第61話成人後の僕のこと

僕は大学を出てから、ホンダのディーラーに就職した。

そこでの営業成績は、頭から5番目くらいだったから中の上というところだろうか。

そこで新入社員として働いていた時に、優子と僕とを繋ぐ偶然の出来事があった。

得意先の奥様…ではない。

実際、若くて背が高い僕のような人間と接する機会そのものが少ない団地妻達には

車を売りに来ているのか、ただ単にふれあうことが楽しみなのかうまく判別出来ていなかったんじゃないかと思う。


昼下がりの情事のような出来事も結構あった。ごく控えめに表現して。

でも、相手も僕の方もややこしくなることは絶対避けたので

そんな関係、3回続けば良い方だった。あっても2回目があるかどうかというところだ。


優子と僕を繋いだのは、嫌いで嫌いで何回絞め殺そうかと思い、何とか踏みとどまったことか

当時の僕の上司である支店長だった。

というのも、社内研修制度の一環として、車を売る者として

大型車の免許くらい持っていてもいいだろうということで大型免許を会社の金で取りに行くことになったのがキッカケだった。

ディーラーの営業マンは、大抵自動車整備の専門学校を出た車マニアが大体10年ほど油と格闘した末

になるものなのだ。

もちろん大学を出た人間は、それだけでエリートとして扱われる。

だから油と格闘する期間は、新人研修の数ヶ月というところだ。

車マニアとエリートでは、お客さんの受けは車マニアに決まっている。


僕らエリートは車の知識などそんなにないし、ただ売り上げるだけに必死なのだから仕方あるまい。


そういった状況に風穴を開けるべくとられた措置の一環として

僕は大型免許を取得することになったのだ。

これなら会社が潰れたって何とか食っていけるだろうし悪くない気がして取ることにした。


教習所へは、火曜日と木曜の午前中に行くことが決められた。

もちろん、社内研修の一環なのだから勤務時間中に行けるのは有難いことだったが

その分、忙しくなるのは当然だった。


10:50からの50分間の教習に週2回通った。

営業に行くと言って10:00には教習所に行き早々と待合室で

教習生の様子を眺めるのが、火曜と木曜の日課となった。


毎回顔ぶれが違うなか、ある一人の若い女性は毎回顔を合わせることに気付いた。

それが誰あろう、カッちゃんだった。

初めて見たときのことは今でも克明に覚えている。

10:50始業のチャイムが鳴ると、待合室に大挙している学生達は一斉にそれぞれの番号の車を目指して動きだす。

その3分前に、廊下にブーツのコツコツコツという小気味のいい音を響かせて現れたのが誰あろう、カッちゃんだったのだ。

服装は、膝上丈のミニスカートにロングブーツ。髪の長さはセミロングで毛先はクリンリンに巻かれていた。

膝上丈のミニスカートは、男性教官の興味をそそり採点を甘くさせる意図があるのは見え見えだった。

後姿は、どう見ても20代前半のギャルだった。脚は美脚というほど細いわけではない。

すこしポテっとした感は否めなかったが、細すぎるよりは僕の好みに合っていた。

正面から見ても、ミニスカートやらブーツやらが嫌味に見えることは決してなかった。

まさに団子ような鼻がすこし特徴的だったが、彼女の魅力を否定するものではなかった。

微妙に香り付けされたエッセンスのように、美し過ぎないようにうまくチャーミングなノートへ振られていた。


わずか3分の間に、運転の邪魔にならないように、髪を後ろに束ね

前髪を左右に振り分けピンで止め

仕上げに、ブーツを脱ぎ、スニーカーへと履き替えた。


当然、普通免許でしかも、AT限定を取りに来ているんだろうと想像した。

しかし、待合室から車のある外へと出る時、普通車は右のドア

大型は左のドアと決まっていて、待合室には7~8人居るなかで、左のドア

つまり大型の方から出るのは、大抵僕だけか、もう一人居るか居ないかという状況だ。

ところがである、そのブーツにミニスカの女は、僕と同じ大型の方に来たのである。

「間違ってますよ」と声をかけようかとも思ったが

教習簿が緑色だったのが目に入ったので、恥をかかなくて済んだ。


そう、普通科は青、普通ATはピンク、大型は緑と決まっているのだ。

そのブーツ女を見たおかげで、出発する時、クラッチの加減がうまくいかず

2回エンストしてしまった。

教官にしっかりしてくださいと注意までされた。


それから火曜と木曜の研修は楽しくて仕方が無くなった。


わずか3分の間に、運転の邪魔にならないように、髪を後ろに束ね

前髪を左右に振り分けピンで止め

仕上げに、ブーツを脱ぎ、スニーカーへと履き替えた。


この一連の動作は全く一緒なんだけれど飽きることがなかった。


3回目に彼女を見かけた時だっただろうか、その日は雨で

キャンセルが相次いだらしく、いつもなら10人前後は居る待合室が僕含め4人だけだった。

ずいぶん少ないなと関心していると、雨の影響からか、いつもより1分遅れて

ブーツにミニスカの女が現れた。


わずか3分の間に、運転の邪魔にならないように、髪を後ろに束ね

前髪を左右に振り分けピンで止め

仕上げに、ブーツを脱ぎ、スニーカーへと履き替えた。



2分しかないのでいつもの倍に近い速さで完了させて

30秒余った。いつも忙しなくやってきて忙しなく準備するのに

いつもの倍の時間で準備出来るなら、1分30秒前にやってきて

今日と同じ速さでこなせば問題無い筈だなと勝手に想像していると

その隙をついて、余った30秒で僕に話しかけきた。

「お兄さんは合コンとかしないの?」

思わず「はい?」と聞き返してしまった。

あまりに唐突な出来事だったから。


合コン…


「今は就職したばかりで、地元も離れてしまって友達があまり居ないので

最近は全然です」


言い終えて5つ数える余裕があったかもしれない。

でも女はそれに対して何もコメントは残さなかった。



そしてチャイムの鐘が待合室に鳴り響く

僕ら以外の3人が一斉に右側の普通のドアへ向かう。


女が先頭を切って、僕がそれに従うかたちで左の扉から出た。

雨はまだ降っていたから傘を差してそれぞれ別々のトラックに向かった。

女は白地に赤い水玉の傘をさして、僕は何の変哲もないコンビニで買ったビニル傘を差していた。

ポテっとした脚がどことなくリズミカルに動いていたので

僕と話したことを嬉しく思っているのかもしれないと勝手に妄想した。


その日の教習はとてもスムーズだった。

この前、2回エンストして注意された強面の教官だったが

横で居眠りをしていた。

それくらい、クラッチを繋ぐタイミングもスムーズだった。


11:45に教習が終わって、彼女の姿を探したけど

どこにも見当たらなかった。


そういえば、見かけるのはいつも教習前の待合室でだけだったことに気付いた。


教習所の帰りに寄る近くの薄汚い食堂で、塩ラーメンを食べてから

仕事に戻ることに決めていた。

いつも終わるのが昼前だから、店内はほぼ満席なのだけれど

扉をガラっと空けて暖簾を潜るととても空いていて

拍子抜けした。

そうだ!今日は雨だからか!!

納得するまで結構な時間を要した。

何か浮かれた気分だった。


仕事に戻って、住宅街に営業に向かった。

全く脈絡の無いお客さんから、結構具体的に見積をするように頼まれた。

ストリームのアブソルートという具体的なモデル名プラスグレードの指定までされた。

グレードまで指定してくるケースは、そうそう無く、初回の見積でグレードまで指定してくるお客さんは

そのまま購入へ結びつく確率は結構高いのだ。

しかも高級グレードは、標準モデルより利幅が高いのだ。



営業所への帰り道いいことは続くものだなーと感心していた。

しかし人生一寸先は闇なのである。

快調な時こそ、いつでもブレーキを踏む準備が必要なのだ。

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