第10話

 狭い部屋に魔法陣を描き、その中で解呪の儀式を行った。基本的には聖布を纏い、聖水で清めながら祝詞を唱えて呪いを消す。それを一時間以上続けるだけだ。しかし聖布や聖水を作るのにも技術がいる。祝詞もまた、祝詞自体に聖なる力を与えるのに技術がいる。だからこそ腕の善し悪しがでるのだ。


 施術が終わり、スカーレットの呪いが解かれた。これで人を食うこともないし、ちゃんと年を取ることができるようになった。


 問題は彼女としての特性である「殺人衝動」だけだった。


 最初は一番簡単な問題だと思っていた。殺人衝動など自力でもなんとでもなるのでは、と。けれど今になってそれが一番面倒なのだと気がついた。呪いでもなんでもないのだから消すこともできない。本人が変わらなければいけないのだ。


 これが麻薬のようなものだとしたら。そういうふうに考えればいいのか。禁断症状が出ても縛り付けていればいいのか。


 世界中で「この人しかいない」という女性の自由を奪えばいいのか。


 外に出ると、空は暗くなり始めていた。


「また来いよ」

「機会があれば」

「いいや、お前は絶対また来るよ」

「来ないよ、もう二度と。でもありがとう」

「商売だからな。それじゃあな」

「ああ、また」


 そんなやり取りをしてから店を離れた。来た時と同じ道を通った。


 街灯が明るく、酒場や夜の店に明かりが灯り始めた。馬車は相変わらずたくさん行き来している。さまざまな種族が歩いており、スーツ姿のドワーフや、剣を携えたシルフなども歩いていた。人間としか接して来なかったフェルメールの目には、この光景はまだ新鮮に映っていた。


 会話もないまま宿に帰った。フロントで鍵を受け取って部屋に向かった。


 部屋に入ってすぐに荷物を下ろし、ベッドに腰を下ろした。


 汗臭く、荒れ地を走ったせいでだいぶ汚れている。風呂に入りたい気持ちはあるが、そんな気分にはなれなかった。当然のように、食事をする気分にもなれない。


「フェル……」


 そのか細い声に、入り口の方を見た。


 ワンピースのスカートを両手で握りしめるスカーレットがいた。瞳いっぱいに涙を浮かべ、すぐにでも大声で泣いてしまいそうだった。


「なんでそこに立ってる」

「私、私、フェルに嘘ついてた」

「そうみたいだな」

「私、ずっと言わなきゃって思ってた」

「だろうな」

「ダメなの。どうしても、あの日から人を殺す感触が忘れられないの。頭ではわかってる。おばあちゃんも村の人もたくさん殺して、そんなの人間としておかしいって。でもダメなの。肉を切り裂く感触も、骨を砕く感触も、悲鳴も怒号も慟哭も。全部全部、好きなの……」

「言いたいことはそれで全部か?」

「全部かって……私アナタを……」

「うるせーよ!」


 大声を上げた。今まで露わにしたことがない感情が、脳内を支配していく。


 目の前に映る光景が、まるで夢の中にいるように感じた。胃の奥から沸々と湧き上がる黒い感情がフェルメールを蝕んでいった。


「なにが言おうと思ってただよ! 言わなきゃ同じことだろうが! 信じてる? 愛してる? だったら全部俺に委ねるくらいの覚悟を決めろよ! 俺は! 俺は……!」


 どんなお前だって受け入れたのに。


 その一言がどうしても言えなかった。


 頭を抱える。信じて欲しかった。どんなスカーレットでも受け入れるのだと。


 目を閉じた。愛して欲しかった。どんなスカーレットでも好きでいるのだと。


 それなのに、彼女はそれを裏切ったのだ。


 立ち上がり、スカーレットの元へと歩いていく。正確にはドアに向かって、だ。


「あ、あの」

「お前は部屋にいろ。俺は飲んでくる」


 そう言って部屋を出た。


 ドアを閉じてしばらく歩いたが、彼女がついてくる様子はなかった。


 宿屋から出ると、夜だとは思えないほどに明るかった。昼間より活気づいているのではと、それほどに明るく騒がしかった。


 左右に首を振りながら、どこかに酒場がないかと探し歩いた。


 酒場自体はたくさんあるのだが、どうにも入りづらい空気があった。入り口をガードするサイクロプスがいる店になど入ろうと思えないし、高級そうな店に入るような格好もしていない。


 マルバドールの入り口付近まできて、大きめの酒場を見つけた。薄汚れていて、照明のいくつかはチカチカと点滅を繰り返す。大きさの割に外観は大人しく、昔からある荒くれ者の酒場といった風体だった。


 ここなら大丈夫そうだとドアをくぐった。


 想像していた通り、悪い顔をしたヤツらばかりだった。


 切り傷によって片目が見えなくなったリザードマン。複数人で賭けカードをするゴブリン。チャラチャラとした格好で両脇に女を抱えるヴァンパイア。店主はリッチときたものだ。


 カウンターに座り「カクテルはあるか?」と訊いた。


 リッチの店主は「なんでもあるよ」と笑顔で答えた。


 店の雰囲気とは打って変わって、店主は気が良さそうなリッチだった。


「お客さん初めてだね。しかも人間だ。どうしたの、こんなところに。もしかして自殺とか考えちゃってる? ダメだよ? 命は大事にしなきゃ」

「リッチに言われてちゃ世話ないな。安心してくれ、自殺とかじゃない」

「はっはっはっ、その通りだな。俺は生まれてからずっとリッチだが、やっぱ人間から見るとただの死霊だよな」

「死霊だと思ってたが、アンタを見て変わったよ」

「そりゃなにより。お客さんは賞金稼ぎかなんかか? 強そうだ」

「よくわかったな、その通りだ。でも賞金首目当てできたわけじゃない。ちょっと野暮用でな」

「そうかそうか。浮かない顔してたから星に逃げられたのかと思っていたよ。で、なににする?」

「そうだな、おすすめをくれないか」

「うーむ、ここはリッチらしくブラッティベアでも出しておくか」

「聞いたことがないな。それを貰おう」

「あいよ、ちょっと待ってな」


 数本のリキュールとシェイカーをカウンターに置いた。三本のリキュールをシェイカーへ。グラスには真っ赤な酒が注がれた。さらに別の三種類のリキュールをシェイクしてグラスへ。最後にレモンをキツく絞った。


「はいお待ち」

「ありがとう」


 口をつける。一口飲み、息を吐く。


「ちょっと強めだけど飲みやすいな。絞ったレモンの量が多いせいか清涼感がある」

「そう言ってもらえるとありがたいね。まあ起源はあまり綺麗じゃないがね」

「そうなのか?」

「ああ。たくさん人を殺した魔獣がいたんだが、その魔獣が酒を飲んで暴走を止めたってとこからきてる。いろんな酒を作ってたところに魔獣が来たんだそうだよ」

「なかなか面白いな。俺は今まで、どの酒場にでもあるような酒とかカクテルばっかり飲んできた。なんというか、飲みたくて飲んでたわけじゃなかったような気もするよ」

「いろいろ大変そうだな」

「まあね。大人でいなきゃって、俺がしっかりしなきゃって、そうやって生きてきたんだ。違うな、そういう生き方をしなきゃと思うようになったんだ。それがまた窮屈でさ」

「若いのに苦労してるね。だがねお客さん。しっかりしなきゃってことは一緒に旅をしてきた人がいるんだろう? その人の意見は訊いたのかい? 無理して気負うことが、全部いいことに繋がるとは限らないんだぜ?」

「さすがリッチ、長生きだから言えることってか?」

「今年で百二十歳だ。リッチとしちゃまだまだだが、お客さんよりは長生きだろ?」

「そうだな、ありがたく受け取っておくよ」


 そう言って酒を煽った。


 ふと、隣に人の気配を感じた。


「ここ、よろしいかしら?」


 視線を向けると髪が長い美人が立っていた。スタイルがよく、身体の凹凸を強調するようなドレスを来ていた。ドレスと言っても豪華なものではなく、先細りのスレンダーラインだった。


 人間にも見えるが、纏っている空気が少しおかしい。美人だが、その空気は戦士のそれとよく似ている。


 おそらくは魔族だろうな、とフェルメールは思った。


「いいけど、俺の隣でいいことなんてなにもないぞ?」

「ここがいいのよ。あ、私も同じ物を。それと彼にももう一杯」

「あいよ」


 目の前に差し出されたブラッディベア。彼女がグラスを持ってこちらを見た。仕方ないと、自分のグラスを彼女のグラスに軽く当てた。


 彼女がグラスを口につけた。そんななんでもない仕草でも様になるほどに美しかった。


 話し相手が見つかったと、リッチの店主は別の客のところに言ってしまった。


「アナタ一人なの?」

「まあな、一人じゃ悪いか?」

「いいえ、ただもったいないなと思ったの。こんなにいい男を放っておくなんて、世の中の女は見る目がないわ」


 そう言いながら、彼女の左手が伸びてきた。


 背筋が一瞬にして凍りついた。嫌な予感しかしない。この女性に触られたらよくないことが起こる。そんな、気がした。


 首筋に触れる直前で、彼女の手首を掴み上げた。


「あら、乱暴なのね」

「乱暴なのはどっちだよ。危ないところだった。お前、左手で俺の視界を防いで、右手で俺の腹狙ってただろ」

「見えてないのによくわかったわね? すごいわ」


 楽しそうに笑う彼女に、腸が煮えくり返るような気分だった。


「俺に声をかけたのもなんかあるからだろ? 要件はなんだよ。こととしだいによっちゃただじゃおかない」

「そんな怖い顔しないでよ。アナタじゃどうやっても私には勝てないんだし」

「やってみるか?」

「ベッドの上ならお供するのにね。こんな姿の女に戦いを挑むなんて紳士じゃないわよ?」


 手を離すと、彼女はカウンターの方へと向いた。


「紳士じゃなくてもいい。俺は人としても曖昧だ。正直、ここで殺されても仕方ないって思うくらいにはな」

「アナタがここで死んだらスカーレットが悲しむじゃない。そういうことは言わないで」


 目を見開いた。


「なんで……!」

「しー」


 唇に人差し指を当てられた。妖艶に微笑むその姿は、今まで見てきた女性の中で一番色っぽかった。


「私の名前はパーシヴァル。聞き覚えはないかしら?」

「聞き覚えがないわけねーだろ。お前も七人の魔徒だったのか」

「ええ、そういうこと」

「じゃあ腰を据えて話ができるってわけだな。訊きたいことがたくさんある」

「そのために来た、と言っても間違いではないわ」

「なら容赦なく聞かせてもらおうか。俺の腹を狙ったのはなんでだ? ガウェインは俺を助けてくれた。同じ七人の魔徒で仲間なら、そんなことするのはおかしいだろ」

「ごめんなさいね、ちょっと試したのよ」

「結構マジだったみたいだが?」

「アナタがまったく反応しなかったらそのまま殺そうかと思ってたわ」

「怖いこと言うな。でも俺には加護があるらしいぞ?」

「私にその加護は通用しないわ」

「どういうことだよ、それ」

「そのままだけど? その加護を打ち消すための違う加護を受けているから」

「なんで俺の加護のことを知ってるんだ?」

「そうね、それも説明が必要ね。ちょっと話が長くなるけどいい?」

「用事はない。話してくれ」


 パーシヴァルが笑顔で頷いた。


「魔王シャルフバッハがスカーレットの呪いとその呪いと先祖返りの効果が折り重なっていることを知ったのは、スカーレットが生まれてすぐのことだった。それで私たちはスカーレットが生まれてからずっと監視し続けてきたの。大体半年ごとに交代しながら、七人の魔徒全員でね」

「それは今までもずっとか? だから大事になってガウェイン俺たちの目の前に現れた」

「そういうこと。スカーレットが生まれてすぐ、魔王はある人物を探させた。スカーレットの側にいて、彼女と時を一緒に過ごせるような、そんな力を持つ人物を。それがアナタ、フェルメールなの」

「つまりそれって……」

「アナタの加護は生まれついてのもの。そしてアナタとスカーレットを出会わせたのも魔王がやったこと。すべては仕組まれていたのことなの。けれど勘違いはしないで欲しい。アナタをアナタの両親から奪ったわけでも、攫ってきたわけでもない。アナタは本当に孤児だった。人間の旅人の集団の中で一人生き残った孤児」

「だから俺の加護に気がついたのか」

「察しが良い。そういうこと。この子ならばスカーレットに殺されることも食われることもない。生涯一緒にいることができるだろう、とね。アナタは目の前で両親たちを殺され、記憶が曖昧になっていた。そんなアナタをスカーレットの祖母の前に連れていった。あの人であれば困った子供を見捨てない。それから、私たちはスカーレットとアナタの監視を始めたわ。二十四年という長い月日をね」

「そんなに長い時間監視していたのに、ばあちゃんのことも助けてくれなかったな。それはなんでだ」


 彼女がグラスの中身を空けた。


「不肖の息子の子とは言っても孫は孫。それに孫であるスカーレットに罪はない。でも公にすることは、魔王にとってもスカーレットにとってもいいことではない。だから陰ながら見守っていた、ということよ」

「スカーレットの呪いを解く方が先決だろ」

「魔王はそれを許さなかった。というか、アナタたちの旅だって私たちは手を出していない。アナタをスカーレットに会わせたのだって、直接アナタを祖母に渡したわけではない。祖母に拾わせるように仕向けたのだから」

「そんな回りくどいことをするよりも、孫として城に招けばよかったんだ」

「それができないから仕方なくそうしたの。魔王様の温情ね。魔王様の周囲もそう、魔族内でもそう、グラスギングを糾弾するものはたくさんいた。だから、できなかった」

「そんな魔族の事情で、俺たちは振り回されてきたのかよ。監視されてきたのかよ」

「アナタの意見が個人の意見であるように、こちらにもこちらの事情があるということよ。でもスカーレットがこれから苦労することはわかっていた。わかっていたからの温情なの」

「それで俺が充てがわれた、か」

「そういうこと。スカーレットは人を殺し、肉を食う。それも見境なく。だからこそ、誰か一人をスカーレットの元に置くことにしたの。スカーレットを想い、スカーレットに想われる。そんな人物であればスカーレットも幸せだろうと」

「なんだよそれ、身勝手すぎるだろ。それにスカーレットの殺人衝動には気づいてなかったんだろ?」

「殺人衝動は先天的なもの。それにも気が付いていたのよ、魔王様はね。瞳の奥にある狂気、奥底に眠る野蛮な獣。どこかでかならず出てくるだろうと行っていたわ」

「それでも手を出さなかったのかよ。そのせいで、俺もスカーレットもたくさんの人間を殺してきた。この手を血で濡らした。この体は血まみれだ」

「そうね、身勝手ね。そこに関しては甘んじて受け入れるわ。魔王様も謝りたいと言っていたわ。と言っても過ぎてしまったことだからどうしようもないけれどね」

「今更謝られても困るだろ」

「でしょうね。でもわかって欲しいの。グラスギングの件で魔界中から叱責され、糾弾され、職務に追われていた。こうやって魔界が穏やかになったのも、人間界との軋轢を最小限に抑えたのも魔王様の手腕があったからよ」

「でも魔族の寿命は長いじゃないか。でも人間は八十年生きれば生きた方だ。俺は六年間費やしたんぞ。スカーレットと一緒に暮らして、スカーレットと旅をして、ようやく呪いを解いたけど、殺人衝動だけは治らなくて。元々殺人衝動だけはあったなんて言われてもどうしたらいいかわかんないんだよ。そのためにやってきたのに、俺の六年は、一体なんだったんだよ……」


 カウンターの上で両手を強く握り込んだ。

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