第2話
朝起きて、朝食をとることなく宿を出た。早くも露店が出ていたので、そこで簡単な物を買って食べた。
向かうのはヴァレオス城跡。露店の店主に訊いたところ、歩いて三十分はかかると言われた。町を出るような行商もいない。馬も売っていない。仕方がないので歩いていくことにした。
フェルメールは剣士であるが魔術と法術も使える。自分とスカーレットの身を守るために必死になって身につけた。
攻撃を主体とするのが魔術、回復や補助を主体をするのが法術。都市部には専門校が作られるほどに浸透した学問であり、近年では文明の向上に最も貢献している技術だった。
大気の
スカーレットもフェルメールと共に勉強した。そのため二人は同じ術を使える。ただし、フェルメールが万能である反面、スカーレットは法術に長けていた。しかも回復ではなく補助に特化していた。
「エンハンサー」
身体の筋肉を強化し、ヴァレオス城跡に向かって走り出した。
普通に走るよりも数倍早い。戦闘においても数倍強い。体力も向上し、皮膚も固くなる。
だが同じ術でも人によって効果が異なる。それは体外魔力を取り入れるための吸魔力、体内魔力を放出するための出魔力に個人差があるからだった。フェルメールもスカーレットも平均的で、これといった特徴はなかった。
草原を走り、森を抜け、本来三十分はかかるであろう距離を約五分で駆け抜けた。
ヴァレオス城跡の前には誰もいなかった。ここからでは中に人がいるかもわからない。
周囲の気配に気を配りながら城の外壁に取り付いた。
「行くぞ」
「うん」
門は壊され、誰でも入れるようになっていた。焦げ、崩れた壁面。伸びっぱなしの草木。そぐわないように捨てられた酒瓶や食べ物の包装紙。城跡とは名ばかりの、ただの廃墟だった。
城の中は、一日中掃除しても片付けられないほどに散らかっていた。割れた花瓶の残骸も、崩れた天井の瓦礫も、割れた瓶の破片も、その全てが汚く見えた。
所々に血の跡が見える。獣の匂いもする。長くいたいと思える場所でもない。さっさと片付けて次の町へと行こうと決めた。
なぜ夜襲ではないのか。それにもいくつか理由があった。
まず、ヴァレオス城跡の周辺に人がいなかったこと。行商なども通らないこと。昼間の方が敵を視認しやすいこと。なによりも基本的に彼らは夜行性であること。夜に町を襲うことが多い。昼間に動く盗賊ももちろんいるが、昼間に動こうとしているところを殺そうとも、寝ているところを殺そうとも関係ない。
一番の理由は、夜は眠るものだからだ。
入って正面、二階に伸びる歪曲した階段の間を進んでいく。大きな両開きのドアの前に立ち、顔を横に向けて耳を当てた。物音と声がする。会話の内容まではわからないが、ここで間違いないだろう。
ドアノブをひねって開け放つ。長く伸びるテーブルの上に、数十人の男が座っていた。酒と汗の匂いが混じって嫌な気分にさせられる。床には女が数名転がっていた。目を見開き、胸から腹から血を流していた。その全員が全裸だった。
お世辞にもキレイな格好だとは言い難い。むしろその逆だった。薄汚れたシャツにズボン。伸びっぱなしのヒゲと髪の毛。どれくらい風呂に入っていないのかと思われるほどに肌も汚れ、荒れていた。盗品と思われる食料や金品がテーブルに並べられていた。
「なんだ? お前らの知り合いか?」
一人の男が、仲間らしき男たちに向かって言った。男たちは首を横に振っていた。
「胸糞悪いな。でも、そっちの方が後腐れない」
目測二十メートル程度の距離。それにしても声がよく響く。
「賞金稼ぎかなんかか。まあいいや、そこの女置いて帰れや。命は助けてやるよ、その女の命と引換えだけどな」
男たちが汚く笑った。汚い声と汚い笑顔で笑っていた。
「肥溜めから生まれたんだろうな。そんな目でレットを見るなよ。汚れるだろうが」
「ああ? なに言ってるかわかってんのか?」
「自覚もなくこんなこと言えないだろ」
「ケンカ売ってんのかよ」
武器を持って立ち上がった。
「ケンカならよかったのにな。これから始まるのはケンカなんていう生易しいものじゃないよ」
右手で柄を握った。上体を傾け、重心を移動させた。
「ただの虐殺だ」
「ふざけてんじゃねーぞてめえ! お前ら! やっちまえ!」
数十人の盗賊が、我先にと武器を片手に襲いかかってきた。
しかし、この中で本質をわかっているものはいない。スカーレットとフェルメール以外は、これからどうなるかを理解できていない。
そもそもフェルメールが剣の柄を握ったのは人を殺すためではない。あくまで自衛、あくまでスカーレットを守るため。
スカーレットがフェルメールの脇をすり抜けた。
目にも留まらぬ速さだった。
一瞬にして盗賊の一人に近づき、胸に向かって手刀を突き立てた。白い肌に鮮血が飛び散った。心臓を鷲掴みにして引き抜いた。男は怯えと恐怖で顔を歪めたまま、数秒後に絶命した。
顔に浴びた血を舌で舐め取り、心臓を口に運んだ。ぐちぐちという音をさせて心臓を咀嚼した。ゴクリとそれを飲み込んだ瞬間、彼女の頭から二本の角が生えてきた。眉間の少し上辺り、横に生えて、歪曲し、角は上を向いた。
スカーレットが楽しそうに笑い、フェルメールは下唇を噛んでいた。
本来ならば自分と同い年の少女。本来ならば人を殺すことなどない少女。本来ならば、自分と結婚していた可能性があった少女。
そんな彼女は今、楽しそうに人を殺してる。この状況が悔しく、哀れにさえ思っていた。
人になり損ねてしまった魔族と人間の混血種。頭に生えた角が魔族の証であった。
いろんなものがしがらみとなって彼女を締め上げていた。魔族の血、殺人衝動、食人衝動。しかし、それらを深く考えているのは、スカーレットよりもフェルメールの方だった。
室内が鮮血で染まっていくこの光景を、フェルメールはただ見ているだけだった。
腹を掴み皮膚と肉を剥いだ。勢いよく飛び出してくる腸を、スカーレットは美味しそうに口に咥えた。
後ろから斧が振り下ろされた。が、斧と一緒に腕が吹き飛んだ。振り向くのと同時に腕を吹き飛ばし、恐れおののくその人物の目玉を潰し、骨ごと鼻をもいだ。顔面を壊す、という言い方がなによりも正しいように思えた。
誰かが窓から逃げようとしていた。たった二歩で、肉薄するまでに近付いた。近付く際に進行方向にいた盗賊三人の首を撥ねた。逃げようとしたやつの足首と手首を切り取った。そして首根っこを掴んでテーブルの上に放り投げた。おそらく、まだ遊ぶつもりなんだろう。
逃げようとするやつは一番最初に殺した。両足を落として歩けないように、両腕を切り取って這うことさえも許さない。
心臓を抉り、腸を引き出し、目を潰し、脳をかき混ぜる。心臓も、腸も、眼球も、脳も、肉も、血も、口に含んで舌で弄んだ。恍惚の笑みを浮かべ、高級料理を食べるよりもずっと美味そうに飲み込んだ。
気がつけば、床は真っ赤に濡れていた。濡れていたというレベルではない。歩けばピチャリピチャリと音がするようだった。
床だけではない。壁も天井も真っ赤だった。女の死体も男の死体も、ほとんど原型をとどめていなかった。肉を裂き、骨を砕き、臓物を引き出し、潰し、噛み、飲んでは、笑う。
スカーレットの高笑いが、天井を突き抜けて天へと響いた。もしかしたら雲の向こうまで届いたのではと、そう考えてしまうほどには大きな声だった。
盗賊を全滅させて、彼女は楽しそうに、嬉しそうに食事を続けた。こうなってしまっては、彼女が飽きるまではこのままだ。
人体の内容物が飛び散っている。こういう光景にはもう慣れた。しかし、生臭さと鉄が混じったこの臭いだけはどうやっても無理だった。なによりもスカーレットを見ていられなかった。
一人で外に出た。涼やかで清々しい風が吹いた。
水を汲むように両手を合わせ、魔術で水を生成した。両手の中に水が溢れ、その水で顔を洗った。一度手を離して水を落とし、新しく水を作って飲んだ。ハンカチで頬を拭う。殺人には慣れたけれど、人間を食う姿はいつまで経っても慣れない。
今は嘔吐することもなくなったが、数年前はヒドイものだった。
服もマントも赤くなってしまった。一度どこかの川で洗い流した方がいいと考えた。
スカーレットが勝手に飛び出し、二人で血まみれになることもかなり多い。そのため、事後は川や湖で服や身体を洗ったりする。その場で水を出すというのも可能だが、大量の水を出すには大量の魔力が必要になる。だから水場に寄った方が楽なのだ。
近くの大きな石に腰掛けた。高さが太ももの位置で、座るにはちょうどよかった。
「俺は本当に必要なのか……?」
人を殺した経験もある。賞金首を捕まえた経験もある。戦闘力にも、魔法の扱いにも多少ならば自信がある。しかし、スカーレットと一緒だと使うことがない。
最近はその辺に出てくる魔獣くらいしか切った覚えがなかった。
切ったことがない生き物といえば魔族くらいなものだった。
二十年ほど前までは、人間と魔族はなんとかやっていた。世界の半分を人間が、また半分を魔族が統一していた。世界の割り振りは変わらないが、昔と比べて二つの種族は険悪になってしまった。
極力行き来をしないようにして、けれど会話もするし、一緒に食事をすることもある。魔族から運ばれてくる物資を人間は疑いなく使う。人間が運ぶ食べ物を魔族は迷いなく口に入れる。そういう関係だった。
が、魔族の第三王子であるグラスギングが全てをぶち壊した。町や都市を崩壊させ、女を強姦し、孕ませた。
グラスギングは現在も魔族の刑務所にいる。グラスギングが襲った女は、子を産んですぐに自殺した。産まれた子は、襲われた女の祖父母に育てられた。
子の名前をスカーレット=イングラムと言った。
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