういうの特にないから。外面は気にするんだけど、城の中じゃこんな感じよ。掃除も洗濯も自分でやれ。たまには食事を作れ。わからないことはメイドに聞いてもいい。そういう感じ」

「家庭的なんだな」

「家庭的、そうね。例え城が壊れてしまっても、例え皇女でなくなったとして、それでも一人で生きていかれるように。それが、父上の考え方だから」


 なんとも言えない空気が流れた。


 それは暗に、いつかこの城がなくなるという意味のようにも聞こえたからだ。


 おそらく、魔王にとっての大事が今なのだ。城が壊れる可能性、魔王が倒れる可能性、王政が崩れる可能性。そのすべてがこれからの状況次第で変わってくるのだ。


「じゃあいつでも嫁に行かれるな」

「嫁っていう柄じゃないわ。私みたいな女、基本的に嫌がると思うし。着いたわ、ここがアナタの部屋よ。着替えとかも全部用意してある。わからないことがあったら、ベルを鳴らしてメイドを呼びなさい。スケジュールは机の上にファイリングしてあるから」


 ドアを開けて「入れ」と顎で刺した。


「ああそれと、グラスギングとの戦争はもう始まっている。いつ呼び出されてもいいようにしておきなさい。いつ襲われてもいいようにしなさい。それじゃあ」


 フェルメールが部屋に入るのと同時に、ローナアルクが背を向けた。


「ありがとう、アルク」

「どういたしまして」


 こちらを見ずに、背を向けたまま手を振ってきた。


「それとさっきの、違うと思うぞ」

「さっきの?」


 そこでようやく足を止めた。


 横目だけでこちらを見て、不思議そうに首を傾げていた。


「こんな女は基本的に嫌がるっていう部分。アンタは充分いい女だよ。優しいし面倒見がいいし、魔王のお陰で洗濯も掃除も料理もできるんだろ? だったら充分、誰だって欲しいって思うよ。なによりも美人だ」

「はん、私を口説こうなんてなに考えてるんだか。そういうセリフはスカーレットのためにとっておきなさい」

「口説こうってつもりはない。ただ、俺の言葉で自信になってくれたらって思っただけだ。じゃあ、またな」


 そう言ってからドアを閉めた。最後に少しだけ顔が赤くなっていた。が、気のせいだということにしておいた。


 部屋の中は簡素の一言だった。


 一辺が十メートルもない正方形の部屋。正面にはテーブル一つとイスが二つ、その向こうには大きめの窓が一つ。テーブルの上にはフェルメールが着ていた鎧と武器、イスにはマントがかかっていた。右の壁際にはベッドとクローゼット。ベッドの脇にはバッグが置かれている。左の壁際には姿見とサイドボード。サイドボードの上には小さな置時計があった。


 狭くもなく広くもなく、ただで住まわせてもらうには充分だった。


 荷物を確認するが、特になくなったような物はない。あの宿に持っていったままの状態だった。違いがあるとすれば、柑橘系の香りがしたことだろう。


 これからどうなるのだろう。これからどうすればいいだろう。それは考えるまでもなかった。


 スカーレットを助ける。スカーレットをもう一度この腕に抱く。それともう一つ。


「グラスギング、待っていろよ」


 全ての元凶をこの手で葬ることだった。


 この魔王城にはさまざまなものがある。物資だけではない。自分よりも強い者がいる。そこから学ぶことの多さは、きっと人間界の比ではない。


 学べ、そして活かせ。魔王は上手く使い、自分がなすべきことを果たすのだ。


 脳内で自分に言い聞かせ続けた。今までもそうだった。そしてこれからもそうだ。他人を使って生きていく。それが自分の生き方だから。それが、彼女と歩いてきた人生だからだ。

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