第5話
強烈な記憶の濁流に翻弄されながらも目を覚ます。ひどく寝汗をかいていた。気温は高めだが暑いというほどでもない。
嫌な夢を見た。が、スカーレットに話すわけにもいかなかった。
当時のことを、彼女は覚えていないからだ。一応俺の口からは説明したし、納得もしていた。最初の頃は泣いていた彼女も、二年ほどたったあたりで吹っ切れた様子だった。
視線を横に移す。彼女の姿が見えない。
「おい、レット」
鳥たちの鳴き声がうるさく、彼女を呼ぶのには無理があった。
毛布を片付け、荷物をまとめた。バッグを背負い込むと、地面を見ながら歩き出した。
小さな足跡が続いていたからだ。どこに行ったのかはわからないが、この足跡を追っていけばたどり着く。
野営をした際、起床時にスカーレットがいないことは多い。
足跡を追って森の奥深くへ。光が届きづらい森なのに、一筋の光が天上から差し込んでいた。そしてその光の下で座り込み、小型の魔獣や動物たちと戯れる彼女がいた。
こうしていると聖女というに相応しい佇まいだ。線が細く華奢な身体、白い肌は太陽の光を反射する。「ほう」と一息ついてしまうほどに美しかった。
「フェル、起きたのね」
こちらを見てそう言った。動物たちは蜘蛛の子を散らすに逃げていってしまった。
「ああ、また勝手に出歩いたのか。なにがあるかわからないからやめておけと言ってるだろ」
「だから私は毎回言ってるじゃない。私なら大丈夫よ。魔獣も人も退けるわ」
「だろうとは思うが心配だ」
歩み寄って抱きしめた。
殺人鬼で食人鬼。だというのに愛してしまっている。いや、愛だけではない。彼女の祖母から任されたというのもある。いろんなものが混ざり合いすぎて、なにが本当で、なにが主体なのかさえもわからなくなってきていた。
なによりも、スカーレットしかいなかったのだ。何年も何年も彼女と一緒にいた。だからもう彼女しかいないのだ。自分がなんのために生きてきたのか。彼女を失ってしまえばなにも残らないからだ。
「さあ行こう。ガナートまでは一時間くらいだと思う」
「うん、愛してるわフェル」
そっと口付けされた。痺れるような感覚と、どこか甘さがある淡い口付けだった。
手を取って立ち上がり、そのまま手を繋いだまま森を進んだ。
小鳥のさえずりと、上空で羽ばたく鳥の羽音。鳥たちはあまり大きくない。おそらくこの付近に魔獣はいない。正確には大きな魔獣が、だ。大きな魔獣はそれだけ獲物を獲る手段が多い。そのため、上空を飛んでいても捕食される危険性があるのだ。
鳥の鳴き声や羽音を聞きながら歩みを進めた。スカーレットは文句を言わず、手を繋がれたまま歩いていた。
こうしていればただの女の子なのに、こうしていれば普通なのに。そう思わない日はない。彼女が殺人鬼でも食人鬼でも、年を取らず、あの日のままでいる限り、フェルメールはずっと思い続ける。だからこそ苦しく、だからこそ辛かった。
森を抜けた。そこでようやく異常に気づいた。
ガナート方面から煙が上がっていたのだ。
嫌な予感がして、スカーレットの手を掴んだまま走り出す。エンハンスを最大にして直進。ガナートまでは五分程度で到着した。
そこに町はなかった。
ほぼ更地と貸した町。倒壊した家の群れ。天へと登る黒い煙が惨状を物語っていた。
思わず鼻根を抑えた。こんなはずじゃなかった。ここに来ればすべてが変わると思っていた。それなのに、なんだこれは。
「フェル、これ……」
「それ以上言うな。それ以上は、ダメだ」
完全な人間にはなれずとも、普通の半魔に戻ればそれでよかった。それさえもさせてもらえない。
噂を聞くたびに解呪師の元を訪れた。何回、何十回、そもそも数えていないからよくわからない。それでも、旅の目的にするくらいには大事なことだ。
今までの解呪師は皆、呪いを解くことができなかった。だから腕利きだと言われたガナートまで来たのだ。
「おう兄ちゃん。ここになんか用事だったのか? そんなか弱そうな彼女なんか連れちゃって」
そう思ったとき、背後から声を掛けられた。
振り向くと、ボロボロのマントを羽織った中年男性がいた。無精髭にぐちゃぐちゃの髪の毛。旅人だろうか、それにしても気安すぎると身構えた。
「ああ、そう怖がるなよ。俺はガウェイン=シンクレア、気軽に呼び捨てにしてくれて構わない」
「ガウェインさんはここでなにを?」
「あー、うん、まあいいや。俺は旅人なんだが、昨日の夜にこの町に着いてな。着いたんだが、魔獣と盗賊に蹂躙されてたんだ。だから俺は野宿せにゃならなくなった」
「魔獣と盗賊? 盗賊が魔獣を使役していたと?」
「いや、そうじゃない。盗賊団が魔獣の集団から逃げてて、この町に逃げ込んだみたいだ。マンティコアにサラマンダー、それにワームだ。どれもこれも全長五メートル超えだったな。しかも総数は百以上だ。魔獣の群れはピンピンしてたが盗賊は全滅、当然だな。おまけに町もこの有様。世の中ってのは、常に非常だ」
「魔獣出没地域から魔獣が出たのか? 魔獣が存在できるのは魔族の加護があってこそだぞ」
「そんなこと俺に言われても困るんだがね。確かに魔獣がやってきたんだから」
魔獣は魔獣出没地域でしか生存できない。それは人間と魔族の間である協定で結ばれているからだった。
魔獣が生きるための地域を制限するというもの。その地域から出ることで、魔獣は灰になって消えてしまう。死んでいれば灰にならないが、生きている状態では魔獣出没地域からは出られない。
その、はずだった。
「その魔獣たちは今どこに?」
「終わったら、来た方向に帰っていったよ。ありゃ指揮官がいるね。しかも魔獣じゃない、魔獣使いの仕業だ。うん、たぶんな」
ガウェインが顎髭を触りながらそう言った。
「たぶん、か。それは、信用に値しないな。逆になぜ指揮官がいると思ったんだ?」
「統率がとれている。必要がなくなったらすぐに退いた。しかも足並み揃えてな。野生じゃそれはありえない。マンティコアもサラマンダーもワームも上位魔獣だ。異種族での集団行動なんて見たことがない」
「そう言われると納得せざるを得ないかもしれないな」
「ところで兄ちゃんはなんでここに? ガナートは三つの魔獣出没地域に囲まれ、それでいて特色もない。土がいいから沢山の野菜が採れるから町自体は裕福だが、これといった特産物もないはずだ」
「旅人ならわかるだろ? 通り道なんだよ。と言っても信じてはもらえないか」
「あんなに落胆されちゃーな。でも家族がいるっていう落ち込み方じゃない。なにか目的があったんだろ? 武器とか諸々を見る限り賞金稼ぎっぽいが、関係あるのかい?」
「よく見てるんだな。俺は賞金稼ぎだが、今回は関係ない。ここに腕のいい解呪師がいると聞いたんだ」
「でも町は崩壊してた、か。この状態じゃ、解呪師も無理だろうな」
「ここならばと思ったのだが、また次の解呪師を探すしかなさそうだ」
「解呪師を探してるのかい。だったらいいのがいるぞ」
「知ってるのか? それなら教えて欲しいんだが」
「境界都市マルバドール。そこにアシュリー=ローランドっていう解呪師の女がいる。解呪師としての腕は一級品だ。俺も治してもらったことがあるんでな。つっても料金はそれなりだが」
「金はあるし問題ないさ。教えてくれてありがとう。でも、マルバドールか……」
魔界と人間界の間にある境界都市の一つ。それがマルバドールだった。
四つある境界都市の中でも一番治安が悪いと言われ、おいそれと近づけない場所として有名だった。魔獣出没地域に囲まれたマルバドールは、賞金稼ぎであっても一部の人間しか訪れることがない。しかし、人間と魔族が共存する数少ない場所でもあった。
「ここからだと一回魔界に入ってから、魔界側の入り口から入った方が近いな。それとも兄ちゃんたちは遠回りする感じかい?」
「いや、魔界を突っ切る」
「即答か、びっくりするくらいに潔いな」
地図を広げて現在地を確認。確かに、正面の山を超えて魔界に入り、そのまま魔界の荒野を直進した方が早そうだった。魔界を避けて進むとなった場合、山三つ分遠回りしなければいけない。
魔界と人間界の違いは、実際には特にない。境界がしかれているのは、単純に領土争いをしないためだ。大きな違いが一つあり、魔界では魔獣が好き勝手に徘徊している。そのため、人間が入っても対処できないのだ。
「俺たちには俺たちの事情があるからな。教えてくれて本当にありがとう。行こうか、レット」
目配せすると、彼女が一つ頷いた。
「アンタ、お人好しなんだな」
背を向けた直後に声を掛けられた。
「お人好し、というほどでもないさ。ただ他人の教えは信じることにしてるんだ。それだけさ」
「そんなお人好しさんにいいことを教えてやろう。今の魔界はちょっとヤバイぞ。気をつけなよ」
ガウェインが歯を見せて笑った。
「そうかい。じゃあ俺は若いカップルを応援してやろうかね。せいぜい死なんようにな」
含みがあるその笑いが、なんだか少しだけ怖く感じていた。
崩壊した町の中を歩いた。黒焦げになった親子が抱き合っていた。バラバラになった肢体がところどころに転がっていた。これがまた、なんとも言えない哀愁が漂う。
町を抜けて山へと向かった。魔獣出没地域の一つであるため、人の手が入っていない。
一時間程度の徒歩の後、二人は山を登り始めた。登ると言っても傾斜がキツイわけでもない。道は若干怪しくも、普段魔獣が通っているせいか道は悪くない。山の標高が低いのも、この山越えを選んだ理由だった。
ガウェインのことを信じていないわけではない。しかし、引っかかるのは事実だった。
どこの町でもそうだった。二人のことを「恋人」や「カップル」と言われたことなど一度もなかった。二人のあり方、二人のやりとり、スカーレットの線の細さと身長の低さ、フェルメールの達観した顔。それらが彼ら二人の関係を「兄妹」と呼んだのだ。
二人は好きあっていながらも恋人同士ではない。それなのにガウェインは「カップル」と言ったのだ。
「どうしたの?」
スカーレットが前に出た。フェルメールの顔を見上げ、不思議そうに顔を傾げた。
「ガウェインのことが気になってな。大したことじゃないさ。どちらかと言えば、魔界が大変っていう部分の方が気になるな」
「なにが大変なのかを聞いておくべきだった?」
「いや、たぶんあの人は口を割らないだろう。知っていたとしても言わないし、知らなかったらそのままだ。大変になってるっていう噂を聞いた、としか言わなかったんじゃないかな」
「でもなんでそんなことを?」
「それがわからない。そこだけがわからないから困ってる」
「わからないんなら、今はちょっとだけ置いておいてもいいんじゃない? 無駄に考えても意味はないし、むしろ害しかないじゃない」
「それもそうだな。ありがとう」
頭に手を乗せ、少しだけ強引に撫でた。「痛い」と言いながらも、スカーレットは笑顔でそれを受け入れていた。
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