誰かを殺すことでしか生きながらえることができないキミへ
絢野悠
第1話
「すまない、この辺に野党は出るか?」
酒屋に入り、フェルメールは主人にそう言った。
「野党? 出ないことはない。が、アンタら
恰幅が良い髭面の主人は、懐疑的な視線を向けてきた。頭から爪先までまじまじと見られ、少しだけ居心地の悪さを感じる。
「まあそういうことだ。野党なら退治して金を集められるかと思った。あー、スクリュードライバーをくれ」
「それなら町長に言ってくれ。魔獣の討伐か野党の討伐を紹介してくれるだろうさ」
「集会所はないのか?」
「こんな小さな町に集会所なんてあるかよ。それに物騒ってわけでもねーしな」
話をしながら酒を用意し、カウンターの上に置いた。
「五百ギムルだ」
ポケットから五百ギムル硬化を取り出してカウンターの上に置く。
「そっちの嬢ちゃんはどうする」
今度はフェルメールの横にいる少女、スカーレット見て言った。こちらもまた懐疑的な視線であった。
灰色の髪の毛は胸のあたりまで伸び、きめ細かい白い肌は透き通るように美しい。顔立ちは幼いが、目鼻立ちがハッキリとしていて美人である。身長が低く手足が細い。どこか近寄りがたい雰囲気があり、それは彼女の目つきが鋭いからだった。
「俺は成人したが彼女はまだ若いんだ。オレンジジュースでももらおうかな」
「二百だ」
「おーけー、ありがとう。あっちのテーブル使わせてもらうよ」
スクリュードライバーとオレンジジュースのコップを受け取り、少し離れたテーブルに向かった。
大きな酒場ではあり客もそこそこいる。しかしテーブルが全部埋まるほどではない。全部で二十あるテーブルは十五個埋まっていた。
イスに座り、テーブルに肘を置いた。対面にはスカーレットが座った。
「フェル、お腹空いた」
スカーレットが無表情のままそう言った。
「わかってるよ。しばらく普通の食事で我慢しててくれ。すぐに食わせてやる」
「わかった」
「ボーイさん、すいません」
近くにいたボーイに声を掛け、ハンバーグ定食を注文した。
「すぐにお持ち致しますね」
歯を見せずニコリと笑って、ボーイはどこかへ言ってしまった。
フェルメールは心の中で「速く来てくれ」と願うばかりだった。
「ねえ、フェル」
「うん? どうした?」
「これからどうするの?」
「いつもと一緒だ。野党や犯罪者を探して、捕まえる。お前、食いたいんだろ?」
こくこくと、スカーレットが素早く頷いた。
ため息を吐く。どうしてこんなことになってしまったのか、と。六年前までは普通の少女だったのに、と。
旅を始めて五年経った。ひと所に留まっていることなどできなかった。だから旅をするしかなかった。人目を気にするようにして生きるしかなかった。それも全部、スカーレットのせいであり、スカーレットのためであった。
簡単な定食を頼み、二人で食事を始めた。スカーレットは少食であるため、子供用の食事で充分だった。
スカーレットが他人と共存できない理由はニつある。
一つは唐突にやってくる殺人衝動。そしてもう一つが食人衝動だった。
一つ目はただ単純に人を殺したいという欲望。泣き叫び許しを請う人間を殺したい。胸を引き裂き脚を折り、目を潰して腕を引きちぎる。そんな衝動だった。
二つ目は人間以外の動物では効果がない。
二つとも呪いであり、スカーレットの血がすべての原因だった。
スカーレットの母方の祖父、つまり彼女の曽祖父がネクロマンサーであり快楽殺人者であった。自分で殺した人間を自分の術で生き返らせる。それを繰り返した先にあったのは、解呪師による呪いだった。
元々解呪師とは呪いや霊気を払うことができる者のこと。しかし、自分の身を守るために呪術を取得している者が多い。スカーレットの祖父は解呪師の呪いによって呪いをかけられた。
しかし曽祖父はたくさんの人を殺してきた。それだけたくさんの人を殺してきたということで、解呪師の二人や三人殺していても不思議ではないのだ。
「殺人狂の呪いと
殺したいという衝動もまた動物では意味がない。人でなくてはならないのだ。これもまた面倒な事実だった。
グール。人を食う悪魔。人間でありながらもグールになる。本来ならば常時その状態が続くのだが、スカーレットはそうではなかった。
それはきっと、スカーレットに魔族の血が流れているからだろうとフェルメールは予想した。
魔族であるからこそ、人肉に反応して不老を誘発しているのではないかと、ある解呪師に言われたことがある。すべての魔族が人を食うわけではない。が、人を喰う魔族もいる。きっとその種族がスカーレットの中に眠っているのだと。
不老だけではない。スカーレットは傷の治りが異常なほどに早い。それもまた、呪いの一端であった。
「ねえフェル」
「なんだいレット」
「アナタはなぜ私と一緒にいるの?」
「そりゃ、お前が好きだったからだ」
そう、過去形だ。フェルメールが好きだったのは人間だったときの彼女なのだから。
ではどうしてスカーレットと一緒にいるのか。フェルメールがスカーレットの祖母に育てられたというのが起因していた。
「そう。でも前からずっと言ってるけど、本当に困ったときは私を殺してちょうだい」
「困ったときは、ね」
「殺してもいいのよ。それで、アナタが救われるのなら」
「そんなの今更だろ。ここまでお前とやってきたんだ。もう慣れた」
「そう、それならいいわ 」
一ヶ月に一度はこの会話をする。その度に思う。ああ、彼女はきっと気が付いているんだと。好意ではなく、義務や義理だということを。
彼女が人の血肉を求めるのは、なにも腹が減っているからというわけではない。デザートのようなもので、彼女は別腹だと言っていた。
かと言っても常に人肉を欲しているわけではない。食人衝動もまた、唐突にやってきてしまう。食人衝動の初期段階ならば自制できる。喉が乾くようにして加速度をまして、やがて我慢ができなくなる。その前に「殺しても良い人間」を探さなければならないのだ。
二人は食事を終えて酒場をあとにした。
店主には金のためと言ったが、特に金には困っていなかった。行く先々で野党や賞金首を狩ってきた。ほぼ根絶やしにしたと言っても良い。だから金はある。
フェルメールのような賞金稼ぎは、職業としてみるとかなり難しい立ち位置にある。腕っ節は強いが、そのせいで暴れまわることも少なくない。同時に、そのまま盗賊になるような賞金首もいた。
当然だ。盗賊や賞金首を見つけて倒すより、見つけなくても常に存在する一般人から金を巻き上げた方が楽だからだ。
犯罪ではある。が、この世界の治安の悪さは、ここ二十年あまりで加速度的に増加した。
近くの行商に町長の家を訊いた。この道を真っ直ぐいけば正面に見えてくる、と言われた。
チラリとスカーレットを見下ろした。いつもの無表情で前方を直視していた。まだ大丈夫だろうと先を急いだ。
家のドアをノックすると初老の男性が出てきた。
「どちらさまですか?」
「旅をしてる賞金稼ぎです。この町には集会所がないから、盗賊とか賞金首とかがわからなくて」
「ああ、なるほど。それならば南にあるヴァレオス城跡に向かいなさい。盗賊がたむろしておるよ」
「ありがとうございます。その盗賊たちがこの町に来たことは?」
「まだないねえ。他の町はやられたみたいだから、ここが襲われるのも時間の問題だとは思うよ。ただ、私たちには抗う手段がない。アンタたちが倒してくれるのならばその限りではない。もし行くなら、気をつけてな」
「わかりました。それでは」
深々と頭を下げ、スカーレットの頭も下げさせた。
町長の家から離れ、近くの宿に入った。面倒くさいのでダブルベッドの部屋を取った。一階の一番奥の部屋。宿自体が大きくないので、二階の部屋も含めて八部屋しかなかった。
泊まる場所を指定できると言われて一階を選んだ。理由は二つある。一つは逃げ出しやすいから。もう一つは人の気配を感知し易いからだ。
そしてダブルベッドにも理由もある。スカーレットの暴走を止めるには、いつでも彼女を捕まえておかなければいけないからだ。
昔、一度だけツインベッドの部屋を取ったことがあった。その日、ちょうど殺人衝動と食人衝動がやってきたらしく、フェルメールが起きた頃には宿屋には人がいなくなっていた。あったのは赤くなった壁や床、人でなくなった肉片。人の形を残していたのはフェルメールとスカーレットの二人だけだった。
それからはずっとダブルベッドだった。寝る時は抱きしめて眠る。寝る前に耳元でつぶやく。
〈起きたら必ず俺を起こしてくれ〉
そのたびにスカーレットは小さく頷く。顔を赤くして、フェルメールの胸に顔を埋めて、鼻先をこすりつけるのだ。
荷物を下ろし、風呂に向かった。タオルは貸してもらえる、ソープは備え付けのものがあるらしい。寝間着もちゃんと部屋に置いてあった。
混浴ではないので脱衣所の前で別れた。
脱衣所にも風呂場にも誰もいなかった。廃れた宿だとは思うが、廃れている割には大きな浴槽だった。それにシャンプーもボディソープもそこそこ良いものを使っている。匂いがいいだけではなく、安物とは肌触りと泡立ちが違った。
湯に浸かって、浴槽の縁に腕を置いた。
独りになれるのは風呂とトイレだけ。混浴の時は仕方なく一緒に入る。そう、仕方がなく。
女性の身体に興味がないわけではない。キスをして、触って、男女の関係に発展するのだって好きだ。男であれば当然だ。スカーレットを抱くこともある。
スカーレットは美しい。顔もそうだが、体もだ。白く透き通る肌は手触りがいい。髪の毛は指通りがよく、彼女の頭を撫でるのは気持ちがいい。大きくはないがほどよい大きさの胸に細い腰、指が沈み込むような弾力がある尻もまた欲情をかきたてる。
なによりもフェルメールの欲望を自分から受け入れようとする。
それなのに、フェルメールは「ごくたまに」しかスカーレットを抱こうとはしなかった。
男性としての性欲や、女性としての魅力よりも優先すべき感情があるからだ。優先すべき思考があるからだ。
時折、スカーレットのことが人間に見えなくなる。人の姿をした化け物。人の姿をした異形。その姿が脳裏に焼き付き、思い出すたびに彼女のことが怖くなる。感情が吹っ切れた時だけ、彼女を抱くことができる。普通の女ならばいつでも抱ける。が、スカーレットだけは別だった。
しかしスカーレットから目を離して女を抱くような状況にはならない。だから限界を迎えた時に彼女を抱くのだ。彼女も満更でもないので、それはそれでありがたかった。限界といっても、無理矢理なのは好まないからだ。
風呂から上がると、ちょうどスカーレットも出てくるところだった。
「誰かいたか?」
「誰もいなかったよ」
「風呂は広かったよな?」
「十人は余裕で入れるくらい」
「こっちも似たようなものだった」
「お風呂も、一緒に入ればよかったね」
スカーレットは上目遣いでこちらを見上げた。風呂上がりだからか、若干頬が赤くなっているような気がした。
就寝時間はいつも早い。早く寝て早く起き、早く宿を出るようにしている。
スカーレットがベッドに飛び込む。一日中衝動を抑えていたせいか疲れてしまったのだろう。
起き上がり、枕を抱いていた。注がれる視線は熱っぽく、誘っているような気がした。
だが、気が乗らなかった。
彼女への気持ちは今でもある。美しいからではない。彼女の優しさもそうだが、良い部分をたくさん知っているからだ。それでも化け物の部分を、数年間に渡って見続けてきてしまった。自分もまた、殺人鬼のそれに近付いてきている。
「悪いなレット。また今度にしよう。今日は気分じゃないんだ」
「そう、残念」
本当に残念そうに目を伏せた。枕をぎゅっと抱きしめて、悲しそうに白いベッドに視線を落としていた。
電気を消してベッドに入った。絡みつく腕と脚。スカーレットの欲求が上昇していることを意味していた。
彼女にそっと口付けし、頭を撫でた。彼女はなぜか一筋の涙を流していた。
背中を擦ったり、頭を撫でたり、そうやってやっている内に寝息が聞こえてきた。
何度も何度も考えた。この少女はなぜ自分を殺さないのか、なぜ自分は食われないのか。考えたところで答えは出なかった。
直接訊いたこともあった。返ってきたのは「私にもわからない」だった。
スカーレットが無意識的に「コイツは利用できる」と思っているのかもしれない。もしかするとスカーレットに食われない体質なのかもしれない。後者の場合、ご都合主義にもほどがある。
もう一つだけ理由に心当たりがある。自分が彼女の幼馴染みで、何年も共に過ごしてきた異性であるということ。彼女が想いを寄せているから自分は食われないのかもしれない。結局はそこに落ち着くしかなかった。
寝顔は可愛く、まるで天使のようだった。いや、女神という方が正しいのかもしれない。天使というほど無垢ではない。自分の下でよがったり、自分の上で妖艶な姿を晒す彼女は、天使というには女だった。
やがて微睡みがやってきた。
もういいだろう、考え事は明日でいい。
そうやって自分を安心させた。この数年で一番研鑽された技術は、間違いなく自己暗示能力だろう。
目を閉じると、昔の彼女がそこにいた。明るい笑顔でこちらに手を振っていた。
そうだ、自分の目的は彼女を開放することだ。殺人衝動と食人衝動の呪いを解くこと。そのために解呪師を探しているのだ。呪いが強すぎて、腕のいい解呪師でなくては解けない、そんな呪いだった。
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