第75話《隠神様》-10-


 あたしの名前は小島ハツナ。

 唐突に昔の出来事が脳裏をよぎった高校一年生だ。

 およそ半月前。

 あたしは【蛆神様】のことを調べることを始めた。

 前の世界での蛆神様のルールはふたつ。

 【1】蛆神様のお願いごとは一人につき一つ。

 【2】蛆神様に一度お願いした人間は二度とお願いができない。

 そのふたつが基本である。

 そして。

 この世界における蛆神様のルール。

 というより。

 あたしが、かけた願いごと。


《蛆神様がハツナの『味方』でありますように》


 この願いごとのおかげで。

 あたしは不死身に近い『自己再生能力』と、蛆神様の願いごとが『適応された対象を操作する』ことができる能力を手に入れることができた。

 この願いごとの『効果』がどこまであるのか。

 調べてわかったことがいくつかある。

 そのうちの一つが。

 『半径5m』

 蛆神様を象徴するあの毛だらけの丸マーク。

 あの丸マークが半径5m以内であれば、あたしは【能力】を使用できるということ。

 逆にいえば。

 半径5mから離れれば【能力】が使えないということだ。

 あたしが住んでいる町と隣町。

 そのふたつのフィールドには、至る所に【蛆神様】のマークが隠れ潜んでいた。

 電車の座席の下や建物の壁。

 あらゆる場所に蛆神様のマークがあったから、町の至る場所はあたしの『射程距離』になっていた。

 だが。

 隠神村はそうじゃない。

 ほとんど村の人たちは蛆神様を知らない。

 もちろん、マークなんてどこにもない。

 例外として。

 先日のあたしの机に掘られた蛆神様の落書き。

 あそこにあったモノ以外、少なくともあたしは見たことがない。

 掘った犯人はいずれ見つけるつもりだ。が、今重要なのはそこではない。

 今重要なのは。

 あたしの半径5m以内に『蛆神様のマーク』がないことだ。


「ううう!」


 首から肩までぱっくり噛みつかれてしまって、まるで身動きがとれない。


 めきめき。


 肉と骨が軋む感触が伝わってきた。

 ユヅキの前歯が、鎖骨に食い込んでいる。

 やばい。

 このままじゃ。

 あたし。


「小島!」


 がんっと頭に衝撃が走る。

 気がつくと、あたしはアスファルトの道路の上で倒れていた。

 顔から胸周りが粘液まみれ。

 見上げると。

 シャベルを両手で握るイイダがあたしの前に立っていた。


「大丈夫か?」


「な、なんとか」


「逃げるぞ」


 イイダがあたしの肩を担いで、車まで走って行った。

 後ろを見ると。

 ユヅキが大の字に倒れていた。


「なんだあれは!」


 イイダが怒鳴った。


「わかりません!」


 そうあたしが答えた。

 っていうか。

 あたしがわかるわけがない。

 なんなんだあれは。


「ひぃいいい」


 後ろの座席で蹲るチヒロが、耳を塞いでガタガタ怯えている。

 イイダは車のキーを回す。

 きゅるるる。と、エンジンが空回りする音が聞こえた。


「くそ! なんでこんな時に!」


 焦ったイイダが何度もキーを回す。

 エンジンがかかる様子がない。

「ちくしょう!」と、イイダは悪態をついた。


「せ、先生」


 ルームミラーに、チヒロが前を指差す姿が映った。

 ボンネットに、ユヅキがいた。

 四つん這いになって、こちらをじっと見つめている。


「け、警察に通報しなきゃ」


 ばぎっ。


 フロントガラスを頭突き一発で割った。

 ユヅキの顔。

 ぐにゃぐにゃに形が崩れ、粘土のように柔らかくなった。

 この展開。

 やばいぞ。

 ここは、電波の届かない山の中だ。

 警察に通報できない。

 蛆神様もいない。

 それになによりも。

 刑部のおばあさんにも連絡できない。

 これ、かなりピンチだ。

 あたしはそう思った。


続く

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